ずいぶん長い間、文脈レポートを更新していなかった。
2月と3月はコンテキスターにとって毎年、嵐の季節なのだ。
といっても、今年の2月は大きなイベントをプロデュースしたわけでもなく、まとまった文章を書いていたわけでもない。やたらに動き回ってインプット過剰になり、アウトプットがおろそかになっていただけだ。
1月末から今まで、和気に1回。松江に2回、小豆島に1回。坂出に3回、佐賀に1回、京北に1回。三木に1回。 それから小説『消えた街』のオンデマンド出版のための校正、デザイン作業。その他、もろもろの調整ごとなどなど……。
この間にまた新しい出会いがあった。
吉田俊道さんの「菌ちゃん野菜」。
飯田茂実さんの「みくさのみたから」 。
はじめての手前味噌つくり。はじめてのヌカ床つくり。はじめてのキンカントマト発芽こころみ。
さらには、『消えた街』登場人物の「白川妙子」、103歳のメリー・バースデー・ムービー制作素材撮影中。
いずれにしても、自分がクライアントで自分がプロダクションの話なのだ。エージェンシーはいない。できる範囲で自問自答しながらこなしていくしかない。
そうこう言っているうちに、3月13日で63歳になった。
僕の人生カレンダーでは、65歳になったら一度、立ち止まることになっている。
あと2年は、この調子で走るしかないのだ。とほほ……。
などと嘆いていてもしかたがない。
「あんたは時間の使い方が下手だ」といつも山の神に言われている僕にとって、いちばん大切な時間は文脈レポートを書くときなのかもしれない。
ここが僕のベースキャンプであり前進基地なのだから。
さて集中しよう。
今年の初めから、書くぞ!と宣言している『国つ神と半農半X』について整理整頓をして、最初の一行が降りてくるのを待たないと間に合わない。締切は晩秋、はぜ干しが終わる頃としているのだから。
「半農半X」に関しては当研究所で何度も書いてきたので繰り返さない。
だが、「国つ神(くにつかみ)」という言葉については説明が必要なようだ。なにしろ時には「なべつかみ」と混同されるのだから。
「鍋つかみ」とよく似た(?)「国つ神」はつかみそこねると火傷するくらい熱い。国つ神鍋にはカオスが煮詰まっているのだから。
神話的カオス、古代史的カオス、文明史的カオス、文学的カオス。そして統治システムと絡まった政治的カオスがぐつぐつしているのが国津神鍋だ。
まずは一般的定義を押さえよう。「国つ神」は「天つ神(あまつかみ)」の対立用語である。
大辞林によれば、国つ神の定義は以下である。
僕は昔から「国つ神」という言葉が気になっていた。あるいは気にいっていた。
その理由は、単純に言えば「国つ神」の方が「天つ神」よりも左翼の匂いがするからだろう。決してマルクス主義の匂いではないが。
過激派ではなく過敏派の僕としては、天つ神が有毒ガスを発生させようとしたときには、炭鉱のカナリアのように素早く感知して、国つ神たちに警告を発したい。
などと、いつまでたっても青汁のように青臭いことをまずは言ってみる。
僕が国つ神好みになったもうひとつの理由は、山の神(妻のこと)が松江の生まれであるということだ。
国つ神の本場、島根県松江市にはお世話になった。
ふたりの息子は松江生まれだし、美味いものと美味い酒をさんざん楽しませてもらっている。松江は日毎夜毎に酒好きの神々の宴が続く街だ。
僕は、新車を買ったら必ず八重垣神社でお祓いをしてもらってきた。
山の神の父上が健在な頃には、元日は夜明け前から松江市内の寺社仏閣を歩いて初詣するのが習わしだった。
そして僕は山の神には一生、頭が上がらない。たぶん。
国つ神たちの愛憎物語は、日本最古の文学作品『古事記』に生々しく描かれている。
天つ神が武力を持って征服に来たとき、国つ神代表であるオホクニヌシは家族会議の結果、戦わずして豊かな国土を譲り渡した。土に着く神はまことに気前がいい。底抜けの平和主義者として描かれている。
だが、オホクニヌシは瑞穂の国のど真ん中、出雲大社に居座って、天つ神が勝手なことをしないように、睨みを効かせていたのだ。死者の国がある西の方を向いて――。
このあたりからはコンテキスターの妄想も入ってくる。
僕は学術論文を書く気はないし、その能力もない。想像力でコンテンツを結びあわせていくのが文脈家の役割だと思っている。
残念ながら古事記というコンテンツは国家権力に悪用されたことがある。昭和の侵略戦争を支える皇国史観の拠り所として。
たとえば「撃ちてし止まん」という「鬼畜米英」との全滅戦を強いるためのフレーズがある。これは古事記中巻の神武東征で記されている言葉である。
閑話休題。僕は古事記の文脈レポートを書いているのではなかった。
『国つ神と半農半X』で僕が書きたいのは、基本的には出雲地方と伯耆地方の半農半X事例である。
島根県は、半農半Xが一般用語であり行政用語となっている先進県だ。そのきっかけは塩見直紀さんが2011年3月6日に松江で講演をしたことだ。
