半農半X研究所代表、塩見直紀と山里の哲学者、内山節のトークセッションがあった。
2014年4月6日、豊田市の豊森なりわい塾公開講座。
「これからの社会のカタチ~シアワセをどこに求めるのか」
尊敬する二人の思想家の話を聞き逃すわけにはいかない。
僕は半農半X研究所主任研究員の肩書きをもらっているのだから。
塩見さんの話は何度も聞いている。もはや、追っかけといってもいいくらいだ。それでも彼の話は聞くたびに発見がある。
半農半著の星川淳さんは、最近の塩見講演を「磨き抜かれた腰の低さ」と表現している。言い得て妙である。
今はスライドショーで写真を見せながら話しているが、相変わらずA4一枚の塩見式レジュメも配布している。
このA4が実にこまめに更新されているのだ。細かい文字を追っていくと、半農半Xマニアにはたまらない。
内山さんに会ったのは、今回が初めてだった。
だが、この哲学者の著書は311以降、よく読んでいた。電通を脱藩し311が起こったあと、自分が何をするべきか迷ったときの指針となったのだ。
被災地の復興は土木的計画だけでは達成できない。
自分たちがつくっていきたい世界、自分たちの生きる世界は文学的に文化的に語られるべきだ。
復興とはまず死者と魂の次元で折り合いをつけるべきものだ。
内山が『文明の災禍』で展開した論旨に僕はかなりインスパイアされた。
文学的で文化的に語られる復興のためには、言葉の力が必要である。
この公開講座のあと、僕は彼らの本を読み直して、復興のための言葉を再探索した。
1950年生まれの内山節は岩魚と山女魚を愛する釣り人でもあったのだ。
彼の哲学の源流には「流れの思想」がある。貯水を旨とする「水の思想」ではなく。
山里の釣りを経験したことがある者は深く共感するだろう。
渓流魚となら僕も遊んだことがあった。上から読んでも下から読んでも「ムダなダム」にホームリバーを奪われた経験もある。
内山は山里である。群馬県上野村の山里で釣りをして畑を耕しながら思索する。
一方の塩見は京都府綾部市の里山である。「里山ねっと・あやべ」というポジションで、様々な半農半X的知性との交流を展開してきた。
山里と里山、両者の境界線がどこにあるかを勝手に解釈すれば、〝田んぼのありなし〟なのかもしれない。
田んぼがある里山は、理論的には自給自足が可能だ。ところが米を生産できない山里は他の地域との経済活動によって、主食を得る必要が生じる。
綾部のような平坦な田んぼが耕作できる地域と上野村のような森と畑と川の地域では、住民の精神性が若干は違ってくるのだろう。
山里と里山、そこに優劣をつける意味はない。が、事実として、日本列島には、ふたつの種類の共同体が古くから存在したということ。
そして2014年現在、そのような共同体の存在価値は大きくなる一方だということは認識しておきたい。
『上山集楽物語』を書いたとき、あとがきに入れたかった言葉がある。
内山節はこの講座でも、これからの社会のカタチを考えるためには《ともに生きる》べきだ、と強調していた。
ともに生きる世界を再構築するために徹底的に伝統回帰すべきだ、という発言は「日本人はキツネにだまされていた方がよかった」という思いにも繋がっているのかもしれない。
このアテンションが強いタイトルの本は、高度成長によって失われたものを考察している。
「自然」という言葉は明治時代の後半にネイチャーの訳語として「シゼン」として音読された。西欧的自然は、人間と対立し、人間が征服すべき存在だった。
それに対して、古来、日本人は自然をジネンと読んできた。自然をオノズカラシカリと解釈すれば、人間はその中に包み込まれるものとなる。
山川草木すべてに神仏が宿る、というコンテキストで、自然と結びあいながら生きてきた山里は高度成長とともに、その姿を変えていった。
そして、内山節は、その転換期、すなわちキツネと日本人のシアワセな共同幻想が崩壊したのは1965年だと規定している。
その1965年、昭和40年に生まれたのが塩見直紀である。
半農半Xという言葉を創出し、世の中に惜しみなく共有し始めたのが1995年頃。
この年は、日本のインターネット元年だと言われている。
今回、再読した塩見の本は『半農半Xな人生の歩き方88』。
この本には、今、彼がフェイスブック上で展開している「コトフォト」の原点がある。
内山節と塩見直紀、このエックス・ミーツ・エックスな対談のキーワードは《関係性》だった。
『文明の災禍』では、復興とは《関係の再創造》だと規定されている。
