2023年6月13日火曜日

四國光、「鶴の恩返し」する

 『反戦平和の詩画人 四國五郎』を読了した。著者は四國光。あの藤原書店が2023年5月30日に発行した。凄い本である。読んだら書きたくなった。


四國五郎と光、父と息子のコンテキストの大枠はつかんでいた。だって、こんな文脈レポートを書いたのだもの。
「四國光、四國五郎を語りつくす」

「神は細部に宿りたまう」という言葉を体現した本だと思う。ポストイットが林立した。ラーゲリーに掲げられた民主の旗のように。大枠ではなく、ほとんど全頁のディテールが愛おしい。


たとえば〈ようかん〉。

1945年8月9日。ソ連軍が満洲國に侵攻した。下級兵士、四國五郎は国境に近い琿春(こんしゅん)で肉弾攻撃隊となる。詳細な戦闘記録が残っている。
八月十四日 負傷兵多く死体はすでに野ざらしなり。
川崎(己斐出身同年兵)一大隊へ帰る。ヨウカン一本もらう。
(51頁) 

広島出身の兵士、川崎は未完の『戦争詩ノート』に書かれていた「(死に向かう)戦友」ではなかろうか。

「遂にゆくか」
生きろとも死ねともえ言わず
「手榴弾は あるか?」
物入れ垂れるほどあるをニヤリと示し
「もはや われに必要なし」とて
大いなる羊かん一本を われにくれる 
(58頁)

たとえば〈民主運動=反軍闘争〉。

シベリア抑留史は解明されていないことが多い。劇映画『ラーゲリより愛を込めて』に描かれたことだけが真実ではない。

父たちにとって「民主運動」とは、戦争が終了したにもかかわらず収容所内に残った軍隊の縦組織、およびその規律による下級兵士への暴力的制裁を止めさせ、収容所をより民主的に運営するための「反軍闘争」として始まった。収容所の中の民主闘争であり啓蒙運動であり、何よりもまず収容所の中で下級兵士が「生き延びる」ための生存闘争であった。父も含め多くの抑留者が戦後語っているように、もし「民主運動」がなければ、「もっと多くの日本人下級兵士が死に追いやられていただろう」

(76頁)

 長い引用をお許しいただきたい。光のテキストは綿密で詳細なので切るに忍びない。

「暁に祈る」本文82頁参照

たとえば〈ぐずぐず〉。
私が子供の頃、子供がよくやるように「ぐずぐず」言った時は、ほぼ必ず、こう言われたものだ。
「ぐずぐず言いなさんな。ぐずぐず言うたらものごとがいい方向に変わるんなら、どんどんぐずぐず言いなさい。だけどぐずぐず言うて、何もものごとが改善されんのなら、ぐずぐず言うのはやめなさい。ちゃんと言葉で人がわかるように説明しなさい。じゃないと人には伝わらん。そうでしょうが」
このセリフは何度言われたかわからない。 
(344頁)
本文177頁
たとえば〈継承〉。
とにかく、大切なことは戦争という誤った歴史を繰り返さぬために、世代を超えて戦争の記憶を「継承」し続けることだ。「継承」し続けることで、記憶が新たな言葉を獲得し、次の世代に向けて更新されていく。そして新たな行動を生んでいく。「継承」とは、それぞれが出来ることをし続ける、その土壌を作りだすこと。
一般的な体験、などない。体験とは、常に個別的で絶対的なもの。唯一無二のものとしてその人個人に内在化され、他人が「継承」などできるものではない。肉親である父の体験ですら、息子である私が「継承」などできはしない。
しかし、体験は記憶として蓄積され、その都度新たな意味を与えられ、そして、それが「表現」されるとことで初めて他者と共有化される。未来に生き続ける。それが「継承」の役割だと思う。
(378頁)
「はだしのゲン」継承イベント。20234月1日

「これは四國五郎の〈評伝〉ではなく、最も近くで多くの時間を過ごしてきた人間による、父の〈観察録〉のようなものだと思っていただきたい」と著者は言っている。

父譲りの観察眼が一人の人間のすべてを書き切った。父であり反戦平和の詩画人である四國五郎。父と息子の関係性は複雑である、と思うのは僕だけであろうか。
父を引き寄せたり、突き放したり、微妙な間を取りつつ書き切った筆力に拍手したい。すごい。

四國光は「自分の中にそれまでに蓄積された父の〈記憶〉を、すべて吐き出して、父に対して自分なりの思いをまとめたい、と思ったのではないか」

「おこりじぞうを巡る物語」の一節を読んだ僕の感想である。
(父は)母や峠三吉から聞いた被爆の惨状、十八歳で死んだ最愛の弟直登の苦悩、そして被爆者が描いた二千枚を超える被爆の実相――自分の中にそれまでに蓄積された他者の被爆の「記憶」を、全て吐き出して、被爆に対して自分なりの思いをまとめたい、と思ったのではないか。 
(281頁)
『おこりじぞう』は被曝実相の「ユニバーサルデザイン」だと光はいう。気鋭の歴史学者、藤原辰史は「僕の原点は『おこりじぞう』です」と言った。彼もまた四國光の著書を読み込むことだろう。歴史は大きな物語のみで語ってはならない。

「物語には物語で対抗せよ、というのではいつまでたっても史実を自分の都合の良いストーリーに改変する歴史修正主義の罠から抜け出せない。そうではなく、現実に進行した史実のはざまにあった、当時の大きな物語に接続しえなかった断片を拾い集める必要がある。そのような無数の断片を手にして、ようやく歴史叙述の担い手は安全な位置から歴史を眺める超越的な身ぶりを捨て去ることができるのではないか」
(『歴史の屑拾い』藤原辰史)

