2003年の旅の記録。執筆は多分2003年10月頃。うーん、10年前の文章なのか。当時はブログも書いていなかったので読者は4人でした。新たに写真を入れてリニューアル。 そもそも田中文脈研究所のカバー写真はスコットランドのアイラ島で長男が撮影してくれたものです。 2013年10月3日追記。
そんな朝焼けは見たことがなかった。異様に透明度の高い空気が赤い光を透過している。鳥たちが飛び交う。今日もすばらしい天気のようだ。
2003年8月14日、ロンドン。午前5時。私は高層ホテルの窓辺に置いたバドワイザーごしに東の空を見ている。なぜかバドが冷蔵庫にあった。この部屋の前客はアメリカ人だったのかな、などと考えながら、少し酔っていた。
さきほど、息子はオランダに飛ぶためにルートン空港に向かった。私は少し身体と心の力が抜けた気分でぼんやりしている。この日の夕方には、私もヒースロー空港から飛び立つ。そして、2003年夏、8泊10日のスコットランドの旅は、終わりを告げる。
ロンドンという大都会は、つまらない街だ。というとロンドンに失礼かもしれない。なにしろ私にとってのロンドンは15年ほど前にヒースローでトランジットして以来、昨日と今日で24時間程度だ。昨日はスコットランドの北、インヴァネス空港からガトウィック空港に飛んできて、息子の洗濯につきあった。どこの観光地にも行っていない。時計塔ってどこにあるんだ。昨夜は何を食べたのだったか……。
旅の記憶は、ウィスキーの熟成に似ているのかもしれない。時間がたつにつれて、夾雑物が消えていき、本質だけが浮かびあがってくる。この旅のそれは、私の中でまだ充分、熟成されているとはいえない。だが何ヶ月かたった今、旅の遡行をこころみることは、私と息子にとって意味のあることだろう。
今回の旅は、突発的に始まった。初夏のある日、アメリカ留学から帰国していた息子とその両親は近くの和食屋で飲んでいた。
突然、息子が言う。長い夏休み、ヒマなのでヨーロッパにでも行って来るかな。すかさず、父親が反応する。おとうさんも連れて行け。半分、冗談のように始まったことが実現していくのが、うちの家族の特性である。足腰が軽いのだ。
昔は、家族でよく旅をした。父親の趣味で、大都会はほとんどパスしていく。オーストラリアに行ったときは、帰国便でどうしてもシドニーに寄らなければならなかった。家族全員、人と車の多さにくらくらした。
今回の旅も、息子の「ヨーロッパでも田舎の方がいい」というご託宣に父親としてネガティブはない。
ロードトリップとする。行き先は父親の好みで決める。レンタカーの運転は息子がする。英語も息子がしゃべる。費用は父親が負担する。えへん、エライだろう。(あたりまえだ)
こんなふうな取り決めでこの旅が動き始めた。どうしてスコットランドなのか、といわれたら、なりゆきで決めた、としか言いようがない。そこが田舎であることだけは確実だった。
昨夜は何を食べたのだったか……。旅の記憶は、また分かちがたく食い物と飲み物に結びつく。最後の夜は、しばらくジャパニーズが食えなくなる息子のためにロンドン市内の寿司屋を選んだ。
予想どおりの店。海外駐在の日本人ビジネスマンがたむろして、愚痴をこぼしている。世界の中の日本村の一典型だ。日本酒の種類はすばらしいが、こういう店はあまり好きではない。もちろん、団体客がコースメニューを食う店よりは百倍ましだが。そして、勘定は高い。これもこの種の店ではあたりまえのこと。
刺身をつまみながら、この旅のベスト・ディナーを思い出す。アイラ島、ボウモア村のシーサイド。The Harbour Inn のレストラン。ここの生牡蠣とムール貝は絶品ですぞ。生牡蠣はシングルモルトを垂らして味わってほしい。異常にジューシーな牡蠣エキスが浮き立ってくる。ムール貝はシンプルにスチームしたものがうまい。そうそう当店自慢のオリジナルブレッドもいけた。
8月9日の夜。この日は、珍しく雨模様で陰鬱な空だった。息子の体調が悪くあまりファインな日ではなかった。だが、このシーフード・ディナーはまちがいなく、このツアーの中でベストだった。
アイラ島の食い物はうまい。The Port Charlotte Hotel のブレックファーストは、Kippers、ニシンの薫製がいける。それから、スモークサーモンいりのスクランブルエッグ。サーモンの塩味が卵に絶妙にからむ。
The Machrie Hotel のラムステーキとハギス。羊は、そこら中を歩いているのでまずいはずがない。ハギスとはスコットランドの伝統料理で腸詰めソーセージの中身である。とても脂濃いバラバラのハンバーグといったら想像できるだろうか。
