COVID-19は2019年の大晦日から始まった。丸3年が経過した。人間社会の分断は継続中、いや、むしろ非道い状態になっている。様々な医療者が、それぞれの経験値に基づいて見解を述べる。
インフォデミックのなかにあって、僕は寄りそう人を決めてきた。岩田健太郎さん。松江出身、島根医科大学卒業。忖度なしの感染症医。
「事実に敬意を」という彼の言葉に僕は敬意を表する。
一般に科学の世界において「これが正しい」と断言できるものは、ほとんどないんです。(中略)ただ断定はできないものの、「自分の欲望に仮説を寄り添わせてはならない」というのは大事な態度です。多くの人が自分のあからさまな、あるいは隠れた欲望を持っていて、その欲望を満足させるような意見を「科学的な正しさ」という意匠をまとわせようというややこしい議論を展開し、それを「理路」を勘違いしています。
『リスクを生きる』(内田樹・岩田健太郎/朝日新書/95頁)
8月13日に逝去した「がん放置療法」の近藤誠さんの本とそのカウンター本。
昨年の大晦日、〈#StayFarm〉という文脈レポートに「夢のように美しく現実のように確かな古希を迎えたい」と書いた。
今年の誕生日に書いたことは以下。
70年の生涯を振り返ると、(まだ先があるようですが)、18年間香川県坂出市で暮らし、4年間、東京都新宿区。そして48年間は大阪府箕面市に住んでいるわけです。ちなみに36年間、株式会社電通関西支社で口に糊していました。おかげさまで、新しい希望の年が始まります。「わたくしといふ現象」がどこまでありつづけるのかは「有機交流電燈」の灯り次第です。もうあまり早くは走れませんが、天地有機にしたがって歩くことができればいいな。
「動きに尺度を」とつくづく思う大晦日である。
尺度というか旗印はある。「住民代理店」という言葉だ。
1974年に電通に入社した同期の原田明(ボブ)が研修で提案した構想らしい。僕(フミメイ)はまったく記憶にございませんが。
以来、半世紀近くの時は流れて、住民代理店構想はつつましやかに実現しているような気もする。
「住民代理店」とは、かつて広告代理店で学んだスキルを活かして、世の中のために動いている人たちを応援する運動体です。ベースラインには「半農半X」があります。
僕は師走になって、朋友ボブと「活動計画」をすりあわせたとき、このような定義をした。
ボブは半農半X研究所が提唱した「半径3キロの宝物探し」というテリトリーで住民代理店を実行している。トングマン、自治会活動、さらには住民ラジオ局構想。
「ミニシパリズム(municipalism)・自治体主義」の実現を目指しているようにみえる。彼の属する〈中間組織〉は魅力的である。
ボブは8月21日にオンエアされた朝日放送制作の〈テレメンタリー〉に登場した。
「朋友~友好の橋を架けた青年たち」。
彼の父と僕の家族が深く関わりあっている満洲文脈研究は継続中である。
https://www.facebook.com/kifuuharada
一方、フミメイは半農半Xを実践するために「一人一研究所」として「田中文脈研究所」を立ち上げた。コンテキスター(文脈家)としての活動を続けている。
あっちの文脈がこっちでつながり、必然が偶然を呼ぶ。「いきあたりばっちり」の行動は住民代理店のクリエーティブセクションとしてのものだった。
僕が広告代理店で学んだスキルは情報発信である。感じることがあれば文脈レポートをしていく。本や映画やイベントに関して思うところを述べること。
告知よりも報告に力を入れる。文脈レポートを書くときは、一度、自分の胸の奥深いところを通してから吐き出す。いつの間にか、そんなやり方が習い性になっていた。
では、フミメイ住民代理店が応援する「世の中のために動いている人」とはいかなる人々なのか。端的にいえば「まつろわぬ民」である。