2023年2月4日、隆祥館書店にて

無数の断片を綾なして、神を細部に宿しながら、四國光は本を編んだ。反戦平和の詩画人が家族によって本となった。


四國五郎はより普遍性を得た。息子が出したスルーパスを受けて恒久平和のゴールネットを揺らすのは誰だ。私たち、ひとりひとりの読者ではないだろうか。


これは四國光の「鶴の恩返し」である。
自らの心身を削りながら、言葉をつむぎ美しい本を後世に遺した。文字どおり削った。心臓の大手術に耐え、日々劣化逆行していく政治家たちの蒙昧への憤怒に身を焦がしながら書いた。そのはずである。

誰の何への恩返し?
父と父を支えた広島の市民力への。父と父を育んだ家族への。父が築いた家庭への。そして父の本気の種を継いだ木内みどりへの。
それらすべての文脈への恩返しなのだろう。

2019年6月22日 豊中市にて



※本書発行後、初めての四國五郎展のお知らせです。
「四國五郎展~シベリア抑留から『おこりじぞう』へ」
会場:安来市加納美術館 島根県安来市広瀬町布部345-27 0854-36-0880
会期:2023年8月5日(土)~10月15日(日)
開館時間:9時~16時30分
休館日:毎週火曜日(祝日の場合は翌日)

8月6日(日)13時半~15時半、四國光さん講演(布部交流センター)
9月24日(日)13時半~15時、布部交流センターでフリーアナウンサー、石原美和さんによる四國五郎の詩と『おこりじぞう』朗読。伴奏はフリージャズピアニストの歌島昌智さん。


※本文敬称略。本文中の図版は『わが青春の記録』(四國五郎/三人社/2017年12月)より。




2023年5月28日日曜日

原発賠償関西訴訟傍聴記

 「法廷の見える化」をしてください、と頼まれた。異議なし。

大阪地裁202号法廷。この広い空間には見覚えがあった。かつて、僕は「尼崎クボタアスベスト訴訟応援団」として、この傍聴席にいたことがある。2013年の話だった。つまり本件訴訟が提訴された年。

 「国もクボタも被害者に謝っていません」がキーワードであり、福島第一原発1号機が放射性廃棄物を生産し始めたのは1971年である。

そのように記した文脈レポートを書いた。

「田中文脈研究所・高度成長を観察する」はこちら。

https://bunmyaku.blogspot.com/2013/07/blog-post.html

NHK NEWS WEB 5月24日

2023524日。原発賠償関西訴訟・第1回本人尋問。

傍聴席は記者席を除けば60席ほど。その2.5倍以上の人々が傍聴の抽選券を求める。提訴から10年が経過しても、無関心とは無縁な人たちがいる。その勢いが入場する原告たちを応援した。

おっ、当たった。リベラル仲閒たちと一緒に202号法廷へ。

裁判官に向かって右側が被告席。被告は国と東京電力。代弁をする弁護士たち。権力の代理人たちは常に無表情である、と断定してもいいだろう。

左側は原告席。それゆけ、熱血弁護士たち。

この日、原告本人尋問を受けたのは三名。その周りには原告団がいる。彼らの表情は変化する。傍聴席からよく見える。

NHK NEWS WEB 5月24日

裁判長はノーブルな権威をまとっている。「法理は人のためにある」ということを体現しているのか。

法理の頂点は日本国憲法である。僕も「憲法くん」になってみよう。

前文「平和のうちに生存する権利を有する!」

13条「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、中略、最大の尊重を必要とするのだ!」

おっと、その前提は「すべて国民は、個人として尊重されます、分かっていますね」

「ふつうの暮らし、避難の権利、つかもう安心の未来」が「原発賠償関西訴訟」のスローガンである。

「ふつうの暮らし」は個々人によって違う。そのすべてが尊重される。そのはずである。法理によれば。法理くんに宣誓してほしい。

法廷内は撮影禁止、録音禁止。僕は人力ICレコーダーになった。ノートとペンがあれば歴史は記録できる。A5判ノートに32頁、書いた。

法廷内は個人情報の塊だ。原告の名前も原則告げられない。

原告①は原告団・団長。森松明希子さん。郡山市からの区域外避難者。母子で関西に避難を続けている。

原告②は自主避難者であり母子避難経験者。現在、福島市在住の女性。

原告③は区域内避難者。帰還困難地域となった浪江町津島地区から兵庫県に避難した家族の代表。男性。菅野さん。あっ、言ってしまった。

原告①と原告③に関しては予習している。菅野さんの畑と愛犬を表敬訪問したこともある。それぞれの本で開示されている個人情報は書いても許されるだろう。詳細は、ぜひ2冊の本を読んでほしい。

『災害からの命の守り方~私が避難できたわけ』(森松明希子/2021117日)


『福祉の仕事で35年間働き東電の原発事故で人生が変わってしまった菅野みずえさんのお話』(インタビュアー:アイリーン・美緒子・スミス/2021311日)


