2013年10月31日木曜日

文脈日記(ブルネイ物語)

そのTシャツは何度見ても不思議な絵柄だ。昔の癖で海外に出るとなんとなくTシャツを買い求めてしまう。ブルネイ空港の小さなギフトショップでありふれた「I Love BRUNEI」シャツに囲まれていた一枚。


ABODE OF PEACE 平和の住居
BRUNEI ブルネイ
DARUSSALAM ダルッサラーム=平和の土地

「ブルネイ・ダルッサラーム」が正式な日本語表記の国では、「平和」とは「見ざる聞かざる言わざる」なのだろうか。
だとすれば、ブルネイを「見て聞いて言う(書く)」という行為は著しく平和を乱していくことになる可能性がある。
誰の平和?僕にとっては「言いたいことは書く」のが心の平穏を維持することだが。

長男との旅、第三弾はブルネイだった。これまでのスコットランドネパールと違って、ブルネイは僕にとって、まったく未知の国だった。いや、長男もそんなに深く考えて行き先を決めたのではなさそうだ。

「豊かな自然があること」という第一条件に加えて、「面白そうな路線の飛行機に乗ること」、さらには「美しい夕日が撮影できること」を旅の目的にした長男はブルネイを選択した。
杏奈ママの裏話によると、わずか15分で目的地を決めたそうだ。その間に杏奈は「ぶるねいぶるねい」とつぶやく幼子になった。

国名の中に「サラーム」という言葉がついていることからも分かるように、ここはイスラムの国だ。
イスラムの国に行くのは、初めてだから面白そうだな、でも、飯のときに酒を飲めないのは、少々、困る。
まっ、わずか3泊だからいいかな。ふむふむ、旅行者のアルコール持ち込みはOKなのか。
父は例によってリサーチを始める。またしても『地球の歩き方』にも情報が少ない旅の目的地だ。正直に言ってそれほど「ブルネイ」に乗ってはいなかった。まっ、いいか、という程度だったのが、結果的には、例によってとても興味深い旅になった。

ブルネイ。
ボルネオ島の一部に三重県ほどの国土を持つ小国。石油と天然ガスが多く埋蔵されていて大富豪の王族が暮らす国。敬虔で穏やかな国民性。
そしてTPP交渉会合が8月の終わりに開催されて、日本のメディアが押し寄せた国。


旅程は9月11日から16日まで。4泊6日。去年のハワイ行きと同じく今年も911に出国する。
関空からクアラルンプールに飛んで1泊。そこからLCC(ロー・コスト・キャリア)のエアーアジアでブルネイの首都、バンダルスリブガワンまで2時間半。ブルネイに3泊してまたクアラルンプールへ。夜行便で帰国。わずかこれだけの旅だ。

クアラルンプールは典型的なアジアの町のように見える。一応、町の真ん中のホテルに泊まって空気感を確かめただけなので書くべきことはほとんどない。
だが、文脈家としてはマレー半島で生まれたはずの多くの物語に思いを馳せておく必要はあるだろう。
LOC(ラスト・オキュパイド・チルドレン)としては「快傑ハリマオ」なんですがね。誰も分かりませんよね。


旅の目的は食うことにもある。第一夜の飯はホテルのすぐそばにあったベトナム料理。
いや、そこにうまそうなベトナム料理屋「サオ・ナム」があったから、ホテルを決めたというのが正解かもしれない。

これはうまかった。もちろん、ビールもワインもうまい。明日から飲めないと思ったらとてもうまい。
生春巻き、揚げ春巻き。あまりにうまそうで、写真を撮るのも忘れて食い始めた。


このレストランのトイレにはどこかで見たことがある写真が飾ってあった。
やぎひげのじいさん、二重眼鏡。これはホーおじさんではないか。ホーチミン、ベトナム戦争の覇者。この写真のことを読んだか見たのは開高健の著作だったか。


おっと、このあたりの文脈はまた別の物語だ。寄り道をせずにタイガービールとスコッチを持ってエアーアジアに搭乗しよう。


ぶるねい、ぶるねい、ここがブルネイ。
アルコール持ち込み申請をする息子の背中にはTUMIのバックパック。
父が21世紀の初めにラスベガスで買って、テキサスに留学する息子に贈ったものだ。あれからこのバックパックは何カ国を旅したのだろうか。