世の中はますます劣化していく。その劣化に抗する人々を応援する運動体として声を上げたい。
2月24日、ウクライナ侵略戦争開始。原発が攻撃対象となる。核兵器と同じく核発電所は安全保障上の脅威であることをあらためて世界に知らしめた。
「報道特集」の金平茂紀はすぐにウクライナ取材に行く。
7月8日、安倍晋三元首相が銃撃される。「ある宗教団体」としか報道されなかった背景が次第に明らかになってきた。
戦後民主主義を忌み嫌った劣化型元宰相の死は、さらに世の中の劣化を進めた。山上徹也の文脈は研究途上にある。
瑞穂の国記念小學院の跡地で当選を願ったのに。
報道と教育を権力に支配されたら大日本帝国に回帰する。
9月28日、国葬強行。直接民主主義としてのデモは力を持ち得ているのか。
12月16日、安全保障3文書の改訂を閣議決定。
専守防衛の「撃たぬ国」が安保法制で「撃てる国」になり、敵基地攻撃能力を持つことで、ついに「撃つ国」へ。
朝日新聞夕刊〈素粒子〉12月17日
抵抗する市民メディア「新聞うずみ火」はまつろわぬ。
12月23日、GX(グリーン・トランスフォーメーション)実現に向けた基本方針案」とりまとめ。Gは原発のG。
岸田政権が、原発を「最大限活用する」とした新方針をまとめた。想定せずとしていた原発の建て替えを進める。新設も検討する。60年を超えて運転出来るようにする。まるで話が違う。
そうでありながら「福島復興はエネルギー政策を進める上での原点」「事故への反省と教訓を一時も忘れず」といった文字が、臆面もなく新方針に並ぶ。
心にばつの悪さが生じると耳が赤らむ。そこから「恥」という字が出来たと、白川静さんの『常用字解』にある。「聞く力」の人の耳は、ほんの一瞬でも赤く染まっただろうか。そうでなければ、悲しすぎる。
朝日新聞〈天声人語〉12月24日
国宝・松江城から北へ8.5キロの島根原発2号機の再稼働も近づいている。やれやれ。
「原発をとめた裁判長」樋口英明さんの「私が原発を止めた理由」を学習する。
マス・メディアも劣化していく。金平茂樹も玉川徹も番組へのレギュラー出演はなくなった。朝日新聞は両論併記の傾向を深めていく。
社民党副党首・大椿ゆうこ氏 |
まつろわぬ民とは「抵抗する人」であり「同調圧力に屈しない人」である。
古事記には「摩都楼波奴人」と万葉仮名で表記されている。天つ神すなわちヤマト征服王朝に対抗した国つ神たちもまつろわぬエートスを持っていたと思われる。
僕は2022年、住民代理店として「まつろわぬ民ネットワーク」を応援していたのだと気がつく。関西が誇るリベラルな人々とつながっていったのだ。女性が多い。
ちなみに僕が採用しているリベラルの定義は人間の心を探究した経済学者、宇沢弘文による。
「リベラリズムとは、人間の尊厳を保ち、魂の自立を支え、市民的自由を守ること。政治的権力、経済的富、宗教的権威に屈することなく、それぞれが持っている先天的、後天的な資質を充分に生かし、夢とアスピレーションが実現できるような社会をつくりだすこと」
まつろわぬ民が集結したのは12月15日、高槻。
「風煉ダンス 朗読劇&ライブ まつろわぬ民2022 更地のうた」
集客の要となったのは福島県浪江町から避難している菅野みずえさん。11月20日、〈第11回さようなら原発1000人集会〉で「忘れてしまえば消える」と訴える。
そして、朋友ボブも来た。あの人も来た。この人も来た。
『原発は滅びゆく恐竜である』が遺言となった水戸巌さんのパートナー、水戸喜世子さん。
もういいかい。
まあだだよ。
ちっともよくありません。
更地のうたを聞いてください。
何も知らない生き物たちは遊んで眠って
野垂れ死んでいます。
もういいかい。
もういいよ。
諦めてはなりませぬ。
まつろわぬ民はまつろわぬのです。
時空を超えてまつろわぬ。
もういいかい。
まあだだよ。
まだです。
われらのカラダとココロは