午前10時。尋問開始前、2分間のテレビ報道用撮影。傍聴人の後ろ姿。裁判長へのズーム。この映像は「法廷の見える化」には役立たないと思う。

まずは、森松明希子さんを尋問した東電代理人①のしょーもない質問を記録しておこう。

僕の両側にいた友人たちからは苛立ちの空気がびんびん伝わってきた。

妻、森松明希子さんに対して「医師であるご主人に聞きましたか?ご主人は何と言いましたか?ご主人は?ご主人は」と執拗に問い続ける。

「妻は夫に従え」と主張したいのか。

「貴様は家父長制の代理人か」と僕の心の声。

「やめろ!」と実際に声が飛んだ。野次である。

あまりに瑣末でお粗末な東電代理人①さんの質問は法廷内の失笑を呼ぶ。

それでも、野次はいけない。

「静かにしなさい。やめさせるかどうかを判断するのは私だ」

裁判長が場を制する。そのとおりだと思う。

彼は、時に微苦笑しながら、東電代理人質問と森松回答を傾聴しているように見えた。

東電代理人①は一生懸命、「ノーマル郡山」を強調した。どこかの放射線読本から抜き出したような基準を元に森松さんを尋問する。

「プロパガンダだ!」

そのとおりなのだけど、野次はいけない。

「それは笑っていれば放射能は来ない、というミスター100ミリシーベルト、山下俊一先生の言ったことですね」

森松明希子さんが回答した。報告会では「どんな悪球もホームランにする団長」という誉め言葉があった。そのとおり。

付け足しのように、森松さんを尋問した国の代理人①の態度は悪かった。高圧的かつ威圧的。

20114月と6月時点で、京都や大阪の水道水が放射能汚染されていたかどうかを調べましたか。イエスかノーかで答えなさい!」

「権力を笠にしたデクの坊め!」心の声が僕の胸の内で反響した。

森松明希子さんは裁判官に訴える。

「子供でなかった裁判官さんはいないはずです。原告団の3分の1は未成年です。子供の人権侵害を認定してほしい。被曝の被害を矮小化しないでほしい。裁判所は人権を守る最後の砦のはずです」

心の中で拍手した。

母である明希子さんの願いは「ふつうの暮らし」である。

内部被曝におびえながら子供を育てる必要のない暮らし。

子供の甲状腺がん検査を気にする必要のない暮らし。

フレコンバッグがそばにない暮らし。

加害者が謝罪をして、被害者の心の傷が癒される暮らし。

裁判所で陳述しなくてもよい暮らし。

裁判支援のためのタオルを手放せる暮らし。

昼休み。退席しようとした傍聴人に呼びかけた原告がいた。菅野みずえさん。原告③さんの妻である。

いつもはにこやかに野良仕事や愛犬の散歩をしているみずえさん。原告席での表情が険しかった。気になっていた。

「私たちは東電と国からDV(ドメスティック・ヴァイオレンス)を受けているようなものです」みずえさんが声を絞り出した。

「フラッシュバックするんです。息が苦しくなるんです。どうか静かに応援してください。野次ではなく〈圧〉でお願いしたいのです」

そういうことだったのか。野次は原告に向けられたものではない。東電代理人①の質問内容に対するものだ。

だが、しかし、野次の声の鋭さがみずえさんの記憶に突き刺さる。

不規則に飛ぶ声は「悪意の響き」として、あの時の不安と苦悩を呼び起こす。

2011314日午前111分、3号機が水素爆発。爆発音は浪江町津島地区まで届く。誰もいなくなった家でひとりで聞いた。

放射能が撒き散らかされたときのフライパンを空焼きしたような臭い。舌に感じる金気くさい味。

「あなたたちが逃げてきたから関西まで汚染が広がったのよ」と突き刺さった声が、不規則発言により蘇ったそうだ。涙が溢れ、キョロキョロして、ここは法廷なんだと確認した。

ここまで書いて気がついた。僕は書くことによって、またみずえさんを傷つけてはいないだろうか。

それでも書く。自分の想像力を研磨するために。

傍聴とは傍らで聴くことである。つまり当時者ではない。応援者は当時者にはなれない。

ならば、「傍らで聴く者」は想像力を最大限に発揮するのが礼儀だと僕は思う。

残念ながら、私たちの想像力の持続時間は短い。鈍磨していくのだ。

足が絡まる。足が絡まっても踊り続けるためにはどうすればいいのか。

当時者への想像力を鍛えていくしかない。

裁判は裁判官が原告と被告の言い分を傾聴して、法理にしたがい判決をくだすためにある。不規則発言は裁判官の心証を悪くするかもしれない、という想像力。

「東京では、こんな野次は飛ばない」と法廷を出ながら言っていた傍聴人がいた。

「皆さんはあの310日に続く今日を生きている。でも私たちは、あの3月11日を踏み越えて全く違った今日を生きている。今でもふいに3・11の記録に接すると、気持ちのコントロールがつかなくなります」(『菅野みずえさんのお話』より)

午後の法廷が始まった。

原告②のお名前は知らない。だが、その人が母親として望んだ「ふつうの暮らし」は理解できた。東電の代理人②によるネチネチとした個人情報の掘り起こしによって。

代理人②くんは背中に回した手が細かく動いていた。この弁護士は、もしかしたら原告側の代理人ではないか、という意見が報告会で出たほど、原告の置かれた理不尽な情況を浮き彫りにしてくれた。

この代理人のおかげで母の口惜しさ、無念さが法廷中に伝わった。森松明希子さんは泣いた。

「福島にひとりで残った(元)夫は愛犬を失って精神状態が悪化した。酒量が増えた。私は家族関係を修復したかった。父親にも関西に来てほしかった。だが来られなくなった。だから関西から福島に戻った。結局、離婚した」

