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2014年7月28日月曜日

文脈研究所、東京国際ブックフェアに行く。

あちこちに顔を出して彷徨していると、また自己紹介で悩む日々。
「英田上山棚田団信頼責任者」です。「協創LLP構成員」です。「半農半X研究所主任研究員」です。「マイファーム農園メンバー」です。
「ああそうですか、それはどうも。で、あなたの本業は何でしょうか?」
こういう反応が返ってくると、回答を探さなくてはならない。
「田中文脈研究所コンテキスター」です。
それは法人ですか? 具体的に何をしているのですか?
僕は困ってしまう。
「雑文書き」です。
最近は開き直った方がいいような気もしてきた。

「自己紹介は世界を救う」(by塩見直紀)という言葉にインスパイアされて、こんな雑文を書いたこともあった。
今でも、この状態は変わっていない。
で、住所不定無職のおっさんは、東京国際ブックフェア(TIBF2014)にも顔を出した。


このコンベンションは以下を来場対象としている。
書店・取次・出版業界関係者・学校/図書館・専門家/法人ユーザー・読者。

同時に開催されている第18回国際電子出版EXPOにも事前申込みをしていた。
7月4日、僕は出展社であるボイジャーの招待状を持って入場窓口に行く。IDをもらって首にかけた。

なぜか「書店」になっている。そこに田中文脈研究所の名刺が貼り付けてあった。
ま、いいか。本業は「本」業です、と名乗れたら素敵かもしれない。

書肆「田中文脈研究所」か。
専門は「半農半X」と「尊農護憲」関連書籍。
それから日本近現代史、特に「満州国」と高度成長関連。311関連の書籍ラインアップも充実している。おや電子書籍の文脈棚もあるぞ。あれ釣師の名言コーナーもある。
片隅には「村上春樹と中国現代小説、文脈整理なう」というPOP。
「読まずに死ねるか、私が愛した冒険小説」特集が平積みされてある。
一体、どんな本屋やねん!?


妄想書店のおやじは、まずボイジャーのブースに行った。
僕はボイジャーのファンであり、日本の電子書籍の曙を支えた萩野正昭さんを尊敬している。その萩野さんに初めて、リアルにお目にかかることができた。
ボイジャースタッフは全員、揃いのTシャツを着ている。
Text:THE NEXT FRONTIER 言葉こそが次世代の最前線である。

ボイジャーのスピーキング・セッションに顔を出して、萩野さんにご挨拶。テキストTシャツを僕も手に入れる。嬉しい。


書店IDをぶら下げて、電子出版EXPOと国際ブックフェア会場を散策する。

僕はこういう大きなコンベンションが好きだった。会社員の頃は、IT関連のイベントによく顔を出していた。今世紀の初め、全米放送協会主催のNABショー@ラスベガスに参加したことで、大きな学びをしたことがある。今に至る僕のネット発信の原点だ。

それはともかく。歩く。展示ブースに興味を示すとすぐに資料を渡される。たちまち紙の束が増えていく。本の割引販売コーナーもある。買わないカワナイ、とおまじないを唱えながら歩く。それでも買った本はこれ。


『もう10年もすれば…消えゆく戦争の記憶―漫画家たちの証言』

今人舎、イマジンを子供たちのために届ける出版社らしい。2014年6月30日第一刷発行。
この本は1995年に上梓された『ボクの満州』(亜紀書房)の復刻版だ。


もう10年すれば2024年。「今こそ中国を読もう」と帯にある。

アベシンゾーくん、読みたまえ。
「満蒙は日本の生命線」とお題目を唱えた結果がどうなったのか、「ホルムズ海峡は日本の生命線」と主張する君は認識しておるかね。

閑話休題。先を急ごう。聞いてみたいボイジャーのセッションが始まってしまう。時間がない。
数多くの出版社ブースの中で、異色のところがある。農文協(一般社団法人農山漁村文化協会)。

農文協のブースには「半農半X」を標榜する書肆としては取り揃えたい書籍が山ほどある。
一冊を厳選する。




『内山節のローカリズム言論』。大判の本を思いきって買ったのだが、会場のどこかに忘れてしまった。残念。農文協の人からは内山節著作集全15巻を予約しませんか、と誘われたのだが、うーんと考えてお断りをした。



ボイジャーのブースに戻る。スピーキング・セッションを傾聴した。
漫画家鈴木みその「KDPが私の道を拓いた!」
KDP=Kindle Direct Publishing、アマゾンのセルフ出版サービスのこと。

ボイジャー以外のTIBFの会場全体で、何となくアマゾンのアの字を出すのが憚られるという雰囲気を感じたのは僕だけだろうか。
そういえば、ジャパゾンはどうなったんだ?