その仕掛け人は島根県議会議員の三島治さんとNPO法人エコビレッジ研究会だった。
その5日後に東日本大震災と福島第一原発事故が起こって、葦原の中つ国は大きく傾いていく――。
こんな感じで『国つ神と半農半X』は書きだしていかれると思う。
と、他人ごとみたいに言っているが、こればかりは書いてみないと分からない。
なにしろ、まだ一行も書いていないのだから、えへん。
怠惰を自慢している場合ではないので、先を急ごう。今月の文脈レポートには自分が書きたいことの大枠を組み立てて、これから取材をさせていただく方に提示する役割もある。
半農半Xを塩見さんが提唱されてから20年になる。バイブル『半農半Xという生き方』の単行本がソニーマガジンから出版されたのが2003年。同社から新書版が出たのが2008年。
決定版がちくま文庫になったのは2014年10月10日。この本は今でも、新しい海に乗り出していく人々の筏になっている。
僕自身も、この筏に乗って広告会社を脱藩した。塩見さんが届けてくれる言葉にどれだけインスパイアされてきたことか。
その御礼の意味もこめて、僕は塩見直紀さん自身についても書いてみたいと思っている。
その「年季の入った腰の低さ」はどのようにして練られてきたのか。あくなきXを求める「センス・オブ・ワンダー」の源は何なのか。
聖地、綾部に行って塩見さんの取材をする必要もある。
半農半Xという言葉とコンセプトは、日本列島にポスト311の新しい倫理や規範として根付いている。さらに東アジアまで影響力を浸透させつつある。
そのすべての事例を僕だけで書いていくことはできない。
僕は、縁(えにし)の糸で綾なされた出雲の半農半Xにフォーカスしていこう。塩見さんが出雲に播いた半農半Xの種は、根っこを広げて高く育っている。
僕はその文脈を結び合わせてみたい。
そして、事例を紹介するときに「国つ神と天つ神」という補助線を引こうと思う。まずは対立項として。
国つ神は東洋的自然(じねん)主義であり、天つ神は西洋的合理主義である。
国つ神が「君あり、故に我あり」と言えば、天つ神は「我思う、故に我あり」と言う。
国つ神は里山資本主義であり、天つ神はグローバル資本主義である。地域のヒダヒダを残そうとする者たちとすべてをノッペラボーにしたい者たち。
信頼資本と金融資本の対立。自然エネルギーと原発の対立。自産自消と大量生産・大量消費。
農的生活でいうなら、国つ神は自然栽培・有機栽培であり、天つ神は慣行農法である。
政治的文脈でいうなら、国つ神代表は細川護煕であり天つ神代表は安倍晋三である。
これは例によって文脈家の独断であるが。
協創と競争。成熟と成長。エトセトラ。
補助線は平行線である。今のところは。だが、Xはクロスである。どこかに平行線が交わる地点があるのだろうか。分からない。国つ神と天つ神を繋ぐ光の梯子はあるのだろうか。
ともあれ事例を書くためには取材が欠かせない。いつ書けるか分からない、という無茶な前提で取材に応じてくれた皆さんに感謝しつつ、これまでの取材をサマリーしてみよう。
まずはNPO法人日本エコビレッジ研究会(JEF)の3人衆。
JEFは2010年9月に松江で設立された持続可能な安心社会を追究する研究会である。
到達すべき山頂は「ひとつの地球で足る暮らし方」だ。
その山に登るためには3本のルートがある。
召古裕士(めしこ・やすし)さん、多久和厚(たくわ・あつし)さん、野津健司(のつ・たけし)さん。三者三様の登り方である。
召古さんはロゴス(論理)の人だ。
長年培ってきた環境コンサルタントとしての実績をベースにして、理路整然と「小さな循環、域内循環」を語る。
FEC2とは、フード・エネルギー・ケア・コミュニティ(food,energy,care,community)のこと。
生きるための総合資産である。
召古さんは、常にパトス(感情)だけで動いている僕とは対極に位置しているようだ。
僕はその語りに圧倒された。そして、島根半島最北端、多古鼻は沖泊の景観にも。
崖っぷちで両手を広げる召古さんと対峙して僕はすっかり腰が引けてしまった。実は高い所は苦手なのだ。
召古さんは、最近、「海彦」になるため日本海の波と同期できる集落に移住した。
里山ならぬ里海で、村人と語りあいながら、地域を全体最適化できる方法を模索しているそうだ。
天つ神は富める者をますます富めるようにして格差を広げる部分最適をする。
国つ神は地域を全体最適するために行動を起こす。
木を見つつ森も見る。貝を見つつ潮流も見る。
召古さんは《半農半最適家》といえるかもしれない。
文脈家的妄想で分析するならば、召古さんはオモヒカネの神(思金神)に似ている。
天つ神の知恵袋にして、アマテラスを天の岩戸から引きずりだすアイデアを提供した神。
後にホノニニギ(番能邇邇芸)とともに葦原の中つ国に降りてきた。
