2010年6月30日に電通関西支社を早期退職した。クリエーティブ・ディレクターというものをやっていた。58歳。心はふわふわと宙に浮かんだ。
送別会でiPhone4を背負わされた。これからは「コンテキスター」(造語)としてコンテキスト(文脈)をつないで情報発信したい。そんなミッション・ステートメントをしていたので部員たちがプレゼントしてくれた。
十年はひと昔ではなく、はるかな昔のような感覚になっている。
世界は変わった。あっ、この表現は3・11直後によく使っていた。
2011年3月11日以降、浮かんでいた心は彷徨い始めた。
極私彷徨を続けて8年、その半分、4年の歳月をかけて2019年3月13日、『コンテキスター見聞記~半農半Xから国つ神へ』という本を自費出版して、心と身体は着地したつもりだった。
ところが。2020年、うるう年の2月29日の頃から、また世界は変わってしまった。
自然環境から引き出されたといわれる「新型コロナウイルス」(SARS-CoV-2)によるパンデミックが全世界を覆う。
そのウイルスによる感染症はCOVID-19とネーミングされた。
COは「corona」、VIは「virus」、Dは「disease」、19は感染者が報告された2019年。
5月31日に開催予定だった「第十一回全国まこもサミット@出雲」の中止を実行委員会として決定したのは3月31日。
2年越しで目標としていた出雲での全国まこもサミットが開催できていたら、コンテキスター稼業も少しは楽な方へ変わったかもしれない。
でも世の中の方が「新しい生活様式」というもので変わってしまった。
関係性の距離感が一変した。
半農半X研究所主任研究員と田中文脈研究所コンテキスター・フミメイを併記した名刺を持ち始めたのは2013年の6月だった。以来、この名刺でどれだけの縁脈をつないできたことか。Xとはクロス、関係性のことでもある。
CoV-2と「ともに生きる」、その関係性をどのようにヴァージョン・アップしていくのか、世界中で科学者と表現者が模索をしている。まだ先は見えない。世界の感染者数は1200万人に達した。死者は54万人。7月9日現在、パンデミックは続いている。
イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノは『コロナの時代の僕ら』というコロナ文学の先駆けとなったであろう本で「感染症とは僕らのさまざまな関係を侵す病だ」と喝破した。
「ある種の状況下ではあきらめることが唯一の勇気ある選択だ」とも述べている。
そして、「コロナウィルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」のリストをつくり始めた。
先が見えないときは見えている過去を振り返ろう。
十年、何をしてきたのか。走り続けた。見て聞いて書いた。
十年で6冊の本と関わった。結局のところ、大学生の頃に所属していた「出版事業研究会」でやり遺したことを36年の電通生活を経て、実行に移したということだったのか。
『愛だ!上山棚田団~限界集落なんて言わせない!』(協創LLP出版プロジェクト)
2011年6月25日。発行/吉備人出版。
『上山集楽物語~限界集落を超えて』(英田上山棚田団出版プロジェクトチーム)
2013年12月24日。発行/吉備人出版。
この2冊はプロジェクトメンバーとして関わった。
最初の本が2012年、第25回ブックインとっとり地方出版文化功労賞奨励賞を受賞したことにより、僕の出版縁脈は一気に拡がっていく。
岡山の美作上山、すなわち山陽から「山の陰」山陰に活動拠点を移していくきっかけともなった。
山陰の知の地域づくりネットワーク、今井書店とのつながりは、僕の(ひとり)出版プロジェクトを支えてくれた。
『消えた街』
2015年3月26日。発行/田中文脈研究所、発売/今井出版。
1945年8月15日に消えた「満洲國」を舞台にした家族小説。自費出版。
『出雲國まこも風土記』
2016年10月1日。発行/里山笑学校、発売/今井出版。
島根の半農半Xを取材しているうちに出雲國風土記にも登場する植物、まこもについて書いてくれませんか、と依頼された。久々のクライアント仕事。
『コンテキスター見聞記~半農半Xから国つ神へ』
2019年3月13日。発行/田中文脈研究所、発売/ボイジャープレス。
2015年から島根県の全県取材を始めた。志の高い半農半X者を描くルポルタージュがメインコンテンツ、のつもりだったが、結果的には「出過ぎた自分史」になった。
2010年から8年間の見聞記。この本に書いたことは本稿では繰り返さない。
立ち読み版のQRコードはこちら。よろしければ、著者直販でお願いします。
『新・出雲國まこも風土記~人とまこものケミストリー』
2020年3月13日。発行/里山暮らし研究所、発売/今井出版。
『出雲國まこも風土記』はおかげさまで好評だった。紙本は2000部印刷したが、完売。
