2010年6月1日火曜日

田井の釣り、タイはいらぬ。

小豆島新聞 2009年7月30日掲載 双葉要

小さな頃から釣りが大好きで、小豆島でもよく釣りをしていた。という書き出しであれば、ごく自然であるのだが、実はそうではない。

釣りは三十歳を超えて覚えた遊びだ。最初の息子が生まれた年だ。父と息子といえば、キャッチボールが定番だ。残念ながら、私は野球が苦手だ。ほとんどまともにボールを投げられない。小さな頃から強度の近視で野球の仲間には入れなかったからだ。

そこで、ビギナーパパは考えた。野球がダメなら釣りにしよう。おおそうだ、息子と釣りをするのが正しい日本の親子だ。これはいい。

ところが、である。実は、釣りなどというものはそれまで一度もしたことがなかったのだ。そのあたりが、実に大胆な発想であった。それでも幸いなことに師匠がいた。会社の同期に、釣りの達人がひとりいた。その師匠に弟子入りしたのが釣り始めである。そして、この師匠は川釣り師であった。私の釣り師人生は決定づけられた。

渓流のアマゴ、イワナと清流の鮎という小豆島とは何の関係もない魚たちをひたすら追っていく日々が始まった。息子と遊ぶためという名目で始めた釣りという趣味であるが、本来の目的は忘れ去られて、お父さんは釣り師の道をひた走る。

息子が地域のソフトボールクラブに入っても、キャッチボールにコンプレックスのある私はなじめない。ソフトボールのハイシーズンはまた、鮎釣りの季節でもある。はっきりいってソフトボールはさぼった。

息子よ、すまぬ。お父さんは親子のコミュニケーションよりも、鮎との対話を優先した。

そんなわけで、「田井の釣り」というテーマは微妙な感じになっていく。ここで解説をすれば、田井というのは、小豆島の大部にある地名である。私の母の実家は田井の浜辺から徒歩2分だ。

もちろん、私は夏休みにはよく田井の浜で泳いだ。思い切り浜辺で遊んだあと、プロ野球のオールスター戦ラジオ中継がもれ聞こえる道を家まで帰ったことをよく覚えている。しかし、釣りというものとは無縁であった。では、このエッセーのタイトルは偽装であるのか。

そうではない。田井の浜で釣りをしたことはある。私が40歳近くになってからであるが。おかげさまで、次男は釣り好きになった。次男を連れて、田井の浜でサビキ釣りをしていた時代があった。

季節は秋である。ひと夏、鮎を追いかけて家族サービスをしなかった罪滅ぼしに田井でサビキ釣りをすることがあった。ちなみに、私の子供たちは海水浴という経験はあまりない。海で泳ぐよりも、綺麗な川でシュノーケリングをするほうが楽しいというお父さんの独断にしたがってくれたのだ。

田井の浜は海に向かって右手に沖にむかって、まっすぐ伸びる堤防がある。その堤防から砂浜を回り込んで左手には防波堤がある。この防波堤が絶好のサビキ釣りポイントであった。

釣り師の至福は入れ掛かりである。サビキ釣り、すなわちコマセを使い、たくさんの針で雑魚をひっかけるこの釣りは、天国への階段だ。オキアミをカゴに入れる。キャストする。ぷるぷるする。さらにぷるぷるする。リールを巻くと、サビキ針にアジがぶらさがっている。ときどきイワシも混じってくる。さらには、つぶらな瞳のグレの赤ちゃんも挨拶にくる。カラフルなベラがその存在を主張する。ぷくーっとフグ様がお怒りになる。

そうなのだ。波止場の釣りは五目釣り、来るもの拒まずの博愛精神に満ちた釣りなのだ。私と次男が嬉々としてサビキ釣りを楽しんでいる横では正統派のチヌ師たちがいる。ぴしっと餌を投げ込み、ウキの動きに注視する。わずかなアタリも見逃さずに電光石火の合わせをする。クロダイの見事な肢体が浮かび上がる。実に洗練された無駄のない釣り師たちは、好き勝手なことをしている親子を少し軽蔑の目で見る。

それでいいのだ。釣り師は基本的にエゴイストだ。自分さえ釣れればいいし、他人のやり方には興味がない。

私の田井の釣りにはタイは無用の長物だった。雑魚と戯れて息子のオキアミまみれの笑顔を見られたら最高だったのだ。

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