その後、天つ神のことを知り尽くしたオモヒカネはその知見を生かして国つ神のより善き暮らし方について熟考を重ねていったとさ……。このあたりは僕の創作ですが。
「海彦」召古さんのパートナーは「山彦」多久和さんである。
多久和さんは、現在、雲南市の山王寺棚田で太陽と風をエネルギーにして暮らしている。里山暮らし研究所は「ひとつの地球で足る生き方」のモデルハウスだ。
里山ハウスは太陽光発電と風力発電でオフグリッドした。
眼下の棚田と畑の恵みで環境に負荷をかけない生き方で「あるもの探し」を楽しむ。
薪ストーブの燃料は周りの山にある。竹を伐りだして竹炭をつくる。
自分を《半農半村人》だ、という多久和さんは地域に溶け込んで、朝日とともに起きる毎日を送っている。
召古さんと同じく、長い間、会社経営に携わってきただけあって、里山ハウスの方針は明快だ。
コットンを育てて、若い女性の心をつかむ。大豆の味噌をつくりに主婦を誘う。
蕎麦好きのオジサンたちにも来てもらおう。
山彦は今、町の老若男女を里山に呼び込もうとしている。
小さな循環で大きな未来をつくるために、多久和さんは「里山笑学校」プロジェクトを立ち上げた。里山体験を通じて町と村を結びあい、消費者と生産者を一体化させるための試みだ。
僕は、その笑学校の校歌をつくりたくなってきた。
たとえば、こんな感じ。
【里山笑学校校歌】
八雲立つ出雲の里に笑いあり
のぼる朝日に光あり
青き棚田に水みちて
実りの秋(とき)を願うなり
おお我ら里山 里山笑学校
ああ我ら里山 里山笑学校
八雲立つ出雲の里に光あれ
花咲く里に笑いあり
垂れる稲穂に笑いあい
風吹く里に草なびく
おお我ら里山 里山笑学校
ああ我ら里山 里山笑学校
また、コンテキスターの妄想が入ってしまった。
多久和さんが住む山王寺棚田の入口には須我神社がある。
ここは国つ神夫婦の源、スサノヲ(須佐之男命)とクシナダヒメ(奇稲田姫)の愛の巣だった。日本最古の愛の歌が詠まれた場所だとも言われている。
善き前例を倣ったかのように、里山ハウスの多久和さん夫妻は仲がいい。僕が訪ねたときに降っていた雪を溶かすほどに。
召古さん、多久和さんと三角関係を構築しているのが野津健司さんである。
日本エコビレッジ研究会の農的営みと試みの種蒔く人。「山王寺環境農業実験圃場」の場長だ。
野津さんは土着した生きものを活かして草とともに野菜を育てている。
「国つ神式」農法は草と戦わない。微生物も友達にする。農薬や化学肥料に頼る「天つ神式」とは志が違う。したがって味が違う。
野津さんの大豆(フクユタカ)は豆腐になっても志を貫く。感動的に美味いのだ。
ずっと教職に就き、養護学校の先生をしたこともある野津さんにとっては、農福連携作業はお手のものだ。若者たちがつくった野菜を松江市民と直結して販売するシステムも構築されている。
そして、野津さんはイセヒカリを山王寺棚田で持続的に栽培できるようにしている。
イセヒカリは国つ神と天つ神を結びあう米なのかもしれない。伊勢神宮で発見されて出雲大社に奉納される米となっているのだ。
イセヒカリは1989年(平成元年)に伊勢神宮の神田で発見された。台風に襲われて倒伏したコシヒカリのなかに直立した稲が2株あったそうだ。この突然変異種は伊勢で試験栽培された。
やがてイセヒカリと名付けられた種籾は、山口イセヒカリ会に託される。さらには出雲イセヒカリ会が発足し、国つ神の田んぼでも天つ神の田んぼで生まれた強くて美味い米が毎年、実るようになってきた。
イセヒカリの特長は六つある、と野津さんはいう。
風水害に強い。収量が多い。食味がいい。酒米になる。病害虫に強い。陸稲として栽培できる。
つまり、除草剤も農薬も使わない自然栽培に最適化された米ということである。
野津さんのXは、人やモノや情報を繋ぐことにある。
「すべては必然であり意味がある」と宣言して、日本列島の善きこと、自分が楽しいと思ったことを縁(えにし)の注連縄にして編んでいく。
《半農半縁脈家》、といえるかもしれない。
僕が『国つ神と半農半X』を書きたい、と思ったのも縁脈家との出会いがあったからだ。
そのおかげで、イセヒカリで醸した極上の酒も吞ませていただける。
野津さんは、天つ神の父(ニニギ)と国つ神の母(コノハナサクヤ)から生まれたホデリとホヲリ、すなわち海彦と山彦を繋ぐ国つ神なのかもしれない。
そんな国つ神は現存しないが、文脈家は創造する。捏造かもしれないが。
日本列島の海彦と山彦を繋ぐのは「空駈ける稲田彦(イナタヒコ)」。すなわち「空彦」である。そう言いたくなるほど、野津さんは様々なレイヤーで情報を善循環させているように見える。
召古さん、多久和さん、野津さん、日本エコビレッジ研究会の3人衆は「ひとつの地球で足る暮らし方」という山頂を目指して鋭意登山中である。それぞれの方法論で足場を確保しながら。
その途上で、彼らは頻繁に意見交換をしているようだ。
どげしちょるかね? あげだがね、そげだがね!