まだ離ればなれです。
もういいかい。
まあだだよ。
いいはずがありません。
ヤマトは戦を好みます。
復興なんて上の空。
空にミサイル飛ばしたい。
もうもうもうもうもう
べこの雄叫びが廃寺を超える風に乗りました。
摂津の国に集結したまつろわぬ民は
みなさん、よき面構えでした。
僕は宣伝する。同名の本も一緒に。
谷町六丁目の隆祥館書店にはまつろわぬ作家が集まってくる。
4月23日、『あなたのルーツを教えて下さい』。安田菜津紀さん。
今年の夏、文脈家は堀越由美子さんに導かれて不思議な体験をした。僕はまだかろうじて鮎師であり続けている。ホームリバーは和歌山県龍神村。
そこには1945年5月5日に墜落したB29搭乗員の慰霊碑があり、地元の古久保健さんが鎮魂の営為を続けているという事実を初めて知った。まったくもって無知な住民代理店である。由美子ねえさんの「戦跡巡りミニツアー」にアップされた情報だ。
偶然の必然で僕は7月27日に殿原の慰霊碑前にいらっしゃった古久保健さんと会った。自著の『轟音~その後』を持ってもらった。
由美子ねえさんはドキュメンタリー映画『轟音』の上映会と古久保健さんの講演会を大阪で開催する。9月3日のこと。
由美子ねえさんと古久保健さんの志が通底した。
1945年原爆投下と敗戦から77年、1948年済州島4・3事件から74年、1960年反安保闘争から62年、1972年沖縄の日本再包摂から50年、2011年東日本大震災・福島原発事故から11年が過ぎた今、東欧では戦争が起きてしまいました。
地球環境破壊と核汚染は、もうこれ以上の猶予を許さない状態まで達しています。それなのに、この日本では堂々と戦争を仕掛けようとする輩どもが政権の座に着き、巷ではヘイト・スピーチとヘイト・クライムが横行し、貧困と差別が大手を振って罷り通っています。
だからこそ、今だからこそ、この映画を皆さんと一緒に見て、ともに考え、ともに感じ合い、そして「ともに生きる」道を求めたいと思い立ち、賛同人諸賢を募る次第でございます。
僕は文脈レポートを書く。
古久保健さんはとことん誠実な人柄だと見受けられる。鬼畜米英といわれた19歳の死者に当時小学2年生だった自分が放った石を生涯、背負っていかれるのだろう。その誠実の塊が今、思うこと。
この先、どうやって戦争体験を伝えていけばいいのか?
2022年夏は1945年夏と直結している。特に7月8日以降はショートカットされて、大日本帝国の亡霊が朝鮮半島と日本列島をさまよい歩いているようだ。歴史は修正されてはならない。なぜなら〈加害と被害〉の死者たちが永遠に存在しているから。
古久保健先生と殿原の祈りは、聞いたものが伝えていくしかない。
9月5日KCC会館、そのパギやんが『砂の器』をひとり芝居した。奥出雲をよく知っている僕は圧倒された。
会場には、もはや「いつもともに参加する」と言っていいような仲間がまた集まる。僕の前の席でずっと泣いていたのはキム・ホンソンさん。大姉・水戸喜世子さん、中姉・堀越由美子さんの妹分だとご自分で言っている。
『轟音』上映会では勝手に書籍販売員をしていた。
この文脈レポートのグループ写真群には、もう何度も登場している。
11月17日、僕は「キム・ホンソン〈いのち・人権・平和〉講座」(富田林MAPカフェ)に参加した。大いに感じるところがあって長文の文脈レポートを書いた。以下に一部を引用する。
僕はホンソンさんと同世代です。同じ時代の風を受けてきました。でも、あまりに知らないことが多すぎる。日々、勉強です。だから「いのち・人権・平和」講座に行きました。大阪国際大学で十六年間教え続けた「人権教育論」の再現でした。
「映像教材を見せるだけよ」とホンソンさんは言います。だけど、見せるための準備と見せた後の学生とのコミュニケーションを持続させるためにホンソンさんはどれほどの熱意と誠意をつぎ込んでいたことか。
