2012年5月27日日曜日

文脈日記(村楽には川があるのに)


夏が来る。僕は元気に動いています。
マイファームのフミメイ農園、綾部の「塩見直紀1000本プロジェクト」、そして上山集楽の日々。

半農半コンテキスター生活にも一定のペースができてきたようだ。
でもまだ自分の中には物足りないものがあるのですよ。
そのひとつは僕を巡る釣りの文脈について研究レポートを書けていないことだ。

2年前に電通を脱藩したとき、かなりの時間を釣りにかけようと思っていたのは事実だ。
脱藩3日前にはこんなブログ記事を書いている。
ところが、田中文脈研究所のコンテキスターと自称してしまったもので(笑w)、思っていたほど釣りには行けていない。

もちろん釣り以外にも「楽しいこと」がありすぎたせいだ。
特にニワカ百姓修行は楽しすぎて忙しい。
百姓のハイシーズンと僕の好む渓流釣りと鮎釣りのそれはもろに重なる。やったことのない方を優先していくのがニワカのプロなので、必然的に釣りは後回しになった。

それに行きたい川がなくなってきたこともある。
僕のユーザー視線で見た「行きたい川」というのはたとえばこんな川だ。

水はエメラルドグリーン。泡は一切浮いていない。透明度が高く不用意に立ち込んだら腰までの水深でびっくりする。そして暑くなったら水を浴びたくなる水質。飲めるところまでは望まないが。川幅は9メーターの竿で向こう岸まで攻められる範囲。川底には拳大の石が敷き詰められている。大きな岩で流れに変化がついていて、トロ瀬と落ち込みが連続する。その気になれば急瀬で遊ぶことができる。川原は適度に広く座り心地のいい石が点在している。入川道は綺麗に草が刈られていて素敵な木陰がある。

なんだか夢にでてきそうな描写だが、僕の守備範囲ではこんな川は絶滅危惧種だ。

さらには311である。
昨年の夏は考えごとが多かった。
もしかしたら皆さんは、釣りをしていても考えごとはできるはず、とお考えではありませんか。
とんでもない。釣りをしているときの釣師の頭の中は魑魅魍魎がいっぱいで他の考えごとなどできない。アタリがあったらドーパミンがどばーっと噴出して他のことは忘れるし、釣れなければ徹底的にイラチになって場所のこと、エサのこと、昨日の酒のこと、その他もろもろをうじうじと考えつづけるのが釣師なのです。

無念無想で水面を見つめて、などとのたまう気の長い人は絶対に釣師には向かない。

半農半X的に言うならば、小さな農をベースにした釣師生活もできるのかもしれない。だが、農と釣りはかなり作業プロセスがちがう。農は基本的に集約型労働だ。つまり作業に携わる人の数が多いほど能率はアップしていく。なによりも楽しいことと楽しい人が集楽すれば疲れを忘れる。

それに対して釣りは徹底的に自己完結の作業だ。仲間と行くことはあっても釣り場ではひとりになることが多い。釣師の世界は必ずしもオープン&フラットではないのです。

「釣りは血みどろのエゴ遊び」と写真家の藤原新也は喝破している。
ひたすら自分の中に降りていく釣りには名言が多い。
僕の敬愛する作家にして釣師の開高健が愛用した言葉も含蓄が深い。

「釣師はみんな心の中に傷を負っている。でも彼はその傷が何であるかを知らない。だから釣師は今日も家を出る」

僕の心の傷は何だろう。何となく分かってはいるのだが分からないふりをして今日も僕は家を出る。最近は釣りが目的でない方が多いのだが。

心の傷を見つめる釣りの中でも陰翳が深いのが渓流釣りだ。山里の川釣りについて僕はある文章を書いたことがある。その一文も「田中文脈研究所」に格納していた。

この「禁漁期の渓流師のために」という記事は意外なほどページビューが多い。
どなたに読んでいただいているのかは分からないが、ありがとうございます。
僕は元々しがない渓流師で本格的に渓を溯行した経験もほとんどないし、最近は天然のアマゴや岩魚にお目にかかったことはない。
だが、ここに書いた山本素石の心情は間違いなく理解できるつもりだ。

釣りにまつわる単なる心情論はこのくらいにしておこう。
僕はいまさら「定年後は趣味の釣り三昧ですわ。うぁはあああ!」と言える立場にはない。いや、言ってもいいはずなのだがなんだか違う道を歩んでいる(笑w)。

釣師コンテキスターとしては釣り哲学よりも釣りのベースである川の文脈を繋いでいくミッションがあるのだろう。もちろん、それはポスト311の大文脈の中で。

そしてそれはまた、村楽LLPの文脈の中で川を語ることになる。

僕が全国地域おこし協力隊連合である村楽LLPの立ち上げに興奮したのは川から地域を見ていた長い経験もあったからだ。

村楽は今日もfacebook上で活発な議論をしている。地域おこし協力隊は全国に増え続け町から村への流れは止まらない。

内村節の言葉を借りれば、町は途方にくれた個人が漂流する場所になりつつあるのに対して、村は自立した個が連帯して自然と協存する場所になりつつある。
協存とは「力を合わせて存在する」という意味の僕の造語だ。
村楽LLPが目指しているのは、人と人との協創をベースして自然とも協存しながら創造力を発揮していく生き方なのだ。