と話し合う還暦を過ぎた3人の姿には、国つ神も微笑みかけることだろう。
JEFのイベントに何度か参加しているうちに取材したい人はどんどん増えてくる。
僕は次に出雲の《半農半陶芸家》を訪ねた。
三島耕二さん。「いまみや工房」というアートな空間で土とともに生きている。
そこは古代出雲の意宇の郡(おうのこおり)。国引き神話で、ミッション完了後、国つ神が「意恵(おうえ)!」と叫んだとされている土地である。
耕二さんは塩見さんが松江に来るきっかけをつくった県会議員、三島治さんの弟だ。三島兄弟はともに「西村和雄式ぐうたら農法」で百姓をしつつ、自らのXを極めようとしている。
耕二さんは言う。「したいことがいっぱいありすぎです。でも寝るのも好きなので、なかなかできません」。僕も睡眠時間は長いので、とても共感する。
数ある耕二さんのXのうち、現時点での理想型Xはやっぱり焼き物だ。
いまみや工房は陶芸教室を備えたカフェだ。座敷には素敵な色と肌合いを持った焼き物が飾られている。
そんな空間の隅っこに、自分の畑で採れた豆たちが乾されていた。アーティストがレイアウトすると、豆もちょっと違う感じがする、と言う僕に、「いや、あれはヨメさんがやったんですけど」という答えが返ってきた。
文脈家はアーティストではないが、常にセンス・オブ・ワンダーを磨き続けたいと思っている。
センス・オブ・ワンダーとは「自然の神秘さや不思議さに目を見張る感性」のことだ。
半農半X的生き型の基本的感性である。
耕二さんが創作活動をするときの「心持ち」はセンス・オブ・ワンダーに満ちているようだ。
いまみや工房のエントランスには陶器の破片が敷き詰められている。シャーベット状になったその美を讃える陶芸家の感性に惹かれて、僕は取材にやってきた。
《半農半陶芸家》は、生きていることにぴたーっと密着した器をつくり、同じ土からできたものを包み込む。風土を食って飲む。
天つ神は頭上にいる。国つ神は土着する。
天つ神は権威を好み、国つ神はそこにあるものを可愛がる。
そこにあるもののネットワークは、心地よい。
耕二さんの話を聞いたら、文脈家はすっかり「心地よい心持ち」になったきた。こういう瞬間があるから国つ神ネットワークの取材は楽しいのだ。
野津さん、多久和さん、召古さん、三島耕二さんと同じく、僕も楽しいことしかやりたくない。
楽しいことは正しいことなのだから。
また長いレポートですみません。読んでくれてありがとうございます。
おかげさまで、『国つ神と半農半X』、書き始めることができそうです。
なお、もう1件、雲南市の《半農半コーディネーター》、酒井聖文(まさどん)にも取材しているのですが、次の機会にサマリーしたいと思います。あしからず。
2月と3月はコンテキスターにとって毎年、嵐の季節なのだ。
といっても、今年の2月は大きなイベントをプロデュースしたわけでもなく、まとまった文章を書いていたわけでもない。やたらに動き回ってインプット過剰になり、アウトプットがおろそかになっていただけだ。
1月末から今まで、和気に1回。松江に2回、小豆島に1回。坂出に3回、佐賀に1回、京北に1回。三木に1回。 それから小説『消えた街』のオンデマンド出版のための校正、デザイン作業。その他、もろもろの調整ごとなどなど……。
この間にまた新しい出会いがあった。
吉田俊道さんの「菌ちゃん野菜」。
飯田茂実さんの「みくさのみたから」 。
はじめての手前味噌つくり。はじめてのヌカ床つくり。はじめてのキンカントマト発芽こころみ。
さらには、『消えた街』登場人物の「白川妙子」、103歳のメリー・バースデー・ムービー制作素材撮影中。
いずれにしても、自分がクライアントで自分がプロダクションの話なのだ。エージェンシーはいない。できる範囲で自問自答しながらこなしていくしかない。
そうこう言っているうちに、3月13日で63歳になった。
僕の人生カレンダーでは、65歳になったら一度、立ち止まることになっている。
あと2年は、この調子で走るしかないのだ。とほほ……。
などと嘆いていてもしかたがない。
「あんたは時間の使い方が下手だ」といつも山の神に言われている僕にとって、いちばん大切な時間は文脈レポートを書くときなのかもしれない。
ここが僕のベースキャンプであり前進基地なのだから。
さて集中しよう。