キーボードが動くままに文章をつづって行くとこのへんで当然、「イギリスの食い物まずい」談義になる。結論から言うと、世界中どこに行っても、まずいものはまずいのだ。そのへんで生きていそうなものを原住民ならぬ現住民が食べている食べ方で味わえば、まず問題はない。あの Fish&Chips だって近くの海で泳いでいる Haddock(鱈の一種らしい)で注文したら捨てたものではない。
とはいえ、予想できないことが起こるのも、旅のおもしろさだ。8月11日、スコットランド北部、アヴィモア村。The Boat Hotel のディナー。ここは、アイラ島を出て、フェリーで2時間、さらに3時間走ってたどり着いたところ。このホテルの名誉のために言っておくと、部屋の環境も従業員の態度もAAAにふさわしく快適なものであった。
しかし、である。前日までいたアイラ島のシーフードのうまさが忘れられず、私は当然のようにOyster を発注する。ところが、愛想のいいウェイトレスは、オイスターとはなんぞや?と答えてくる。怪訝な顔で、キッチンに問い合わせる。やがて、得意顔で帰ってくる。
OK、私どもはOyster の用意ができます。ほら、と出してきたお皿の上には、ムール貝。どうやら、キッチンの解釈では、Oyster とはシーフードの総称だったらしい。そのムール貝はアイラ島のものとは、似ても似つかぬぱさぱさの貝であった。
いろいろなところで Oyster を発注したが、このような対応をされたのは初めて。しかも、アイラ島の翌日だったので、よけいカルチャー・ショックを感じたものだ。食べ物の話は、これでおしまい。まずこれを書かないと落ちつかない。
さて、Islay Island アイラ島の話をしよう。今回の旅のメインテーマがアイラ島であったことはまちがいない。スコットランドの西岸沖の小さな小さな島、と言った方がロマンティックだが、本当は、淡路島くらい島だ。アイラ島のイメージは、アイレイ・ウィスキーとともにあった。シングル・モルト。しかもヨードチンキの味がする。磯臭い。でも癖になる。ボウモアとかラガブリンとかラフロイグとかのブランドは、ちょっと気取ったウィスキー飲みなら知っているはずだ。
アイラ島に行ってみたい。理由は、3つあった。
その1、田舎の中の田舎でありそうなこと。なにしろ、あの「地球の歩き方」にもアイラ島のガイドは載っていない。そもそも、この島の名前はアイレイではなく、アイラだそうな。
その2、ウィスキーとシーフードがうまそうで、フィッシングとゴルフが両方、楽しめそうだ。
その3、村上春樹がこの島のバイブルを書いている。「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」は、旅心を誘ってやまない。
私の場合、旅の目標が決まったら、徹底的に調べる癖がある。スコットランドのロードマップを買いあさる。デジタルおとんの本領発揮でネット検索をかける。カレドニアン・マクブレインというフェリー会社の時刻表を発見して、スケジュールが明確になる。アイラ島に渡るフェリーから逆算してすべての予定を組めばいいのだ。
実は、スケジュール設定で迷ったことがある。デジタルおとんはまた、ビートルズおとんでもあったのだ。私たちの世代は、ビートルズで英語を覚えた。今でも、アイ・ウォナ〜(I want to--)とかアイム・ゴンナ〜(I’m going to--)とかつい言ってしまいそうになる。そのビートルズの聖地といえば、リバプールである。イングランド北西部の港町。シングルモルトの聖地に行く前にこちらの聖地にも巡礼せねば。
こちらにもバイブルが存在する。郷土(ちなみにうどんの讃岐)の同輩、芦原すなおの「ビートルズ巡礼」である。本棚から探して再読する。実によく書けている本だ。よく書けすぎている。この本にしたがって、リバプールを訪れたとしても、これ以上の感動はしそうにない。すっかり追体験してしまった。行くのはやめよう。リバプール観光協会にとっては罪な本だ。そうなれば、ここは割り切ってスコットランドに徹しよう。イングランドとスコットランドは本来、別の国だし。
旅の全体像が見えてくる。おとんが決めたホテルに、息子がメールする。電話する。どんどん予約が取れていく。
アイラ島に行くには、2つの方法がある。スコットランド中南部の都市、グラスゴーからセスナで飛ぶか、西部のキンタイア半島からフェリーで渡るか。セスナはもちろん速いが、ロードトリップという趣旨に反する。それにしても、グラスゴーからキンタイア半島のケナクレイグまでは遠い。しかもそこから2時間フェリーに乗るのだ。ううむ、地図を眺めているうちに私はひらめいた。