Amazonの古書市場では8千円になっている。お求めは電子書籍で。
版元に増刷を呼びかけたところ、続篇を発注された。書いているうちに、「続」ではなく「新」と名づけたくなる。まこもに関する総合的な博物誌は今のところ本書以外にはない。
残念なのは、全国まこもサミットが開催できなかったこと。本書はリアルイベントで完結するはずだったのに。まだ円は閉じていない。
書くという行為は頭だけでは完結しない。一次資料を探して、先人の知を読んで、現場に行き、取材をする。ときには現場で農的作業をしてから書く。指はキーボードを叩き、掌はマウスを保持する。指の移動距離だって相当なものになるのだ。
十年間で愛車の走行距離は20万キロ、地球5周分を走った。そろそろフミメイ号もリタイヤの時期が来ている。
6冊の本と関わる間にiPhoneは6台目となった。
6月29日、歯医者に行った。また歯を一本失うことになる。この十年で何本、歯を失ったことか。
でも、文化を失うよりはましだ。
「私は彼らを見棄てはしません」とドイツの文化メディア担当相、モニカ・グリュッタース氏は言った。
「文化は時代が好調な時にだけ許される贅沢品ではない。それを欠く生活がいかに味気ないかを、私たちは今、目のあたりにしている」
これは2020年3月11日付、ドイツ政府広報での発言である。
COVID-19による私権の制限要請を出さざるを得なかったドイツ。メルケル首相は政府を挙げて文化を含む生活の救済措置を実行した。
一方、同じく第二次世界大戦で敗戦した列島の国では、自己責任である自粛、補償されない休業が要請された。
同調圧力の嵐。国民に寄りそわない「虚無」の言葉を発する宰相。責任はあるけど取らない態度を固持している。
この国では図書館も映画も演劇もライブコンサートも、文化の血流を止められてしまった。不要不急なものとされてしまった。
徐々に再開しつつあるものの、一度、止められたものを復活するのは容易なことではない。
文化が、どのような情況においても「生きるために必要不可欠なもの」とされている国と「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンがまかりとおっていた国では、社会的共通資本としての文化の厚みが違ってくると思われる。
文化というものは適度な距離感をもった寛容な関係性に支えられているのかもしれない。ところが、世界は「社会的距離」により制約をかけられてしまった。適度な距離感には密着も含まれている。本来、関係性の距離は個々人の多様な判断にゆだねられるべきなのだろう。
文化とは何か? たとえば祭り。究極の密着。
文化とは何か? たとえば町の本屋。本と人の出会いを支える毛細血管。
文化とは何か? たとえば映画。『ニューシネマパラダイス』。時代を共有する映画館。ちなみにイタリアでなぜあれほど感染が拡がったのか、今、観たらよく分かる。
僕の脱藩十周年は動きを止める年となった。夏越の祓という折り返しを過ぎても先行きは不透明だ。COVID-19は「虚偽(いつわり)」の感染症。ウイルスを持っているのに症状が出ないことがある。自分が「サイレント・キャリア」かもしれないという不安から、誰も逃れられない。まことに厄介なことである。
それでも、やっぱり十年は区切りだと思う。コロナ禍があってもなくても、僕も次の十年への道筋を考えるときに来ている。
まずは、原点に戻ってみよう。2010年6月30日のミッションシート。
自分の生活をOUTDOORとINDOORに分割しているのが、幼い感じがする。十年経った今なら、ふたつの文脈は融合しているのがよく分かってきた。
外で身体が動かなくなったら、内で頭脳もよく回らなくなる。
外で動き続けた方が頭脳にもよいことは分かっているが、思うように動けなくなる。
それはCOVID-19のこともあるが、純粋に老体になっているという冷厳な事実とも向き合わないとおかしなことになる。
衰えている。あきらかに。あたりまえに。
なにしろ10年間、キーボードと対峙しつつ鍬と鎌と刈払機と9メートルの鮎竿を持ち続けてきたのだから。右足はフミメイ号のアクセルとブレーキを踏み続けた。
歳を重ねるという現象は0歳児から100歳まで、平等に確実に生じてくる。
僕よりも三歳年上の団塊世代は、一生、三歳年上で、その関係性は変わることはない。
ミッションシートの中で「調理師免許取得」というのは大嘘だったとしても、他のことは、まあそこそこに、というところだろうか。
ただし、「ラスト・オキュパイド・チルドレン」“Last Occupied Children”という世代論は、まだ文脈研究が終了していない。
これは一生かかると思われる。「最後の占領された子供たち」としての後始末をして逝けたらいいのだけど、こればかりは分からない。
原点をチェックしたら「老境の後退戦」(内田樹)において「下り坂をそろそろと下る」(平田オリザ)ための方法論を考えておこう。
