2012年8月31日金曜日

文脈日記(「協創する大縁脈」序章のはじめに)

今月は坂出の実家でこのエントリーを書き始めた。
ここは僕が18歳まで育った家だ。今は誰も住んでいないが。
この家に一週間以上も滞在するのは本当に久しぶりだ。
坂出は小豆島とちがって、そばに海もなければ山もない。
このあたりは戦後の新興住宅街で今は空き家が多く近所つきあいもない。
引きこもるには最適な環境だ。

協創LLPの新年会で「還暦ドラゴン」になる今年は引きこもって本を書きます」と宣言したものの、あちらこちらへ彷徨する癖が抜けずにまだ一行も書けていない。

現場至上主義者の端くれとしては、やはり自分の目と耳をものごとの起こっているそばに持って行かないと文脈研究を書けないこともあるので体力と時間がかかる。
でも、そろそろ本を書き出さないと協創LLP代表に叱られそうだ。まいどおなじみ山の神(妻のことです。筆者注)にはいつも叱られているのでこれ以上は「叱られ許容量」がない。

ならば書くしかないか。

それにしても「山の神」が妻のことだと分からない読者も増えているらしい。
自分たちの世代では当たり前と思われていることが違う世代には伝わらない。逆に彼らの使う用語が自分にはどうしてもなじめないこともある。
「ヤバい」がその代表ですね。その「ヤバい」はいい意味で?悪い意味で?と聞かないと文脈が分からない。

そこで、仮にも文脈家=コンテキスターと名乗ってしまった以上は、万人に分かりやすい本を書かなくては、と優等生的な決意をするのは僕らしくない。

やはり本の中心に居座るのは自分しかいないのだから、あくまでもベースは自分の文脈だ。そこから世の中を見て書いた結果、万人が最後まで読んでくれて物事を考えるきっかけになる本が書ければ本望だ。

小難しく書く必要はない。卒業論文のように堅苦しく書く必要もない。もっとも僕は全共闘ぶら下がり世代で大学のゼミにも入れなかったので「卒論」というものは書いたことがないのだが。

このエントリーは本を書くにあたって、自分の背中を後押しするためにあれこれ書いています。おつきあいしてくれている皆さん、すみません。

そろそろ「本」の羅針盤を示さねば。

タイトルは仮に「協創する大縁脈」としておきたい。
しかしこれだけだと、世の中の一般論を解説する本のようだ。

「協創する大縁脈~ラスト・オキュパイド・チルドレンとして」

こういう副題をつければ、自分の本らしくなってくるような気がする。

何度も当研究所で触れている「ラスト・オキュパイド・チルドレン」=「LOC世代」という立ち位置を明確にしたら見えてくるものがありそうだ。
1952年3月13日生まれの僕は世代論から逃れられそうにない。

1952年4月28日、日米講和条約発効の直前に生まれた子供たち。最後の占領された子供たち。いつも団塊世代といっしょにされがちだが、常に団塊には違和感を持ってきた世代として、電通を脱藩してから見てきたこと、感じたことを書いていきたい。

最近、またどんどん団塊世代とのジェネレーション・ギャップを感じる。彼らはすべてが「競争」原理で動いているようだ。判断基準は自分にとって「損か得か」しかない。ここまで断言したら言い過ぎかもしれないが、どうも話が噛み合わない。

それぞれの自分という存在は歴史的社会的構造に大きな影響を受けて成立している。
そして、団塊であれLOCであれ、自分の文脈と思われるものは、まず家族の影響を受けているはずだ。さらにはその家族を包みこんだ歴史の影響を受けている。

自分の文脈は「遠くから来ている」のだ。
そして、その文脈は果たして「遠くまで行ける」のだろうか? 

僕がこの2年間、アンガージュマン(社会的自己投機)してきたことは普遍性を持ちうるのか?