島に行くには、島伝いに行けばいいのだ。キンタイア半島の東にアラン島という島がある。この島を経由していけば、近道だ。アラン島と言えば、ほとんどの人が「あのアラン・セーターで有名な」と問いかけてくる。ところが、セーターのアラン島はアイルランドの西岸にある島で、私たちが行ったアラン島とはまったく別だ。
ここは「地球の歩き方」に敬意を表して引用してみる。
アラン島は、スコットランドの縮図のような島だ。ハイランドとローランド、北と南が同居した風景は一見に値する。また、スコットランドでいちばん新しい蒸留所が存在する。
これは、面白そうだ。一泊してみよう。結果的には、アイラを見なければ、アランもすばらしい島だったと思う。グラスゴー市民の憩いの場というのもよく分かる。でも、アイラ島に比べたら、シングルモルトと日本産ウィスキーくらいのちがいがある。
では、アイラ島のすばらしさとは何か。いよいよ本題である。
息子によれば、「なんともいいあらわせない不思議な島」である。だが、なんともいいあらわせないことを表現するのが、モノ書きの仕事だ。私は別に専業モノ書きではないが、チャレンジしてみよう。
アイラ島には、ある種のエネルギーが存在する。それが旅人の気持ちに対してはたらきかけるのだ。そのエネルギーはプラスにははたらかない。マイナスにもはたらかない。ひたすら人々の気持ちをフラットにしていく。高揚でもなく下降でもなく、平衡感覚をとりもどす方向にはたらく。
別の言い方をしよう。アイラ島の空気に宿るスピリッチャルなものが、旅人に素直な心持ちとはなにかを思い出させてくれるのだ。スピリッチャルspiritualを日本語で表現したら霊的、とでもいうのだろうか。ただし、それは決して宗教的なものではない。
私たちはアイラ島に上陸してすぐに、ケルトクロスという遺跡を見に行った。遥かな昔、ケルト民族が残した石造りの巨大な十字架である。クリスチャンではない私たちでも、その場にたたずんだとたん、ドキッとするほどの静謐を感じた。
クロスが立っている。風が吹いている。周りを歩いてみる。小高い丘から海が見える。ただそれだけの風景が、ショッキングな平安とでもいうしかないものをもたらしている。
また、私たちはエレン港からボウモア村につながる15キロの直線道路を何度も走った。ここはイギリスでいちばん長い直線道路だそうだ。道の両側は何もない。見渡す限りの原野だ。車の背後には存在感のある静かさが広がる。
素直な心持ちとは、限りなく純化された日常に回帰すること、とも言える。
たとえば、こんな風景が展開する。島の西端、ナハバン村。海を見下ろす丘に白い家が映える美しい村だ。眼下の入り江で遊ぶ子供たちを見ながら、アイスクリームを食べる父と息子。その隣には、全盲で耳の聞こえない老犬がひなたぼっこをしている。空はどこまでも青い。
息子は、日本の母親に携帯電話している。DCカードの請求書がどうのこうのという話だ。目の前の風景に、そのあまりに日常的な会話がすんなりと溶けこんでいく。
ボウモア村のそばに眠たくなるほど美しい入り江がある。海岸にぽつんとベンチが置かれている。そこに半日、座って海を眺めていたら、大西洋の向こうにアメリカ大陸が見えるのかもしれない。
島にいくつもあるアイラ・モルトの蒸留所のうち、私がもっとも気に入ったのは、Ardbegアードベッグだ。アートディレクションを感じるモスグリーンの建物から、きわめてピートと磯の香りが強いシングル・モルト・ウィスキーが生まれている。
その蒸留所のアドバタイジングは、ジャック・ラッセル・テリヤ犬がキー・ヴィジュアルになっている。どうして犬なのかガイドに問いかけると、ある日蒸留所の入口に現れた犬が可愛かったからだ、と答える。海と風とその周辺にあるアイラ的日常を樽の中に蓄積して、ウィスキーが育っていく。
私たちがアイラ島に滞在したのは、8月8日から8月11日の3泊4日だ。予定では、2泊だったが、あんまり気持ちがよかったので1泊延長した。2泊は、スコットランドの典型的なゲストハウス、The PortCharlotte Hotelであった。予定外の1泊は、The Machrie Hotel、リンクスのクラブハウスだ。
リンクスというのは、海と陸がリンクする場所につくられたゴルフコースのこと。フラットで、あるがままに設計されている。アイラ島のリンクスは、ピートの原野である。このホテルの水はピートがとけこんでいて、茶褐色だ。
昼間は、フェアウェイにくっきりと自分の影を映して歩く。プレイではなく、歩く。リンクスに太刀打ちするには、まだ私の腕は甘すぎる。ボールの大量消費を招くだけだ。
日が暮れてからは、アードベッグ17年モルトを持って、1番ティーに上がる。澄み切った夜空の星と月に乾杯する。寝ていた息子も起こして乾杯する。無駄なモノをそぎ落としたアイラ的日常に乾杯する。