今年の初めから、書くぞ!と宣言している『国つ神と半農半X』について整理整頓をして、最初の一行が降りてくるのを待たないと間に合わない。締切は晩秋、はぜ干しが終わる頃としているのだから。
「半農半X」に関しては当研究所で何度も書いてきたので繰り返さない。
だが、「国つ神(くにつかみ)」という言葉については説明が必要なようだ。なにしろ時には「なべつかみ」と混同されるのだから。
「鍋つかみ」とよく似た(?)「国つ神」はつかみそこねると火傷するくらい熱い。国つ神鍋にはカオスが煮詰まっているのだから。
神話的カオス、古代史的カオス、文明史的カオス、文学的カオス。そして統治システムと絡まった政治的カオスがぐつぐつしているのが国津神鍋だ。
まずは一般的定義を押さえよう。「国つ神」は「天つ神(あまつかみ)」の対立用語である。
大辞林によれば、国つ神の定義は以下である。
天つ神に対して、日本の国土に土着する紙。地神。地祇(ちぎ)。対する天つ神といえば、次のようになっている。
天上界にいる神。また、天から下った神。天神(てんじん)。そして「天神地祇」と合わせた場合の解説もある。
天の神と地の神。天つ神と国つ神。あらゆる神々。日本では、高天原(たかまのはら)に生成また誕生した神々を天神、初めから葦原中国(あしはらなかつくに)に誕生した神を地祇とする。国つ神の解説は、この程度にしておこう。いきなり神話的迷宮に入ったら後が続かない。
僕は昔から「国つ神」という言葉が気になっていた。あるいは気にいっていた。
その理由は、単純に言えば「国つ神」の方が「天つ神」よりも左翼の匂いがするからだろう。決してマルクス主義の匂いではないが。
過激派ではなく過敏派の僕としては、天つ神が有毒ガスを発生させようとしたときには、炭鉱のカナリアのように素早く感知して、国つ神たちに警告を発したい。
などと、いつまでたっても青汁のように青臭いことをまずは言ってみる。
僕が国つ神好みになったもうひとつの理由は、山の神(妻のこと)が松江の生まれであるということだ。
国つ神の本場、島根県松江市にはお世話になった。
ふたりの息子は松江生まれだし、美味いものと美味い酒をさんざん楽しませてもらっている。松江は日毎夜毎に酒好きの神々の宴が続く街だ。
僕は、新車を買ったら必ず八重垣神社でお祓いをしてもらってきた。
山の神の父上が健在な頃には、元日は夜明け前から松江市内の寺社仏閣を歩いて初詣するのが習わしだった。
そして僕は山の神には一生、頭が上がらない。たぶん。
国つ神たちの愛憎物語は、日本最古の文学作品『古事記』に生々しく描かれている。
そこで注目したいのは、古事記の神話でもっとも大きな分量を占めているのが、天皇家につながる天つ神の事績ではなく、かれらに滅ぼされた出雲の神々だという点である。はじめて地上の主となったのは、現在、出雲大社(島根県出雲市)に祀られるオホクニヌシ(大国主神)であった。オホクニヌシは、少年の時にはオホナムヂ(大穴牟遅神)と呼ばれており、いくつもの試練を乗り越えて地上にりっぱな国を作り、その主として君臨する。ところがそこに、高天の原のアマテラス(天照大御神)が目をつけ、まことに唐突に、地上はわが子孫が治めるべきところであると宣言するのである。そして、何度かの遠征がなされた果てに地上を手に入れる。
『古事記・池澤夏樹訳』解題・三浦佑之
天つ神が武力を持って征服に来たとき、国つ神代表であるオホクニヌシは家族会議の結果、戦わずして豊かな国土を譲り渡した。土に着く神はまことに気前がいい。底抜けの平和主義者として描かれている。
だが、オホクニヌシは瑞穂の国のど真ん中、出雲大社に居座って、天つ神が勝手なことをしないように、睨みを効かせていたのだ。死者の国がある西の方を向いて――。
このあたりからはコンテキスターの妄想も入ってくる。
僕は学術論文を書く気はないし、その能力もない。想像力でコンテンツを結びあわせていくのが文脈家の役割だと思っている。
残念ながら古事記というコンテンツは国家権力に悪用されたことがある。昭和の侵略戦争を支える皇国史観の拠り所として。
たとえば「撃ちてし止まん」という「鬼畜米英」との全滅戦を強いるためのフレーズがある。これは古事記中巻の神武東征で記されている言葉である。
閑話休題。僕は古事記の文脈レポートを書いているのではなかった。
『国つ神と半農半X』で僕が書きたいのは、基本的には出雲地方と伯耆地方の半農半X事例である。