彼女はチェルノブイリ事故から多くを学んでいた。

内部被曝に閾値はない、と僕は学んだ。3・11直後の小出裕章さんの講演会で。

「今の福島市の線量が安心だとは思っていない。心配しながら暮らすのは地獄。あの事故がなければ、私たち家族は幸せだった。家族団らんを返してほしい」

さて、原告③、菅野さん。生まれ育った浪江町への郷愁を述べる。

生まれ育った土とともに生きると決意したのに、「大地と人間の安定した関係」は失われた。真っ黒に日焼けした顔で淡々と答える。哀愁のようなものが漂ってくる。

傍聴とは法廷の空気感を共有することでもあるのだ。

「浪江町の人たちと暮らしたい、浪江町の暮らし方を優先したいと思って福島県中通りの桑折町(こおりまち)の仮設に入った。愛犬と一緒に住むことができたので」

菅野家の犬は松ちゃんと言った。被曝して死んだ。帰還困難地域となった浪江町津島の家、桜の下に埋めた。

現在、菅野家が畑とともに暮らしている兵庫県の家には小鉄という新しい犬が来た。小鉄も保護犬である。菅野家は浪江町を思いながら農的生活を続けている。

東電代理人③は「時間つぶしの質問」をしていく。「あなたのご趣味はなんですか?」

「詳しくお答えした方がいいですか?」と裁判長に問う原告③さん。裁判長も苦笑して「時間がありませんから手短に」と言った。

「山登りです。あと釣りとか」

東京電力よ、山を登りながら山菜やキノコを採集できる「ふつうの暮らし」を返してくれ。

国よ、浜通りに面した大漁の海を返してくれ。透き通った川で苔を食む鮎を釣らせてくれ。

僕は菅野さんの気持ちを詳しく想像してしまった。彼はまだまだ余談がしたそうだった。「ふつうの暮らし」は余談に満ちている。


「当事者自身がアーカイブ」 というのは森松明希子さんの名言である。

当事者にはなれない、「共事者」としての応援団はアーカイブ(公文書)を補強するためのアンプ(増幅器)になるしかない。


主要参考書籍・資料

 『白い土地 ルポ福島「帰宅困難区域」とその周辺』

(三浦英之/集英社クリエイティブ/20201031日)

『いないことにされる私たち 福島第一原発事故10年目の「言ってはいけない真実」』

(青木美希/朝日新聞出版/2021430日)

『原発事故は終わっていない』

(小出裕章/毎日新聞出版/202135日)

『こんど、いつ会える? 原発事故後の子どもたちと、関西の保養の10年』

(ほようかんさい/石風社/20211130日)

『内部被曝の真実』

(児玉龍彦/幻冬舎新書/2011910日)

『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』
(斎藤幸平/KADOKAWA/2022年11月2日)
※筆者が「共事者」という言葉に出会った本です。
『新復興論 増補版』
(小松理虔/ゲンロン叢書/2021年3月11日)

KANSAIサポーターズ

http://kansapo.jugem.jp/

原発賠償ひょうご訴訟 ぽかぽかサポートチーム

https://www.facebook.com/profile.php?id=100064819715976

原発賠償訴訟 京都原告団を応援する会

http://fukushimakyoto.namaste.jp/shien_kyoto/

森松明希子フェイスブック

https://www.facebook.com/profile.php?id=100007365376700

菅野みずえフェイスブック

https://www.facebook.com/mizue.kanno.7

みずえさんの投稿から引用した部分があります。ご了承ください。



2022617日 最高裁不当判決

2022617日最高裁は、原発賠償4訴訟(生業、群馬、千葉、愛媛)について、「国は原発事故による損害賠償責任を負わない」とする判決を言い渡し、国に責任ありとした3つの高裁判決を取り消しました。

三浦裁判官を除く多数意見の判決では「国が津波対策を指示していたとしても想定を超える大津波だったので原発事故は回避できなかった」から「国の責任は問えない」と結論づけました。結果回避可能性のみを論じて国の規制権限不行使を裁かなかったのです。

(原発賠償京都訴訟原告団資料より要約)


2022年12月31日土曜日

住民代理店 2022

 COVID-19は2019年の大晦日から始まった。丸3年が経過した。人間社会の分断は継続中、いや、むしろ非道い状態になっている。様々な医療者が、それぞれの経験値に基づいて見解を述べる。

インフォデミックのなかにあって、僕は寄りそう人を決めてきた。岩田健太郎さん。松江出身、島根医科大学卒業。忖度なしの感染症医。

「事実に敬意を」という彼の言葉に僕は敬意を表する。

一般に科学の世界において「これが正しい」と断言できるものは、ほとんどないんです。(中略)ただ断定はできないものの、「自分の欲望に仮説を寄り添わせてはならない」というのは大事な態度です。多くの人が自分のあからさまな、あるいは隠れた欲望を持っていて、その欲望を満足させるような意見を「科学的な正しさ」という意匠をまとわせようというややこしい議論を展開し、それを「理路」を勘違いしています。

『リスクを生きる』(内田樹・岩田健太郎/朝日新書/95頁)

 813日に逝去した「がん放置療法」の近藤誠さんの本とそのカウンター本。

昨年の大晦日、#StayFarm〉という文脈レポートに「夢のように美しく現実のように確かな古希を迎えたい」と書いた。

今年の誕生日に書いたことは以下。

70年の生涯を振り返ると、(まだ先があるようですが)、18年間香川県坂出市で暮らし、4年間、東京都新宿区。そして48年間は大阪府箕面市に住んでいるわけです。ちなみに36年間、株式会社電通関西支社で口に糊していました。おかげさまで、新しい希望の年が始まります。「わたくしといふ現象」がどこまでありつづけるのかは「有機交流電燈」の灯り次第です。もうあまり早くは走れませんが、天地有機にしたがって歩くことができればいいな。


