2010年9月27日月曜日

文脈日記(「リストラなう!」を自炊なう)

いつのまにか脱藩から3ヶ月が過ぎようとしている。
会社員にとっては1クールというやつだ。1クールくらいでは会社はそう簡単には変わらない。特に大きな会社は。

ところが、脱藩者にとっての1クールは急激な変化がある。
特に僕の場合はミッション・シートで自分を縛ってから脱藩したものだから、変化せねばならぬ、という妙なプレッシャーがある。その自分勝手なプレッシャーの中であがいているうちに手をつけるのが、すっかり遅くなったことがある。

それが本の「自炊」だ。iPadやiPhone、キンドル(僕はまだ持っていないが)などの端末に自分の本を自分でPDFにして収納することを「自炊」という。

僕がはじめて「自炊」という言葉に出会ったのは、西田宗千佳さんの「iPad VS.キンドル」という本だった。この本に関しては以前にも書いている。

そして、こんなつぶやきをしていた。 

「本を自炊する」という言葉は面白いなあ。自分で本を裁断してスキャンしてデジタル化してeBOOKリー ダーに搭載すること。初めて聞いた。「iPAD vs.キンドル」第3章より。僕も自炊したい。 

僕は脱藩する前から電子書籍には強い関心を持っていた。それは活字中毒者としては当然のことだ。
この本を購入した時点では、僕はiPhoneも持っていなかった。だが電子書籍の端末は欲しくてたまらなかった。「自炊」に強く憧れたのは、いつかそれらの端末を買うであろう自分がどうやってコンテンツを充実していくのか、そのイメージができたからだ。

脱藩カウントダウンをしている間も「自炊」のことは気になっていた。
そうこうしているうちに6月頭には早稲田大学時代の友人から、「自炊はじめたよ!」というメールまで来た。

「自炊」という行為は、自分のToDoリストにずっと存在していたのだ。
その証拠に7月3日には、もうドキュメント・スキャナーを購入していた。今や「自炊」標準スキャナーになったScanSnapだ。
その後、アマゾンで大型裁断機も買った。これは家族のひんしゅくも買った。やたらに重くて閉口した。

そして昨日にいたるまで、ドキュメント・スキャナーも大型裁断機も放置されたままだった。
ようやくスキャナーの梱包が解かれたのは、三つのコンテキスト(背後関係)が重なったからだ。

まずiPadを買ったこと。これは妻のものです、とつぶやいたものだから、友人に僕がiPadを見せるたびにこう言われる。「奥さんのiPadを持ち出していいのか…」
へい、そのとおりなのですが、僕の営業ツールにも兼用してます、と応えるしかない。

iPadはすばらしいツールだ。特に電子書籍端末としては感動的だ。
iPadに自炊本を収納したい、と切実に思い始めた。自炊本を読みたいのではない、収納したいのだ。このあたりのニュアンスは後で説明しよう。

次にiPhoneでも、電子読書体験をしたこと。近頃は電子書籍を「電書」と呼ぼう、というムーブメントもあるらしいが、ユーザ視線でいえば「電読」といいたい。ネパールにいる間は、待ち時間が長かったので電読にトライした。

僕のはじめての電読は、「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!肺がんで死にかけている団塊元全共闘頑固親父を団塊ジュニア・ハゲタカファンド勤務の息子がとことん聞き倒す!」という長いタイトルの本だ。
この本のコンテンツに関しては語らない。それは「ラスト・オキュパイド・チルドレン」としてのエントリーで、あらためて書くことにしよう。

初電読体験としては、「意外に快適」というのが正直な感想だった。カトマンズ郊外のホテルで読了したときは少し涙目になった。液晶画面で目が疲れたわけではなく。つまり紙の読書と同じくらい感情移入できたのだ。

それから、「リストラなう!」の単行本を読んで、心が動いたことだ。

「リストラなう!」は、K文社での早期退職優遇制度に応募したたぬきちさんのブログを新潮社が書籍化したものだ。
たぬきちさんは5月31日に45歳で脱藩した。
僕はこのブログは割と早い段階で読んでいる。佐々木俊尚さんのツイートで発見したのだ。
自分も脱藩問題で悩んでいたので他人ごとではなかった。僕が「脱藩カウントダウン」というブログを書き始めたのは「リストラなう!」の影響が大きい。

