2013年12月30日月曜日

文脈日記(本の未来)

2013年が終わる。
例によって疾風怒濤の年だった、と言いたいところだが今年は少し違う感慨がある。僕にとって、この一年は沈思黙考あるいは愚考三昧の年だった。

世の中の大きな流れが変わった年。そして家族構成が大きく変わった年。
吉本隆明の用語を借りるならば《共同幻想》《対幻想》《自己幻想》が絡み合って、自分の文脈が整理整頓できないこともあった年。

小難しい言葉の解説を試みると……。

《共同幻想》文脈。
政治的社会的大情況が大きな転換をした年。僕の《共同幻想》は“ラスト・オキュパイド・チルドレン”という立ち位置を基準にしている。1952年4月28日、日米講和条約の発効直前に生まれた「最後の占領された子供たち」としては容認できないことをアベ政権がやらかし続けた年だった。

《対幻想》文脈。
家族の情況。8月にうちのメイがあっちに行ってしまった。9月に次男が司法試験に合格して家を出て行った。11月に二人目の孫が誕生した。家族をベース基地にしてソーシャルなことに関わる時のバランス感覚に悩んだ年だった。

《自己幻想》文脈。
自分の情況。自分の中にある「幻想」というか「妄想」とどう向き合っていくのか。自分の意固地で偏屈な考え方とどう向き合っていくのかを考え続けた一年。

《共同幻想》と《対幻想》の矛盾はやっかいだ。
映画「サバイビング・プログレス-進歩の罠」の中に、こんなシーンが出てきた。
アマゾンの熱帯雨林で林業をする男の話だ。
「ここの木を伐り倒すと地球の酸素が少なくなるのは分かっています。でも俺は家族を養うために、今日も木を伐る必要があるのです」
うーむ、悩ましいな。

家族か社会的関与(アンガージュマン)か、これは二者択一にはいかないわけでして。
明治の社会活動家、田中正造は「真の文明は山を荒らさず川を荒らさず村を破らず人を殺さざるべし」と言いつつ、家族とは絶縁状態にしてから足尾鉱毒公害と対峙した。
同じ田中でも、僕にそこまでのことができる訳がない……。

てなことを愚考三昧していては師走の忙しさの中で読んでくれている人に申し訳ないので先に進みましょう。


ともあれ、年の終わりに『上山集楽物語~限界集落を超えて-』を上梓できたのは喜ばしいことだ。英田上山棚田団出版プロジェクトの仲間たちとご協力いただいた皆さん、そして吉備人出版さんに心から御礼申し上げます。

紙の本は重い。物理的も精神的にも文化的にも重い。
その重さを手に取って、紙の質感を確かめる。「親切第一」の精神でなされた装丁の肌触りを堪能する。


紙の本というのはパッケージメディアである。執筆、構成、編集、装丁、校正、印刷、配本、書店と連なる「大きなお金をかけた出版の仕組みをガラガラ動かして」からようやく読者の手に届く。

それだけの時間をかけてパッケージされるものは「なう」を伝えるものではない。特にノンフィクションといわれるジャンルの本は“一定の期間に起こったことの経過報告とその起因記述”をして発刊5年後でも読者を楽しませるコンテンツを持つべきであろう。

大きな仕組みを動かしてパッケージされたものは小さな変更も簡単にはできない。
だからこそ精神的に重い。そこにはきわめてナーバスな校正作業が付加される。
そして、一度パッケージにしてしまえば後は読者の評価に任せるしかない。


紙の本の文化的な重さはグーテンベルグが活版印刷を発明した15世紀から綿々と積み重ねられた歴史を背負っているからだ。
『上山集楽物語』を全国で一番最初に並べてくれた伊丹の本屋さん「フレンズ」のブックカバーには、こんな言葉があった。
「いつの時代も人間の基礎を作るのは本である」
そのとおりだと思う。
いつの時代にも活字中毒者はいたはずだ。否、グーテンベルグ以前は活字はなかったわけだから、何という言葉で表現すべきなのだろうか。パピルスに書かれたテキストを読むことに無上の快感を覚えていたエジプト文明人はいなかったのか。先達の書いたものをひたすら写本し続けて後世に伝えることに生涯を捧げた男あるいは女はいなかったのか。


過去にまなざしを飛ばした後は、本の「今そこにある未来」について愚考してみたい。年の終わりの試しとて。本を書くために本を読み続けた1年の締めくくりとして。


ここに1人の活字中毒者がいた。
富田倫生(とみたみちお)、享年61歳。今年の8月16日に逝去されている。
1952年4月20日生まれ。僕より一カ月遅く生まれた。まさにラスト・オキュパイド・チルドレンだった。しかも同じ早稲田の政経学部。つまり彼と僕はごく近い空間を彷徨っていた可能性がある。


