いつのまにか脱藩から3ヶ月が過ぎようとしている。
会社員にとっては1クールというやつだ。1クールくらいでは会社はそう簡単には変わらない。特に大きな会社は。
ところが、脱藩者にとっての1クールは急激な変化がある。
特に僕の場合はミッション・シートで自分を縛ってから脱藩したものだから、変化せねばならぬ、という妙なプレッシャーがある。その自分勝手なプレッシャーの中であがいているうちに手をつけるのが、すっかり遅くなったことがある。
それが本の「自炊」だ。iPadやiPhone、キンドル(僕はまだ持っていないが)などの端末に自分の本を自分でPDFにして収納することを「自炊」という。
僕がはじめて「自炊」という言葉に出会ったのは、西田宗千佳さんの「iPad VS.キンドル」という本だった。この本に関しては以前にも書いている。
そして、こんなつぶやきをしていた。
「本を自炊する」という言葉は面白いなあ。自分で本を裁断してスキャンしてデジタル化してeBOOKリー ダーに搭載すること。初めて聞いた。「iPAD vs.キンドル」第3章より。僕も自炊したい。
僕は脱藩する前から電子書籍には強い関心を持っていた。それは活字中毒者としては当然のことだ。
この本を購入した時点では、僕はiPhoneも持っていなかった。だが電子書籍の端末は欲しくてたまらなかった。「自炊」に強く憧れたのは、いつかそれらの端末を買うであろう自分がどうやってコンテンツを充実していくのか、そのイメージができたからだ。
脱藩カウントダウンをしている間も「自炊」のことは気になっていた。
そうこうしているうちに6月頭には早稲田大学時代の友人から、「自炊はじめたよ!」というメールまで来た。
「自炊」という行為は、自分のToDoリストにずっと存在していたのだ。
その証拠に7月3日には、もうドキュメント・スキャナーを購入していた。今や「自炊」標準スキャナーになったScanSnapだ。
その後、アマゾンで大型裁断機も買った。これは家族のひんしゅくも買った。やたらに重くて閉口した。
そして昨日にいたるまで、ドキュメント・スキャナーも大型裁断機も放置されたままだった。
ようやくスキャナーの梱包が解かれたのは、三つのコンテキスト(背後関係)が重なったからだ。
まずiPadを買ったこと。これは妻のものです、とつぶやいたものだから、友人に僕がiPadを見せるたびにこう言われる。「奥さんのiPadを持ち出していいのか…」
へい、そのとおりなのですが、僕の営業ツールにも兼用してます、と応えるしかない。
iPadはすばらしいツールだ。特に電子書籍端末としては感動的だ。
iPadに自炊本を収納したい、と切実に思い始めた。自炊本を読みたいのではない、収納したいのだ。このあたりのニュアンスは後で説明しよう。
次にiPhoneでも、電子読書体験をしたこと。近頃は電子書籍を「電書」と呼ぼう、というムーブメントもあるらしいが、ユーザ視線でいえば「電読」といいたい。ネパールにいる間は、待ち時間が長かったので電読にトライした。
僕のはじめての電読は、「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!肺がんで死にかけている団塊元全共闘頑固親父を団塊ジュニア・ハゲタカファンド勤務の息子がとことん聞き倒す!」という長いタイトルの本だ。
この本のコンテンツに関しては語らない。それは「ラスト・オキュパイド・チルドレン」としてのエントリーで、あらためて書くことにしよう。
初電読体験としては、「意外に快適」というのが正直な感想だった。カトマンズ郊外のホテルで読了したときは少し涙目になった。液晶画面で目が疲れたわけではなく。つまり紙の読書と同じくらい感情移入できたのだ。
それから、「リストラなう!」の単行本を読んで、心が動いたことだ。