ブルネイはASEAN(東南アジア諸国連合)の加盟国だ。僕たちの旅の一カ月後には安倍総理夫妻もアセアンの首脳会議に出席するため、この国を訪問している。
そのテレビ報道を見ているとバックに見慣れたモスクが映り、現地時間夕刻のコーランが流れていた。

その既視感はすごかった。なにしろブルネイにいた3日間、毎晩、僕たちはこのモスクの撮影をしていたのだから。うちのカメラ小僧は割としつこい、いや、丁寧に撮影をする。
父は「ちゃっちゃっと素早く」が心情の撮影で三脚などというものは使わない。ゆえにレベルの取れていない写真が多い。全般的に右肩上がりの写真が多いので、よしとしよう。

鮮烈、荘厳、朗詠。フレームに収まりきらないモスク。ここはもちろん現役である。朱に染まったライティングの中で町中にコーランを響かせる拠点なのだ。


美しい映りを求めて雨の中でも三脚を立てる息子。
撮影終了を待つ父は住民と戯れる。


バンダルスリブガワンは狭い町だ。そして水の町だ。水上タクシーが夜でも行き交う。
対岸の水上集落が見渡せるレストランでは2回、ディナーをした。タイ料理とイタリアン。
味は最高。お相手はペリエ。


夜はモスクの撮影。朝は市場探索。この旅はシンプルでいい。
市場があれば国家はいらない、と見切ったのは藤原新也だったと思う。
絶対君主制のブルネイでも市場は市場だ。
キアンゲ市場を見たら、この町の飯がなぜうまいのかがよく分かる。
野菜、野菜、野菜、魚、魚、魚。


人々の雰囲気は全体的におっとりした感じがする。やっぱり「金持ち喧嘩せず」なのだろうか。

市場にはあらゆる食材が流通していたが、ロイヤル・レガリア(王室史料館)では石油を売っていた。これは比喩ではない。ギフトショップというものにほとんど興味はないが、これには驚いた。


化石燃料に支えられた豊穣。
宿泊したブルネイ・ホテルの窓からは市場がよく見える。


さて「豊かな自然があること」だった。
なにしろボルネオ島なのだから。熱帯雨林なのだから。

この国のアウトドア・アクティビティのビークルはロングボートだ。強力な船外機を装備してぶっとばして行く。ブルネイ名物、水上集落への足はこれしかない。
この堅牢にして簡潔な乗り物でマングローブの川を遡り、テングザルを見に行くのが「おのぼりさん」の定番コースだ。


「金持ち」の割に、このおっさんの客引きは強引だった。旅の交渉ごとは息子に任せるのだが、根負けしたようだ。
商売上手にしてスピード狂のおっさんのボートに乗った親子はこんがりと焼かれていく。なにしろ南洋の直射の下で2時間半、すっ飛ばしたのだ。


これは13日の金曜日の午前中のこと。敬虔なイスラム教徒は金曜日の正午から2時までは祈りを捧げるはずだった。
僕たちはおっさんの信仰の邪魔をしないように早帰りを希望したのに……。

「こちとらはお客さん優先だぜい!」
サービス精神と金儲け精神が正比例しているのだ。カメラワークもお手のものだ。
テングザルだってクロコダイルだっておっさんの手の内である。


おっさんは水上集落の住人らしい。彼の自慢は集落に学校が11もあることだ。
教育の充実はブルネイ国民全体の誇りのようだ。


「どうでえ、客人、次は海を見たくねえか?」
おっさんは、普通の観光コースが終わっても港に帰ろうとはしない。
南シナ海か、それもよかろう。すっかり南洋の旦那気分になった親子は(心の中で)扇子をとりだしてパタパタしながらうなずいた。船頭に帰る気がないのだから行くしかない。
かくして、水上ペトロステーションでガスを満タンにしたおっさんは海を目指す。


気分は爽快だった。おっさんの気分も平和なものだったろう。
祈りよりもキャッシュを優先する敬虔なブルネイ国民も存在するという当たり前の事実も確認できたし。
ただ、暑かった。屋形船ならよかったのに。帰国してからも親子を悩ませたおでこと手足の皮むけ現象は、この日に起因するのだ。


次の日、9月14日も「自然の中へ」だった。
熱帯雨林への日帰りツアー。ウル・テンブロン国立公園には乗り合い船で川を1時間。そこから陸路を30分ほど走ったところにベースがある。