島根県は、半農半Xが一般用語であり行政用語となっている先進県だ。そのきっかけは塩見直紀さんが2011年3月6日に松江で講演をしたことだ。
その仕掛け人は島根県議会議員の三島治さんとNPO法人エコビレッジ研究会だった。
その5日後に東日本大震災と福島第一原発事故が起こって、葦原の中つ国は大きく傾いていく――。
こんな感じで『国つ神と半農半X』は書きだしていかれると思う。
と、他人ごとみたいに言っているが、こればかりは書いてみないと分からない。
なにしろ、まだ一行も書いていないのだから、えへん。
怠惰を自慢している場合ではないので、先を急ごう。今月の文脈レポートには自分が書きたいことの大枠を組み立てて、これから取材をさせていただく方に提示する役割もある。
半農半Xを塩見さんが提唱されてから20年になる。バイブル『半農半Xという生き方』の単行本がソニーマガジンから出版されたのが2003年。同社から新書版が出たのが2008年。
決定版がちくま文庫になったのは2014年10月10日。この本は今でも、新しい海に乗り出していく人々の筏になっている。
僕自身も、この筏に乗って広告会社を脱藩した。塩見さんが届けてくれる言葉にどれだけインスパイアされてきたことか。
その御礼の意味もこめて、僕は塩見直紀さん自身についても書いてみたいと思っている。
その「年季の入った腰の低さ」はどのようにして練られてきたのか。あくなきXを求める「センス・オブ・ワンダー」の源は何なのか。
聖地、綾部に行って塩見さんの取材をする必要もある。
半農半Xという言葉とコンセプトは、日本列島にポスト311の新しい倫理や規範として根付いている。さらに東アジアまで影響力を浸透させつつある。
そのすべての事例を僕だけで書いていくことはできない。
僕は、縁(えにし)の糸で綾なされた出雲の半農半Xにフォーカスしていこう。塩見さんが出雲に播いた半農半Xの種は、根っこを広げて高く育っている。
僕はその文脈を結び合わせてみたい。
そして、事例を紹介するときに「国つ神と天つ神」という補助線を引こうと思う。まずは対立項として。
国つ神は東洋的自然(じねん)主義であり、天つ神は西洋的合理主義である。
国つ神が「君あり、故に我あり」と言えば、天つ神は「我思う、故に我あり」と言う。
国つ神は里山資本主義であり、天つ神はグローバル資本主義である。地域のヒダヒダを残そうとする者たちとすべてをノッペラボーにしたい者たち。
信頼資本と金融資本の対立。自然エネルギーと原発の対立。自産自消と大量生産・大量消費。
農的生活でいうなら、国つ神は自然栽培・有機栽培であり、天つ神は慣行農法である。
政治的文脈でいうなら、国つ神代表は細川護煕であり天つ神代表は安倍晋三である。
これは例によって文脈家の独断であるが。
協創と競争。成熟と成長。エトセトラ。
補助線は平行線である。今のところは。だが、Xはクロスである。どこかに平行線が交わる地点があるのだろうか。分からない。国つ神と天つ神を繋ぐ光の梯子はあるのだろうか。
ともあれ事例を書くためには取材が欠かせない。いつ書けるか分からない、という無茶な前提で取材に応じてくれた皆さんに感謝しつつ、これまでの取材をサマリーしてみよう。
まずはNPO法人日本エコビレッジ研究会(JEF)の3人衆。
JEFは2010年9月に松江で設立された持続可能な安心社会を追究する研究会である。
到達すべき山頂は「ひとつの地球で足る暮らし方」だ。
その山に登るためには3本のルートがある。
召古裕士(めしこ・やすし)さん、多久和厚(たくわ・あつし)さん、野津健司(のつ・たけし)さん。三者三様の登り方である。
召古さんはロゴス(論理)の人だ。
長年培ってきた環境コンサルタントとしての実績をベースにして、理路整然と「小さな循環、域内循環」を語る。
現在、全世界のエコロジカル・フットプリントは地球1.5個を越えている。この指標は、地球の資源やエネルギーの消費量を地球の個数で表したものだ。地球はすでに環境容量をオーバーしてしまった。日本は年間に地球2.47個を消費して生活している。このまま地下資源や化石エネルギーに依存していれば、間違いなく破綻する……。この危機感から召古さんはFEC2を地域で自給する方策を模索している。
FEC2とは、フード・エネルギー・ケア・コミュニティ(food,energy,care,community)のこと。