たぬきちさんの文脈はコンテキスターとしての僕に響いた。そのことは次のエントリーにしよう。
ここでは「自炊」話だ。
たぬきちさんはブログの最初から最後まで出版業界の未来を語り、電子書籍に強い関心を寄せていた。そのたぬきちさんの本が出て、読了した後、僕がぶあつい紙の本を自炊したい、という衝動に駆られたのは必然の流れだったと思う。

iPadの購入、iPhoneでの電読、そして「リストラなう!」の単行本。 このコンテキストでついに山は動いた。
不精者が重たい大型裁断機をセッティングして、ドキュメント・スキャナーの梱包を解いたという意味なんですけど。

そして自炊をしてみた感想は、僕にもできるゾ!である。

大型裁断機の切れ味は抜群だ。
ちなみに先に自炊老人となった友人が教えてくれた「自炊マニュアルサイト」でも紹介されているプラス製のものよりもさらに大型で重い裁断機を僕は購入していたようだ。
心地よく重いハンドルさばきだ。

ScanSnapはさすがにベストセラーだけあって、使い勝手はいい。
自炊の前の手慣らしとして大量に貯まった紙の書類をスキャンしてみる。さくさくとPDFになっていく。決して気が長くない僕が待ち時間を気にしなくていいレベルだ。新聞全ページをスキャンするテクニックも分かった。

次にオードブルとして、これも大量に貯まっている雑誌を裁断してスキャンしてみる。
この調理は雑誌のページをセレクトせずに、全部まるごとスキャンしてしまうのがコツらしい。少々ページが乱れても気にしない。どうせもう読まないんだから。

あれれ、だったらブックオフに持って行けばいいのに。
このへんが自炊の微妙なところなんです。いつかくる事態のために、食料を備蓄する心配性のお父さんのような感覚。
でもデジタルデータは腐ることはないのだ。雑誌という食材は迷わず自炊するべきだ。

次はセカンド・ディッシュとして新書。
なぜか本棚に2冊あった「しのびよるネオ階級社会」平凡社新書だ。新書というのは、実に自炊しやすい食材だ。スパッと切ってスルスルとスキャンして皿に盛る。じゃなかったiPadに収納する。

いよいよメインディッシュの単行本だ。
ここで駆け出し自炊師は考えた。本命の「リストラなう!」の前に、やっぱり1冊練習をしないとね、それもハードカバーの単行本で。
選ばれたのが「ハッピー・リタイアメント」幻冬舎。浅田次郎さんの本だ。単行本の場合は裁断機にかける前に下ごしらえがいる。

まず本を腹開きにして出刃包丁、じゃなかったカッターナイフを持って、ハードカバーを切り離す。カッターナイフが骨、じゃなかった本の堅い部分に当たっても躊躇せずに切り込む。
しかし、本にカッターを入れるときのグキッという感覚は切ないものがありますなあ。

そして、魚でいえば骨の周りの血合いにあたる部分をキレイにして裁断機で一刀両断、のはずだった。
だが結果は本が断末魔の一暴れをして、無残にも本文部分が斜めに切れてしまった。要するに裁断機の締め付けが甘くて、刃が入った勢いでずれてしまったのだ。
これは見るに堪えない。魚をおろすのに失敗して刺身がとれなくても、煮付けにすればよい。
でも本は無残だ。スキャンはできない。紙としても読めない。汚れたものは見たくないのでゴミ箱に直行だ。

ごめんなさい、本の神様。僕のハッピー・リタイアメントに呪いをかけないでくださいね。もう二度と単行本の自炊はしませんから。
と言いたかったが、「リストラなう!」を自炊したい、という欲望は抑えることができない。

