この原稿は『上山集楽物語』の草稿として、2013年3月に書いたものです。内容は2012年3月31日の南相馬訪問に関してです。2014年3月31日、僕は丸2年ぶりに南相馬に行きました。その文脈を整理するために写真をつけてアップしておきます。
棚田団は「日本を代表する」という形容詞がつく人たちともオープン&フラットに繋がっている。
棚田団は「日本を代表する」という形容詞がつく人たちともオープン&フラットに繋がっている。
アート・ディレクター、水谷孝次。事業家、熊野英介、そして思想家、塩見直紀。
半農半X研究所の塩見は上山から北東に110キロ離れた綾部市をベースにして混沌とする時代を見通す思想を発信し続けている。彼が毎日、届けてくれる言葉に棚田団はインスパイアされていく。
僕は2012年3月11日に塩見直紀からもらった言葉に背中を押された。
数日前、こんなことばが浮かんできました。
持っている弾(たま)をすべて使え。
やりたいと思っていることがあるなら
いつかやれたらと、あとに置いておかず、
いま行うこと、使ってしまうこと。
弾がなくなったときはきっと
新しい弾を神さまが用意してくださいます。
ぼくもあとにとっておかず、
撃っていきますね。
「持ち弾をすべて使え」
心からやりたいと思うことがあるなら、それをあとで使おうと思わず、小出しにせず、タイミングを計らず、どんどん使っていこう、と塩見はいつもの物静かなトーンで世の中を鼓舞している。
226集会(〝復興から見えるあなたの未来〟討論会)で縁脈の深まった「東北コミュニティの未来・志縁プロジェクト」のヒロちゃん(中山弘)から棚田団にお誘いが来ていた。
南相馬に来てくれませんか。協創LLP、棚田団として福島の子供たちのためのイベントに参加してくれませんか。
ヒロちゃんは3・11直後に南相馬に入った。美しい里山とは相いれないものが大量にばらまかれた緊迫する情況の中で南相馬の良心と出会い、ヒロシマ、ナガサキに続いたフクシマの悲劇のために何ができるかを考え続けている男だ。
南相馬に来てくれませんか。外で自由に遊べない子供たちのために春休みイベントを開きます。「南相馬みんな共和国」です。そこに大阪のみんなも来てください。タコ焼きを焼いて、南相馬の声を聞き、おとな大学対話集会に出てほしいのですが、どうですか。
このお誘いにまず飛び出したのは「笑顔のまさやん」(畑田昌輝)だった。タコ焼きをしてくれ、と言われたら世界の果てまで飛んでいく男だ。彼は子供たちと対話しながらタコ焼きを焼き続けた長いキャリアがある。そして226集会で、アホ代表としてやるべきことをやる、と宣言した自負があった。
僕は後に続くことにした。持ち弾をすべて使うことにしたのだ。
子供たちの未来とは相反するものと対峙する最前線で「信頼を見えるカタチに」というプレゼンをしてください、というヒロちゃんの要請を断れるはずがなかった。
フミメイが行くなら、と盟友ボブ(原田明)も手を挙げた。
そこにまた援軍が現れる。東近江の縁脈女王つっつん(有本忍)だ。
とある会議の席でたまたま棚田団と出会った嵐の夜、そのまま棚田団大阪ベースである西成の無心庵に拉致されて棚田団員と見なされた素敵な女性だ。
彼女は関西から福島までの深夜バスはどこも満席で行かなくてもいいかな、と思っていたのに、岐阜発福島行きのバスに空席があってしもうたわ、と残念そうに言いながら南相馬に現れた。
琵琶湖のそばで福井の原発群ににらまれて暮らしている滋賀県民を代表して来てくれたのだろう。
「百の論よりひとつの現場」
このプリンシプルの元で、長駆、大阪から南相馬まで棚田団メンバー有志が走る。
その行動を上山集楽も見守ってくれている。確かにその視線を感じる。この感覚は楽ではない現場を楽しく乗り切るためのお守りのようなものである。