「リストラなう!」は、K文社での早期退職優遇制度に応募したたぬきちさんのブログを新潮社が書籍化したものだ。
たぬきちさんは5月31日に45歳で脱藩した。
僕はこのブログは割と早い段階で読んでいる。佐々木俊尚さんのツイートで発見したのだ。
自分も脱藩問題で悩んでいたので他人ごとではなかった。僕が「脱藩カウントダウン」というブログを書き始めたのは「リストラなう!」の影響が大きい。
たぬきちさんの文脈はコンテキスターとしての僕に響いた。そのことは次のエントリーにしよう。
ここでは「自炊」話だ。
たぬきちさんはブログの最初から最後まで出版業界の未来を語り、電子書籍に強い関心を寄せていた。そのたぬきちさんの本が出て、読了した後、僕がぶあつい紙の本を自炊したい、という衝動に駆られたのは必然の流れだったと思う。
iPadの購入、iPhoneでの電読、そして「リストラなう!」の単行本。 このコンテキストでついに山は動いた。
不精者が重たい大型裁断機をセッティングして、ドキュメント・スキャナーの梱包を解いたという意味なんですけど。
そして自炊をしてみた感想は、僕にもできるゾ!である。
大型裁断機の切れ味は抜群だ。
ちなみに先に自炊老人となった友人が教えてくれた「自炊マニュアルサイト」でも紹介されているプラス製のものよりもさらに大型で重い裁断機を僕は購入していたようだ。
心地よく重いハンドルさばきだ。
ScanSnapはさすがにベストセラーだけあって、使い勝手はいい。
自炊の前の手慣らしとして大量に貯まった紙の書類をスキャンしてみる。さくさくとPDFになっていく。決して気が長くない僕が待ち時間を気にしなくていいレベルだ。新聞全ページをスキャンするテクニックも分かった。
次にオードブルとして、これも大量に貯まっている雑誌を裁断してスキャンしてみる。
この調理は雑誌のページをセレクトせずに、全部まるごとスキャンしてしまうのがコツらしい。少々ページが乱れても気にしない。どうせもう読まないんだから。
あれれ、だったらブックオフに持って行けばいいのに。
このへんが自炊の微妙なところなんです。いつかくる事態のために、食料を備蓄する心配性のお父さんのような感覚。
でもデジタルデータは腐ることはないのだ。雑誌という食材は迷わず自炊するべきだ。
次はセカンド・ディッシュとして新書。
なぜか本棚に2冊あった「しのびよるネオ階級社会」平凡社新書だ。新書というのは、実に自炊しやすい食材だ。スパッと切ってスルスルとスキャンして皿に盛る。じゃなかったiPadに収納する。
いよいよメインディッシュの単行本だ。
ここで駆け出し自炊師は考えた。本命の「リストラなう!」の前に、やっぱり1冊練習をしないとね、それもハードカバーの単行本で。
選ばれたのが「ハッピー・リタイアメント」幻冬舎。浅田次郎さんの本だ。単行本の場合は裁断機にかける前に下ごしらえがいる。
まず本を腹開きにして出刃包丁、じゃなかったカッターナイフを持って、ハードカバーを切り離す。カッターナイフが骨、じゃなかった本の堅い部分に当たっても躊躇せずに切り込む。
しかし、本にカッターを入れるときのグキッという感覚は切ないものがありますなあ。
そして、魚でいえば骨の周りの血合いにあたる部分をキレイにして裁断機で一刀両断、のはずだった。
だが結果は本が断末魔の一暴れをして、無残にも本文部分が斜めに切れてしまった。要するに裁断機の締め付けが甘くて、刃が入った勢いでずれてしまったのだ。
これは見るに堪えない。魚をおろすのに失敗して刺身がとれなくても、煮付けにすればよい。
でも本は無残だ。スキャンはできない。紙としても読めない。汚れたものは見たくないのでゴミ箱に直行だ。
ごめんなさい、本の神様。僕のハッピー・リタイアメントに呪いをかけないでくださいね。もう二度と単行本の自炊はしませんから。
と言いたかったが、「リストラなう!」を自炊したい、という欲望は抑えることができない。
