夢のようにもわっとして、現実のように確かに2021年が過ぎ去った。
なにか「もわったしたところ」にウイルスが漂っている、と見抜いたのは理論疫学者の西浦博だった。「三密」という言葉が誕生したのは2020年3月中旬。
僕が『新・出雲國まこも風土記~人とまこものケミストリー』を上梓した頃だった。
COVID-19も、また確かに年を越そうとしている。毎年恒例、年間のタイムラインを整理していたら、もわもわ感はいやましてくる。この一年間、動くか動かないかの判断は常に悩み多き日々であった。
それは仕方がない。僕はSARS-CoV-2のサイレント・キャリアにはなりたくなかった。無症状のままウイルスを運ぶ可能性を否定できない以上、動きは止めた。
「医療資源を切る改革」を蛮行する維新の皆様が跋扈している箕面市民でもあるので。
なので、動くことをエネルギー源としているコンテキスター業務は滞る。
確かなのは、意地の〈StayFarm〉を持続したこと。
ステイだのホームだのと言われても、僕はよく訓練された犬のようにはなれなかった。
ならば、もわっとしていない野に出る。風が吹きとおる畑にウイルスが漂うことはない。
原則として畑でマスクはしない。もちろん畑友達と挨拶はする。ただし社会的あるいは畑的距離は確実に2メーター以上あるからだ。
そもそも畑は野良仕事をする場であり井戸端会議をするところではない。
畑友達との人間関係は不思議なもので、顔と何をどうつくっているかはすぐに認識できるが、名前をインプットできない。最初に聞いているのだが、すぐ忘れてしまう。これはマイファーム箕面1号農園時代からそうだった。
2021年12月現在、僕の畑は勝尾寺旧参道のそばに2箇所ある。
「フミメイファーム」
「フミが池農園」
ふたつの畑を合わせて64平米。つまり、僕は0.64畝百姓である。半農半X家としては充分な広さを確保している。というか、これ以上はできない。鍬とジョーレンで畝をつくる限界値。なにしろ僕は「下り坂をそろそろと下る」途上にあるのだから。
問題があります。
これらの畑の真上を通る道路計画がある。国文都市4号線(第2区間)。箕面市彩都という国際文化公園都市からの災害用避難道として、10メートル幅の道を通したいそうだ。
ああ、「今だけ金だけ自分だけ」。この豊かな景観と農地はなにものにも代えがたいと思うのは僕だけなのか。2023年度に予定されている北大阪急行延伸工事の完成に合わせて、「我らが田畑」は潰されるのかもしれない。
この一帯は「善福寺ガ原」という昔からの農地だと箕面市議のますだ京子さんが教えてくれた。
〈#StayFarm2021〉の文脈を続けよう。
ハッシュタグ・StayFarm は半農半コンテキスターの旗印となった。
今年、僕のフェイスブック投稿は〈#StayFarm〉で溢れている。
農的生活というのは循環の美学だと僕は思う。
コロナ禍のなかでも、畑は循環できた。美しい、と自賛自笑してみよう。
2021年8月8日 |
箕面キンカントマト・プロジェクトについては2016年9月に書いた。
「キンカントマト物語(フミメイ版)」
https://bunmyaku.blogspot.com/2016/09/blog-post.html
「北摂の在来種」として名を馳せたキンカントマトであったが、2018年に野口種苗研究所の野口勲さんに相談した結果、新しい見解が示された。以下、『マイファームつくる通信2018年10月号』への拙寄稿を転載する。
今年の話題はキンカントマトの由来について新しい説が浮上したこと。
きっかけは私が野口種苗研究所の野口勲さんとキンカントマトの由来について話し合ったことでした。
野口さんの説によると「キンカントマトの元は在来種ではなく、交配種(F1種)のこぼれタネが野生化したものを繋いでいるのではないか」というもの。
