2011年5月30日月曜日

文脈日記(ノマドしつつ根っこを張ること)

おっと、5月も終わろうとしている。毎回、同じような書き出しだな。
月の終わりのレポート提出のようなこのブログ、そろそろ編集方針を変えて更新頻度を上げていこう。
そのためには自分への応援演説としての長いエントリーではなく、たまには備忘録的、メモ的エントリーがあってもいいような気がしてきた。

5月のカレンダーをトレースしていて気がついた。
今月、移動なしで箕面にいた日は14日しかなかったのですね。

今年は和歌山県の鮎釣り解禁が異様に早かった。
通常、鮎釣りは夏の風物詩と言われるように、解禁は5月末だった。ところが5月3日に試し釣りを兼ねて特別解禁するという。
この夏は相当、行事が多いことが予想されていたので、こらえきれない僕は、さっさと初釣行に行ってしまった。僕の鮎釣りのホームグラウンドは日高川の龍神温泉だ。ここには29年通っている民宿「せせらぎ」がある。宿のご主人とほぼ同世代なので、同じように年を重ねてきた。

龍神は紀伊半島の真ん中あたりに位置している。
はじめて龍神に行った頃はまだまだ秘境と言われていた。高野山の無限曲道を駆け上り、スカイラインをアップダウンしながらたどりついたものだ。
今は海沿いの高速道路を使ってアプローチすれば、とても便利になった。
幸いなことに、渓相は絶望的なほどには荒れていない。

この釣行で、宿泊客は僕1人であった。ゴールデンウィークの最終日から2泊3日の行程なら当然といえば当然だが、長い間、「せせらぎ」に通っていて、これははじめての体験だ。
鮎は小さい。でも真っ黄色で縄張りをもう持っている。誰もいない川で好きなポイントで釣りができるのは脱藩生活の醍醐味でありますね。

早々に鮎を釣って落ち着いてからは、上山棚田に通っていた。
自称、美作市地域おこし協力隊の協力隊副隊長としてあるいは上山棚田団の横入り臨時雇われ団員として。
野焼きの見学、ほんの少しの草刈り、川の土嚢積み、水路掃除などなど、いろいろお手伝いをさせていただいた。
でも全部、中途半端ですみません。
体力勝負では本物のメンバーたちと同じ働きができるはずはない。
それでも空の水路に新しい水が流れて、その水を確認していく「水追い」の感動は味わえた。あの感覚はやってみなければ分からない。

自称、コンテキスターとして上山棚田再生に関わった以上、現場を踏みたい、という気持ちは本物のつもりだ。
なんでも自分で経験してみないと分からない。まずは身体を張らないと。
そのために僕はバックパックにレッツノートとiPadとドコモのルータを詰め、車のトランクには長靴とレインコートを常備して移動しつづけている。

ノマド、遊牧民スタイルというとかっこよく聞こえるのだが、さすがに車の走行距離が長すぎる。
少しでも、距離を短くするために坂出の実家をベースにすることも多くなった。こちらは妻のおかげで宿泊には問題がなくなっている。

そして小豆島だ。島の北部、大部にある古民家、自称フミメイ庵はようやく上下水道工事が終わった。さて、これからどうするか、いろいろ考えているところだ。この家はいろいろな可能性があるが、まずは掃除をして僕だけでも宿泊可能にせねば。
あっというまに草たちはのびのびと育っていくし。

上山―小豆島―坂出ラインをいかに楽に移動していくかがこれからの課題です。
などと気楽なことを言っていたら、被災地に行って活動している皆さんに叱られそうだ。
ただ、自分にできることを粛々と自分のテリトリーでやっていることもポスト311の世界では重要なことだと思う。さとなおの言うボラツアに参加してみたい気はする。
でも今、僕がやっていることもポスト311の文脈に必ず繋がるはずだ。

身体を張るというのは根っこを張ることだと思う。
その根っこは、この列島に生えている以上、311の土壌に繋がっている。どこでなにをしていても土も空気も水も分かちがたく繋がっているのだ。どんなに細い根っこでも。

その根っこは言葉だけでは張れない。
フィッリップ・マーロウの名台詞「タフでなければ生きていけない。やさしくなければ生きている資格がない」にならうならば、「身体を張らなきゃ根っこは張れない。根っこがなければ生きている資格がない」ということである。

311と根っこが繋がっていることをポジティブにとらえて、6月末に美作市で実施予定のイベントを成功させるためにも、僕は今しばらく上山通いをする必要がある。

そして被災地で身体を張って笑顔のストーリーを繋いでいるのがMerry Projectの水谷孝次さんだ。本当に頭が下がる。

僕のノマド生活はほとんどが箕面から西なのだが、水谷さんにお会いするために今月は2回東京に行った。

5月28日(日) MERRY SMILE ACTION @六本木ヒルズ。
水谷さんと壇上に上がった被災地の皆様との繋がりが感動的だった。
なんどもマスコミのインタビューを受けてきたはずの漁師の大友さんが言葉につまるのは、あらためて水谷さんの優しさを思い出しているからにちがいない。

僕はこのイベントの関係者ではない。でも身体を張って参加したかった。六本木から東京タワーまで笑顔の傘を開いて歩いてみる。

台風が接近する雨の中で、最初から最後までこのイベントにおつきあいさせていただくことは僕のアンガージュマンだった。
ものごとを評論家的スタンスでコメントするのはたやすい。でも今の僕にそれはできない。小型犬のすぐに息が切れる身体であっても、まずは張ってみたい。

そして僕は今月最後のアンガージュマンを明日する。
今やグローバル・フレーズになりつつある「半農半X」の提唱者、塩見直紀さんの1000本プロジェクトに参加して、人生初の田植えをする予定だ。
先達、原田基風の尊い縁脈である。
もうすぐ脱藩して1年。ようやくこの季節がきた。

さてこのアンガージュマンはどんな根っこを張るのだろうか。

君あり、故に我あり。
すべての文脈が繋がってきた。