寡聞にして富田さんのことは知らなかった。
僕もいつもお世話になっている「青空文庫」の主宰者にして、日本の電子出版の草分けのひとりだったのだ。
彼の書籍『本の未来』は、今、ボイジャーのサイトで無料ダウンロードできる。
この本は1997年3月1日に初版が出ている。
「青空文庫」の設立は同年の2月だった。
新しい本の話をしよう。
未来の本の夢を見よう。
ずいぶん長い間、私たちは本の未来について語らないできた。ヨハネス・グーテンベルグが印刷の技術をまとめたのが、十五世紀の半ば。だからもう、新しい本を語るのをやめて、五百年以上にもなる。
あの頃天の中心だった地球は、太陽系の第三惑星になり果てた。光の波動を伝えていたエーテルも、今はきれいさっぱり消え去った。それほど長い時が過ぎてなお、本は変わらなかった。
時間をかけて練り上げた考えや物語をおさめる、読みやすくて扱いやすい最良の器は、紙を束ねて作った冊子であり続けた。
けれど今こそ、本の未来について語るべき時だ。(P9)
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まえがきを読んだ瞬間から僕は富田ワールドに引き込まれた。僕は彼と同時代を生きた活字中毒者であるからだ。
ビートルズを聞きながらガリを切っていた田舎の高校生が東京に出て「政治の季節」の中を彷徨っていく。
そして、やむにやまれぬ書くことへの思いを貫き、紙の本を初めて出版すること。その過程で出版界のシステムに疑問を抱き、ごく初期の電子書籍アプリと出会って本の未来型を模索していく道中。
人は言葉で語って初めて、体験を腹におさめます。書くことで自分と距離を取ってこそ、感情の激しい波の下に潜り込み、底に潜んでいる本質を見つめられます。(P51) 
自分の捉えた世界を物語って腹におさめることは、人の心にとって、息をすることや物を食べることのように欠かせないのだと書きました。そんな人という存在が、この試みの中で獲得し、見事に育て上げていった道具が言葉です。
言葉が秘める力に対する恐れと信頼は、コンピューターがどうの、マルチメディアがこうのといかにはやし立てられようと、私自身の中では毫も揺らぎません。(P169))
書くという行為の本質と言葉(Text)への信頼をこう喝破した富田さんは、その言葉を本にする時の二律背反にも気がついた。

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「本とは一体何であるのか」という問いに富田さんは答えを出している。
我々は体験したり聞き及んだりする出来事を、言葉によって物語ってはじめて胸におさめ、安心を得る生き物です。(中略)
人々の幅広い経験と知識を集め、そこから普遍的な物語の骨格を抽象化する人物は、理論家と呼ばれます。個別の体験や、イマジネーションの生みだした小世界を徹底して深く掘ることで物語ろうとする者は、文学者と呼ばれるでしょう。再現可能な手法で自然を腑分けし、その奥に潜む物語を暴き出そうとする者を、人は科学者と呼びます。(中略)
書物の本質は、言葉によって綴られるこの物語を、一まとめにしておさめておく器です。
(P251)
紙の本というのは長い歴史の中で洗練されてきた、とても素晴らしい器(コンテナ)だ。
しかし、本というコンテンツ(内容)は、いつまでも紙というコンテナに束縛されているわけにはいかない。未来の本はコンテンツが、よって立つコンテキスト(周辺情報)の更新も視野に入れる必要がある。

富田さんは電子書籍への道をひた走っていく。
マルチメディアへの取り組み。本の中にウエブサイトをリンクしていく試み。
そして彼は作家の死後50年以上たって著作権が切れた本を紙からフリーにした。
青空に浮かぶ雲に人類の財産は昇っていったのだ。

『本の未来』という独創的な本についてはまだまだ書き足りない。
ラスト・オキュパイド・チルドレンという文脈で読んでも興味はつきない一冊だ。

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僕も電通を脱藩以来、電子書籍を追いかけてきた。2011年4月にはこんなコンテキスト・ブリーフをつくっていた。


また、初めての「自炊」体験や311直後に感じた「電子書籍」の可能性を当研究所の文脈レポートでも書いてきている。

田中文脈研究所(『リストラなう!』を自炊なう)

田中文脈研究所(電子読書の快楽)

その後も僕はiPadとKindleで様々な電子書籍を購入し続けている。
本を読んで、その本を元にして何かを書く場合、電読アプリのメモやしおり機能ほど便利なものはないのだ。
紙の本をばっさり切ることに抵抗はなくなったが、本それ自体に書きこむことは未だに抵抗がある変な僕……。

そんな僕に富田倫生さんの存在を教えてくれたのは萩野正昭さんだった。
富田さんの盟友にして1992年に株式会社ボイジャーを立ち上げて以来、日本の電子書籍の紀元前を支えた男。
萩野さんのことは以前から知っていた。彼の著書はすぐに自炊してiPadに格納した。


