【某同人誌のための書評】1993年頃?未発表。
山本素石(やまもとそせき)を知らない渓流師はもぐりである。わが国の渓流釣りの大先達として、素石は偉大な足跡を残している。渓流釣りとは、いわゆる川釣りの中でも、最も源流部で、最も釣りにくく、最も美しく、最もおいしい渓魚達、イワナ、アマゴ、ヤマメを狙う釣りだ。
山本素石に言わせればこの釣り以外のフィッシングゲームは思想も精神も伴わぬ魚との勝負事に過ぎないということになる。
素石は、全国の山河を彷徨して、渓流釣りに関する著作を数多く著した。渓流釣りを志す人は、何らかのかたちで彼の文章に接しているはずである。それほど、素石の技術論と釣場紹介は、多くのハウツー本のネタになっている。
しかし素石の真骨頂は、渓流師の心情論にある。憂愁とユーモアとリリシズムを餌に男たちの心を針に掛ける文体(スタイル)にある。そして、この「つりかげ」は、その文体の集大成といえるだろう。
「釣り師は心にどこか傷を負っているが自分でそれに気がついていない」という名言がある。その心の傷が何であるかを探すために、渓流師は今日も山の奥深く入っていくのだが、その心の振幅を山本素石ほど、正確に表現できた者は空前絶後だ。
この本には戦後すぐ、国破れて山河があった頃の日本の山里と、彼自身の心身の旅立ちが活写されている。この物語に登場する素石は、26才から35才の多感な青年だ。
素石は言う。
「野面にかげろうの立つ春が来ると、人は浮かれ出すと言うが、それは悲哀を知らぬ半ばの人なのであろう。晩春になると、物憂さが勝って、何とない旅心を誘うのも一般である。春愁というのだろう。(中略)朔風が梢に満ちる清明の疎林、碧い中空に抜き出る残雪の嶺、細雨に烟る草屋根の村里、黄金に波打つ麦畑、うらさびた漁村、月の浜辺、すすきの原野、遠い山波、落葉の山路、山峡の炊煙、峠の白雲…。そうした風景が、常に私の旅の心象にはある。身近な死者の面影は、行く先々のどんな風景の中にも宿っていた」
絵に描いたような、憂愁だ。その釣りの特性から渓流師は孤独な影を背負うが、素石のそれは、特製の極め付けのものだったらしい。渓流釣りは、ほとんど山歩きである。賢い渓魚は人の気配に敏感で、同じ場所で何匹も釣れることは希である。あの大岩の向こう、その崖の先、と渓流師は、大物のポイントを求めて歩き続ける。そして、一日歩き続けた果てに、魚籃(びく)の中には笹の葉だけというのもよくあることである。
そういう釣りを好む者は、いきおい求道者の体をなしてくる。
「一人旅というものは、やりかけると癖になる。日常の人間関係の中では満たされぬものが旅先にはあって、既成の生活の枠組みに位置づけられた自分の殻を抜ける解放感と、素肌で世間にふれてまわる好奇のたのしみがある反面、オドオドした緊張感が絶えず背中にへばりついている」と語る素石が旅をした戦後の混乱期には、この釣りをする求道者は少なく、彼の姿は、相当、女心をくすぐったらしい。
釣師本来の釣欲と憂愁と、その上、女の影まで引きずり、素石の旅は、ますます陰影の濃いものとなっていく。
道を求める者が、一瞬にして解放されるのは、勿論あの時だ。
「会心の手ごたえは胸の痞えが一気におりるような、集約した官能の放出を覚えさせる妙がある」と素石が感じ、釣師なら誰でも納得できるあの時、魚が掛かったアタリの瞬間だ。
その一瞬、釣師の頭の中の魑魅魍魎は、はじけ飛ぶ。釣師が、無念無想だなんてのは、まるっきりの嘘だ。釣師の頭の中では、さぁ釣るぞ、なぜ釣れぬ、どうして釣るか、まだか、まだか、まだか…とイライラの羽虫がぶんぶんうなっている。それでも釣師が一日飽きもせず竿を振るのは、その一瞬がいつ釣師を直撃するか分からないからだ。
その至福の時を、素石は緻密な筆致でこう表現する。