天地有機にしたがう「有機」農をしているつもりの畑では、今年も「循環の美学」が展開される。いろいろあっても昨年と同様のライフサイクルで野良に出続けることができた。これは喜ばしいこと。


あっという間に一年は過ぎる。時の流れに対して老化した身体の処理速度が追いつかないため。それでも動き続けたい哀しい性がコンテキスターにはある。

「動きに尺度を」とつくづく思う大晦日である。

尺度というか旗印はある。「住民代理店」という言葉だ。

1974年に電通に入社した同期の原田明(ボブ)が研修で提案した構想らしい。僕(フミメイ)はまったく記憶にございませんが。

以来、半世紀近くの時は流れて、住民代理店構想はつつましやかに実現しているような気もする。

「住民代理店」とは、かつて広告代理店で学んだスキルを活かして、世の中のために動いている人たちを応援する運動体です。ベースラインには「半農半X」があります。

僕は師走になって、朋友ボブと「活動計画」をすりあわせたとき、このような定義をした。

ボブは半農半X研究所が提唱した「半径3キロの宝物探し」というテリトリーで住民代理店を実行している。トングマン、自治会活動、さらには住民ラジオ局構想。

「ミニシパリズム(municipalism)・自治体主義」の実現を目指しているようにみえる。彼の属する〈中間組織〉は魅力的である。

ボブは821日にオンエアされた朝日放送制作の〈テレメンタリー〉に登場した。

「朋友~友好の橋を架けた青年たち」。

彼の父と僕の家族が深く関わりあっている満洲文脈研究は継続中である。


朋友ボブのフェイスブックはこちら。

https://www.facebook.com/kifuuharada

一方、フミメイは半農半Xを実践するために「一人一研究所」として「田中文脈研究所」を立ち上げた。コンテキスター(文脈家)としての活動を続けている。

あっちの文脈がこっちでつながり、必然が偶然を呼ぶ。「いきあたりばっちり」の行動は住民代理店のクリエーティブセクションとしてのものだった。

僕が広告代理店で学んだスキルは情報発信である。感じることがあれば文脈レポートをしていく。本や映画やイベントに関して思うところを述べること。

告知よりも報告に力を入れる。文脈レポートを書くときは、一度、自分の胸の奥深いところを通してから吐き出す。いつの間にか、そんなやり方が習い性になっていた。

では、フミメイ住民代理店が応援する「世の中のために動いている人」とはいかなる人々なのか。端的にいえば「まつろわぬ民」である。

世の中はますます劣化していく。その劣化に抗する人々を応援する運動体として声を上げたい。


2022年は劣化の連続であった。

224日、ウクライナ侵略戦争開始。原発が攻撃対象となる。核兵器と同じく核発電所は安全保障上の脅威であることをあらためて世界に知らしめた。

「報道特集」の金平茂紀はすぐにウクライナ取材に行く。

78日、安倍晋三元首相が銃撃される。「ある宗教団体」としか報道されなかった背景が次第に明らかになってきた。

戦後民主主義を忌み嫌った劣化型元宰相の死は、さらに世の中の劣化を進めた。山上徹也の文脈は研究途上にある。情報の裏を読み解くのは週刊文春。


710日、参院選。惨敗。

瑞穂の国記念小學院の跡地で当選を願ったのに。

報道と教育を権力に支配されたら大日本帝国に回帰する。

928日、国葬強行。直接民主主義としてのデモは力を持ち得ているのか。

1216日、安全保障3文書の改訂を閣議決定。

専守防衛の「撃たぬ国」が安保法制で「撃てる国」になり、敵基地攻撃能力を持つことで、ついに「撃つ国」へ。 

朝日新聞夕刊〈素粒子〉1217

抵抗する市民メディア「新聞うずみ火」はまつろわぬ。

1223日、GX(グリーン・トランスフォーメーション)実現に向けた基本方針案」とりまとめ。Gは原発のG

岸田政権が、原発を「最大限活用する」とした新方針をまとめた。想定せずとしていた原発の建て替えを進める。新設も検討する。60年を超えて運転出来るようにする。まるで話が違う。

そうでありながら「福島復興はエネルギー政策を進める上での原点」「事故への反省と教訓を一時も忘れず」といった文字が、臆面もなく新方針に並ぶ。

心にばつの悪さが生じると耳が赤らむ。そこから「恥」という字が出来たと、白川静さんの『常用字解』にある。「聞く力」の人の耳は、ほんの一瞬でも赤く染まっただろうか。そうでなければ、悲しすぎる。

朝日新聞〈天声人語〉1224

国宝・松江城から北へ8.5キロの島根原発2号機の再稼働も近づいている。やれやれ。

「原発をとめた裁判長」樋口英明さんの「私が原発を止めた理由」を学習する。

マス・メディアも劣化していく。金平茂樹も玉川徹も番組へのレギュラー出演はなくなった。朝日新聞は両論併記の傾向を深めていく。

社民党副党首・大椿ゆうこ氏

まつろわぬ民とは「抵抗する人」であり「同調圧力に屈しない人」である。

古事記には「摩都楼波奴人」と万葉仮名で表記されている。天つ神すなわちヤマト征服王朝に対抗した国つ神たちもまつろわぬエートスを持っていたと思われる。

 僕は2022年、住民代理店として「まつろわぬ民ネットワーク」を応援していたのだと気がつく。関西が誇るリベラルな人々とつながっていったのだ。女性が多い。

ちなみに僕が採用しているリベラルの定義は人間の心を探究した経済学者、宇沢弘文による。

 「リベラリズムとは、人間の尊厳を保ち、魂の自立を支え、市民的自由を守ること。政治的権力、経済的富、宗教的権威に屈することなく、それぞれが持っている先天的、後天的な資質を充分に生かし、夢とアスピレーションが実現できるような社会をつくりだすこと」