「世界人権宣言」「基本的人権」「子どもの権利条約」と大学のシラバスには大きな言葉が並んでいたようです。でも、ホンソンさんは学生たちに言葉をそのまま伝えるのではなく映像という感性を刺激する教材で授業を組み立てました。
たとえば「孤独死」や「特別養子縁組」。偉そうな教授のおっさんであれば、なんとか法とか行政のあり方とか、板書して学生にノートを取らせたりするのでしょう。
映像とホンソンさんの語り。映像で涙してホンソンさんのあくまでも明るい声を聞きながら、学生たちは感想文を書いてメール送信したそうです。
涙する。ホンソンさんはとてもよく泣きます。何回も同じ映像を見ているのに、それでも泣きます。泣くというのは生きづらい「いのち」を生きぬくための技術なのかもしれません。ホンソンさんの授業を受けた学生たちもそれぞれの生きづらさを抱えていたようです。
先生自身の生きづらさを踏み台にした明るさに、今、しんどい学生たちが共鳴したのでしょう。
僕は講座に『キム・ホンソンという生き方』を持っていきました。再読すると付箋が林立します。
「(前略)考えてみると、まずはわたし自身が両手切断というアクシデントで、中学校生活を中断させられたことに対する無念の思いがあること。次に両親の姿を見ていること。日本の植民地下の朝鮮で、アボジは貧困ゆえに満足に教育を受けていないし、オモニは女の子だという理由で教育を受けさせてもらえなかったのです。私も両親も教育に対する〝恨(ハン)〟は深いのです」(六三頁)
ホンソンさんはカンコさんの長電話友達でもあるようだ。よく笑い、よく泣く。
「人生は、いつもちょっとだけ間にあわない」(是枝裕和)
1月5日。ドキュメンタリー映画『水俣曼荼羅』。
これはバディ映画だと言ったら原一男監督が納得してくれた。
2月10日。『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原真理)読了。
ロシアがウクライナに侵攻する直前に読了していた。カンコさんの出版記念イベントで初めてリアルに会った島元恵子さん(『君が死んだあとで』出演者)が教えてくれた本。
米原真理さんは1950年生まれ。享年56歳。もしかして近藤誠の「がん放置療法」を信奉していたのかもしれない。ウクライナ戦争が年を越す今、彼女がご存命なら何をどのように語っただろうか。
6月4日。『インディオの聖像』(佐々木芳郎)発刊記念イベントと「一日だけの写真展」。中之島公会堂にこだわったスペシャルな会。
いつも情報処理の方法論を教えてくれる写真家でありシェフの佐々木芳郎さん、出版おめでとうございます。
おや、ここにも見知った顔が。
おかげさまで望月衣塑子さんとの2ショットも撮らせてもらった。
8月9日ナガサキデー。「ダニー・ネフセタイさんが生野にやってくる!」(大阪聖和教会)
由美子ねえさん、もうひとつの渾身イベント。
まつろわぬユダヤ人とまつろわぬ福島県民、森松明希子さんにご挨拶できた。
廣島とヒロシマとひろしまには差異がある。「野に放たれた虎」(矢野宏)である宮崎園子さんが怒りのマシンガン・トークをした。
8月23日。『彼は早稲田で死んだ』と『記者襲撃』、樋田毅さんの2冊を読了。
元朝日新聞の樋田毅さんの著作。衝撃の事実が書かれている。来年、樋田さんに会えるかな。
引揚げ文学というものがある。読みなおしたくなる。事務局長の宮原信哉さん、縁脈に感謝です。
9月11日。「表現の不自由展」をようやく鑑賞できた。神戸元町。
ふたつの時間が流れる映画。古層の神々の文脈は深い。
10月8日。「劇団態変」芸術監督の金満里さん。丸善ジュンク堂でのトークショー。
小豆島に移住した庭師アーティスト、中井岳夫さんと土庄町地域おこし協力隊、森亜紀子さんの縁脈でつながった。
異文化の交差点『イマージュ』は定期購読中。