慎重に、きわめて慎重にぶあつい383ページにカッターを入れる。裁断の失敗は致命的だとラーニングしたので、小分けにして裁断していく。
ページ分けした部分の継続スキャン設定は簡単だ。 それから表1と表4もスキャンする。魚のアラにあたる(?)カバーの折り返し、背表紙、帯も残らずスキャンする。
ばらばらにPDFにしたものをアドビ・アクロバットで結合したら、おいしい「リストラなう!」の自炊皿の完成だ。
たぬきちさん、書籍版「リストラなう!」に捨てる部分はありません。
全部まるごと自炊させていただきました。末永く保存食にいたします。
ということで、ここにまたひとり自炊老人が誕生した。
ただし自炊の技を身につけても、何を自炊するかという問題は残っている。
あたりまえの話だが、自炊するのは自分の本しかできない。
目の前に紙の本があるとする。その紙を読まずにいきなり自炊する度胸は、まだ僕にはない。まず紙の本を読みたい。もし、その本が面白くなければ話は簡単だ。ブックオフに直行するだけだ。
面白い場合は悩むだろうなあ。すでに収納能力の限界が来ているリアル本棚なのか、それともiPadの本棚に収納するのか。
「リストラなう!」の場合は迷わず自炊した。
この本の場合はiPadの本棚に収まるのが正しい姿だ。
でも僕のリアル本棚のかなりの部分を占拠している村上春樹の本はまだ自炊できないだろうな、というのが僕の本音だ。
さらに、自炊した後の調理素材をどうするのか、という問題もある。 魚をおろした後は捨てるしかない部分もある。でも解体されても本はまだ活字が生きている。
ちなみに、「リストラなう!」の調理素材は捨てられない。単行本として存在していたときよりも、もっとボリューム感が増して、まだ僕の本棚に鎮座している。
うーん、活字中毒者で、かつ自炊老人となった僕の悩みはつきない。
会社員にとっては1クールというやつだ。1クールくらいでは会社はそう簡単には変わらない。特に大きな会社は。
ところが、脱藩者にとっての1クールは急激な変化がある。
特に僕の場合はミッション・シートで自分を縛ってから脱藩したものだから、変化せねばならぬ、という妙なプレッシャーがある。その自分勝手なプレッシャーの中であがいているうちに手をつけるのが、すっかり遅くなったことがある。
それが本の「自炊」だ。iPadやiPhone、キンドル(僕はまだ持っていないが)などの端末に自分の本を自分でPDFにして収納することを「自炊」という。
僕がはじめて「自炊」という言葉に出会ったのは、西田宗千佳さんの「iPad VS.キンドル」という本だった。この本に関しては以前にも書いている。
そして、こんなつぶやきをしていた。
「本を自炊する」という言葉は面白いなあ。自分で本を裁断してスキャンしてデジタル化してeBOOKリー ダーに搭載すること。初めて聞いた。「iPAD vs.キンドル」第3章より。僕も自炊したい。
#denshi 3:32 PM Apr 15th webから
僕は脱藩する前から電子書籍には強い関心を持っていた。それは活字中毒者としては当然のことだ。
この本を購入した時点では、僕はiPhoneも持っていなかった。だが電子書籍の端末は欲しくてたまらなかった。「自炊」に強く憧れたのは、いつかそれらの端末を買うであろう自分がどうやってコンテンツを充実していくのか、そのイメージができたからだ。
脱藩カウントダウンをしている間も「自炊」のことは気になっていた。
そうこうしているうちに6月頭には早稲田大学時代の友人から、「自炊はじめたよ!」というメールまで来た。
「自炊」という行為は、自分のToDoリストにずっと存在していたのだ。
その証拠に7月3日には、もうドキュメント・スキャナーを購入していた。今や「自炊」標準スキャナーになったScanSnapだ。
