2010年6月24日木曜日

脱藩まで6日(続コンテキスター)

続けてコンテキスターについて書いてみる。
さまざまな文脈が頭の中に氾濫している毎日ではあるが、徐々に整理していくしかない。

少し屋号の話に戻る。
定年退職後の生き方マニュアルには「個人事務所」を立ち上げましょう!というオプションがある。

早期退職を考え始めた頃は「田中文筆事務所」を立ち上げたいと僕も思っていたのだった。
でもこれは恥ずかしいなあ。今、書いてみたらとても恥ずかしいネーミングだ。

ただ早期退職願望の原点は「モノを書きたい」ということであったのは間違いない。「モノ書き」になりたい、という希望もなくはないが、まずは書きたかったのだ。そのベクトルにしたがって、こうしてつたない文章を書いている。

文章を書いて世の中に発表するだけであれば簡単だ。インターネットという高速道路に乗ればある程度までは誰でもできる。ただ、その先、世の中に影響を与える、あるいはパッケージの書籍にしようとすると獣道が待っている。
このあたりは、梅田望夫さんが以前に言っていたとおりだ。

僕はインフルエンサーになれるのか。たぶん無理だろう。
僕の書きたいことは僕の頭の中に厳然としてある。テーマは決まっている。でもそれは僕の個人的なテーマであり普遍的とは言い難い。

それでもいつかは本を出したい。これはすべての活字中毒者の夢であろう。
その本というのが紙なのか電子書籍なのか、そのコンテキストの整理はまた別のエントリーだ。
最近、宿題エントリーばかり自分で積みあげている気がするが。

「本を出す」ということに関してもD社には先達がいる。
さとなおだ。一時期、彼とは仕事仲間だった。さとなおが自分のブログで以下のようなことを書いていた。

頻繁にニューヨークに行っていた頃、NYで親しくなった友人に「いつか自分の本を出したい」と言ったときのことだ。いつかではなく、今、「やりゃーいいじゃん」と友人は言い切った。

さとなおの膨大なコンテンツの中から、このエントリーを探し出すことができずウロ覚えの引用でごめんなさい。

その後何年かして、彼は讃岐うどんの本を上梓した。

そうなのだ。「やりたい」ではなく「やりゃーいいじゃん」なのだ。やるしかないのだ。
脱藩後の僕には会社の仕事が忙しくて、という言い訳は効かない。夏の間だけは鮎釣りが忙しくて、と言い訳できるかもしれないが。

36年間、D社でクリエーティブの仕事をしてきた。CMなどの映像、ネットコンテンツ、グラフィック、いろいろなことをやってきた。それらを完成させるために多くの人たちに支えていただいた。

逆に言えば、ひとりでは何もできなかった。

脱藩後の僕がひとりでできること。それは、こうしてテキストをこつこつと織りあわせることしかない。

ようやくコンテキスターの話にたどりついた。

クリエーティブ・ディレクターを卒業したら、僕はコンテキスターになる。

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