まつろわぬ民が集結したのは1215日、高槻。

「風煉ダンス 朗読劇&ライブ まつろわぬ民2022 更地のうた」

集客の要となったのは福島県浪江町から避難している菅野みずえさん。1120日、〈第11回さようなら原発1000人集会〉で「忘れてしまえば消える」と訴える。

そして、朋友ボブも来た。あの人も来た。この人も来た。

『原発は滅びゆく恐竜である』が遺言となった水戸巌さんのパートナー、水戸喜世子さん。


元女川原発の作業員にして、みずえちゃんと同郷、すなわちふるさとが更地になる危機にさらされている今野寿美雄さん。


この日のみずえちゃんはいい笑顔だった。


僕は文脈レポートを書いた。

もういいかい。

まあだだよ。

ちっともよくありません。

更地のうたを聞いてください。

何も知らない生き物たちは遊んで眠って

野垂れ死んでいます。

もういいかい。

もういいよ。

諦めてはなりませぬ。

まつろわぬ民はまつろわぬのです。

時空を超えてまつろわぬ。

もういいかい。

まあだだよ。

まだです。

われらのカラダとココロは

まだ離ればなれです。

もういいかい。

まあだだよ。

いいはずがありません。

ヤマトは戦を好みます。

復興なんて上の空。

空にミサイル飛ばしたい。

もうもうもうもうもう

べこの雄叫びが廃寺を超える風に乗りました。

摂津の国に集結したまつろわぬ民は

みなさん、よき面構えでした。


その2日後、12月17日。また彼女たちが集まった。


僕は本と映画の住民代理店もやっていた。読んで見てレポートする。映画上映後のアフタートークにも参加する。もちろん、まつろわぬ映画である。その宣伝をしまくるのが松井寛子さん。カンコさんはネットワークの中心にいる。風にまかせて、しゃべりたおす。

その名も『映画宣伝おばちゃん』を上梓したのは零号出版。零号という屋号を聞いて、すぐに僕は制作普及委員会に入った。


知り合ったみんなの人柄も宣伝するのがカンコさん。つながる、つながる。


カンコさんが『教育と愛国』を宣伝する。大ヒットした。

 僕は宣伝する。同名の本も一緒に。

谷町六丁目の隆祥館書店にはまつろわぬ作家が集まってくる。

423日、『あなたのルーツを教えて下さい』。安田菜津紀さん。


偶然の必然でまつろわぬ読者たちが集うこともある。


隆祥館の常連は由美子ねえさん、またの名を「不思議の国の堀越おかん」。


筋金入りのまつろわぬ人である。
反原発の先達として様々な活動をしてきた。小出裕章さんとも親しい。水戸喜世子さんを大姉としたら中姉を名乗る。

今年の夏、文脈家は堀越由美子さんに導かれて不思議な体験をした。僕はまだかろうじて鮎師であり続けている。ホームリバーは和歌山県龍神村。

そこには194555日に墜落したB29搭乗員の慰霊碑があり、地元の古久保健さんが鎮魂の営為を続けているという事実を初めて知った。まったくもって無知な住民代理店である。由美子ねえさんの「戦跡巡りミニツアー」にアップされた情報だ。

偶然の必然で僕は727日に殿原の慰霊碑前にいらっしゃった古久保健さんと会った。自著の『轟音~その後』を持ってもらった。

由美子ねえさんはドキュメンタリー映画『轟音』の上映会と古久保健さんの講演会を大阪で開催する。93日のこと。

由美子ねえさんと古久保健さんの志が通底した。


全力で動くねえさんをサポートするいつもの仲間たち。


浪速の歌う巨人・パギやん(趙博)が賛同アピールを書いた。

1945年原爆投下と敗戦から77年、1948年済州島43事件から74年、1960年反安保闘争から62年、1972年沖縄の日本再包摂から50年、2011年東日本大震災・福島原発事故から11年が過ぎた今、東欧では戦争が起きてしまいました。 
地球環境破壊と核汚染は、もうこれ以上の猶予を許さない状態まで達しています。それなのに、この日本では堂々と戦争を仕掛けようとする輩どもが政権の座に着き、巷ではヘイト・スピーチとヘイト・クライムが横行し、貧困と差別が大手を振って罷り通っています。 
だからこそ、今だからこそ、この映画を皆さんと一緒に見て、ともに考え、ともに感じ合い、そして「ともに生きる」道を求めたいと思い立ち、賛同人諸賢を募る次第でございます。

僕は文脈レポートを書く。

古久保健さんはとことん誠実な人柄だと見受けられる。鬼畜米英といわれた19歳の死者に当時小学2年生だった自分が放った石を生涯、背負っていかれるのだろう。その誠実の塊が今、思うこと。

この先、どうやって戦争体験を伝えていけばいいのか?