慎重に、きわめて慎重にぶあつい383ページにカッターを入れる。裁断の失敗は致命的だとラーニングしたので、小分けにして裁断していく。
ページ分けした部分の継続スキャン設定は簡単だ。 それから表1と表4もスキャンする。魚のアラにあたる(?)カバーの折り返し、背表紙、帯も残らずスキャンする。
ばらばらにPDFにしたものをアドビ・アクロバットで結合したら、おいしい「リストラなう!」の自炊皿の完成だ。

たぬきちさん、書籍版「リストラなう!」に捨てる部分はありません。
全部まるごと自炊させていただきました。末永く保存食にいたします。

ということで、ここにまたひとり自炊老人が誕生した。
ただし自炊の技を身につけても、何を自炊するかという問題は残っている。

あたりまえの話だが、自炊するのは自分の本しかできない。
目の前に紙の本があるとする。その紙を読まずにいきなり自炊する度胸は、まだ僕にはない。まず紙の本を読みたい。もし、その本が面白くなければ話は簡単だ。ブックオフに直行するだけだ。
面白い場合は悩むだろうなあ。すでに収納能力の限界が来ているリアル本棚なのか、それともiPadの本棚に収納するのか。

「リストラなう!」の場合は迷わず自炊した。
この本の場合はiPadの本棚に収まるのが正しい姿だ。
でも僕のリアル本棚のかなりの部分を占拠している村上春樹の本はまだ自炊できないだろうな、というのが僕の本音だ。

さらに、自炊した後の調理素材をどうするのか、という問題もある。 魚をおろした後は捨てるしかない部分もある。でも解体されても本はまだ活字が生きている。

ちなみに、「リストラなう!」の調理素材は捨てられない。単行本として存在していたときよりも、もっとボリューム感が増して、まだ僕の本棚に鎮座している。

うーん、活字中毒者で、かつ自炊老人となった僕の悩みはつきない。

2010年9月15日水曜日

文脈日記(微笑みのネパール)

Directly to airport ?
と、カンチャがタクシーの中で聞いてきた。
Yes! と父と息子が声をそろえた。

ネパール・ロードの最終日のこと。正直、もう帰りたくなっていた。ネパールのローカルツアーは面白い。が、疲れる。そろそろ限界になっていた。これ以上、僕たちはどこにも行きたくない、早く空港へ行こうよ、カンチャ。
そしてカトマンドゥ空港に着く。セキュリティの問題でカンチャは出発エリアに入れない。まだバンコク行きのフライトまで時間はあるが、ここでお別れだ。

突然、カンチャが泣き出した。息子にハグして離れない。いつまでも泣いている。息子は28歳、カンチャとはほぼ同い年だ。ふたりであらためて連絡先を交換している。
そうだよ、君たち、Don't trust over thirty.
30歳以上なんて信用するな、君たちが世界を変えていくのだよ。
父の眼鏡の中にも少し水分が貯まった。カンチャはもっと僕たちと旅を続けたかったのだ。

カンチャというのはネパール語で末っ子の意味だ。今回、父と息子のネパール・ロードのガイドをお願いした彼のことを、僕たちはそう呼んでいた。カンチャの涙で、ネパール・ロードは終わった。

この旅も例によって、突然、決定した。夏休みにどこか行きたい、と言っていた息子が「ネパールどうかな」と提案してきた。アウトドア志向が強い父に異存はない。息子と二人旅をするのはスコットランド以来だ。

ただし、無職の父はどうでもいいが、息子の休みの都合で出発まで20日を切っている。これはさすがに焦った。いよいよパックツアーか、と覚悟した。これまでいろいろなところに旅をしてきたが、お仕着せの旅はしたことがないのだが。

そこで思い出したのがD社の先輩のことだ。先輩の娘さんはネパール人であるTさんと結婚している。Tさんは大阪にいる。

さっそくTさんに会いに行くと縁脈が繋がった。彼の弟がすべてガイドをしてくれるという。弟は末っ子なのでカンチャと呼ばれているらしい。カンチャがカトマンドゥまで迎えに来て僕たちの面倒を見てくれるそうだ。

これはありがたい。いつものことながら気ままな旅をしたい親子なので、自由度の高いプランは大歓迎だ。都会であるカトマンドゥでの滞在は最小限にして、カンチャが住んでいるポカラをベースにトレッキングを含んだ旅程をつくる。