一方、塩見直紀の半農半Xは、「小さな農をベースに天職を探す生き型」である。
このよく知られた定義に加えて、最近の講演では《関係性》も強調されているように思える。
『半農半Xな人生の歩き方88』では、吉野弘の「生命は」という詩に添えて、以下のような記述がある。
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
「生命は」(吉野弘)引用者抜粋
また、塩見はXをクロスと読みかえて、《関係性の回復、融合・合流・和》の重要性も強調している。
内山節は《関係性の再創造》を「結び直し」という素敵な言葉で語っていた。
「繋ぐ」よりも「結ぶ」のほうが、より主体的で志を感じる。
僕の肩書きである《コンテキスター》もコンテキスト(文脈)を繋ぐ者、ではなく、コンテキストを結び直す者と定義し直したくなってきた。
インターネットの世界も“node”ノード=結び目のゆるやかな結合で成立しているのだから、「繋ぐ」よりも「結ぶ」の方が、より今日的なのであろう。
近代社会は、経済と生活と文化と信仰をばらばらにしてしまった。その限界を克服するために「結び直し」をしていこう。
自然との結び直し、他者の営みとの結び直し、都市と農漁村との結び直し……。
結び直して、数字=経済だけではないシアワセな関係をつくっていくこと。
内山節の主張は塩見直紀のそれと重なっていく。
人と自然を結び直すことから、シアワセを育む倫理観が生まれる。
どのような他者も犠牲にしないという倫理観。
ともに生きるなら、やってはいけないことがある、という倫理観。
塩見は言う。
それぞれの使命多様性=ひとりひとりのXを持ち寄って組み合わせることによって、世界は変わる。
Xを育む半農とは、小さな農業のみを指すのではない。別のことばでいえば、自然感受性なのだ。自然からのメッセージを受けとめ、身体で表現するようなものだ。
311で、この列島は「やってはいけないこと」をやってきたことが露呈してしまった。塩見の言葉を借りれば「最大級の罪を犯してしまった私たち」は、シアワセをどこに求めるのか?
その答えは、列島民ひとりひとりが模索して試行していくしかないだろう。
残念ながら、安倍晋三は《関係性の結び直し》とは逆行している。
客観性を無視した自分に都合のいい物語だけを主張する反知性主義が横行している現状。
長い時間幅で思考することができなくなり、いまの都合だけを、あるいはいまの愉悦だけを求める思考がこの社会を劣化させている、と内山節は嘆いている。
「稼ぎつつ家庭を築きつつ社会を変えつつ」生きることは、たやすいことではない。
それでも、「これからの社会のカタチ」を考えるため、はじめの一歩を踏み出さないことには、子供たちに申し訳が立たない。
自分と自然、自分と社会をX=クロスさせて、関係性を結び直していくこと。
内山節と塩見直紀、ふたりの先達をクロスさせて、その言葉に耳を傾ける機会を与えてくれた「豊森なりわい塾」に感謝しつつ、僕はコンテキスター業務を続けていくことにしよう。
塩見直紀は、半農半Xを提唱して以来、天地有情にXが見えてきているらしい。
「エックス・フォト・シリーズ」から、人と人の関係性の回復を願う1枚を……。
2014年4月6日、豊田市の豊森なりわい塾公開講座。
「これからの社会のカタチ~シアワセをどこに求めるのか」
尊敬する二人の思想家の話を聞き逃すわけにはいかない。
僕は半農半X研究所主任研究員の肩書きをもらっているのだから。
塩見さんの話は何度も聞いている。もはや、追っかけといってもいいくらいだ。それでも彼の話は聞くたびに発見がある。
半農半著の星川淳さんは、最近の塩見講演を「磨き抜かれた腰の低さ」と表現している。言い得て妙である。
今はスライドショーで写真を見せながら話しているが、相変わらずA4一枚の塩見式レジュメも配布している。
このA4が実にこまめに更新されているのだ。細かい文字を追っていくと、半農半Xマニアにはたまらない。
内山さんに会ったのは、今回が初めてだった。
だが、この哲学者の著書は311以降、よく読んでいた。電通を脱藩し311が起こったあと、自分が何をするべきか迷ったときの指針となったのだ。
被災地の復興は土木的計画だけでは達成できない。
自分たちがつくっていきたい世界、自分たちの生きる世界は文学的に文化的に語られるべきだ。
復興とはまず死者と魂の次元で折り合いをつけるべきものだ。
内山が『文明の災禍』で展開した論旨に僕はかなりインスパイアされた。
文学的で文化的に語られる復興のためには、言葉の力が必要である。
