2013年8月25日日曜日

文脈日記(コンテキスター夏休み感想文)

もうすぐ夏も終わりだ。
なんだかもやもやした夏だった。
やたらに湿気に包まれて暑い夏だった。
湿気が充満しているのに雨は降らない。

フミメイ農園はからからに乾いて、落花生も落花するまえにツルが干からびている。

待望の「茹で落花生」にありつけるかどうかはまだ分からない。
今年の目玉は「高山キンカントマト」だった。大阪府豊能郡高山で代々受け継がれて栽培されてきた在来種のトマト。マイファーム有志のご好意で苗を分けてもらった。このキンカントマトは干魃にもめげずに、昔ながらのトマトの味を楽しませてくれた。


半農半X研究所1000本プロジェクトの稲は今のところ、順調に自らのミッション=Xを果たしてくれているように見える。
出穂して穂を垂れ始めた時期に田んぼの下に潜って草取りをしたのが、どのように影響してくるのか、米つくり3年目のニワカ百姓にはよく分からない。

畑も田んぼも経験値を上げていく機会は1年に1度しかない。田植えから稲刈り、秋冬野菜、春夏野菜。学ぶ機会を逃せば、また1年待たなくてはいけない。そういう意味でも農的生活は奥が深い。



一方で夏は鮎釣りの季節だ。和歌山県日高川龍神地区が僕のホームグラウンド。この夏は鮎釣りメインでスケジュールを組もうと思っていたのだが、勝手に半農半鮎師になろうと決めても、自然相手だとままならない。

シーズン初めは長雨で竿が出せない日々が続く。鮎が食う苔は飛んでいる。梅雨が明ければ渇水と酷暑。苔は腐る、鮎は温泉のような水温でへばる。
水が多い、と言っては天を仰ぎ、水がない、と言っては青空に向かってため息をつく。まことに鮎の友釣り修行は厳しい。

おとり鮎を使って野鮎を掛ける、という友釣りは世界中でこの列島と台湾、朝鮮半島にしかない独自の釣法だ。
そこには命の力強さを直接、手応えできる楽しみがある。どんなに苦労をしても、また鮎釣りに行きたくなる。しかも鮎釣りシーズンは短い。

「釣師はみんな心に傷を持っている、だが、彼はその傷が何であるかを知らない。だから釣師は今日も家を出る」という名言がある。
へっぽこ鮎師であるところの僕は、釣りに行くたびに心の傷を増やしている気もするのだが。



夏が終われば、また半農半コンテキスターに戻るためにそろそろリハビリをしなくては。

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とここまで、書いていたら、うちのメイが大往生してしまった。
今月はこのあとに最近見た映画と本のコンテキストを繋ぐ試みをしようとしていたのだが、後日にします。
映画は「風立ちぬ」、本は「想像ラジオ」。




鉄錆色の雨が空から落ちてもメイの口にはもう届かない。