ここまで書いても、まだアイラ島の魅力をうまく伝えられた気がしない。しかたがない。先達の言葉をお借りしよう。
アイラは美しい島だ。家並みはこぎれいで、どの家の壁も見事に鮮やかな色に塗られている。きっと暇さえあればペンキを塗りなおしているのだろう。あてもなく通りを抜けて、ぶらぶらと散歩をしているだけで、こちらの心が少しずつ鎮まっていくのが感じられる。真っ白な鴎たちが、屋根の上や、煙突のてっぺんにとまって、じっと遠くをにらんでいる。省察と無意識のあいだに引かれた一線をにらんでいる。ときどき思い出したように飛び上がって、ひらりと強い風に乗る。
村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』
かすかな風に音に聞きいるかのように、二人の間には沈黙の時間が流れていた。
「アイラ・アイテスという言葉を知っているか」
所長がそう訊いてきたのは、何杯目かのラフロイグを飲んでいるときであったか。
「アイテス……聞き慣れない言葉ですが」
私は思わず、そう訊き返していた。
「アイテスというのは病気のことだ。アイラ島に来た人間は皆この病気にかかり、立ち去りがたくなる。恋の病、アイラ熱とでも言ったらよいか。君もこの熱病に冒されつつある。(以下略)」
土屋守『スコットランド旅の物語』
またアイラ島に行ってみたい。息子もそう思っているはずだ。
アイラ島を出て、私たちはスコットランドを北上していく。2003年の夏、ヨーロッパは、というより地球は異常気象だった。猛暑がおそう。晴天が続く。私たちがアイラ島にいた8月10日にロンドンでは、観測史上最高の39℃を記録した。太陽が私たちの旅を歓迎してくれたことにしよう。
スコットランドといえば、夏でも肌寒くセーターを離せない国。陰鬱な雲が垂れ下がる国、というイメージがある。しかし、私たちのスコットランドはまったくちがった。毎日が晴天続き。青空の下にハイランドの絶景が描かれる。
車は、青いプジョー206。コンパクトカーだが、きびきびと走る。山々の連なりが風に流れる。眼下に複雑な輪郭をもつロッホ(Loch)、湖が広がる。ときどき古いキャッスルが見える。とある峠を登りきったパーキングに、目の前に迫る山々を眺める絶好のビュー・ポイントがあった。キャンピングチェアーがふたつ、仲良く並んでいる。老夫婦が座って読書をしている。読書するならインドアですればいいのに、と思う人は、日本的日常から抜けていない。
旅立ちの前に、知人からぜひ行ってみるようにと推薦された湖の周回道路を走ってみる。彼によると、何もなくてさみしさがたまらなく魅力的な場所だそうだ。だが、私たちが訪れたときはどこまでも空青く、水清く、ひたすらのどかで、感覚がちがう。少し異様なスコットランドを見たのだろうか。
ネス湖のほとり、インヴァネスに向かう途中で、私たちはアウトドア・アクティビティを楽しむ。乗馬トレッキング。しかも2時間、いちども馬から降りない。いささか退屈ではあったが。
クラガン・フィッシャリー&ゴルフコース。フライフィッシングとショートコース・ゴルフが一カ所でできる。日本では、反目状態にある川釣りとゴルフがスコットランドの日常では、あるがままにとけあっている。
そして、旅も終わりに近づく。ネス湖で何日ぶりかに日本語を聞いたところで、私たちのスコットランドは姿を消した。
旅の始まりは8月6日、ロンドン。午後5時。関西空港から飛んできた父親とダラスからシカゴ経由で飛んできた息子は、ヒースロー空港で待ち合わせた。
そのままロンドンからグラスゴーへ。1泊。グラスゴーでレンタカーを借りて、アラン島で1泊。キンタイア半島を経由して、アイラ島へ。3泊後、82号線を北上する。アヴィモア村に1泊。インヴァネスで1泊。最後は、ロンドンで1泊。
これが、スケジュールのすべてだ。たわいもない旅だ。それでも、旅の終わりはいつも憂鬱になる。
8月14日、ロンドン。午後3時30分。大英博物館で5時間、徘徊してヒースロー空港に向かう。ブラックキャブの運転手に、私はさっき息子と別れてきた、とつぶやく。
夜明け前からホテルの部屋で、旅の荷物軽量化作戦に取り組んだ息子は、父親といういちばん大きな荷物を下ろしてほっとしているかもしれない。
さあ、帰ろう。
参考文献
『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』村上春樹(平凡社)
『スコットランド旅の物語』土屋守(東京書籍)
『椎名誠シングルモルトウイスキーの旅』suntory.co.jp
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