『ナナのリテラシー1』(著者:鈴木みそ/発行:鈴木みそ)

続いてテクノロジーライター、大谷和利の「本とネットとRomancer」
ロマンサーとは、ボイジャーが開発したWEBベースのセルフ出版システムのことだ。

「本とは何か?」と問われたとき、「本とは物体のことではなく、持続して展開される論点やナラティブ(物語)」だと著名な編集者が答えている。
ロマンサーは紙を超え、個別の電子書籍アプリを超えて、人々が慣れ親しんでいるWEBブラウザをベースにした〝本の進化形である。
詳しくは、この無料セミナーをどうぞ。



苦節22年。1992年以来、電子書籍の獣道を歩んで失敗を続けてきたボイジャー。
失敗してきたと言うことはすごい知見が溜まったということだ。そして、そこに連帯が生まれる。



VOYAGER SPEAKING SESSIONS、最終航程。
「メディアと書き手の連帯が欠かせない時代」 萩野正昭(ボイジャープロジェクト室長)

声を荒げようとありったけに叫ぼうと、呼応する声など返ってこない。〝モノ〟をいうこの果てしない孤独感をみんな噛みしめている。それでも突き動かされるように人は人とのつながりを求める。この不思議さに心を動かす原風景の中に、私は出版という意味を示す鍵が隠されているとおもってきた。 
『本とあなたをデジタルでつなぐ』(第4章 私たちに身方するメディアなどない)

「無縁の中から立ちあがる伝播の悲哀」、「身方するメディアなどない」時代閉塞の現状。
そこに風穴を開けるための営為を鋭意実行した結果、ボイジャーは数々の連帯を獲得しつつある、と萩野さんは語った。

ドラえもんとの連帯。
電子出版権を自ら保持していた文学者(池澤夏樹)との連帯。
そして、失われてしまった盟友(富田倫生/濱野保樹)との連帯。

萩野さんの声を聞きながら、僕はこんな言葉を想い出していた。

    連帯を求めて孤立を恐れず。
    力及ばずして倒れることを辞さぬが、
    力尽くさずして退くことを拒否する。



あけて7月5日。〝本の学校出版産業シンポジウム2014in東京〟

NPO法人本の学校の出版産業シンポジウムは、2006年から東京国際ブックフェアの期間に合わせて開催されている。
1995年から5年間にわたって鳥取の大山で開かれた〝本の学校・大山緑陰シンポジウム〟の志を引き継いだものだ。

「田中文脈研究所」は、本の学校の正会員でもある。憧れの出版産業シンポジウムに初めて参加させていただいた。

まずは、特別講演。
「これからの書店ビジネスを展望する―リアル書店のネット時代への対応策」
基調講演は紀伊國屋書店の高井社長である。
巨大書店の社長は〝リアル書店という言い方には抵抗がある、と語った。
書店にリアルもバーチャルもない。そこには本を読者に届ける情熱があるだけだ、という思いなのかもしれない。

巨大書店も、はじまりは新宿の地域書店だったのかな、そうか、紀伊國屋徳島店には「地元同人誌コーナー」があるのか、今度、徳島に行ったら覗いてみよう。ドバイの「王族買い」か、憧れるな、などと妄想書店のおやじは納得していく。

「お江戸がなんぼのもんじゃい」という対抗意識を漲らせているように見えたのは京都のふたば書房の洞本社長。残念ながら、ふたば書房箕面店は閉店してしまったが。本屋のマーケティングは難しい。


午後からは分科会。第二分科会「本がつなぐまちづくり」に顔を出す。
今井書店グループの永井伸和会長にもご挨拶できた。

コーディネーターは森田秀之(株式会社マナビノタネ)、パネリストは磯井純充(まちライブラリー提唱者)、鎌倉幸子(シャンティ国際ボランティア会)。
この分科会では、興味深い言葉の連発だった。

かえぽん部、植本祭、大阪のおばちゃんの飴効果。
食べ物は食べたらなくなります。でも読んだ本の記憶は残ります。
立ち読みお茶のみおたのしみ。
本はやさしくつなぐ、人と人、人と情報、人と未来。

ところが、僕のお尻は落ち着かない。この会場の外では列ができていた。東京国際ブックフェア・読書推進セミナー〝「読書」の極意と掟/筒井康隆〟を聴講するために1時間前から並んでいる人々がいる。