ツアーのオプションはふたつ。熱帯雨林を見下ろすまで歩道を上がるキャノピー・ウォークかジャングル・トレッキング(川通しあり)。足には自信がある(?)親子だったが、後者を選ぶ。

結果的には正解。いかつい山男と素敵な山ガールが先導する林道は快適だ。途中、薬草のお勉強などしながら長閑に歩く。間違いなく熱帯雨林にいるのだが、気分は箕面のお山だった。


この山男、ごっつい山刀に似合わず、シャイで優しい奴だった。
小さくて可愛い石を見つけては僕にプレゼントしてくれるのですね。仕方がないので適当にレイアウトして写真を撮っていると、次から次へとね。
ここは石の王国か、とつぶやいてしまった。


そして川。日本型渓流と透明度は較べようもないが、やはり川のそばにいると癒やされる。まさかブルネイまで来て川通しができるとは思わなかった。
平和だ、とても平和だ。
山ガールと息子は石投げに興じる。僕は熱帯雨林のXフォトを撮影していく。


こうして豊かな自然の中の2日間が終わった。


熱帯雨林ツアーに出発する朝、ボルネオガイド社のアリヒ青年と話してみた。
乗り合いボートが来るまでの短い時間に、彼は「ヒズ・マジェスティ」、すなわち国王(スルタン)について熱く語ってくれた。どうやらこの国の住民は最高権力者が大好きなようだ。


アリヒは言う。
国民がスルタンを支え、スルタンが国民を支える。
僕たちはみんなヒズ・マジェステイが大好きだ。
スルタンは石油から産み出された富を国民のために配分してくれる。
医療、教育、奨学金……。
彼はスマートでアクティブだ。
ポロが大好きで二千頭の馬を持っている。
とてもフレンドリーで国民とともにレガッタレースに出場する。
飛行機を操縦する。ヘリコプターも大好きだ。
僕は王宮に入ったことがある。とても感激した。
なんだか羨ましくなった。
僕は単なる通りすがりの者だ。スルタンの人柄も分からないし、あのロングボートのおっさんがどんなスルタン観を持っているのかも判断しかねる。
それでも、アリヒ青年のストレートな思いは気持ちがいいものだった。

ひるがえって日本列島のことを考えたらなおさらである。
「民意」で選ばれた総理と世襲制の国王を比較してしまう。国王は民に尊敬され信頼されている。
青年の話を聞いてから一カ月後にブルネイを訪れた日本国総理はどうだろうか。
まあ、僕は列島の「圧倒的少数派」らしいので、この件にはこれ以上、深入りしないようにしよう。

平和が住まいたまうところの国王は国民に「見ざる聞かざる言わざる」を強いることはないはずだ。
熱帯雨林ツアーがあんなに平和だったのも、山男と山ガールの家に飾ってあった国王とその夫人のおかげなのかもしれない。


ハナサル・ボルキア国王兼首相。1946年7月15日生。67歳。
アリヒ青年の話を聞いて町中にあふれていた「67」という数字の意味が分かった。

「明日はヒズ・マジェスティの誕生日セレモニーです。ブルネイを発つ前に見に行ってください」という彼のお薦めにしたがって、9月15日はイベント見学。

ところで、このエントリーを書くためにいろいろ調べていて気がついたのだが、国王の誕生日は7月15日。それではなぜ2カ月遅れでセレモニーをしていたのだろうか。いまだにこれは謎である。

それはともかく。見に行って驚いたのは国王との距離の近さだ。
見物人のすぐそばを国王が通過していく。別に機動隊もいない。
ど派手なイベントで最後はジェット機とヘリコがカラフルな煙を吐いていった。


ブルネイの平和物語をお裾分けしてもらった親子は、物語が錯綜している列島に帰る。
ガソリンがリッター42円の国から158円の国に帰る。

ブルネイの穏やかな物語がフィクションなのか、ノンフィクションなのか、それはわずか3泊4日の滞在では分かりようがない。

ただ、僕たちひとりひとりに固有の物語があるように、国にもそれぞれの物語があるはずだ。旅に出て見て聞いた物語は帰りの空港で飲む一杯のワインで忘れることはない。


息子の背中を追いかけて、次のページを開いていく旅を僕はいつまで続けることができるのだろうか。願わくば、ネバーエンディングストーリーになってほしいのだが、そうもいかないだろうな。


できれば孫たちに、ひたすら楽しい旅物語を語り継ぎたいのだが……。