この公開講座のあと、僕は彼らの本を読み直して、復興のための言葉を再探索した。
1950年生まれの内山節は岩魚と山女魚を愛する釣り人でもあったのだ。
彼の哲学の源流には「流れの思想」がある。貯水を旨とする「水の思想」ではなく。
山里の釣りを経験したことがある者は深く共感するだろう。
渓流魚となら僕も遊んだことがあった。上から読んでも下から読んでも「ムダなダム」にホームリバーを奪われた経験もある。
内山は山里である。群馬県上野村の山里で釣りをして畑を耕しながら思索する。
一方の塩見は京都府綾部市の里山である。「里山ねっと・あやべ」というポジションで、様々な半農半X的知性との交流を展開してきた。
山里と里山、両者の境界線がどこにあるかを勝手に解釈すれば、〝田んぼのありなし〟なのかもしれない。
田んぼがある里山は、理論的には自給自足が可能だ。ところが米を生産できない山里は他の地域との経済活動によって、主食を得る必要が生じる。
綾部のような平坦な田んぼが耕作できる地域と上野村のような森と畑と川の地域では、住民の精神性が若干は違ってくるのだろう。
山里と里山、そこに優劣をつける意味はない。が、事実として、日本列島には、ふたつの種類の共同体が古くから存在したということ。
そして2014年現在、そのような共同体の存在価値は大きくなる一方だということは認識しておきたい。
『上山集楽物語』を書いたとき、あとがきに入れたかった言葉がある。
私たちがつくれるものは小さな共同体である。その共同体のなかには強い結びつきをもっているものも、ゆるやかなものもあるだろう。明確な課題をもっているものも、結びつきを大事にしているだけのものもあっていい。その中身を問う必要はないし、生まれたり、壊れたりするものがあってもかまわない。ただしそれを共同体と呼ぶにはひとつの条件があることは確かである。それはそこに、ともに生きる世界があると感じられることだ。だから単なる利害の結びつきは共同体にならない。群れてはいても、ともに生きようとは感じられない世界は共同体ではないだろう。
『共同体の基礎理論』(内山節)P168
内山節はこの講座でも、これからの社会のカタチを考えるためには《ともに生きる》べきだ、と強調していた。
ともに生きる世界を再構築するために徹底的に伝統回帰すべきだ、という発言は「日本人はキツネにだまされていた方がよかった」という思いにも繋がっているのかもしれない。
このアテンションが強いタイトルの本は、高度成長によって失われたものを考察している。
「自然」という言葉は明治時代の後半にネイチャーの訳語として「シゼン」として音読された。西欧的自然は、人間と対立し、人間が征服すべき存在だった。
それに対して、古来、日本人は自然をジネンと読んできた。自然をオノズカラシカリと解釈すれば、人間はその中に包み込まれるものとなる。
山川草木すべてに神仏が宿る、というコンテキストで、自然と結びあいながら生きてきた山里は高度成長とともに、その姿を変えていった。
そして、内山節は、その転換期、すなわちキツネと日本人のシアワセな共同幻想が崩壊したのは1965年だと規定している。
その1965年、昭和40年に生まれたのが塩見直紀である。
半農半Xという言葉を創出し、世の中に惜しみなく共有し始めたのが1995年頃。
この年は、日本のインターネット元年だと言われている。
今回、再読した塩見の本は『半農半Xな人生の歩き方88』。
この本には、今、彼がフェイスブック上で展開している「コトフォト」の原点がある。
内山節と塩見直紀、このエックス・ミーツ・エックスな対談のキーワードは《関係性》だった。
『文明の災禍』では、復興とは《関係の再創造》だと規定されている。
関係を結びながら自らをつくりだしていく行為は、人間の本質に属することであって、この本質を失ったとき人間は自らを破壊しはじめと考えた方がよいのではないだろうか。もしもそうだとするなら、復興は「関係の再創造」としてとらえられなければならないだろう。コミュニティの再建、再創造こそが復興なのである。そしてコミュニティを共同体と表現しなおせば、日本の伝統的な共同体は、自然と人間の、生者と死者の共同体としてつくられていたことを想起する必要がある。自然と人間がどのような関係を結ぶのか、生者と死者=自分たちの生きる世界をつくった先輩たちとどのような関係を結ぶのかが、復興の基盤にならなければいけないのである。なぜならこれらの関係をとおして、無事な人間の存在をつくりだしてきたのが、あるいはみつけだそうとしてきたのが、日本の社会だからである。