南相馬は厳しい現場だった。そこに棚田団が揃うとヒロちゃんはすぐに伝統の祭りが毎年、行われていた馬追祭場に案内してくれる。まずは「るるぷうポーズ」で気合いを入れる、いや、笑いを入れる。
そして、ヒロちゃんは棚田団の無邪気な笑顔の下に線量計を置いた。
ぴぴぴと鳴って毎時1マイクロシーベルトを超えていく。棚田団は線量計というものを初めて見た。日常性の中にベクレルとシーベルトと線量計があるのが南相馬の文脈である。
「南相馬みんな共和国」の会場である万葉ふれあいセンターに行く前に、福島第一原発から北へ20キロ、国道6号線の封鎖線に行く。
原発に向かって右を向くと、そこは豊かな農地だったとしか思えない。バリケードの延長線には水路が流れている。その土手の草は綺麗に刈られている。誰がどんな気持ちで草を刈ったのだろうか。
棚田団は上山集楽で耕作放棄地を再生している。そこも厳しい現場だ。だが、そこは自分たちの意志で乗り越えることができる現場だ。
南相馬市内、フクイチから北へ20キロ、国道6号線の西に広がる農地はどうみても耕作放棄地ではない。そこを耕作放棄したかった農民などいなかったはずだ。
封鎖線に繋がる歩道には「花と希望を育てる会」が植えた黄色い花が咲いていた。
南相馬市鹿島区、万葉ふれあいセンター。2012年3月31日。
「みんな共和国」に子供たちが集まってくる。体育館で思い切り遊ぶ。はじける。
壁に南相馬市立図書館貸出ランキングが貼ってある。第二位は「内部被曝の真実」(児玉龍彦)だ。
会場の入口には「たこやきパーティ、3月31日(土)お昼ごろ、おなかいっぱいたこやき、食べよ~!」という張り紙も前日からしてあった。
棚田団代表タコヤキストの出番は今だ。
まさやんが粉を牛乳と混ぜる。タコとネギとタコせんべいはスタンバイOK。鉄板が温まると子供たちが集まってくる。まさやんは南相馬の子供たちと対話しながらタコ焼きを熟練の技で返していく。ボブとつっつんも的確にアシストする。つながろう南相馬!のイケメンバーテンダー、須藤栄治もタコ焼きをほおばる。
まさやんの周りに子供たちの笑顔が集まる。子供も自分でタコ焼きをつくりながらまさやんのアホトークを聞いている。
食べることは笑うことなのだ。カシコがいくらカシコそうなことを言っても、一個のタコ焼きの丸さと柔らかさと暖かさにはかなわないのかもしれない。
タコ焼きタイムのあとは「おとな大学」。
まさやんの勢いに感化された英ちゃんも南三陸から南相馬に駆けつけて、近代社会が置き忘れた自然と社会、人間の関係性を復活せよ、と訴える。
そして森と農を奪われた人々の熱いトークが続く。
チェルノブイリの事例を研究してヒマワリの除染効果をレポートする原町有機稲作研究会の杉内さん。
社団法人除染研究所理事の箱崎さんの話もずしりとした重みを持っている。
我々は前例のない事態に取り組んでいる。
南相馬には全世界が注目している。
最先端の除染モデルは、今後、南相馬から世界に向けて発信されるのだ。
311前にあたりまえであった世界に戻ることはもうできない。
我々は311を超える「新しいあたりまえ」をつくっていかねばならない。
そのためには、日本列島がオール・ジャパンで取り組むべきだ。
列島の西方で、どちらかといえば、のほほんと生きている地域から来た棚田団の胸のうちに「新しいあたりまえ」という言葉が刻まれる。
まさやんが「笑顔があればなんでもできる、笑顔でやればなんでもできる」を信条とする自分の大阪での活動を紹介する。
難しい顔をして険しい討論も大切ですが、納得のいかない情況、どうしようもない現状があるなかでも笑顔があればなんでもできますねん。
眉間にシワを寄せるのはやめましょう、と主張するまさやんに引っ張られて、ダイニングバー「だいこんや」の須藤栄治も飛び入りプレゼンする。