10月9日。韓国映画『雪国』。平井美津子さんアフタートーク。
故安倍晋三さん、杉田水脈さん、ひろゆきさん、美津子先生の声が聞こえましたか。
10月10日。『統一教会とは何か』(有田芳生)。ドーンセンターで隆祥館書店主催のトークイベント。
「山上徹也が2発目の引き金を引くときに発した言葉は〈かんつるこ〉」
マスメディアに流れない情報を聞く。
このイベント中にチャンヘン.さんが襲撃されたというニュースが入る。
「統一教会問題を反日嫌韓の文脈で語ってはならない」
有田さんの重要な指摘があった。
11月20日。伊丹マダン。マダンは広場。平和と自由の広場。
向かい風のなかで「ケサラ」を唄いきる川口真由美さん。
♪~命どぅ宝
私たちは諦めないよ
平和と自由と子供たちのために
今日も生きていくよ~
押さえ切れない怒り
こらえ切れない悲しみ
そんなことのくり返しだけど
決して負けはしないさ
ケサラ ケサラ ケサラ~♪
踊る実行委員会。
12月3日。みのお市民人権フォーラム。「斎藤幸平さんと考える〈現在・未来、そして人権〉」メイプルホール。
『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(ウバシカ本)を熟読中。腹の底に納めるべき言葉があった。
「〈自分は当時者ではないから発言をするのを控えよう〉というのは、一見するとマイノリティに配慮しているようで、単なるマジョリティの思考放棄である。それは考えなくても済むマジョリティの甘えであり、特権なのだ。そのようなダイバーシティでは、差別もなくならない」(216頁)
住民代理店たる僕もマジョリティであるのは間違いない。
僕は「共事者(きょうじしゃ)」になれるだろうか。
「語ることを〈真の〉当時者のみに限定すれば、大多数の人は考えることもしなくなる」(180頁)
さて、「住民代理店」であった。その旗印を俯瞰して新年を迎えよう。ボブとフミメイには、半農半Xに加えて、もうひとつのベースラインがある。
「戦後民主主義」というものだ。その誕生は1952年4月28日とする説もある。サンフランシスコ講和条約が発効された日。
僕たちは、その直前に生まれた「ラスト・オキュパイド・チルドレン」である。
良くも悪くも「戦後民主主義という経験」(山本明宏)を積んで育ってきた。ここは断言してもいい。
戦後民主主義がノスタルジーでない証拠に「住民代理店」は「誰かのために何かをしたい」という志を持続している。きっと、たぶん。
ただし、戦後民主主義には欠落した部分があった。マイノリティへの想像力。在日コリアン、沖縄、部落、障がい者……。
そして今は、想像力の欠如が3・11の更地化を後押ししている。
ジェンダーなどは意識外にあった広告会社員、フミメイはジタバタしながら住民代理店に脱皮しようとしているのではなかろうか。
古希を迎えても、まだ断言できないのが情けない。だが、しかし、こんな世の中を子供たちに遺して死にたくはない。歴史から学ぶことはたくさんある。ありすぎる。
大日本帝国の亡霊を駆逐したい。そのために今日できることは今日やりたい。
来年の大晦日には「そんな時代もあったねと」笑って話せる年になりますように。
田中文脈研究所の年末レポートには何度も同じメッセージを書いたのですが、ほんとにほんまに来年こそは!
それでは、みなさん、良いお年を。
※お詫びです。今年、僕と邂逅した人に対して、「どこかでお会いしましたか?」という失礼な問いかけをしてしまったことが多かったと思います。すみません。最近、人の顔と名前が一致しないし、すぐに忘れてしまうのです。ごめんなさい。また会って、また同じ問いかけをしたら、さらに申し訳ございません。
※一部の写真をフェイスブック友達からお借りしました。感謝です。
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