「もはや、自分は成長せず長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ」
これは平田オリザさんが「あたらしい〈この国のかたち〉」を描くときに、「がっきと受け止めねばならない三つの寂しさ」について示したことの応用である。
68歳を過ぎても、まだ心身が成長するという現実はないとしても、ときどきは成長幻想にとらわれることもある。だから、ときどき山の神に「あんた、いくつだと思ってるの」と問い詰められる。
下り坂は寂しい。だから国も人も虚勢を張りたくなるときがあるのだろう。
下り坂を下るときに足をくじかないためのネガティブ・チェックだけはしておきたい。
ここは、脱藩以来、ずっと敬愛してきた内田樹先生に寄りそって。
僕は、もう何にもなれないとしても「老いた幼児」としての不機嫌な老人にだけはなりたくない。
どうやら次の十年は「気まずい共存」となりそうである。
老いていく心身との「気まずい共存」。
虚無化していく政治的文脈との「気まずい共存」。
そして、新型コロナウイルスとの「気まずい共存」。
せめて機嫌よく、そろそろとオロオロと下り坂を下りていこう。
自粛ではなく、まずは自分を律し自分で立って、自律して自立した十年間が送れますように。これは大地に戸籍をもつ神々、国つ神にお願いするしかないかな。
2020年、コロナ禍の父の日には家族を背負うTシャツをプレゼントされた。いやその、家族に背負われる日が来るのも近いはずなんだけど。
書き始めると、やっぱり、ロングエントリーになってしまいます。
読んでくれて、ありがとうございます!
十年目の田中文脈研究所、新たなスタートです。
送別会でiPhone4を背負わされた。これからは「コンテキスター」(造語)としてコンテキスト(文脈)をつないで情報発信したい。そんなミッション・ステートメントをしていたので部員たちがプレゼントしてくれた。
十年はひと昔ではなく、はるかな昔のような感覚になっている。
世界は変わった。あっ、この表現は3・11直後によく使っていた。
2011年3月11日以降、浮かんでいた心は彷徨い始めた。
極私彷徨を続けて8年、その半分、4年の歳月をかけて2019年3月13日、『コンテキスター見聞記~半農半Xから国つ神へ』という本を自費出版して、心と身体は着地したつもりだった。
ところが。2020年、うるう年の2月29日の頃から、また世界は変わってしまった。
自然環境から引き出されたといわれる「新型コロナウイルス」(SARS-CoV-2)によるパンデミックが全世界を覆う。
そのウイルスによる感染症はCOVID-19とネーミングされた。
COは「corona」、VIは「virus」、Dは「disease」、19は感染者が報告された2019年。
5月31日に開催予定だった「第十一回全国まこもサミット@出雲」の中止を実行委員会として決定したのは3月31日。
2年越しで目標としていた出雲での全国まこもサミットが開催できていたら、コンテキスター稼業も少しは楽な方へ変わったかもしれない。
でも世の中の方が「新しい生活様式」というもので変わってしまった。
関係性の距離感が一変した。
半農半X研究所主任研究員と田中文脈研究所コンテキスター・フミメイを併記した名刺を持ち始めたのは2013年の6月だった。以来、この名刺でどれだけの縁脈をつないできたことか。Xとはクロス、関係性のことでもある。
CoV-2と「ともに生きる」、その関係性をどのようにヴァージョン・アップしていくのか、世界中で科学者と表現者が模索をしている。まだ先は見えない。世界の感染者数は1200万人に達した。死者は54万人。7月9日現在、パンデミックは続いている。
イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノは『コロナの時代の僕ら』というコロナ文学の先駆けとなったであろう本で「感染症とは僕らのさまざまな関係を侵す病だ」と喝破した。
「ある種の状況下ではあきらめることが唯一の勇気ある選択だ」とも述べている。
そして、「コロナウィルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」のリストをつくり始めた。
僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。数々の真実が浮かび上がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなることだろう。もしも、僕らが今すぐそれを記憶に留めぬ限りは。
僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを。
『コロナの時代の僕ら』(パオロ・ジョルダーノ)
先が見えないときは見えている過去を振り返ろう。
十年、何をしてきたのか。走り続けた。見て聞いて書いた。