その後、アマゾンで大型裁断機も買った。これは家族のひんしゅくも買った。やたらに重くて閉口した。
そして昨日にいたるまで、ドキュメント・スキャナーも大型裁断機も放置されたままだった。
ようやくスキャナーの梱包が解かれたのは、三つのコンテキスト(背後関係)が重なったからだ。
まずiPadを買ったこと。これは妻のものです、とつぶやいたものだから、友人に僕がiPadを見せるたびにこう言われる。「奥さんのiPadを持ち出していいのか…」
へい、そのとおりなのですが、僕の営業ツールにも兼用してます、と応えるしかない。
iPadはすばらしいツールだ。特に電子書籍端末としては感動的だ。
iPadに自炊本を収納したい、と切実に思い始めた。自炊本を読みたいのではない、収納したいのだ。このあたりのニュアンスは後で説明しよう。
次にiPhoneでも、電子読書体験をしたこと。近頃は電子書籍を「電書」と呼ぼう、というムーブメントもあるらしいが、ユーザ視線でいえば「電読」といいたい。ネパールにいる間は、待ち時間が長かったので電読にトライした。
僕のはじめての電読は、「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!肺がんで死にかけている団塊元全共闘頑固親父を団塊ジュニア・ハゲタカファンド勤務の息子がとことん聞き倒す!」という長いタイトルの本だ。
この本のコンテンツに関しては語らない。それは「ラスト・オキュパイド・チルドレン」としてのエントリーで、あらためて書くことにしよう。
初電読体験としては、「意外に快適」というのが正直な感想だった。カトマンズ郊外のホテルで読了したときは少し涙目になった。液晶画面で目が疲れたわけではなく。つまり紙の読書と同じくらい感情移入できたのだ。
それから、「リストラなう!」の単行本を読んで、心が動いたことだ。
「リストラなう!」は、K文社での早期退職優遇制度に応募したたぬきちさんのブログを新潮社が書籍化したものだ。
たぬきちさんは5月31日に45歳で脱藩した。
僕はこのブログは割と早い段階で読んでいる。佐々木俊尚さんのツイートで発見したのだ。
自分も脱藩問題で悩んでいたので他人ごとではなかった。僕が「脱藩カウントダウン」というブログを書き始めたのは「リストラなう!」の影響が大きい。
たぬきちさんの文脈はコンテキスターとしての僕に響いた。そのことは次のエントリーにしよう。
ここでは「自炊」話だ。
たぬきちさんはブログの最初から最後まで出版業界の未来を語り、電子書籍に強い関心を寄せていた。そのたぬきちさんの本が出て、読了した後、僕がぶあつい紙の本を自炊したい、という衝動に駆られたのは必然の流れだったと思う。
iPadの購入、iPhoneでの電読、そして「リストラなう!」の単行本。 このコンテキストでついに山は動いた。
不精者が重たい大型裁断機をセッティングして、ドキュメント・スキャナーの梱包を解いたという意味なんですけど。
そして自炊をしてみた感想は、僕にもできるゾ!である。
大型裁断機の切れ味は抜群だ。
ちなみに先に自炊老人となった友人が教えてくれた「自炊マニュアルサイト」でも紹介されているプラス製のものよりもさらに大型で重い裁断機を僕は購入していたようだ。
心地よく重いハンドルさばきだ。
ScanSnapはさすがにベストセラーだけあって、使い勝手はいい。
自炊の前の手慣らしとして大量に貯まった紙の書類をスキャンしてみる。さくさくとPDFになっていく。決して気が長くない僕が待ち時間を気にしなくていいレベルだ。新聞全ページをスキャンするテクニックも分かった。
次にオードブルとして、これも大量に貯まっている雑誌を裁断してスキャンしてみる。
この調理は雑誌のページをセレクトせずに、全部まるごとスキャンしてしまうのがコツらしい。少々ページが乱れても気にしない。どうせもう読まないんだから。