生きるための総合資産である。
召古さんは、常にパトス(感情)だけで動いている僕とは対極に位置しているようだ。
僕はその語りに圧倒された。そして、島根半島最北端、多古鼻は沖泊の景観にも。
崖っぷちで両手を広げる召古さんと対峙して僕はすっかり腰が引けてしまった。実は高い所は苦手なのだ。
召古さんは、最近、「海彦」になるため日本海の波と同期できる集落に移住した。
里山ならぬ里海で、村人と語りあいながら、地域を全体最適化できる方法を模索しているそうだ。
国つ神は地域を全体最適するために行動を起こす。
木を見つつ森も見る。貝を見つつ潮流も見る。
召古さんは《半農半最適家》といえるかもしれない。
文脈家的妄想で分析するならば、召古さんはオモヒカネの神(思金神)に似ている。
天つ神の知恵袋にして、アマテラスを天の岩戸から引きずりだすアイデアを提供した神。
後にホノニニギ(番能邇邇芸)とともに葦原の中つ国に降りてきた。
その後、天つ神のことを知り尽くしたオモヒカネはその知見を生かして国つ神のより善き暮らし方について熟考を重ねていったとさ……。このあたりは僕の創作ですが。
「海彦」召古さんのパートナーは「山彦」多久和さんである。
多久和さんは、現在、雲南市の山王寺棚田で太陽と風をエネルギーにして暮らしている。里山暮らし研究所は「ひとつの地球で足る生き方」のモデルハウスだ。
里山ハウスは太陽光発電と風力発電でオフグリッドした。
眼下の棚田と畑の恵みで環境に負荷をかけない生き方で「あるもの探し」を楽しむ。
薪ストーブの燃料は周りの山にある。竹を伐りだして竹炭をつくる。
自分を《半農半村人》だ、という多久和さんは地域に溶け込んで、朝日とともに起きる毎日を送っている。
召古さんと同じく、長い間、会社経営に携わってきただけあって、里山ハウスの方針は明快だ。
コットンを育てて、若い女性の心をつかむ。大豆の味噌をつくりに主婦を誘う。
蕎麦好きのオジサンたちにも来てもらおう。
山彦は今、町の老若男女を里山に呼び込もうとしている。
小さな循環で大きな未来をつくるために、多久和さんは「里山笑学校」プロジェクトを立ち上げた。里山体験を通じて町と村を結びあい、消費者と生産者を一体化させるための試みだ。
僕は、その笑学校の校歌をつくりたくなってきた。
たとえば、こんな感じ。
【里山笑学校校歌】
八雲立つ出雲の里に笑いあり
のぼる朝日に光あり
青き棚田に水みちて
実りの秋(とき)を願うなり
おお我ら里山 里山笑学校
ああ我ら里山 里山笑学校
八雲立つ出雲の里に光あれ
花咲く里に笑いあり
垂れる稲穂に笑いあい
風吹く里に草なびく
おお我ら里山 里山笑学校
ああ我ら里山 里山笑学校
また、コンテキスターの妄想が入ってしまった。
多久和さんが住む山王寺棚田の入口には須我神社がある。
ここは国つ神夫婦の源、スサノヲ(須佐之男命)とクシナダヒメ(奇稲田姫)の愛の巣だった。日本最古の愛の歌が詠まれた場所だとも言われている。
善き前例を倣ったかのように、里山ハウスの多久和さん夫妻は仲がいい。僕が訪ねたときに降っていた雪を溶かすほどに。
召古さん、多久和さんと三角関係を構築しているのが野津健司さんである。
日本エコビレッジ研究会の農的営みと試みの種蒔く人。「山王寺環境農業実験圃場」の場長だ。
野津さんは土着した生きものを活かして草とともに野菜を育てている。
「国つ神式」農法は草と戦わない。微生物も友達にする。農薬や化学肥料に頼る「天つ神式」とは志が違う。したがって味が違う。
野津さんの大豆(フクユタカ)は豆腐になっても志を貫く。感動的に美味いのだ。
ずっと教職に就き、養護学校の先生をしたこともある野津さんにとっては、農福連携作業はお手のものだ。若者たちがつくった野菜を松江市民と直結して販売するシステムも構築されている。
イセヒカリは国つ神と天つ神を結びあう米なのかもしれない。伊勢神宮で発見されて出雲大社に奉納される米となっているのだ。
イセヒカリは1989年(平成元年)に伊勢神宮の神田で発見された。台風に襲われて倒伏したコシヒカリのなかに直立した稲が2株あったそうだ。この突然変異種は伊勢で試験栽培された。
やがてイセヒカリと名付けられた種籾は、山口イセヒカリ会に託される。さらには出雲イセヒカリ会が発足し、国つ神の田んぼでも天つ神の田んぼで生まれた強くて美味い米が毎年、実るようになってきた。