2022年夏は1945年夏と直結している。特に78日以降はショートカットされて、大日本帝国の亡霊が朝鮮半島と日本列島をさまよい歩いているようだ。歴史は修正されてはならない。なぜなら〈加害と被害〉の死者たちが永遠に存在しているから。

古久保健先生と殿原の祈りは、聞いたものが伝えていくしかない。

95KCC会館、そのパギやんが『砂の器』をひとり芝居した。奥出雲をよく知っている僕は圧倒された。

会場には、もはや「いつもともに参加する」と言っていいような仲間がまた集まる。僕の前の席でずっと泣いていたのはキム・ホンソンさん。大姉・水戸喜世子さん、中姉・堀越由美子さんの妹分だとご自分で言っている。

『轟音』上映会では勝手に書籍販売員をしていた。

この文脈レポートのグループ写真群には、もう何度も登場している。

1117日、僕は「キム・ホンソン〈いのち・人権・平和〉講座」(富田林MAPカフェ)に参加した。大いに感じるところがあって長文の文脈レポートを書いた。以下に一部を引用する。

僕はホンソンさんと同世代です。同じ時代の風を受けてきました。でも、あまりに知らないことが多すぎる。日々、勉強です。だから「いのち・人権・平和」講座に行きました。大阪国際大学で十六年間教え続けた「人権教育論」の再現でした。

「映像教材を見せるだけよ」とホンソンさんは言います。だけど、見せるための準備と見せた後の学生とのコミュニケーションを持続させるためにホンソンさんはどれほどの熱意と誠意をつぎ込んでいたことか。

「世界人権宣言」「基本的人権」「子どもの権利条約」と大学のシラバスには大きな言葉が並んでいたようです。でも、ホンソンさんは学生たちに言葉をそのまま伝えるのではなく映像という感性を刺激する教材で授業を組み立てました。

たとえば「孤独死」や「特別養子縁組」。偉そうな教授のおっさんであれば、なんとか法とか行政のあり方とか、板書して学生にノートを取らせたりするのでしょう。

映像とホンソンさんの語り。映像で涙してホンソンさんのあくまでも明るい声を聞きながら、学生たちは感想文を書いてメール送信したそうです。

涙する。ホンソンさんはとてもよく泣きます。何回も同じ映像を見ているのに、それでも泣きます。泣くというのは生きづらい「いのち」を生きぬくための技術なのかもしれません。ホンソンさんの授業を受けた学生たちもそれぞれの生きづらさを抱えていたようです。

先生自身の生きづらさを踏み台にした明るさに、今、しんどい学生たちが共鳴したのでしょう。

僕は講座に『キム・ホンソンという生き方』を持っていきました。再読すると付箋が林立します。

「(前略)考えてみると、まずはわたし自身が両手切断というアクシデントで、中学校生活を中断させられたことに対する無念の思いがあること。次に両親の姿を見ていること。日本の植民地下の朝鮮で、アボジは貧困ゆえに満足に教育を受けていないし、オモニは女の子だという理由で教育を受けさせてもらえなかったのです。私も両親も教育に対する〝恨(ハン)〟は深いのです」(六三頁)

ホンソンさんはカンコさんの長電話友達でもあるようだ。よく笑い、よく泣く。



そして、由美子ねえさんは1213日、フミメイファームに来てくれた。有難い。一年を通じて住民代理店が発信する情報に共感していただいた。光栄の至りなのだ。


そろそろ大つごもりが大詰めに近づく。
2022年の住民代理店については、まだまだ書き足りない。まつろわぬ草、まこも系の住民代理店だって実行した年だった。


本と図書館の自由を守るために動いている弓ヶ浜半島の人々のことも書きたかった。

「人生は、いつもちょっとだけ間にあわない」(是枝裕和)


あとはタイムラインに沿って映画と本とイベントの話を簡潔に。それぞれに文脈レポートはあるのだけど。

15日。ドキュメンタリー映画『水俣曼荼羅』。

これはバディ映画だと言ったら原一男監督が納得してくれた。

210日。『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原真理)読了。

ロシアがウクライナに侵攻する直前に読了していた。カンコさんの出版記念イベントで初めてリアルに会った島元恵子さん(『君が死んだあとで』出演者)が教えてくれた本。

米原真理さんは1950年生まれ。享年56歳。もしかして近藤誠の「がん放置療法」を信奉していたのかもしれない。ウクライナ戦争が年を越す今、彼女がご存命なら何をどのように語っただろうか。

64日。『インディオの聖像』(佐々木芳郎)発刊記念イベントと「一日だけの写真展」。中之島公会堂にこだわったスペシャルな会。

いつも情報処理の方法論を教えてくれる写真家でありシェフの佐々木芳郎さん、出版おめでとうございます。

おや、ここにも見知った顔が。

おかげさまで望月衣塑子さんとの2ショットも撮らせてもらった。

89日ナガサキデー。「ダニー・ネフセタイさんが生野にやってくる!」(大阪聖和教会)

由美子ねえさん、もうひとつの渾身イベント。

まつろわぬユダヤ人とまつろわぬ福島県民、森松明希子さんにご挨拶できた。


813日。『「個」のひろしま』宮崎園子講演会(PLP会館)