本の学校会員のくせに大御所作家の話に浮気をしたかったのだ。
筒井康隆。小松左京、星新一と並ぶ日本SF界の巨匠。スラップスティックの帝王。


申込者は3500人。会場に入りきれない場合はビデオ中継の方に案内されるという。僕は、そっと分科会を抜け出して向かいの会場に向かった。

なるほど、ベストセラー作家のファンというものはこういう人たちなのか。
小説家が語る読書の極意はシンプルなものだった。
「手当たり次第に読みなさい」
御意。
この講演のタイトルは彼の〝作家としての遺言〟である『創作の極意と掟』の受け売りで、小説家としては不本意だったらしい。

圧巻は後半の自作朗読。最近作の『奔馬菌』。
このハチャメチャSF作家が、実は、311後の列島に深い憂慮の念を持っていることがよく分かった。
そして、自分のテキストを読むという行為は想像以上に力仕事らしい。朗読を終えたあとのため息が印象的であった。
ニワカ小説家としては、創作の極意と掟も熟読してみたい。



会場は本の学校の交流会に移る。
永井会長以外は誰も知らない会場。さすがにエセ書店のIDは、恥ずかしいのではずす。
FB友達すらいない純粋初対面の交流会はスリリングだ。緊張して?写真を撮るのを忘れている。本の学校FBからお借りしよう。



本の学校副理事長の前田昇さん、はじめまして。また米子に行ったときに農談議をさせてください。

今井書店の田江会長、はじめまして。いつも松江の野津旅館がお世話になっております。

会場で乾杯を待つために佇む微妙な時間帯。僕にビールを注いでくれたオジサンがいた。
名札は「VALUE BOOKS」、バリューブックス、どこかで聞いたことがある。

東京の出版社? 東京の本屋さん?
「実は、私どもは信州でして……」
そこで、ようやく文脈が繋がった。


東京に来る前に、僕は大量の蔵書を整理すべく段ボール箱に詰めていた。自分の本の断捨離というのはとても時間がかかるものだ。いまだ詰め切れていないが。

その段ボールの宛先がバリューブックスだったのだ。
そこは、アマゾンのアの字の関係者だった。

アマゾンから送られてきたチラシにあった送料無料集荷、買取金額10%アップのコピーに僕は惹かれた。はじめてバリューブックスを利用するつもりになっていた。

「弊社をお使いになろうとした一番の動機は何ですか?」バリューの廣瀬聡さんが訊ねてくる。
「実はうちはエレベーターのないマンションの4階でして……クロネコヤマトさんには悪いのですが、とても自分で段ボール5箱を下ろす気力がでなくて……」
僕のとぼけた回答に、またビールを注いでくれる。

廣瀬さんとはすっかり意気投合してしまった。世代が近い本好きにキャズムはない。


「本とは木の横にキズをつけてできている。だから木のためにも大切に扱いたいものです」という本の学校、植田新理事長の挨拶で酒宴は盛り上がっていく。

本とは言葉を耕して、そこに実ったものをひとまとめにしたものである。実りを入れる箱は何でもいい、と「田中文脈研究所」は考えている。
いい加減で耕すためには、自力と他力が混ざりあうことが必要であろう。

本の学校交流会のようなところは、本というものを媒介にして、混ざり合う力が高まる場所である。

森田秀之さん、はじめまして。分科会を途中で抜け出してすみません。今度、信州に行ったらマナビノタネの畑を見せて下さい。

星野渉さん、はじめまして。文化通信ネット会員になりました。



鎌倉幸子さん、はじめまして。中締めの挨拶、感動しました。僕もつい最近、復興の書店巡りをしたばかりです。


高須博久さん、はじめまして。『上山集楽物語』へのお声がけ、嬉しかったです。

そして、永井伸和さん、ありがとうございました。
本との出会いは本当の出会いにして、人との出会いの資本ですね。
おかげさまで、僕の本業が見えてきた気がします。

「田中文脈研究所コンテキスター」を本業にするために、何をなすべきか?
この研究所は静的なものではなかった。
自分がクライアントで自分がプロダクションの運動体であった。いまだ動いているのでパッケージにはなっていない。そろそろ段落をつけたいと思う。