ボイジャーの立ち上げた「理想書店」や「VoygerBooks」は僕のお気に入りだった。

2013年9月25日、富田倫生という人の追悼イベントがある、というお知らせがボイジャーから来る。
何気なくそのライブ中継を見た僕に萩野さんが語りかけてきた。
富田倫生の果たせなかった思いへの追悼スピーチ。僕の中の深い部分に富田さんの存在(あるいは不在と言った方がいいかもしれない)が焼き付けられた瞬間だ。


この時点での僕はまさか萩野さんと直接コンタクトをすることになろうとは思いもよらなかった。
ところが、不思議なもので、あることがきっかけになって萩野さんへの回路が開いてしまった。

それは僕の《自己幻想》である意固地で偏屈な考え方がきっかけだった。
ボイジャーの電子書籍アプリ(T-Time)が運用停止になり、BinBというブラウザベースの電読法に切り替わった時、僕はイチャモンをつけたのだ。

そのイチャモンに回答してきたメールの署名を見て僕は驚いた。
なんと御大、萩野正昭さんが直々にメールを返してくれたのだった。慌てて田中文脈研究所のレポートを含めて萩野さんにメールバックする。そのイチャモンと萩野さんの回答を詳細に書くと年を越してしまう(笑w)。

僕の電読はPCやマックでブラウザを使うことはなく、iPad、iPhone、Kindleを使って、場合によっては電読用の有料アプリを落とすことも可としている。
これは僕の特殊な考え方である。世の中にはブラウザで電読する方が便利だと思い、タブレット端末を持っていないし、有料アプリには抵抗感がある人も大勢いるはずだ。

萩野さんが長い間、試行錯誤したうえでたどり着いたBinBという方式を僕の偏屈な考え方だけに基づいてネガティブ発言をしてはいけない。
僕の《自己幻想》が常に正しいとは限らないのだ。

と僕は反省すると同時に、萩野さんが追悼イベントで着ていたTシャツが気になって仕方がなかった。

“Text: The Next Frontier”
言葉(テキスト)は次代の最前線である。

この印象的な言葉が印刷された黒いTシャツの由来を萩野さんに確かめようとしていた時、彼のFBに写真と由来が掲載された。今日、『本の未来』を読み直してみたら、P80にも、このTシャツのことが書かれていた。


時は1990年。アメリカのボイジャーがEXPAND BOOKS(拡張本)プロジェクトを開始した頃に作られたTシャツだったのだ。23年前の言葉が今、最前線で蘇っている。

僕がこの言葉に感動したのは訳がある。
ずっと電子書籍を追いかけてきた過程で、映像や音楽を組み込んだ電子本も購入してきた。
また電通のクリエーティブ部門で新しいことにトライしていた時、様々なマルチメディア的トライもしてきた。

だが2013年も終わろうとしている時点では「本は言葉だ」「テキストで物事の本質を伝えるのが本だ」という原点回帰の結論を出すしかない。

当たり前のことだと思われるかもしれないが、電子書籍の未来を考える時に「テキスト回帰」宣言をすることは重要だ。
萩野さんは映像をつくるお金がなかったので、テキストこそが最前線だと言ってしまったのだ、と笑っていたが。


コンテナが紙であれ電子の箱であれ、本のコンテンツはテキスト以外の何者でもない。
紙の場合は固定されたパッケージで、電子の場合はネットに繋げばテキストを取り巻くコンテキストまで届けることが可能だという違いはあるが。
考えてみれば「自炊」という行為はお気に入りのテキストを常に持ち歩くためでもある。

そのテキストの浸透力を映像や音楽で補完しようとするのは邪道だ、とコンテキスターとしての僕は思う。

善き言葉が本となり(紙であれ電子であれ)、時代を動かす言霊に昇華して最前線を巡っていくこと。
富田さんは、そんな思いを今、星に願っているのかもしれない。

そして半農半X研究所主任研究員の僕としては塩見直紀代表からいただいた言葉をお届けしたい。
「本とは、われわれの心の中の凍った海を打ち砕く斧でなければならない」(カフカ)


そろそろ僕は今年のテキストの持ち弾をすべて使い果たしたようだ。このあたりで終わりにしよう。後は『上山集楽物語』を自炊してiPadに格納したら仕事納めだ。

でもね、表紙カバーと帯の関係性が絶妙で表と裏の見返しまでデザインしたこの本の味を自炊で再現するのは無理なんですよね。


紙の本と電子書籍の絶妙な関係を模索していく僕の中での試行錯誤は来年も続くことだろう。

そのヒントになる朝日新聞の記事「地方発出版 電子化に活路」をシェア-して終わりにします。

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1年間、拙い文脈レポートを読んでいただきありがとうございました。
来年の大晦日こそは「そんな時代もあったねと」笑って話せる年になりますように。

皆さん、よいお年を!