地元の人はなぜ声を上げないのですか、と聞かれるのです。
でも、自分たちは最前線で身体を張っているのに、これ以上、声を上げろって何を求めているのですか、と言いたい。
今、南相馬ではネガティブなものばかりが出てきて疲弊しています。
そうではなくて、プラスのこともやっていかねば、という思いで
「ありがとうからはじめよう!」という活動をスタートしました。
フミメイとボブは前日の夜、須藤のバーで食事をしていた。カウンターの端には彼のこんな言葉が置いてあった。
もし、命というものが自分の為だけに使われるなら命は途切れてしまう。
もし、私という命が誰かの命を励ませば、その命はつながって行く。
被災地に限らず皆、必死に日々の生活を送っています。
〈ありがとう〉からはじめよう! から始まった活動の最終目標は、
「想いをつなぎ・命をつなぐ」ことです。
誰かのために必死で頑張ってくれている人がいて、忘れてはいけない命がある。
大切な人を失った人、仕事や目標を失った人、生きる事で精一杯な人。
みんなそれぞれ、つなぐことができる想いがあり、命があります!
被災者は敗者ではなく、新時代の幕開けを告げる使命を背負った勇者なのです。
いつの日かやさしく〈ありがとう〉と言える日を夢見て共に頑張りましょう!
「被災地に限らず皆、日々の生活を必死に送っています」このフレーズに救われる思いがするな、とボブがため息まじりに言う。
「そうやな、棚田団の連中だって被災地に行きたいという思いは強いやろね。でも彼らはそれぞれの事情を抱えて自分の場所で必死で生きている。なかなか被災地に来られない。
それでも南相馬にいる僕らと今、この瞬間も心が繋がっているのは間違いない。それをこのバーのマスターは分かってくれているみたいやね」
僕も同感した。
この須藤メッセージを僕は自分のプレゼンツールに組みこんで、最前線との対話に臨んだ。
被災地の未来が自分の未来になる。
復興には信頼できるコミュニケーションが必要だ。
信頼を担保したコミュニケーションは力になる。
226集会と同じロジックで上山集楽とメリープロジェクトとのコラボレーションを紹介し、協創エルエルピーのひらがな読み、「るるぷう」というコミュニケーションを披露する。
ただし、もちろん「るるぷう」だけで南相馬の深い傷が癒やされるとは思わない。非被災地の日常性の中に被災地への想いを自分ごととして取りこむこと。どうすればそれができるのか、仲間たちといっしょに考えていきたい。
人は「出来事多様性」の中で
それぞれの事情を抱えて生きている。
その日常性の中で
想像力と創造力だけは失わずに
「足が絡まっても踊る続ける」のが
信頼を見えるカタチにする第一歩だ。
僕はこの最前線でこんな能天気な話をしていいのだろうか、と冷や汗をかきつつプレゼンを締めくくろうとしていた。最後に、自分がそのとき、一番、素直に感じていたことを付け加えて。
「第一歩って僕が今ここにいることなんですね。そして僕がここにいるのは笑顔のまさやんが飛び出したから。僕が続いたら、後からボブとつっつんもフォローしてきた。そして今、この場にはいないけれど、棚田団のひとりひとりがここにいる僕たちを見守っていてくれている、そんな信頼関係をベースにして、僕たちなりの復興への道筋を探して行きたいと思います」
南相馬みんな共和国の会議室スクリーンに、僕は棚田団メンバーの名前をひとりひとり置いていった。
眉毛の太い東北の男と女は本当に心やさしい。
おとな大学の締めくくりでボブの指導のもと、るるぷうポーズで記念写真を撮ってくれた時、棚田団は心の底からそう思った。
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