「文脈研究所」は、ある一定の視座を持ってまとめていけば「本」業になれるような気がしてきた。雑文をひとまとめの本にしたい。

視座の確保がなるのかならぬのかは、やってみなければ分からない。
さて、本末転倒になりませんように。


2014年4月30日水曜日

《棚田団、南相馬に行く》2013年3月記

この原稿は『上山集楽物語』の草稿として、2013年3月に書いたものです。内容は2012年3月31日の南相馬訪問に関してです。2014年3月31日、僕は丸2年ぶりに南相馬に行きました。その文脈を整理するために写真をつけてアップしておきます


棚田団は「日本を代表する」という形容詞がつく人たちともオープン&フラットに繋がっている。
アート・ディレクター、水谷孝次。事業家、熊野英介、そして思想家、塩見直紀。
 
半農半X研究所の塩見は上山から北東に110キロ離れた綾部市をベースにして混沌とする時代を見通す思想を発信し続けている。彼が毎日、届けてくれる言葉に棚田団はインスパイアされていく。

僕は2012年3月11日に塩見直紀からもらった言葉に背中を押された。
数日前、こんなことばが浮かんできました。
持っている弾(たま)をすべて使え。
やりたいと思っていることがあるなら
いつかやれたらと、あとに置いておかず、
いま行うこと、使ってしまうこと。
弾がなくなったときはきっと
新しい弾を神さまが用意してくださいます。
ぼくもあとにとっておかず、
撃っていきますね。
「持ち弾をすべて使え」
心からやりたいと思うことがあるなら、それをあとで使おうと思わず、小出しにせず、タイミングを計らず、どんどん使っていこう、と塩見はいつもの物静かなトーンで世の中を鼓舞している。

226集会(〝復興から見えるあなたの未来〟討論会)で縁脈の深まった「東北コミュニティの未来・志縁プロジェクト」のヒロちゃん(中山弘)から棚田団にお誘いが来ていた。

南相馬に来てくれませんか。協創LLP、棚田団として福島の子供たちのためのイベントに参加してくれませんか。

ヒロちゃんは3・11直後に南相馬に入った。美しい里山とは相いれないものが大量にばらまかれた緊迫する情況の中で南相馬の良心と出会い、ヒロシマ、ナガサキに続いたフクシマの悲劇のために何ができるかを考え続けている男だ。

南相馬に来てくれませんか。外で自由に遊べない子供たちのために春休みイベントを開きます。「南相馬みんな共和国」です。そこに大阪のみんなも来てください。タコ焼きを焼いて、南相馬の声を聞き、おとな大学対話集会に出てほしいのですが、どうですか。


このお誘いにまず飛び出したのは「笑顔のまさやん」(畑田昌輝)だった。タコ焼きをしてくれ、と言われたら世界の果てまで飛んでいく男だ。彼は子供たちと対話しながらタコ焼きを焼き続けた長いキャリアがある。そして226集会で、アホ代表としてやるべきことをやる、と宣言した自負があった。

僕は後に続くことにした。持ち弾をすべて使うことにしたのだ。

子供たちの未来とは相反するものと対峙する最前線で「信頼を見えるカタチに」というプレゼンをしてください、というヒロちゃんの要請を断れるはずがなかった。

フミメイが行くなら、と盟友ボブ(原田明)も手を挙げた。
そこにまた援軍が現れる。東近江の縁脈女王つっつん(有本忍)だ。
とある会議の席でたまたま棚田団と出会った嵐の夜、そのまま棚田団大阪ベースである西成の無心庵に拉致されて棚田団員と見なされた素敵な女性だ。

彼女は関西から福島までの深夜バスはどこも満席で行かなくてもいいかな、と思っていたのに、岐阜発福島行きのバスに空席があってしもうたわ、と残念そうに言いながら南相馬に現れた。
琵琶湖のそばで福井の原発群ににらまれて暮らしている滋賀県民を代表して来てくれたのだろう。

「百の論よりひとつの現場」
このプリンシプルの元で、長駆、大阪から南相馬まで棚田団メンバー有志が走る。

その行動を上山集楽も見守ってくれている。確かにその視線を感じる。この感覚は楽ではない現場を楽しく乗り切るためのお守りのようなものである。

南相馬は厳しい現場だった。そこに棚田団が揃うとヒロちゃんはすぐに伝統の祭りが毎年、行われていた馬追祭場に案内してくれる。まずは「るるぷうポーズ」で気合いを入れる、いや、笑いを入れる。


そして、ヒロちゃんは棚田団の無邪気な笑顔の下に線量計を置いた。
ぴぴぴと鳴って毎時1マイクロシーベルトを超えていく。棚田団は線量計というものを初めて見た。日常性の中にベクレルとシーベルトと線量計があるのが南相馬の文脈である。