これが本を書きたい、というモチベーションの始まりだろう。

さて、このあたりで、ひとつ明確にしておこう。
「本を書きたい」と「本を出したい」の間には一線があるのだ。

僕は本を書こうとしている。でも本を出す当てはない。

この国の出版社は当然、ビジネスとして本を出版する。売れる見込みのある本を優先して出版していくのが原則だ。しかも紙の新刊本は1日に200冊も出てくる。貴重な熱帯雨林の木を消費しながら。

出版社があり取次があり書店があり読者がいる。出版社の編集者自身が歪な構造という業界の中で、いわゆる商業出版をするのは至難の業だと思う。
しかし、情況は変わりつつある。電子書籍の登場だ。

当研究所でもたびたび取り上げている電子書籍は歪な構造の出版業界に風穴を開けつつある。もちろん紙の本のステータスも捨てがたいのだが、「本を書く」という行為と「本を出す」という行為の一線を繋ぐために電子書籍は有効な解決策だと思われる。

志の高い電子書籍専門の出版社も登場している。光文社を早期退職した編集者の「志木電子書籍」は電子書籍の老舗、ボイジャーと組んで大きな動きのための小さな一歩を踏み出しているように見える。


そういえば、僕がはじめて自炊してiPadに格納した本は「リストラなう」だった。この本の著者も光文社早期退職組だ。ここから始まった自炊ロードはまだまだ続いている。最近では、買ったばかりの新刊もすぐに自炊してiPadで読むこともある。

僕のiPadの本棚には80冊近い本が格納されている。電子読書は快楽だ。


話を「本を書く」ことに戻そう。
まずコンテンツがないと始まらない。どんな器に入れるかは後から考えればいい。

ここにひとつの指針がある。
協創LLP代表の原田ボブ基風がKJ法でまとめた「協創の時代」のコンテンツマップだ。


俳人でもあるボブ代表は言葉を凝縮するのが得意だ。協創の「きょう」にフォーカスして
どこまでも「ひとりブレスト」をしている。

今、ここにいる自分というコンテンツをつくった歴史の総体は「今日(きょう)の積み重ね」だとボブは喝破する。

明日も昨日も実在はしないのだ。昨日は今日にしかなれないし、明日になれば明日は今日になる。

「今日」にどんなカタチで「参画」していくのか、そこが「協創の時代」の問題解決の始まりだとボブは考えているようだ。

しかもその「今日(きょう)」は明治維新の「強」、満州の「協」、敗戦の「郷」、全共闘の「共」と「教」、高度成長の「経」、「京」、「況」、成長の限界の「境」、バブル経済の「狂」まで繋がっているという。

この「きょう」のコンテキストを繋いでみせよ、と協創代表はコンテキスターに要求しているわけですね(笑w)。
さすがに百字以内で、とは言っていないが、一冊以内で、ということなのだろうな。

そもそも、このKJ法というのがなかなかの難物だ。その創始者、川喜多二郎の本「野性の復興」をボブの勧めで読んでみた。ボブKJ法(以下BKJ)のラベルの中に見える「参画民主主義」の項目は彼の本を読まないと理解できない。


ブレーンストーミングの代表的手法、誤解を恐れずに言えば、単なる方法論(僕は今までそう思っていた)であるKJ法の発案者がなぜこんなタイトルの本を書いているのか。

なんで「野性の復興」なのか、サマリーをしようと試みているのだが難しい。
この本は、いい意味で「奇書」の類ではなかろうか。

タイトルにある「デカルト的合理主義」とは、「我思う、故に我有り」だと思う。ニワカ哲学者ながら、そう思う。

つまりデカルト的合理主義とは社会的歴史的構造の外に「自我」の存在を絶対視して位置づける考え方のことだと思う。

その「自我」という固い観念の殻を打ち破って、広い世界の自由で新鮮な空気を深々と呼吸するために、野性の復興をせよ、と著者は訴えている。土離れの危険性を訴え、「全人的創造」への方法論を提起する。