キンカントマトプロジェクトは北摂(大阪北部)で村のおばあちゃん達が繋いできた「在来種」のタネを後世にパスしていこう、そんな思いから2013年に発足したものです。
ここで「交配種」と「在来種」のおさらいをしておきましょう。
現在の野菜はほとんどが交配種です。異なる形質を持つ母親と父親を掛けあわせてつくったもので、F1(First filial generation)つまり「一代雑種」とも呼ばれます。生育が早く形がそろい流行の味にあわせることができる栽培しやすい野菜です。みなさんがホームセンターで買うタネや苗はほとんどが交配種だと思っていいでしょう。
ただし、雑種なのでタネを取って次の年に育てても同じ形質を持つ野菜ができるとは限りません。そこで交配種の場合は毎年、新しくタネや苗を買う必要があります。
様々な交配種が開発される前の野菜は「在来種」と呼ばれていました。在来種とは農民が自家採種を続けてきて地域に何世代にも渡って伝承し、品種名で共通認識される伝統野菜です。在来種は遺伝的には「雑駁(ざっぱく)」で生育が一定でないこともあるようです。その在来種を選抜し続けて毎年、同じ形質の野菜ができるようになったら「固定種」と呼ばれます。
野口種苗研究所は日本で唯一、固定種だけを扱うタネ屋さんです。その野口勲さんの見解は傾聴に値するものです。元が交配種だったとすれば、キンカントマトの形質がばらばらになるのも納得できます。野口さんは「キンカントマトを現状では在来種と呼ぶことはできない」と言います。
新しい説を確認しましょう。昭和30年(1955年)頃に日本のトマトは交配種が全盛となっていきます。その交配種トマトのどれかが野生化したものをおばあちゃんがタネ取りをして愛おしんできました。その志を市民農園ファーマーが受け継いだのです。
事実として、キンカントマトのタネはもう60年以上、繋がっています。この先も北摂のみならず各地でタネを繋いでいけば、晴れて「キンカントマトは(それぞれの地域の)在来種」と言える日が来るかもしれません。
「キンカントマトの未来に幸多からんことを祈ります」
野口勲さんからキンカントマトプロジェクトへ素敵なメッセージが届きました。
「市民農園発、未来の在来種!」これはもう新しい物語の始まりです。
私たちは今年も来年もタネを取り続けていきます。
(箕面1号農園・元ユーザー 田中文夫)
それから、3年の歳月が流れた。キンカントマト起源情報に進展はないのか。
キンカンプロジェクト発足メンバー、芦田寒吉さんの発見である。
『農業世界』1929年(昭和4年)8月号掲載。
「金柑トマトのつくり方」長島喜一(埼玉)。
満洲事変の頃、埼玉と大阪では「きんかん」と呼ばれるトマトが栽培されていた。そのことは歴史的事実なのだろうか? 謎は解明されていない。
「ステイの時代」になると、ものごとは停滞する。正直、あれこれ停滞している。
さらに、情報が届いた。前掲の田中文脈研究所〈キンカントマト物語(フミメイ版)〉のコメント欄に2021年11月22日に投稿があった。
64歳の元教員です。現在伏見区に住んでいますが育てのおばあさんが兵庫県の三日月と言うところにふるさとがありお盆の頃に連れてもらったことがあります。今から約60年ほど前のことなので記憶が薄れてきていますが小川でドジョウをとったことを覚えています。その川に行く途中で畑の脇に自生しているトマトを食べたことが鮮烈に蘇って来ました。小さいトマトなので何て言うのと私が聞いたところ地元のおばさんはキンカントマトやでと言っていました。北摂と三日月は直線距離にしてそんなに遠い訳ではないのでその頃にはあったということではないでしょうか。(unkown)
unkownさん、投稿ありがとうございます!
