2010年6月1日火曜日

コシよりダシだ

小豆島新聞 2009年5月20日掲載 双葉要

讃岐うどんの話である。今さら、という方もいるかもしれない。しかしながら、昨今の軽薄なブームとは視点がちがうのでお付きあい願いたい。私は、讃岐の原住民だ。元々、讃岐に住んでいた民だ。坂出生まれで、丸高卒業である。うどんがソール・フードであるのは当然だ。

18歳で讃岐を出て、東京の大学で4年間過ごした後は、大阪にずっと住んでいる。その間、ソール・フードを追求する旅は続いている。ブームのおかげで、東京にも大阪にも自称「讃岐うどん」の店は増えてきた。讃岐うどんのコシは有名になり、おばあちゃんの足で、小麦粉を踏めば踏むほど、コシが強くなるという話がまことしやかに伝えられている。別におじいちゃんでも兄ちゃんでもいいのだが。

ただし、「讃岐うどん」を名乗るからには、コシよりもダシにこだわってほしい。東京でも大阪でもコシは合格の店はあっても、ダシには問題がある。

コシが強い麺類を批判するものは世界中でほとんどいないはずである。だが、ダシというのは、魂の根源に触れるものだから受け入れられるものとそうでないものがある。


讃岐うどんは、いりこダシである。魚くさいなどという人は、讃岐に来ないでほしい。のっぺらぼうの土地にお饅頭のような山をぽんぽんとレイアウトしたような讃岐平野は、いたるところで、いりこダシの香りが充ち満ちているのだ。

いりこダシあらずんば、讃岐うどんにあらず。讃岐以外の讃岐うどんを評価するときのポイントは、ダシと生姜にあり、というのが私の独断だ。

そこで、東京の「讃岐うどん」の話だ。ごぞんじのように、東京には空がないと同時にうどんもない。ただ、真っ黒な醤油のなかにのたうち回る「うどんもどき」があるだけだ。だが、奇跡の店があった。

浜松町、大門交差点の「金毘羅」。今では、讃岐うどんの店として、一部ファンの間では有名になっている。だが、驚くなかれ、このうどん屋は39年前から存在するのだ。しかも大門交差点のランドスケープとして、外装も内装もまったく変わっていないのだ。私が東京の大学に行っていた頃、泣きたいくらいに、いりこダシが飲みたくなったときは大門に行っていた。おすすめメニューはただひとつ、「こんぴらうどん」。金毘羅のこんぴらうどん、ネーミングどおりのシンプルなかやくうどんだ。ただ、いりこダシがひたすらうまい。

それから、大阪にも讃岐うどん屋は多数、存在する。会社のそばで、「讃岐うどん」の看板を上げた店があれば、私は地回りのようにチェックをかけていく。ただ、悲しいことにうどんの腰が合格する店があっても、ダシはほとんどが昆布ダシなのだ。

以前、西本智実さんというロシアで活躍されていた大阪出身の女性指揮者と仕事をしたときに、彼女が言っていた。コンブダシ、私はコンブダシ、寒いロシアでコンブダシを飲んでいると、私は大阪人なんや、と思うて元気がでてくる。

そう、大阪人にとっては、昆布ダシがソール・フードなのだ。それを否定する気はまったくない。ただし、大阪の讃岐うどんは、あまりに昆布ダシに迎合しすぎているのではないか。あの東京においてすら、羽田空港第2ターミナルビルの立ち食いうどん屋さんでも、いりこか昆布か、ダシのオプションが選べるのに。

それから、生姜である。最近は、永谷園に生姜部という組織ができるくらい生姜の効用が見直されている。ただ、讃岐うどんというのは、開闢以来、生姜とともにあったのだ。なぜなのかは知らないが、そうなのだ。大阪の讃岐うどん屋で生姜を見かけることは滅多にない。これって、しょうがないではすまないのである、責任者でてこい、というのが私の本音である。

麺類がないと生きていけない私は、海外に出ると、当然のようにパスタを食べる。沖縄に行けば、ソーミンチャンプルーを食べる。松江に行けば、割子そばを食べる。それぞれの土地でそのときの気持ちで好きな麺類をチョイスしていく。

でも、最期の瞬間には、いりこダシと生姜とともに旅立ちたいと切に願う私の気持ちは変わらないのである。

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