「南相馬みんな共和国」の会場である万葉ふれあいセンターに行く前に、福島第一原発から北へ20キロ、国道6号線の封鎖線に行く。
原発に向かって右を向くと、そこは豊かな農地だったとしか思えない。バリケードの延長線には水路が流れている。その土手の草は綺麗に刈られている。誰がどんな気持ちで草を刈ったのだろうか。


棚田団は上山集楽で耕作放棄地を再生している。そこも厳しい現場だ。だが、そこは自分たちの意志で乗り越えることができる現場だ。

南相馬市内、フクイチから北へ20キロ、国道6号線の西に広がる農地はどうみても耕作放棄地ではない。そこを耕作放棄したかった農民などいなかったはずだ。
封鎖線に繋がる歩道には「花と希望を育てる会」が植えた黄色い花が咲いていた。


南相馬市鹿島区、万葉ふれあいセンター。2012年3月31日。
「みんな共和国」に子供たちが集まってくる。体育館で思い切り遊ぶ。はじける。

壁に南相馬市立図書館貸出ランキングが貼ってある。第二位は「内部被曝の真実」(児玉龍彦)だ。


会場の入口には「たこやきパーティ、3月31日(土)お昼ごろ、おなかいっぱいたこやき、食べよ~!」という張り紙も前日からしてあった。


棚田団代表タコヤキストの出番は今だ。
まさやんが粉を牛乳と混ぜる。タコとネギとタコせんべいはスタンバイOK。鉄板が温まると子供たちが集まってくる。まさやんは南相馬の子供たちと対話しながらタコ焼きを熟練の技で返していく。ボブとつっつんも的確にアシストする。つながろう南相馬!のイケメンバーテンダー、須藤栄治もタコ焼きをほおばる。



まさやんの周りに子供たちの笑顔が集まる。子供も自分でタコ焼きをつくりながらまさやんのアホトークを聞いている。

食べることは笑うことなのだ。カシコがいくらカシコそうなことを言っても、一個のタコ焼きの丸さと柔らかさと暖かさにはかなわないのかもしれない。


タコ焼きタイムのあとは「おとな大学」。
まさやんの勢いに感化された英ちゃんも南三陸から南相馬に駆けつけて、近代社会が置き忘れた自然と社会、人間の関係性を復活せよ、と訴える。

そして森と農を奪われた人々の熱いトークが続く。

チェルノブイリの事例を研究してヒマワリの除染効果をレポートする原町有機稲作研究会の杉内さん。
社団法人除染研究所理事の箱崎さんの話もずしりとした重みを持っている。


我々は前例のない事態に取り組んでいる。
南相馬には全世界が注目している。
最先端の除染モデルは、今後、南相馬から世界に向けて発信されるのだ。
311前にあたりまえであった世界に戻ることはもうできない。
我々は311を超える「新しいあたりまえ」をつくっていかねばならない。
そのためには、日本列島がオール・ジャパンで取り組むべきだ。

列島の西方で、どちらかといえば、のほほんと生きている地域から来た棚田団の胸のうちに「新しいあたりまえ」という言葉が刻まれる。

まさやんが「笑顔があればなんでもできる、笑顔でやればなんでもできる」を信条とする自分の大阪での活動を紹介する。
難しい顔をして険しい討論も大切ですが、納得のいかない情況、どうしようもない現状があるなかでも笑顔があればなんでもできますねん。

眉間にシワを寄せるのはやめましょう、と主張するまさやんに引っ張られて、ダイニングバー「だいこんや」の須藤栄治も飛び入りプレゼンする。

地元の人はなぜ声を上げないのですか、と聞かれるのです。
でも、自分たちは最前線で身体を張っているのに、これ以上、声を上げろって何を求めているのですか、と言いたい。
今、南相馬ではネガティブなものばかりが出てきて疲弊しています。
そうではなくて、プラスのこともやっていかねば、という思いで
「ありがとうからはじめよう!」という活動をスタートしました。
フミメイとボブは前日の夜、須藤のバーで食事をしていた。カウンターの端には彼のこんな言葉が置いてあった。
もし、命というものが自分の為だけに使われるなら命は途切れてしまう。
もし、私という命が誰かの命を励ませば、その命はつながって行く。
被災地に限らず皆、必死に日々の生活を送っています。
〈ありがとう〉からはじめよう! から始まった活動の最終目標は、
「想いをつなぎ・命をつなぐ」ことです。
誰かのために必死で頑張ってくれている人がいて、忘れてはいけない命がある。
大切な人を失った人、仕事や目標を失った人、生きる事で精一杯な人。
みんなそれぞれ、つなぐことができる想いがあり、命があります!
被災者は敗者ではなく、新時代の幕開けを告げる使命を背負った勇者なのです。
いつの日かやさしく〈ありがとう〉と言える日を夢見て共に頑張りましょう!

