「法廷の見える化」をしてください、と頼まれた。異議なし。
大阪地裁202号法廷。この広い空間には見覚えがあった。かつて、僕は「尼崎クボタアスベスト訴訟応援団」として、この傍聴席にいたことがある。2013年の話だった。つまり本件訴訟が提訴された年。
「国もクボタも被害者に謝っていません」がキーワードであり、福島第一原発1号機が放射性廃棄物を生産し始めたのは1971年である。
そのように記した文脈レポートを書いた。
「田中文脈研究所・高度成長を観察する」はこちら。
https://bunmyaku.blogspot.com/2013/07/blog-post.html
NHK NEWS WEB 5月24日 |
2023年5月24日。原発賠償関西訴訟・第1回本人尋問。
傍聴席は記者席を除けば60席ほど。その2.5倍以上の人々が傍聴の抽選券を求める。提訴から10年が経過しても、無関心とは無縁な人たちがいる。その勢いが入場する原告たちを応援した。
おっ、当たった。リベラル仲閒たちと一緒に202号法廷へ。
裁判官に向かって右側が被告席。被告は国と東京電力。代弁をする弁護士たち。権力の代理人たちは常に無表情である、と断定してもいいだろう。
左側は原告席。それゆけ、熱血弁護士たち。
この日、原告本人尋問を受けたのは三名。その周りには原告団がいる。彼らの表情は変化する。傍聴席からよく見える。
NHK NEWS WEB 5月24日 |
裁判長はノーブルな権威をまとっている。「法理は人のためにある」ということを体現しているのか。
法理の頂点は日本国憲法である。僕も「憲法くん」になってみよう。
前文「平和のうちに生存する権利を有する!」
第13条「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、中略、最大の尊重を必要とするのだ!」
おっと、その前提は「すべて国民は、個人として尊重されます、分かっていますね」
「ふつうの暮らし、避難の権利、つかもう安心の未来」が「原発賠償関西訴訟」のスローガンである。
「ふつうの暮らし」は個々人によって違う。そのすべてが尊重される。そのはずである。法理によれば。法理くんに宣誓してほしい。
法廷内は撮影禁止、録音禁止。僕は人力ICレコーダーになった。ノートとペンがあれば歴史は記録できる。A5判ノートに32頁、書いた。
法廷内は個人情報の塊だ。原告の名前も原則告げられない。
原告①は原告団・団長。森松明希子さん。郡山市からの区域外避難者。母子で関西に避難を続けている。
原告②は自主避難者であり母子避難経験者。現在、福島市在住の女性。
原告③は区域内避難者。帰宅困難地域となった浪江町津島地区から兵庫県に避難した家族の代表。男性。菅野さん。あっ、言ってしまった。
原告①と原告③に関しては予習している。菅野さんの畑と愛犬を表敬訪問したこともある。それぞれの本で開示されている個人情報は書いても許されるだろう。詳細は、ぜひ2冊の本を読んでほしい。
『災害からの命の守り方~私が避難できたわけ』(森松明希子/2021年1月17日)
まずは、森松明希子さんを尋問した東電代理人①のしょーもない質問を記録しておこう。
僕の両側にいた友人たちからは苛立ちの空気がびんびん伝わってきた。
妻、森松明希子さんに対して「医師であるご主人に聞きましたか?ご主人は何と言いましたか?ご主人は?ご主人は」と執拗に問い続ける。
「妻は夫に従え」と主張したいのか。
「貴様は家父長制の代理人か」と僕の心の声。
「やめろ!」と実際に声が飛んだ。野次である。
あまりに瑣末でお粗末な東電代理人①さんの質問は法廷内の失笑を呼ぶ。
それでも、野次はいけない。
「静かにしなさい。やめさせるかどうかを判断するのは私だ」
裁判長が場を制する。そのとおりだと思う。
彼は、時に微苦笑しながら、東電代理人質問と森松回答を傾聴しているように見えた。
東電代理人①は一生懸命、「ノーマル郡山」を強調した。どこかの放射線読本から抜き出したような基準を元に森松さんを尋問する。