その方法論とは科学的人間学であり野外科学的方法論である。
川喜多二郎もまた徹底的な現場至上主義者であるのはまちがいない。

こんなふうに、大胆不敵にサマリーをしてしまうとますます訳が分からない。
「今日はこのくらいで勘弁したろか」と自分に言い聞かせるしかないな。

このエントリーの目的は、BKJの項目をひとつひとつ検証していくことではない。そんなことをしていたら夜が明けてしまう。

坂出で書き始めたこのエントリーを今は箕面に持ち帰っているが、また坂出まで持ち越す必要が出てくる。そもそも、それをやったら本になってしまうので困ってしまう(笑w)。

なにしろ、この「協創の時代」BKJはすべての項目がとても深いのだ。
KJ法のラベル一枚一枚は強い志を持たねばならない、という創始者の重い言葉がずしりと応えてくる。

ここには協創LLP、英田上山棚田団、半農半Xという最強の志を持つラベルが揃えてある。
うーん、手強い。

しかも、僕はさらに「メリープロジェクト」と「村楽LLP」というラベルを加えて本を書きたいと思っている。

ホンマニ、カケルンカイナ?
と思いつつ前に進むしかない。
自分の文脈を振り返りながら。

振り返る時点は誕生日だけではない。
僕がここまで育って来たプロセスにどういう時代背景(コンテキスト)があったのか、ということも重要な要素になる。

情報の善循環とは面白いもので、そんなことをあれこれ考えていると思わぬところから共感情報が飛びこんでくる。

最近はほとんどテレビは見ないのだが、たまたま報道ステーションで浅田次郎と古舘伊知郎の対談に遭遇した。この映像はBKJの「高度成長」項目のコンテキストに回答を与えてくれる。


浅田次郎は1951年12月13日生まれ。僕より3ヶ月年上だ。
小説家はこう訴えている。

戦争を経験した浅田の親世代(すなわち僕の親世代でもある)は戦後の焼け跡で覚悟を決めた。子供たちにこの酷い現実を申し送ってはならないと。
その結果、親たちは「高度成長」を実現してくれた。おかげで浅田たちの世代は人類史上で最も幸せな育ち方をしたのかもしれない。
浅田より3歳年下の古舘も同感する。その恩恵を世の中にどうお返しすべきか。
今、我々の目の前にはチェルノブイリ、フクシマという破滅的で酷い現実がある。
自分たちの親のおかげでいい思いをしてきた世代は子供たちにそんな現在を申し送るわけにはいかない。子供たちは未来そのもので目に見える未来がそこにある。
子供たちに確かな未来を申し送るためには、子供たちが可愛いとか罪がない、とかいう情緒的な考え方ではない解決策が必要だ。
日本の「過去・現在・未来」を正しく見つめなければならない。そこには人間の情緒的なものの入る隙間はない。
今、「日本の決断は人類の歴史を左右する決断」として世界が見ている。

そうなのだ。いい思いをしてきた「戦争を知らない子供たち」は、このまま黙って逃げ切ってはいけない。
「泣かせ屋」の浅田次郎がここまで言っているのだから彼の戦争小説を読んで涙を流すだけでは解決しないのだ。
情緒的にではなく社会全体の構造を理詰めで変えていく必要があるのだろう。

白状しよう。僕はいい思いをして育ってきた。
それはひとえに両親のおかげだろう。坂出の家でいろいろなことは起こったが。
そして電通という会社でもいい思いをしてきた。バブルの時代も経験した。

その反動で脱藩したら「世の中のために働く」という妄想を言ってしまった。
妄想は現実化する、とどこかの哲学者が言ったかどうかは知らないが、その妄想のひとつとして「本を書く」という行為を始めたいと思う。

思えば、僕は22歳までにやり残したことを還暦を迎えてからまた始めたような気がする。
ただし、それでは電通で務めていた36年間は無駄な時間だったのか、と聞かれたらノーとはっきり言おう。

電通で培ってきた現場対応力、実践力、チームワークつくり、発想力、それらすべての知見と経験値をもとにして、ようやく今、自分のやりたいことが見えてきているのですよ。

この文脈研究所のエントリーを表のコンテンツとして、裏では密やかに粛々と本を書いていこう。

もう鮎釣りのシーズンは終わったし。あっ、でも稲刈りのシーズンが始まるのだ。

「遠くまで行く」ための道は遠いなあ。