廣島とヒロシマとひろしまには差異がある。「野に放たれた虎」(矢野宏)である宮崎園子さんが怒りのマシンガン・トークをした。

823日。『彼は早稲田で死んだ』と『記者襲撃』、樋田毅さんの2冊を読了。

元朝日新聞の樋田毅さんの著作。衝撃の事実が書かれている。来年、樋田さんに会えるかな。


9月2日。「一九四六」展。兵庫県立原田の森ギャラリー

引揚げ文学というものがある。読みなおしたくなる。事務局長の宮原信哉さん、縁脈に感謝です。

911日。「表現の不自由展」をようやく鑑賞できた。神戸元町。


三井美穗子さんが平井美津子さんと出会った。


同日。ドキュメンタリー映画『銀鏡』。赤阪友昭監督アフタートーク。

ふたつの時間が流れる映画。古層の神々の文脈は深い。


928日。国葬直後の『REVOLUTION+1』。ロフトプラスワンウエストで暫定編集版を見る。
井上淳一さんと足立正生監督。足立監督ってほんとは優しい人じゃないかな。

完成版は公開中。来年、見よう。

108日。「劇団態変」芸術監督の金満里さん。丸善ジュンク堂でのトークショー。

小豆島に移住した庭師アーティスト、中井岳夫さんと土庄町地域おこし協力隊、森亜紀子さんの縁脈でつながった。

異文化の交差点『イマージュ』は定期購読中。

109日。韓国映画『雪国』。平井美津子さんアフタートーク。


『教科書と「慰安婦」問題~子どもたちに歴史の真実を教え続ける』を持っていった。


平井美津子さんは語る。

「よく子供たちは、私たちの戦争の責任はあるの?と聞きます。戦争そのものに私たちの責任はないよって。先生も戦後生まれだし。あんたらに戦争の責任はないけれど、戦争の傷あとを抱えながら生きつづけている人たちがいる。その人たちがまだ放置されている。放置しているのは私たちの社会だ。だとすれば、私たち自身はそういうことをきちんと……後始末という言い方はいやだな。きちんと補償して謝って過去を見つめて、二度とそういうことをしないという表明をするような社会と政府にしていく責任はあるんじゃないかな」

故安倍晋三さん、杉田水脈さん、ひろゆきさん、美津子先生の声が聞こえましたか。

1010日。『統一教会とは何か』(有田芳生)。ドーンセンターで隆祥館書店主催のトークイベント。

「山上徹也が2発目の引き金を引くときに発した言葉は〈かんつるこ〉」

マスメディアに流れない情報を聞く。

このイベント中にチャンヘン.さんが襲撃されたというニュースが入る。

「統一教会問題を反日嫌韓の文脈で語ってはならない」

有田さんの重要な指摘があった。

1120日。伊丹マダン。マダンは広場。平和と自由の広場。

向かい風のなかで「ケサラ」を唄いきる川口真由美さん。

♪~命どぅ宝

私たちは諦めないよ

平和と自由と子供たちのために

今日も生きていくよ~

押さえ切れない怒り

こらえ切れない悲しみ

そんなことのくり返しだけど

決して負けはしないさ

ケサラ ケサラ ケサラ~♪

踊る実行委員会。

123日。みのお市民人権フォーラム。「斎藤幸平さんと考える〈現在・未来、そして人権〉」メイプルホール。

『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(ウバシカ本)を熟読中。腹の底に納めるべき言葉があった。

 「〈自分は当時者ではないから発言をするのを控えよう〉というのは、一見するとマイノリティに配慮しているようで、単なるマジョリティの思考放棄である。それは考えなくても済むマジョリティの甘えであり、特権なのだ。そのようなダイバーシティでは、差別もなくならない」(216頁)

住民代理店たる僕もマジョリティであるのは間違いない。

 僕は「共事者(きょうじしゃ)」になれるだろうか。

 「語ることを〈真の〉当時者のみに限定すれば、大多数の人は考えることもしなくなる」(180頁)


さて、「住民代理店」であった。その旗印を俯瞰して新年を迎えよう。ボブとフミメイには、半農半Xに加えて、もうひとつのベースラインがある。

「戦後民主主義」というものだ。その誕生は1952428日とする説もある。サンフランシスコ講和条約が発効された日。

僕たちは、その直前に生まれた「ラスト・オキュパイド・チルドレン」である。

良くも悪くも「戦後民主主義という経験」(山本明宏)を積んで育ってきた。ここは断言してもいい。

戦後民主主義がノスタルジーでない証拠に「住民代理店」は「誰かのために何かをしたい」という志を持続している。きっと、たぶん。

 ただし、戦後民主主義には欠落した部分があった。マイノリティへの想像力。在日コリアン、沖縄、部落、障がい者……。

そして今は、想像力の欠如が3・11の更地化を後押ししている。

ジェンダーなどは意識外にあった広告会社員、フミメイはジタバタしながら住民代理店に脱皮しようとしているのではなかろうか。

古希を迎えても、まだ断言できないのが情けない。だが、しかし、こんな世の中を子供たちに遺して死にたくはない。歴史から学ぶことはたくさんある。ありすぎる。

大日本帝国の亡霊を駆逐したい。そのために今日できることは今日やりたい。

来年の大晦日には「そんな時代もあったねと」笑って話せる年になりますように。

田中文脈研究所の年末レポートには何度も同じメッセージを書いたのですが、ほんとにほんまに来年こそは!

それでは、みなさん、良いお年を。



※お詫びです。今年、僕と邂逅した人に対して、「どこかでお会いしましたか?」という失礼な問いかけをしてしまったことが多かったと思います。すみません。最近、人の顔と名前が一致しないし、すぐに忘れてしまうのです。ごめんなさい。また会って、また同じ問いかけをしたら、さらに申し訳ございません。

※一部の写真をフェイスブック友達からお借りしました。感謝です。