「プロパガンダだ!」
そのとおりなのだけど、野次はいけない。
「それは笑っていれば放射能は来ない、というミスター100ミリシーベルト、山下俊一先生の言ったことですね」
森松明希子さんが回答した。報告会では「どんな悪球もホームランにする団長」という誉め言葉があった。そのとおり。
付け足しのように、森松さんを尋問した国の代理人①の態度は悪かった。高圧的かつ威圧的。
「2011年4月と6月時点で、京都や大阪の水道水が放射能汚染されていたかどうかを調べましたか。イエスかノーかで答えなさい!」
「権力を笠にしたデクの坊め!」心の声が僕の胸の内で反響した。
森松明希子さんは裁判官に訴える。
「子供でなかった裁判官さんはいないはずです。原告団の3分の1は未成年です。子供の人権侵害を認定してほしい。被曝の被害を矮小化しないでほしい。裁判所は人権を守る最後の砦のはずです」
心の中で拍手した。
母である明希子さんの願いは「ふつうの暮らし」である。
内部被曝におびえながら子供を育てる必要のない暮らし。
子供の甲状腺がん検査を気にする必要のない暮らし。
フレコンバッグがそばにない暮らし。
加害者が謝罪をして、被害者の心の傷が癒される暮らし。
裁判所で陳述しなくてもよい暮らし。
裁判支援のためのタオルを手放せる暮らし。
昼休み。退席しようとした傍聴人に呼びかけた原告がいた。菅野みずえさん。原告③さんの妻である。
いつもはにこやかに野良仕事や愛犬の散歩をしているみずえさん。原告席での表情が険しかった。気になっていた。
「私たちは東電と国からDV(ドメスティック・ヴァイオレンス)を受けているようなものです」みずえさんが声を絞り出した。
「フラッシュバックするんです。息が苦しくなるんです。どうか静かに応援してください。野次ではなく〈圧〉でお願いしたいのです」
そういうことだったのか。野次は原告に向けられたものではない。東電代理人①の質問内容に対するものだ。
だが、しかし、野次の声の鋭さがみずえさんの記憶に突き刺さる。
不規則に飛ぶ声は「悪意の響き」として、あの時の不安と苦悩を呼び起こす。
2011年3月14日午前11時1分、3号機が水素爆発。爆発音は浪江町津島地区まで届く。誰もいなくなった家でひとりで聞いた。
放射能が撒き散らかされたときのフライパンを空焼きしたような臭い。舌に感じる金気くさい味。
「あなたたちが逃げてきたから関西まで汚染が広がったのよ」と突き刺さった声が、不規則発言により蘇ったそうだ。涙が溢れ、キョロキョロして、ここは法廷なんだと確認した。
ここまで書いて気がついた。僕は書くことによって、またみずえさんを傷つけてはいないだろうか。
それでも書く。自分の想像力を研磨するために。
傍聴とは傍らで聴くことである。つまり当時者ではない。応援者は当時者にはなれない。
ならば、「傍らで聴く者」は想像力を最大限に発揮するのが礼儀だと僕は思う。
残念ながら、私たちの想像力の持続時間は短い。鈍磨していくのだ。
足が絡まる。足が絡まっても踊り続けるためにはどうすればいいのか。
当時者への想像力を鍛えていくしかない。
裁判は裁判官が原告と被告の言い分を傾聴して、法理にしたがい判決をくだすためにある。不規則発言は裁判官の心証を悪くするかもしれない、という想像力。
「東京では、こんな野次は飛ばない」と法廷を出ながら言っていた傍聴人がいた。
「皆さんはあの3月10日に続く今日を生きている。でも私たちは、あの3月11日を踏み越えて全く違った今日を生きている。今でもふいに3・11の記録に接すると、気持ちのコントロールがつかなくなります」(『菅野みずえさんのお話』より)
午後の法廷が始まった。
原告②のお名前は知らない。だが、その人が母親として望んだ「ふつうの暮らし」は理解できた。東電の代理人②によるネチネチとした個人情報の掘り起こしによって。
代理人②くんは背中に回した手が細かく動いていた。この弁護士は、もしかしたら原告側の代理人ではないか、という意見が報告会で出たほど、原告の置かれた理不尽な情況を浮き彫りにしてくれた。