ところが、である。
その自然との協存から川は疎外されている感がある。
田んぼがあり畑があり森と山がある。その営みのなかで生業(なりわい)探しをする百商たちの川に対する視線はあまり熱くない。

それは村楽にある川が生業を再生産できなくなっているからだろう。
最近、傾倒している内山節の本から知見を借りてみよう。


現在、各地における川の荒廃は眼をおおわんばかりであるが、それは川が労働の対象ではなくなったからである。川の思想には私は水の思想と流れの思想があると思う。もともと川はこの両面の機能をもっていた。しかし近代以降、川の思想は水の思想に一元化された。いわば川は様々な用水を確保するための水ガメになっていったのである。それはダムの建設によって完成するが、そのことによって川の流れの思想は死滅していった。それは川に棲む魚族に対しても大きな打撃を与える。川とはなにであったのかを本書で繰り返し問題にしているのは、川の思想を水の思想に一元化していく発想を批判したかったからである。流れの無視は必ず川の荒廃を招く。(P271) 

ちなみに、この文章にある「現在」とは1980年のことである。2012年現在、この傾向はもちろん致命的に進行している。

村楽LLPメンバーはどちらかと言えば稲作文化地域にいるケースが多いので川は用水の発想で見られていると思う。
また元々、山里の川で生業が成立していたのは渓流魚の職漁師と川を流通路としてきた筏師だけだったらしい。

それでも村楽には川がある。そこに川がある以上、川を見つめるまなざしを深化させていきたいと思っているのは僕だけであろうか。
もちろん、僕は川で生業をしたことはない。単なる釣りバカの戯言に付き合っている閑はない、と言われたらそれまでだが、僕は村楽に川を見続けていきたい。

思えば、村楽設立準備サミットを島根県飯南町でしたときも小雪のちらつく神戸川沿いをドライブしながら出雲の渓流魚たちのことを考えていたのだから。

そろそろ僕の人生の中で最も関係が深かった川のことを書こう。
奈良県吉野郡川上村。和歌山県内では紀ノ川といわれる大河は奈良県に入ると吉野川と名前を変える。その最上流は川上と呼ばれている。

川上は僕の鮎釣りのホームグラウンドだった、と永遠の過去形でしか言えなくなっている。
僕は2002年以来、川上には行っていない。

2002年夏、川上村

この年、大滝ダムが完成して僕の川上は川ではなくなった。
大滝ダムに関して僕は日本一ムダなダムと罵っている。完成して水を貯める試験を始めたとたんに地滑りを起こしてダムの役目をしなくなったからだ。

ダムという巨大公共事業に関して村では様々なことが起こったのであろう。その個別事情について語る知見はまだ僕にはない。
ただし、僕が川上に通った20年の間、流れる川から貯まる川に変貌を続けていった歴史的事実ははっきりと見てきた。

最近、大滝ダムに関して地元の方と話す機会があった。例によって僕が大滝ダムの悪口を言うと彼らは複雑な表情をする。
昨年、9月3日の台風12号の災害時に大滝ダムがあったから下流の吉野町は被害を免れたのだそうだ。
水を貯めるために作ったダムに水がなかったから洪水を防げたのか?
僕には今でも理解できないので、これ以上のことは書かない。
以下はfacebookにアップされていた川上村の現状だ。台風被害からようやく回復しつつあるらしい。

2012年5月川上村

この無残な崖の下にある川は今、どんな状態になっているのだろうか。怖いもの見たさに行ってみたい気もするが、当分、僕は川上には足を踏み入れないだろうな。思い出があまりにも美しすぎるから。

実は川上村へのオマージュを小説にしたことがある。1993年に書き始めた「流れる」というタイトルのものだ。実はこれも田中文脈研究所にイントロだけを格納している。
内山節の言う「川は流れてこそ川」という思想をタイトルだけは踏襲していたと、今頃気がついて少し嬉しくなった。
この小説は鮎釣りをしない人の興味はそそらないかもしれないが、そのうちに電子書籍化して公開してみますかね。

2002年夏、川上村

それにしても、森は海の恋人である前に川の母なのだ。森が保水力を失ったら川は氾濫する。

そういう意味では、今、村楽の皆さんが自伐林業に取り組んでいるのは川を取り戻すトリガーにはなりそうだ。長い時間がかかるだろうが。

2002年、僕にとって川上最後の鮎

村楽には川がある。それなのに村楽はいまだ川を語らない。

おかげさまで、日々の「稼ぎ」からは解放された身の僕としては「世の中のための仕事」として村楽LLPメンバーの地域にある川を見て歩く必要があるのかもしれない、と考えている夏の始まりだ。

ほんとは脱藩したときの憧れだった「釣り三昧」生活を3年目にして実現したいのだ、という下心があるのです。皆さん、もうとっくにお分かりでしょうが。

長野県阿智村、長野県大鹿村、山梨県小菅村、高知県本山町、高知県津野町、そして愛媛県双海町から肘川へ。

もちろん村楽の聖地、上山集楽に連なる吉野川上流、梶並川も集中的に見ていかねば。
日本の夏って何ヶ月あったのかを忘れてしまいそうなくらい妄想は拡がっていく。

しかしながら、妄想の中でも想像力を失ってはいけない。

2012年4月南相馬

この列島の北、南相馬では、川底を2万8千ベクレルの放射性物質に汚染された川もあるということを忘れてはならない。

2012年4月南相馬

復興から見える川の未来、こちらもすべてはこれからだ。