「被災地に限らず皆、日々の生活を必死に送っています」このフレーズに救われる思いがするな、とボブがため息まじりに言う。

「そうやな、棚田団の連中だって被災地に行きたいという思いは強いやろね。でも彼らはそれぞれの事情を抱えて自分の場所で必死で生きている。なかなか被災地に来られない。
それでも南相馬にいる僕らと今、この瞬間も心が繋がっているのは間違いない。それをこのバーのマスターは分かってくれているみたいやね」
僕も同感した。

この須藤メッセージを僕は自分のプレゼンツールに組みこんで、最前線との対話に臨んだ。
 
被災地の未来が自分の未来になる。
復興には信頼できるコミュニケーションが必要だ。
信頼を担保したコミュニケーションは力になる。
 
226集会と同じロジックで上山集楽とメリープロジェクトとのコラボレーションを紹介し、協創エルエルピーのひらがな読み、「るるぷう」というコミュニケーションを披露する。
 
ただし、もちろん「るるぷう」だけで南相馬の深い傷が癒やされるとは思わない。非被災地の日常性の中に被災地への想いを自分ごととして取りこむこと。どうすればそれができるのか、仲間たちといっしょに考えていきたい。
人は「出来事多様性」の中で
それぞれの事情を抱えて生きている。
その日常性の中で
想像力と創造力だけは失わずに
「足が絡まっても踊る続ける」のが
信頼を見えるカタチにする第一歩だ。
僕はこの最前線でこんな能天気な話をしていいのだろうか、と冷や汗をかきつつプレゼンを締めくくろうとしていた。最後に、自分がそのとき、一番、素直に感じていたことを付け加えて。

「第一歩って僕が今ここにいることなんですね。そして僕がここにいるのは笑顔のまさやんが飛び出したから。僕が続いたら、後からボブとつっつんもフォローしてきた。そして今、この場にはいないけれど、棚田団のひとりひとりがここにいる僕たちを見守っていてくれている、そんな信頼関係をベースにして、僕たちなりの復興への道筋を探して行きたいと思います」

南相馬みんな共和国の会議室スクリーンに、僕は棚田団メンバーの名前をひとりひとり置いていった。

眉毛の太い東北の男と女は本当に心やさしい。
おとな大学の締めくくりでボブの指導のもと、るるぷうポーズで記念写真を撮ってくれた時、棚田団は心の底からそう思った。



2014年4月21日月曜日

山里《内山節》と里山《塩見直紀》

半農半X研究所代表、塩見直紀と山里の哲学者、内山節のトークセッションがあった。
2014年4月6日、豊田市の豊森なりわい塾公開講座。
「これからの社会のカタチ~シアワセをどこに求めるのか」

尊敬する二人の思想家の話を聞き逃すわけにはいかない。
僕は半農半X研究所主任研究員の肩書きをもらっているのだから。

塩見さんの話は何度も聞いている。もはや、追っかけといってもいいくらいだ。それでも彼の話は聞くたびに発見がある。
半農半著の星川淳さんは、最近の塩見講演を「磨き抜かれた腰の低さ」と表現している。言い得て妙である。
今はスライドショーで写真を見せながら話しているが、相変わらずA4一枚の塩見式レジュメも配布している。
このA4が実にこまめに更新されているのだ。細かい文字を追っていくと、半農半Xマニアにはたまらない。


内山さんに会ったのは、今回が初めてだった。
だが、この哲学者の著書は311以降、よく読んでいた。電通を脱藩し311が起こったあと、自分が何をするべきか迷ったときの指針となったのだ。


被災地の復興は土木的計画だけでは達成できない。
自分たちがつくっていきたい世界、自分たちの生きる世界は文学的に文化的に語られるべきだ。
復興とはまず死者と魂の次元で折り合いをつけるべきものだ。

内山が『文明の災禍』で展開した論旨に僕はかなりインスパイアされた。

文学的で文化的に語られる復興のためには、言葉の力が必要である。
この公開講座のあと、僕は彼らの本を読み直して、復興のための言葉を再探索した。

1950年生まれの内山節は岩魚と山女魚を愛する釣り人でもあったのだ。
彼の哲学の源流には「流れの思想」がある。貯水を旨とする「水の思想」ではなく。
山里の釣りを経験したことがある者は深く共感するだろう。