「岩の上を走る道糸の白い目印がツと横に走ったとき、垂れ下がった樹の枝をさけて斜めに竿先を撥ねると、黒い岩の狭間に銀色の魚体がひるがえって、川下の方へ矢のように疾走した。竿が激しく絞り込まれて、張りつめた糸のさきにキラキラと銀鱗が光る。八寸級のヤマメだ。あの黒い岩盤の隙間の、どこにこの白銀の魚体が潜んでいたのか。顎にかかった鉤を外そうとして、ヤマメはさまざまな姿態で反転した。うるしを引いたような黒い岩の上で、銀色に光ったり、白い条を描いたりして狂い回るダイナミックな輪舞を見ると、抜きあげてしまうのが惜しいような気がして、私は竿をたわめたまましばらく目を奪われた」
そして、渓流師は釣り上げたばかりの輝く渓魚に見惚れて、誰もいない谷で哄笑したりするのだ。
この「つりかげ」という本は、渓流師の心情を余すところなく表現してくれているが、一方で山本素石という一人の青年の人間関係論でもある。師との出会い、山人との交流、結婚、子供、母、そして恋。戦後の混乱期を舞台に多彩な人間模様が描かれる。彼にとって、渓魚との間合の取り方と同時にホモ・サピエンスとの距離感をも学習した日々なのであろう。
素石がこの本を出版したのは、1980年、61歳のときである。彼自身が後書きに書いているように、原体験を対象化するには25年の歳月が必要だった。彼は「つりかげ」の後にも先にも多くの著作を著すが、この本ほど濃密で赤裸々な人間関係を描いたものはない。他の単行本にふれる余裕はないが、最近、村起こしとやらで話題になる謎の蛇を「ツチノコ」という一般名称にしたのも、彼の業績の一つだということは覚えていてほしい。
山本素石、この希代の天才釣師文学者は「つりかげ」から8年後、享年69才で逝った。「川立ちは川に果てる」という諺どおりにはいかなかったようだが、その辞世は病院のベッドで昏睡状態のまま呟いた「ここから川が見えるか。川が見たいんや」という一言であったという。
この「つりかげ」、釣りに興味がある人は勿論、興味のない人も是非、読んでほしい。単行本は1984年にアテネ書房から発行されたが、最近PHP文庫にも収録されて手にはいりやすくなった。
これは、600 円で体験できる魂の遍路である。
山本素石(やまもとそせき)を知らない渓流師はもぐりである。わが国の渓流釣りの大先達として、素石は偉大な足跡を残している。渓流釣りとは、いわゆる川釣りの中でも、最も源流部で、最も釣りにくく、最も美しく、最もおいしい渓魚達、イワナ、アマゴ、ヤマメを狙う釣りだ。
山本素石に言わせればこの釣り以外のフィッシングゲームは思想も精神も伴わぬ魚との勝負事に過ぎないということになる。
素石は、全国の山河を彷徨して、渓流釣りに関する著作を数多く著した。渓流釣りを志す人は、何らかのかたちで彼の文章に接しているはずである。それほど、素石の技術論と釣場紹介は、多くのハウツー本のネタになっている。
しかし素石の真骨頂は、渓流師の心情論にある。憂愁とユーモアとリリシズムを餌に男たちの心を針に掛ける文体(スタイル)にある。そして、この「つりかげ」は、その文体の集大成といえるだろう。
「釣り師は心にどこか傷を負っているが自分でそれに気がついていない」という名言がある。その心の傷が何であるかを探すために、渓流師は今日も山の奥深く入っていくのだが、その心の振幅を山本素石ほど、正確に表現できた者は空前絶後だ。
この本には戦後すぐ、国破れて山河があった頃の日本の山里と、彼自身の心身の旅立ちが活写されている。この物語に登場する素石は、26才から35才の多感な青年だ。
素石は言う。
「野面にかげろうの立つ春が来ると、人は浮かれ出すと言うが、それは悲哀を知らぬ半ばの人なのであろう。晩春になると、物憂さが勝って、何とない旅心を誘うのも一般である。春愁というのだろう。(中略)朔風が梢に満ちる清明の疎林、碧い中空に抜き出る残雪の嶺、細雨に烟る草屋根の村里、黄金に波打つ麦畑、うらさびた漁村、月の浜辺、すすきの原野、遠い山波、落葉の山路、山峡の炊煙、峠の白雲…。そうした風景が、常に私の旅の心象にはある。身近な死者の面影は、行く先々のどんな風景の中にも宿っていた」