十年で6冊の本と関わった。結局のところ、大学生の頃に所属していた「出版事業研究会」でやり遺したことを36年の電通生活を経て、実行に移したということだったのか。
『愛だ!上山棚田団~限界集落なんて言わせない!』(協創LLP出版プロジェクト)
2011年6月25日。発行/吉備人出版。
『上山集楽物語~限界集落を超えて』(英田上山棚田団出版プロジェクトチーム)
2013年12月24日。発行/吉備人出版。
この2冊はプロジェクトメンバーとして関わった。
最初の本が2012年、第25回ブックインとっとり地方出版文化功労賞奨励賞を受賞したことにより、僕の出版縁脈は一気に拡がっていく。
岡山の美作上山、すなわち山陽から「山の陰」山陰に活動拠点を移していくきっかけともなった。
山陰の知の地域づくりネットワーク、今井書店とのつながりは、僕の(ひとり)出版プロジェクトを支えてくれた。
『消えた街』
2015年3月26日。発行/田中文脈研究所、発売/今井出版。
1945年8月15日に消えた「満洲國」を舞台にした家族小説。自費出版。
『出雲國まこも風土記』
2016年10月1日。発行/里山笑学校、発売/今井出版。
島根の半農半Xを取材しているうちに出雲國風土記にも登場する植物、まこもについて書いてくれませんか、と依頼された。久々のクライアント仕事。
『コンテキスター見聞記~半農半Xから国つ神へ』
2019年3月13日。発行/田中文脈研究所、発売/ボイジャープレス。
2015年から島根県の全県取材を始めた。志の高い半農半X者を描くルポルタージュがメインコンテンツ、のつもりだったが、結果的には「出過ぎた自分史」になった。
2010年から8年間の見聞記。この本に書いたことは本稿では繰り返さない。
立ち読み版のQRコードはこちら。よろしければ、著者直販でお願いします。
2020年3月13日。発行/里山暮らし研究所、発売/今井出版。
『出雲國まこも風土記』はおかげさまで好評だった。紙本は2000部印刷したが、完売。
Amazonの古書市場では8千円になっている。お求めは電子書籍で。
版元に増刷を呼びかけたところ、続篇を発注された。書いているうちに、「続」ではなく「新」と名づけたくなる。まこもに関する総合的な博物誌は今のところ本書以外にはない。
残念なのは、全国まこもサミットが開催できなかったこと。本書はリアルイベントで完結するはずだったのに。まだ円は閉じていない。
書くという行為は頭だけでは完結しない。一次資料を探して、先人の知を読んで、現場に行き、取材をする。ときには現場で農的作業をしてから書く。指はキーボードを叩き、掌はマウスを保持する。指の移動距離だって相当なものになるのだ。
十年間で愛車の走行距離は20万キロ、地球5周分を走った。そろそろフミメイ号もリタイヤの時期が来ている。
6冊の本と関わる間にiPhoneは6台目となった。
6月29日、歯医者に行った。また歯を一本失うことになる。この十年で何本、歯を失ったことか。
でも、文化を失うよりはましだ。
「私は彼らを見棄てはしません」とドイツの文化メディア担当相、モニカ・グリュッタース氏は言った。
「文化は時代が好調な時にだけ許される贅沢品ではない。それを欠く生活がいかに味気ないかを、私たちは今、目のあたりにしている」
これは2020年3月11日付、ドイツ政府広報での発言である。
COVID-19による私権の制限要請を出さざるを得なかったドイツ。メルケル首相は政府を挙げて文化を含む生活の救済措置を実行した。
一方、同じく第二次世界大戦で敗戦した列島の国では、自己責任である自粛、補償されない休業が要請された。
同調圧力の嵐。国民に寄りそわない「虚無」の言葉を発する宰相。責任はあるけど取らない態度を固持している。
この国では図書館も映画も演劇もライブコンサートも、文化の血流を止められてしまった。不要不急なものとされてしまった。
徐々に再開しつつあるものの、一度、止められたものを復活するのは容易なことではない。
文化が、どのような情況においても「生きるために必要不可欠なもの」とされている国と「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンがまかりとおっていた国では、社会的共通資本としての文化の厚みが違ってくると思われる。
西欧の社会保障、生活保障の中には、きわめて当たり前に「文化へのアクセス権」が含まれている。(中略)公立の劇場や美術館には、学生割引や高齢者割引、障害者割引があるのと同様に、当然のように「失業者割引」が存在する。低所得者向けの文化プログラムを持っている施設も多数ある。『下り坂をそろそろと下りる』(平田オリザ)
文化というものは適度な距離感をもった寛容な関係性に支えられているのかもしれない。ところが、世界は「社会的距離」により制約をかけられてしまった。適度な距離感には密着も含まれている。本来、関係性の距離は個々人の多様な判断にゆだねられるべきなのだろう。