この代理人のおかげで母の口惜しさ、無念さが法廷中に伝わった。森松明希子さんは泣いた。
「福島にひとりで残った(元)夫は愛犬を失って精神状態が悪化した。酒量が増えた。私は家族関係を修復したかった。父親にも関西に来てほしかった。だが来られなくなった。だから関西から福島に戻った。結局、離婚した」
彼女はチェルノブイリ事故から多くを学んでいた。
内部被曝に閾値はない、と僕は学んだ。3・11直後の小出裕章さんの講演会で。
「今の福島市の線量が安心だとは思っていない。心配しながら暮らすのは地獄。あの事故がなければ、私たち家族は幸せだった。家族団らんを返してほしい」
さて、原告③、菅野さん。生まれ育った浪江町への郷愁を述べる。
生まれ育った土とともに生きると決意したのに、「大地と人間の安定した関係」は失われた。真っ黒に日焼けした顔で淡々と答える。哀愁のようなものが漂ってくる。
傍聴とは法廷の空気感を共有することでもあるのだ。
「浪江町の人たちと暮らしたい、浪江町の暮らし方を優先したいと思って福島県中通りの桑折町(こおりまち)の仮設に入った。愛犬と一緒に住むことができたので」
菅野家の犬は松ちゃんと言った。被曝して死んだ。帰宅困難地域となった浪江町津島の家、桜の下に埋めた。
現在、菅野家が畑とともに暮らしている兵庫県の家には小鉄という新しい犬が来た。小鉄も保護犬である。菅野家は浪江町を思いながら農的生活を続けている。
東電代理人③は「時間つぶしの質問」をしていく。「あなたのご趣味はなんですか?」
「詳しくお答えした方がいいですか?」と裁判長に問う原告③さん。裁判長も苦笑して「時間がありませんから手短に」と言った。
「山登りです。あと釣りとか」
東京電力よ、山を登りながら山菜やキノコを採集できる「ふつうの暮らし」を返してくれ。
国よ、浜通りに面した大漁の海を返してくれ。透き通った川で苔を食む鮎を釣らせてくれ。
僕は菅野さんの気持ちを詳しく想像してしまった。彼はまだまだ余談がしたそうだった。「ふつうの暮らし」は余談に満ちている。
「当事者自身がアーカイブ」 というのは森松明希子さんの名言である。
当事者にはなれない、「共事者」としての応援団はアーカイブ(公文書)を補強するためのアンプ(増幅器)になるしかない。
主要参考書籍・資料
『白い土地 ルポ福島「帰宅困難区域」とその周辺』
(三浦英之/集英社クリエイティブ/2020年10月31日)
『いないことにされる私たち 福島第一原発事故10年目の「言ってはいけない真実」』
(青木美希/朝日新聞出版/2021年4月30日)
『原発事故は終わっていない』
(小出裕章/毎日新聞出版/2021年3月5日)
『こんど、いつ会える? 原発事故後の子どもたちと、関西の保養の10年』
(ほようかんさい/石風社/2021年11月30日)
『内部被曝の真実』
(児玉龍彦/幻冬舎新書/2011年9月10日)
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菅野みずえフェイスブック
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みずえさんの投稿から引用した部分があります。ご了承ください。
2022年6月17日最高裁は、原発賠償4訴訟(生業、群馬、千葉、愛媛)について、「国は原発事故による損害賠償責任を負わない」とする判決を言い渡し、国に責任ありとした3つの高裁判決を取り消しました。
三浦裁判官を除く多数意見の判決では「国が津波対策を指示していたとしても想定を超える大津波だったので原発事故は回避できなかった」から「国の責任は問えない」と結論づけました。結果回避可能性のみを論じて国の規制権限不行使を裁かなかったのです。
(原発賠償京都訴訟原告団資料より要約)
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