2010年8月10日火曜日

文脈日記(ラスト・オキュパイド・チルドレン)

脱藩した夏はまれに見る異常気象になっている。雨が降り続いたあとは猛暑が続いている。大阪は完全に熱帯モンスーン・エリアになってきた。

この気象は列島の川を痛めつけている。増水続きで鮎が大きくなる時間がない。鮎師はそれでも川に行く。追いが悪い、型が悪い。水が高い、水が低い。ぶつぶつ文句を言いながらも「川の杭になる」のは鮎師たちの宿命だ。

脱藩したからには条件のいい日を選択して、鮎釣りに行きたかった。事実、行っていることは行っているのだが、どうにも納得できない釣行が多い。

腕の問題もあるが、鮎釣りができる川のサステナビリティを真剣に考えるべき時期に来ているのだろう。そのことはまた宿題にしておく。

「鮎師たち」と書いているが、この職能集団は最近、高齢化が激しい。若い者がエントリーをしてこない。川を歩いているのは肩とか腰とかに問題を抱えた世代が圧倒的に多い。もちろん、いまだに日本を牽引していると言われている団塊世代も多い。

そして僕もそのひとりだ、と書いていけばとても素直なコンテキストになる。ところがそうはいかない。

僕は団塊世代ではない。いつも団塊世代といっしょに見られるが、実はそうではない。

58年の人生で、僕のコンテキスト(背後関係)にはいつも団塊世代がいた。それは事実だ。でも、僕はそのコンテキストには違和感を感じていた。

団塊世代の定義は、ウィキペディアによれば以下だ。

最も厳密で一般的な定義としては、1947年から1949年までの3年間に亘る第一次ベビーブームに出生した世代を指し、約800万人に上る。

僕は1952年3月13日生まれだ。定義的にも団塊ではない。

脱藩を考えていた頃、コンテキスターとしてコミュニケーションに関わる考察をしてみたいという思いが強くなっていた。そのとき、自分の世代を表現する言葉がほしくなった。昔から「団塊ぶら下がり世代」とか「団塊後拭き世代」とかいろいろな言葉を使ってきたのだが、どれもしっくり来ない。

あれこれ考えているうちに、ふっと浮かんできた言葉が「ラスト・オキュパイド・チルドレン」だ。

ラスト・オキュパイド・チルドレン、「最後の占領されていた子供たち」という意味だ。団塊世代に対するアンチテーゼのつもりなのだが。

1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効されるまで、日本はアメリカの占領国だった。敗戦からこの日の午後10時30分までに生まれたものたちは、占領下の子供たちである。その中核にいるのが、団塊世代だ。

実は、団塊より「占領下の子供」の方が格好いいと言い張っている1949年生まれの方がいる。「団塊パンチ1号」という雑誌の中で征木高司さんの文章を読んだとき、僕はこのワーディングに深く共感した。とはいえ、団塊世代に違和感を感じている僕が自分も「占領下の子供」だと主張することはしたくなかった。

ポイントはヨンニッパーだった。全共闘の末尾にくっついていた僕はこの日が「沖縄デー」であることを知っている。でも、そのヨンニッパーが1952年であったことは意識していなかった。

僕はヨンニッパーの直前に生まれたラスト・オキュパイド・チルドレンである。そこに団塊世代とは違う自分の立ち位置を求めたい。ラストに属する者にはものごとの始末をつける役目があるように思う。あまり大げさなことを言うつもりはないが、ラスト・オキュパイド・チルドレンもコンテキスターの研究課題だ。

鮎釣りの研究ばかりをしているわけにはいかない。65年目の敗戦記念日が近づいている今、このカテゴリーのエントリーをしておきたかった。

かつて占領国だったこの列島は、今も痛めつけられている。

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