そうなのだ。この旅のメインイベントはトレッキングだった。Tさん夫婦が中心になってポカラ郊外の村につくった診療所と、そこからさらに上ったところにある村の家を訪ねるトレッキング・プランを立てていた。

結論から言うと、トレッキングの目標だったところには2カ所とも到達できた。でも当初の予定であった診療所と村での宿泊はパスになった。
実際に診療所と村を訪ねてみると、僕たちのような軟弱な日本人には、日帰りでちょうどよかったような気もする。それでもこれは貴重な体験であった。出発前にTさん夫婦から諸事情は聞いていたが、行ってみなきゃ分からない。

58歳になるまでD社のクリエーティブをやっていたおかげで、いろいろな経験値は積んできたつもりだ。それでもまだまだ体験しないと分からないことがある。コンテキスターとして世の中の文脈を紡いで行くために身体が動くうちに行けるところに行っておくべきだ、と旅から帰ってつくづく思っている。

ネパール・ロードの時系列にそった記録は、僕のロード・ツイートを遡ってください。iPhoneでWi-Fiに入れるタイミングが限られていたので、実は時系列が混乱しているのだが、そこはアジア的寛容心でご容赦願いたい。

ここでは、キーワードにそって旅のサマリーをしておこう。

まずはラニーニョ。スペイン語で女の子の意味だ。でもそんな可愛い話ではない。この夏、全地球的に異常気象をもたらしているのはこいつのせいらしい。東太平洋の赤道付近で海水の温度が低下する現象だ。

ネパールにいた10日間のうち9日は雨が降った。世界はほとんど厚い雲に覆われていた。旅の雨は気が滅入る。どうしても出せないラブレターを持ち続けているように。ネパールはまだ雨季だということは分かっていた。でもここまで意地悪しなくてもいいでしょ、ラニーニョちゃん。

ずっとこんな空が続いた。サランコットからポカラを見下ろす。
それでも、ラニーニョのご機嫌伺いをしながら、かろうじて晴れた風景にも出会えた。ポカラのフェワ湖のベストショット。
青い空のある写真は貴重だ。サランコットから。
トレッキングで出会ったレディと青い空。


次のキーワードはマチャプチャレだ。ネパール、ポカラのガイドブックを見てほしい。ポカラの象徴はマチャプチャレだ、と書いてある。

マチャプチャレとは「魚の尾」という意味らしい。アンナプルナ連峰のなかでひときわ目立つその偉容は一目見たら忘れられないらしい。と、人ごとのように言うのは、ついに僕たちはマチャプチャレを見ることができなかったからだ。フェア湖畔でも、トレッキング中でも僕たちはずっとマチャプチャレを求めていたのに。

息子が望遠でとらえてくれたマチャプチャレの先っぽ。顔を出していたのは1分くらいか。
この雲の向こうに三角の魚の尾を想像してください。


そして、この旅にはメディカルという重要なキーワードがある。ポカラからアンナプルナに向かうルートの入り口、ヤンジャコット村にある診療所のことだ。
標高1700メートルの村にTさん夫妻が中心になって診療所をつくった。
このメディカルは、他にはまったく医療施設のないエリアで村人たちの診察をしている。山の中にこういう建築物をつくる、ということの意味は、自分の足で行ってみないと分からない。Tさん夫妻の努力に敬意を払おう。村の診療所を支援して、自立を促進するための会は現在も活動中らしい。

僕はiPhoneで、ここで働く医師のインタビュー動画を撮影した。その動画をどう活用すればいいのか、今のところ分からない。ただ世の中のために働く住民代理店を目指す者としては必要な行為であったと思う。

余談だが、この旅では本当にiPhoneのお世話になった。僕にPhone4を与えてくれた皆様にあらためて感謝します。暗い夜道を歩くときは懐中電灯になるし。こいつは本当に「Access to tools」だ。2010年の「WHOLE EARTH CATALOG」だ。