『文明の災禍』P142人と人、人と自然、生者と死者、都市と農山村、その関係性の総和がひとりひとりの人間の実体をつくる、と内山節は言う。
一方、塩見直紀の半農半Xは、「小さな農をベースに天職を探す生き型」である。
このよく知られた定義に加えて、最近の講演では《関係性》も強調されているように思える。
『半農半Xな人生の歩き方88』では、吉野弘の「生命は」という詩に添えて、以下のような記述がある。
半農半Xとは別のことばでいえば、関係性であると思っている。「生命は」は、半農の視点からも、半Xの視点からも半農半Xのことをよく表現していると思う。生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
「生命は」(吉野弘)引用者抜粋
また、塩見はXをクロスと読みかえて、《関係性の回復、融合・合流・和》の重要性も強調している。
いま、社会は電車の線路のように「=パラレル」で平行線状態。大事なのは「X(クロス)」すること、交わること、合流・融合することだ。Xという文字はふたつのバーが交差することで成り立っている。自分だけではなく、自分と社会というバーが交わることで生まれるもの、それがXなのだ。
『半農半Xな人生の歩き方88』P78
「繋ぐ」よりも「結ぶ」のほうが、より主体的で志を感じる。
僕の肩書きである《コンテキスター》もコンテキスト(文脈)を繋ぐ者、ではなく、コンテキストを結び直す者と定義し直したくなってきた。
インターネットの世界も“node”ノード=結び目のゆるやかな結合で成立しているのだから、「繋ぐ」よりも「結ぶ」の方が、より今日的なのであろう。
近代社会は、経済と生活と文化と信仰をばらばらにしてしまった。その限界を克服するために「結び直し」をしていこう。
自然との結び直し、他者の営みとの結び直し、都市と農漁村との結び直し……。
結び直して、数字=経済だけではないシアワセな関係をつくっていくこと。
内山節の主張は塩見直紀のそれと重なっていく。
「生命は生命と出会うと輝き出る」。歴史家、ミシュレのことばだ。人は一人で生きているのではない。出会うことによって人がいかに輝きだすかをよくあらわしたことばだと思う。『星の王子さま』で有名なサン・テグジュペリは「あなたは結び目であって、その結び合わせによって存在している」というすばらしいことばを遺している。そう、ぼくたちは結び目なのだ。そのようにイメージして生きることが大事なのだと思う。
『半農半Xな人生の歩き方88』P78内山は言う。
人と自然を結び直すことから、シアワセを育む倫理観が生まれる。
どのような他者も犠牲にしないという倫理観。
ともに生きるなら、やってはいけないことがある、という倫理観。
塩見は言う。
それぞれの使命多様性=ひとりひとりのXを持ち寄って組み合わせることによって、世界は変わる。
Xを育む半農とは、小さな農業のみを指すのではない。別のことばでいえば、自然感受性なのだ。自然からのメッセージを受けとめ、身体で表現するようなものだ。
311で、この列島は「やってはいけないこと」をやってきたことが露呈してしまった。塩見の言葉を借りれば「最大級の罪を犯してしまった私たち」は、シアワセをどこに求めるのか?
その答えは、列島民ひとりひとりが模索して試行していくしかないだろう。
残念ながら、安倍晋三は《関係性の結び直し》とは逆行している。
客観性を無視した自分に都合のいい物語だけを主張する反知性主義が横行している現状。
長い時間幅で思考することができなくなり、いまの都合だけを、あるいはいまの愉悦だけを求める思考がこの社会を劣化させている、と内山節は嘆いている。
「稼ぎつつ家庭を築きつつ社会を変えつつ」生きることは、たやすいことではない。
それでも、「これからの社会のカタチ」を考えるため、はじめの一歩を踏み出さないことには、子供たちに申し訳が立たない。
自分と自然、自分と社会をX=クロスさせて、関係性を結び直していくこと。
内山節と塩見直紀、ふたりの先達をクロスさせて、その言葉に耳を傾ける機会を与えてくれた「豊森なりわい塾」に感謝しつつ、僕はコンテキスター業務を続けていくことにしよう。
塩見直紀は、半農半Xを提唱して以来、天地有情にXが見えてきているらしい。
「エックス・フォト・シリーズ」から、人と人の関係性の回復を願う1枚を……。
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