絵に描いたような、憂愁だ。その釣りの特性から渓流師は孤独な影を背負うが、素石のそれは、特製の極め付けのものだったらしい。渓流釣りは、ほとんど山歩きである。賢い渓魚は人の気配に敏感で、同じ場所で何匹も釣れることは希である。あの大岩の向こう、その崖の先、と渓流師は、大物のポイントを求めて歩き続ける。そして、一日歩き続けた果てに、魚籃(びく)の中には笹の葉だけというのもよくあることである。
そういう釣りを好む者は、いきおい求道者の体をなしてくる。
「一人旅というものは、やりかけると癖になる。日常の人間関係の中では満たされぬものが旅先にはあって、既成の生活の枠組みに位置づけられた自分の殻を抜ける解放感と、素肌で世間にふれてまわる好奇のたのしみがある反面、オドオドした緊張感が絶えず背中にへばりついている」と語る素石が旅をした戦後の混乱期には、この釣りをする求道者は少なく、彼の姿は、相当、女心をくすぐったらしい。
釣師本来の釣欲と憂愁と、その上、女の影まで引きずり、素石の旅は、ますます陰影の濃いものとなっていく。
道を求める者が、一瞬にして解放されるのは、勿論あの時だ。
「会心の手ごたえは胸の痞えが一気におりるような、集約した官能の放出を覚えさせる妙がある」と素石が感じ、釣師なら誰でも納得できるあの時、魚が掛かったアタリの瞬間だ。
その一瞬、釣師の頭の中の魑魅魍魎は、はじけ飛ぶ。釣師が、無念無想だなんてのは、まるっきりの嘘だ。釣師の頭の中では、さぁ釣るぞ、なぜ釣れぬ、どうして釣るか、まだか、まだか、まだか…とイライラの羽虫がぶんぶんうなっている。それでも釣師が一日飽きもせず竿を振るのは、その一瞬がいつ釣師を直撃するか分からないからだ。
その至福の時を、素石は緻密な筆致でこう表現する。
「岩の上を走る道糸の白い目印がツと横に走ったとき、垂れ下がった樹の枝をさけて斜めに竿先を撥ねると、黒い岩の狭間に銀色の魚体がひるがえって、川下の方へ矢のように疾走した。竿が激しく絞り込まれて、張りつめた糸のさきにキラキラと銀鱗が光る。八寸級のヤマメだ。あの黒い岩盤の隙間の、どこにこの白銀の魚体が潜んでいたのか。顎にかかった鉤を外そうとして、ヤマメはさまざまな姿態で反転した。うるしを引いたような黒い岩の上で、銀色に光ったり、白い条を描いたりして狂い回るダイナミックな輪舞を見ると、抜きあげてしまうのが惜しいような気がして、私は竿をたわめたまましばらく目を奪われた」
そして、渓流師は釣り上げたばかりの輝く渓魚に見惚れて、誰もいない谷で哄笑したりするのだ。
この「つりかげ」という本は、渓流師の心情を余すところなく表現してくれているが、一方で山本素石という一人の青年の人間関係論でもある。師との出会い、山人との交流、結婚、子供、母、そして恋。戦後の混乱期を舞台に多彩な人間模様が描かれる。彼にとって、渓魚との間合の取り方と同時にホモ・サピエンスとの距離感をも学習した日々なのであろう。
素石がこの本を出版したのは、1980年、61歳のときである。彼自身が後書きに書いているように、原体験を対象化するには25年の歳月が必要だった。彼は「つりかげ」の後にも先にも多くの著作を著すが、この本ほど濃密で赤裸々な人間関係を描いたものはない。他の単行本にふれる余裕はないが、最近、村起こしとやらで話題になる謎の蛇を「ツチノコ」という一般名称にしたのも、彼の業績の一つだということは覚えていてほしい。
山本素石、この希代の天才釣師文学者は「つりかげ」から8年後、享年69才で逝った。「川立ちは川に果てる」という諺どおりにはいかなかったようだが、その辞世は病院のベッドで昏睡状態のまま呟いた「ここから川が見えるか。川が見たいんや」という一言であったという。
この「つりかげ」、釣りに興味がある人は勿論、興味のない人も是非、読んでほしい。単行本は1984年にアテネ書房から発行されたが、最近PHP文庫にも収録されて手にはいりやすくなった。
これは、600 円で体験できる魂の遍路である。
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