ずいぶん長いエントリーになりそうだ。ここらで一休みしよう。そこで次のキーワードはチョウタラ。ネパールを旅するときに必ずお世話になるものだ。菩提樹が植えられた石積みの休憩所のこと。
トレッキングの途中で、僕は何度も「カンチャ、テイク・ア・レスト!」と叫ぶ。でもカンチャは次のチョウタラまで止まってくれない。

さて、一休みしたら本題に入ろう。ここからがネパールの文脈研究なのだ。冒頭のカンチャの涙に繋がるはずだ。

ネパールという国のコンテキストは、その微笑みにある。彼らはとてもまったりとした微笑みの持ち主だ。それは顔の骨格と皮膚の間に張りついたような、とても自然なネイティブ・スマイルばかりだった。この微笑みを背景にネパールを歩けば、見えてくるものがある。

僕は、そのネイティブ・スマイルが生まれる瞬間に出会った。
生後8日目のカンチャの次男だ。このシャッターチャンスの直前、確かに彼の微笑みを見たような気がする。ほんの少しその残り香がある写真だ。

カンチャは僕にこの子の名前をつけてくれと頼んできた。ネパールでは誕生日から9日目で盛大なお祝いをして子供に名前をつけるという。そう言われたときに僕の頭の中にはEMIという名前が浮かんだ。

EMI for smile.
エミというのは、微笑みのエミだよ、と僕は解説を加える。ちなみにカンチャの長男はYUKI、ユキと言う。兄と弟の名前のバランスもいいのではないかな。

YUKI and EMI. YUKI and EMI. とカンチャは何度も口の中で転がした。彼はEMIというネーミングを選んだ。

YUKIもまた素敵な微笑みの持ち主だ。
こんな表情に出会ったら旅の疲れも吹き飛ぶ。そして僕は、この微笑みの由来をカトマンドゥ郊外、パタン博物館で見ることになる。
仏教にもヒンドゥー教にも疎いのでこの像の解説はできない。だがこのネイティブ・スマイルには心が動いた。
この微笑みは村のオジサンに引き継がれている。
 おばさんと愛犬も微笑む。
そのプロタイプはここにある。
ヤギさんも微笑む。
 きりがないので、このへんで写真はやめておこう。

僕たちはこの国を旅している間、まったりとした笑顔にいたるところで遭遇した。軟弱な日本人はトレッキングで歩くべき道をジープで疾走した。当然、歩いている人々には迷惑な行為だ。でも彼らは追い抜いていくジープを笑顔で見つめてくれていた、と思ったのは僕の錯覚だろうか。

あの微笑みを何に例えればいいのだろうか。

波紋かもしれない。水底から水面に浮かんできた何かが創りたもうた波紋かもしれない。静かな水面にそれが広がったあとの余韻が漂う。

光栄にもカンチャのベビーにEMIという名前をつけさせていただいたあと、僕たちはポカラをベースにして村を歩いた。そしてカトマンドゥに移動して、パタンやボガナートを訪れた。

村でも街でもネイティブ・スマイルは普遍的存在だ。それはこの国に富の偏在があるのと同じくらい明白な事実だ。
微笑みの普遍と富の偏在、その狭間で底抜けに明るく僕に心情を語ってくれた人物がいた。

ルワング村の17歳男子。カンチャの甥っ子だ。
 
彼は語る。

僕には父もいない。母もいない。僕は勉強をしたい。でもお金がない。僕には牛がいる。山羊がいる。猫がいる。犬がいる。ここが僕たちのお茶畑だ。すばらしい景色だろ。鳥の姿が見えたかい。ここが僕の世界のすべてだ。僕は勉強をしたい、お金はない。

僕は彼の微笑みトークに日本的曖昧笑いで応えるしかない。僕は彼の問いかけに応えられない。そして僕は、この村で写した写真を彼に届ける手段を持たない。

彼は今も微笑んでいるだろう。微笑みの持つ普遍の力がネパールの国境を越えていく日もあるだろう。そう願いたい。

カンチャの涙は微笑みの塊が一瞬、はじけとんだせいかもしれない。その涙はEMIの微笑みに繋がっているにちがいない。そして、僕と僕の息子の内側の深いところにも。

ナマステ、カンチャ。ありがとう。