もし、本稿を読まれていたら連絡先を教えてください。もう少し情報交換したいです。
2021年5月3日キンカントマト定植 |
さて、野口勲さんと縁脈がつながったことで、必然的に僕の畑は「野口のタネ畑」になっていった。
タネ採り百姓をやっていると面白いことも起きてくる。白菜は2010年10月にニワカ百姓になって以来、秋冬の定番アイテムだ。鍋奉行なので。
2020年冬、同じ松島新二号なのに、ひとつだけ巨大化した。食う気にならないほどでかいので放置した。
でも、白菜が大根にはならない、とも教わった。
しかしながら……。
2021年秋、巨大白菜から取ったタネから育った白菜は、ミズナ白菜やタカナ白菜としか呼びようのない白菜となった。白菜畝で存在感を誇っている。食う気にはならない。
野口種苗研究所自慢のみやま小かぶは確かに旨い。甘い。
生で食べるとフルーツのようだ、と次男のお嫁ちゃんが言ってくれた。隠岐の粗塩と小豆島のオリーブオイルで食す。
茹で落花生は栽培者にしか食えない。落花生は収穫後、すぐに殻が固くなるので、その日のうちに茹でる必要がある。おいちいよ。
落花生にも根粒菌ができる、というのが今年の発見のひとつなのだ。
自家採種タネでキンカントマトの次に大切にしているのが、狩留家(かるが)茄子。広島在来の白茄子だ。たぶん2016年以来、タネをつないでいる。野口のタネにはない。
あとは畑の点描をしてみよう。
赤オクラ。2019年5月にぐりぐりマルシェで苗をもらってからつないでいる。秋の畑を彩る。
根本的な質問がくるときがある。なぜ畑でマコモが育っているのか。
答は単純です。マコモが育ちそうだから、フミが池農園を契約したのです。
2018年5月15日。大円棚田からやってきたファーストまこもさん。
畑の水路と崖の間は、踏むとじゅくじゅくしていた。田んぼのように湛水はできないが常に潤っているスペースなら、まこもが生きていけるはず。
そのとおりだった。フミが池農園で最初に育った作物はマコモである。
以来、真菰はフミが池農園の守り神になった。春夏秋冬、様々な顔を見せながら、風に吹かれて「あやあや」と語りかけてくる。
ようやく、ゆっくりとコンテキスター業務を再開しつつある。
2021年11月29日、月山冨田城 |
僕にとって、#StayFarm は日々の楽しみであるが、こうして、つらつらと超ロングブログを書いていると、それもまた楽しい。
2022年は #StayContexter の旗も風にたなびく年にしたいな。
文脈をつなぐ、という行為は関係性のなかでしか成立しない。
新型コロナウイルスは人間関係を分断した。人と人、人と社会の距離を遠ざけた。
ビヨンド・コロナの時代には、なんとかして、間を詰める行為が必要になってくる。
関係性の再構築のために、まずは隣にいる人を確認しておきたい。
以下、今年、僕が寄り添った人たちである。
4月25日・箕面。わんこPがやってきた。
7月12日・箕面。うちのまこもさんと。
7月25日・坂出。51年ぶりに丸亀高校同級生と。8月5日に坂出の家とはお別れした。
11月15日・綾部。定番となった盟友ボブとの2ショット。綾部の聖地、一本檜と地蔵にて。
10月23日・綾部。広告会社でインターネットの獣道をともに歩んだへいちゃんと。マルシェで拙著の宣伝もね。
10月23日・綾部。縁脈がつながった半農半グラフィックの猫さんと。
10月24日・箕面。地元、箕面山で。トランジションひでさんと。
11月28日・境港。境港市民図書館の高橋真太郎さんと。司書は執筆の友。
実は、今年、僕の視線には大きな変化があった。3月に両目の手術をした。白内障と黄斑前膜。くっきりと見え方が変わった。裸眼で歩けた。小学生以来のこと。
2021年3月29日 |
古き善きアナキストのように、しなやかにしたたかに来年も生き抜きたい。
夢のように美しく、現実のように確かな古希を迎えたい。
2021年12月12日 |
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