文化とは何か? たとえば祭り。究極の密着。
文化とは何か? たとえば町の本屋。本と人の出会いを支える毛細血管。
文化とは何か? たとえば映画。『ニューシネマパラダイス』。時代を共有する映画館。ちなみにイタリアでなぜあれほど感染が拡がったのか、今、観たらよく分かる。
それでも、やっぱり十年は区切りだと思う。コロナ禍があってもなくても、僕も次の十年への道筋を考えるときに来ている。
まずは、原点に戻ってみよう。2010年6月30日のミッションシート。
自分の生活をOUTDOORとINDOORに分割しているのが、幼い感じがする。十年経った今なら、ふたつの文脈は融合しているのがよく分かってきた。
外で身体が動かなくなったら、内で頭脳もよく回らなくなる。
外で動き続けた方が頭脳にもよいことは分かっているが、思うように動けなくなる。
それはCOVID-19のこともあるが、純粋に老体になっているという冷厳な事実とも向き合わないとおかしなことになる。
衰えている。あきらかに。あたりまえに。
なにしろ10年間、キーボードと対峙しつつ鍬と鎌と刈払機と9メートルの鮎竿を持ち続けてきたのだから。右足はフミメイ号のアクセルとブレーキを踏み続けた。
歳を重ねるという現象は0歳児から100歳まで、平等に確実に生じてくる。
僕よりも三歳年上の団塊世代は、一生、三歳年上で、その関係性は変わることはない。
ミッションシートの中で「調理師免許取得」というのは大嘘だったとしても、他のことは、まあそこそこに、というところだろうか。
ただし、「ラスト・オキュパイド・チルドレン」“Last Occupied Children”という世代論は、まだ文脈研究が終了していない。
これは一生かかると思われる。「最後の占領された子供たち」としての後始末をして逝けたらいいのだけど、こればかりは分からない。
原点をチェックしたら「老境の後退戦」(内田樹)において「下り坂をそろそろと下る」(平田オリザ)ための方法論を考えておこう。
「もはや、自分は成長せず長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ」
これは平田オリザさんが「あたらしい〈この国のかたち〉」を描くときに、「がっきと受け止めねばならない三つの寂しさ」について示したことの応用である。
一つは、日本は、もはや工業立国ではないということ。もう一つは、もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。そして最後の一つは、日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。
『下り坂をそろそろと下る』(平田オリザ)
68歳を過ぎても、まだ心身が成長するという現実はないとしても、ときどきは成長幻想にとらわれることもある。だから、ときどき山の神に「あんた、いくつだと思ってるの」と問い詰められる。
下り坂は寂しい。だから国も人も虚勢を張りたくなるときがあるのだろう。
夕暮れの寂しさに歯を歯を食いしばりながら、「明日は晴れか」と小さく呟き、今日も、この坂を下りていこう。(前掲書結語)次の十年、といっても十年残されているのかどうかの保証はないが。
下り坂を下るときに足をくじかないためのネガティブ・チェックだけはしておきたい。
ここは、脱藩以来、ずっと敬愛してきた内田樹先生に寄りそって。
(承前)いや、申し訳ないけど60歳過ぎてから市民的成熟を遂げることは不可能です。悪いけど。大人になる人はもうとっくに大人になってます。その年まで大人になれなかった人は正直に言って、外側は老人で中味はガキという「老いた幼児」になるしかない。同世代の老人たちを見ても、いろいろ苦労を経て、人間に深みが出てきたなと感服することって、ほとんどないですから。
『サル化する世界』(内田樹)内田先生は1950年生まれ。1949年までに生まれた団塊世代を観察したうえでの言葉だと思われる。
僕は、もう何にもなれないとしても「老いた幼児」としての不機嫌な老人にだけはなりたくない。
どうやら次の十年は「気まずい共存」となりそうである。
老いていく心身との「気まずい共存」。
虚無化していく政治的文脈との「気まずい共存」。
そして、新型コロナウイルスとの「気まずい共存」。
せめて機嫌よく、そろそろとオロオロと下り坂を下りていこう。
自粛ではなく、まずは自分を律し自分で立って、自律して自立した十年間が送れますように。これは大地に戸籍をもつ神々、国つ神にお願いするしかないかな。
2020年、コロナ禍の父の日には家族を背負うTシャツをプレゼントされた。いやその、家族に背負われる日が来るのも近いはずなんだけど。
書き始めると、やっぱり、ロングエントリーになってしまいます。
読んでくれて、ありがとうございます!
十年目の田中文脈研究所、新たなスタートです。
0 件のコメント:
コメントを投稿