渓流魚となら僕も遊んだことがあった。上から読んでも下から読んでも「ムダなダム」にホームリバーを奪われた経験もある。

内山は山里である。群馬県上野村の山里で釣りをして畑を耕しながら思索する。
一方の塩見は京都府綾部市の里山である。「里山ねっと・あやべ」というポジションで、様々な半農半X的知性との交流を展開してきた。

山里と里山、両者の境界線がどこにあるかを勝手に解釈すれば、〝田んぼのありなし〟なのかもしれない。
田んぼがある里山は、理論的には自給自足が可能だ。ところが米を生産できない山里は他の地域との経済活動によって、主食を得る必要が生じる。
綾部のような平坦な田んぼが耕作できる地域と上野村のような森と畑と川の地域では、住民の精神性が若干は違ってくるのだろう。

山里と里山、そこに優劣をつける意味はない。が、事実として、日本列島には、ふたつの種類の共同体が古くから存在したということ。
そして2014年現在、そのような共同体の存在価値は大きくなる一方だということは認識しておきたい。

『上山集楽物語』を書いたとき、あとがきに入れたかった言葉がある。
私たちがつくれるものは小さな共同体である。その共同体のなかには強い結びつきをもっているものも、ゆるやかなものもあるだろう。明確な課題をもっているものも、結びつきを大事にしているだけのものもあっていい。その中身を問う必要はないし、生まれたり、壊れたりするものがあってもかまわない。ただしそれを共同体と呼ぶにはひとつの条件があることは確かである。それはそこに、ともに生きる世界があると感じられることだ。だから単なる利害の結びつきは共同体にならない。群れてはいても、ともに生きようとは感じられない世界は共同体ではないだろう。 
『共同体の基礎理論』(内山節)P168

内山節はこの講座でも、これからの社会のカタチを考えるためには《ともに生きる》べきだ、と強調していた。
ともに生きる世界を再構築するために徹底的に伝統回帰すべきだ、という発言は「日本人はキツネにだまされていた方がよかった」という思いにも繋がっているのかもしれない。


このアテンションが強いタイトルの本は、高度成長によって失われたものを考察している。

「自然」という言葉は明治時代の後半にネイチャーの訳語として「シゼン」として音読された。西欧的自然は、人間と対立し、人間が征服すべき存在だった。

それに対して、古来、日本人は自然をジネンと読んできた。自然をオノズカラシカリと解釈すれば、人間はその中に包み込まれるものとなる。

山川草木すべてに神仏が宿る、というコンテキストで、自然と結びあいながら生きてきた山里は高度成長とともに、その姿を変えていった。
そして、内山節は、その転換期、すなわちキツネと日本人のシアワセな共同幻想が崩壊したのは1965年だと規定している。

その1965年、昭和40年に生まれたのが塩見直紀である。
半農半Xという言葉を創出し、世の中に惜しみなく共有し始めたのが1995年頃。
この年は、日本のインターネット元年だと言われている。

今回、再読した塩見の本は『半農半Xな人生の歩き方88』。
この本には、今、彼がフェイスブック上で展開している「コトフォト」の原点がある。



内山節と塩見直紀、このエックス・ミーツ・エックスな対談のキーワードは《関係性》だった。
『文明の災禍』では、復興とは《関係の再創造》だと規定されている。
関係を結びながら自らをつくりだしていく行為は、人間の本質に属することであって、この本質を失ったとき人間は自らを破壊しはじめと考えた方がよいのではないだろうか。もしもそうだとするなら、復興は「関係の再創造」としてとらえられなければならないだろう。コミュニティの再建、再創造こそが復興なのである。そしてコミュニティを共同体と表現しなおせば、日本の伝統的な共同体は、自然と人間の、生者と死者の共同体としてつくられていたことを想起する必要がある。自然と人間がどのような関係を結ぶのか、生者と死者=自分たちの生きる世界をつくった先輩たちとどのような関係を結ぶのかが、復興の基盤にならなければいけないのである。なぜならこれらの関係をとおして、無事な人間の存在をつくりだしてきたのが、あるいはみつけだそうとしてきたのが、日本の社会だからである。 
『文明の災禍』P142
人と人、人と自然、生者と死者、都市と農山村、その関係性の総和がひとりひとりの人間の実体をつくる、と内山節は言う。