あれれ、だったらブックオフに持って行けばいいのに。
このへんが自炊の微妙なところなんです。いつかくる事態のために、食料を備蓄する心配性のお父さんのような感覚。
でもデジタルデータは腐ることはないのだ。雑誌という食材は迷わず自炊するべきだ。
次はセカンド・ディッシュとして新書。
なぜか本棚に2冊あった「しのびよるネオ階級社会」平凡社新書だ。新書というのは、実に自炊しやすい食材だ。スパッと切ってスルスルとスキャンして皿に盛る。じゃなかったiPadに収納する。
いよいよメインディッシュの単行本だ。
ここで駆け出し自炊師は考えた。本命の「リストラなう!」の前に、やっぱり1冊練習をしないとね、それもハードカバーの単行本で。
選ばれたのが「ハッピー・リタイアメント」幻冬舎。浅田次郎さんの本だ。単行本の場合は裁断機にかける前に下ごしらえがいる。
まず本を腹開きにして出刃包丁、じゃなかったカッターナイフを持って、ハードカバーを切り離す。カッターナイフが骨、じゃなかった本の堅い部分に当たっても躊躇せずに切り込む。
しかし、本にカッターを入れるときのグキッという感覚は切ないものがありますなあ。
そして、魚でいえば骨の周りの血合いにあたる部分をキレイにして裁断機で一刀両断、のはずだった。
だが結果は本が断末魔の一暴れをして、無残にも本文部分が斜めに切れてしまった。要するに裁断機の締め付けが甘くて、刃が入った勢いでずれてしまったのだ。
これは見るに堪えない。魚をおろすのに失敗して刺身がとれなくても、煮付けにすればよい。
でも本は無残だ。スキャンはできない。紙としても読めない。汚れたものは見たくないのでゴミ箱に直行だ。
ごめんなさい、本の神様。僕のハッピー・リタイアメントに呪いをかけないでくださいね。もう二度と単行本の自炊はしませんから。
と言いたかったが、「リストラなう!」を自炊したい、という欲望は抑えることができない。
慎重に、きわめて慎重にぶあつい383ページにカッターを入れる。裁断の失敗は致命的だとラーニングしたので、小分けにして裁断していく。
ページ分けした部分の継続スキャン設定は簡単だ。 それから表1と表4もスキャンする。魚のアラにあたる(?)カバーの折り返し、背表紙、帯も残らずスキャンする。
ばらばらにPDFにしたものをアドビ・アクロバットで結合したら、おいしい「リストラなう!」の自炊皿の完成だ。
たぬきちさん、書籍版「リストラなう!」に捨てる部分はありません。
全部まるごと自炊させていただきました。末永く保存食にいたします。
ということで、ここにまたひとり自炊老人が誕生した。
ただし自炊の技を身につけても、何を自炊するかという問題は残っている。
あたりまえの話だが、自炊するのは自分の本しかできない。
目の前に紙の本があるとする。その紙を読まずにいきなり自炊する度胸は、まだ僕にはない。まず紙の本を読みたい。もし、その本が面白くなければ話は簡単だ。ブックオフに直行するだけだ。
面白い場合は悩むだろうなあ。すでに収納能力の限界が来ているリアル本棚なのか、それともiPadの本棚に収納するのか。
「リストラなう!」の場合は迷わず自炊した。
この本の場合はiPadの本棚に収まるのが正しい姿だ。
でも僕のリアル本棚のかなりの部分を占拠している村上春樹の本はまだ自炊できないだろうな、というのが僕の本音だ。
さらに、自炊した後の調理素材をどうするのか、という問題もある。 魚をおろした後は捨てるしかない部分もある。でも解体されても本はまだ活字が生きている。
ちなみに、「リストラなう!」の調理素材は捨てられない。単行本として存在していたときよりも、もっとボリューム感が増して、まだ僕の本棚に鎮座している。
うーん、活字中毒者で、かつ自炊老人となった僕の悩みはつきない。
本当の自炊もがんばりませう!
返信削除男の料理教室、そろそろ開催されるはずです。