一方、塩見直紀の半農半Xは、「小さな農をベースに天職を探す生き型」である。
このよく知られた定義に加えて、最近の講演では《関係性》も強調されているように思える。


『半農半Xな人生の歩き方88』では、吉野弘の「生命は」という詩に添えて、以下のような記述がある。
半農半Xとは別のことばでいえば、関係性であると思っている。「生命は」は、半農の視点からも、半Xの視点からも半農半Xのことをよく表現していると思う。
生命は

その中に欠如を抱き

それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分

他者の総和

しかし

互いに

欠如を満たすなどとは

知りもせず

知らされもせず

ばらまかれている者同士

無関心でいられる間柄

ときに

うとましく思うことも許されている間柄

そのように

世界がゆるやかに構成されているのは

なぜ?

          「生命は」(吉野弘)引用者抜粋


また、塩見はXをクロスと読みかえて、《関係性の回復、融合・合流・和》の重要性も強調している。
いま、社会は電車の線路のように「=パラレル」で平行線状態。大事なのは「X(クロス)」すること、交わること、合流・融合することだ。Xという文字はふたつのバーが交差することで成り立っている。自分だけではなく、自分と社会というバーが交わることで生まれるもの、それがXなのだ。 
『半農半Xな人生の歩き方88』P78
内山節は《関係性の再創造》を「結び直し」という素敵な言葉で語っていた。
「繋ぐ」よりも「結ぶ」のほうが、より主体的で志を感じる。



僕の肩書きである《コンテキスター》もコンテキスト(文脈)を繋ぐ者、ではなく、コンテキストを結び直す者と定義し直したくなってきた。

インターネットの世界も“node”ノード=結び目のゆるやかな結合で成立しているのだから、「繋ぐ」よりも「結ぶ」の方が、より今日的なのであろう。

近代社会は、経済と生活と文化と信仰をばらばらにしてしまった。その限界を克服するために「結び直し」をしていこう。
自然との結び直し、他者の営みとの結び直し、都市と農漁村との結び直し……。
結び直して、数字=経済だけではないシアワセな関係をつくっていくこと。

内山節の主張は塩見直紀のそれと重なっていく。
「生命は生命と出会うと輝き出る」。歴史家、ミシュレのことばだ。人は一人で生きているのではない。出会うことによって人がいかに輝きだすかをよくあらわしたことばだと思う。『星の王子さま』で有名なサン・テグジュペリは「あなたは結び目であって、その結び合わせによって存在している」というすばらしいことばを遺している。そう、ぼくたちは結び目なのだ。そのようにイメージして生きることが大事なのだと思う。 
『半農半Xな人生の歩き方88』P78
内山は言う。
人と自然を結び直すことから、シアワセを育む倫理観が生まれる。
どのような他者も犠牲にしないという倫理観。
ともに生きるなら、やってはいけないことがある、という倫理観。

塩見は言う。
それぞれの使命多様性=ひとりひとりのXを持ち寄って組み合わせることによって、世界は変わる。
Xを育む半農とは、小さな農業のみを指すのではない。別のことばでいえば、自然感受性なのだ。自然からのメッセージを受けとめ、身体で表現するようなものだ。

311で、この列島は「やってはいけないこと」をやってきたことが露呈してしまった。塩見の言葉を借りれば「最大級の罪を犯してしまった私たち」は、シアワセをどこに求めるのか?

その答えは、列島民ひとりひとりが模索して試行していくしかないだろう。
残念ながら、安倍晋三は《関係性の結び直し》とは逆行している。

客観性を無視した自分に都合のいい物語だけを主張する反知性主義が横行している現状。
長い時間幅で思考することができなくなり、いまの都合だけを、あるいはいまの愉悦だけを求める思考がこの社会を劣化させている、と内山節は嘆いている。

「稼ぎつつ家庭を築きつつ社会を変えつつ」生きることは、たやすいことではない。



それでも、「これからの社会のカタチ」を考えるため、はじめの一歩を踏み出さないことには、子供たちに申し訳が立たない。

自分と自然、自分と社会をX=クロスさせて、関係性を結び直していくこと。

内山節と塩見直紀、ふたりの先達をクロスさせて、その言葉に耳を傾ける機会を与えてくれた「豊森なりわい塾」に感謝しつつ、僕はコンテキスター業務を続けていくことにしよう。

塩見直紀は、半農半Xを提唱して以来、天地有情にXが見えてきているらしい。
「エックス・フォト・シリーズ」から、人と人の関係性の回復を願う1枚を……。