イセヒカリの特長は六つある、と野津さんはいう。
風水害に強い。収量が多い。食味がいい。酒米になる。病害虫に強い。陸稲として栽培できる。
つまり、除草剤も農薬も使わない自然栽培に最適化された米ということである。
野津さんのXは、人やモノや情報を繋ぐことにある。
「すべては必然であり意味がある」と宣言して、日本列島の善きこと、自分が楽しいと思ったことを縁(えにし)の注連縄にして編んでいく。
《半農半縁脈家》、といえるかもしれない。
僕が『国つ神と半農半X』を書きたい、と思ったのも縁脈家との出会いがあったからだ。
そのおかげで、イセヒカリで醸した極上の酒も吞ませていただける。
野津さんは、天つ神の父(ニニギ)と国つ神の母(コノハナサクヤ)から生まれたホデリとホヲリ、すなわち海彦と山彦を繋ぐ国つ神なのかもしれない。
そんな国つ神は現存しないが、文脈家は創造する。捏造かもしれないが。
日本列島の海彦と山彦を繋ぐのは「空駈ける稲田彦(イナタヒコ)」。すなわち「空彦」である。そう言いたくなるほど、野津さんは様々なレイヤーで情報を善循環させているように見える。
召古さん、多久和さん、野津さん、日本エコビレッジ研究会の3人衆は「ひとつの地球で足る暮らし方」という山頂を目指して鋭意登山中である。それぞれの方法論で足場を確保しながら。
その途上で、彼らは頻繁に意見交換をしているようだ。
どげしちょるかね? あげだがね、そげだがね!
と話し合う還暦を過ぎた3人の姿には、国つ神も微笑みかけることだろう。
JEFのイベントに何度か参加しているうちに取材したい人はどんどん増えてくる。
僕は次に出雲の《半農半陶芸家》を訪ねた。
三島耕二さん。「いまみや工房」というアートな空間で土とともに生きている。
そこは古代出雲の意宇の郡(おうのこおり)。国引き神話で、ミッション完了後、国つ神が「意恵(おうえ)!」と叫んだとされている土地である。
耕二さんは塩見さんが松江に来るきっかけをつくった県会議員、三島治さんの弟だ。三島兄弟はともに「西村和雄式ぐうたら農法」で百姓をしつつ、自らのXを極めようとしている。
耕二さんは言う。「したいことがいっぱいありすぎです。でも寝るのも好きなので、なかなかできません」。僕も睡眠時間は長いので、とても共感する。
数ある耕二さんのXのうち、現時点での理想型Xはやっぱり焼き物だ。
いまみや工房は陶芸教室を備えたカフェだ。座敷には素敵な色と肌合いを持った焼き物が飾られている。
そんな空間の隅っこに、自分の畑で採れた豆たちが乾されていた。アーティストがレイアウトすると、豆もちょっと違う感じがする、と言う僕に、「いや、あれはヨメさんがやったんですけど」という答えが返ってきた。
文脈家はアーティストではないが、常にセンス・オブ・ワンダーを磨き続けたいと思っている。
センス・オブ・ワンダーとは「自然の神秘さや不思議さに目を見張る感性」のことだ。
半農半X的生き型の基本的感性である。
耕二さんが創作活動をするときの「心持ち」はセンス・オブ・ワンダーに満ちているようだ。
いまみや工房のエントランスには陶器の破片が敷き詰められている。シャーベット状になったその美を讃える陶芸家の感性に惹かれて、僕は取材にやってきた。
美しいものというのは自然が介在したもの。
自然との交感作用が起きたとき、美しいものが発生する。
美しいものというのは、そこにあるものを大事にするということ。
自然といっしょになってつくると美しくなってくる。
芸術という名前をつけちゃうと意外にたいしたことはない。三島耕二さんが語る美学は、とても心地よかった。
《半農半陶芸家》は、生きていることにぴたーっと密着した器をつくり、同じ土からできたものを包み込む。風土を食って飲む。
天つ神は頭上にいる。国つ神は土着する。
天つ神は権威を好み、国つ神はそこにあるものを可愛がる。
そこにあるもののネットワークは、心地よい。
耕二さんの話を聞いたら、文脈家はすっかり「心地よい心持ち」になったきた。こういう瞬間があるから国つ神ネットワークの取材は楽しいのだ。
野津さん、多久和さん、召古さん、三島耕二さんと同じく、僕も楽しいことしかやりたくない。
楽しいことは正しいことなのだから。
また長いレポートですみません。読んでくれてありがとうございます。
おかげさまで、『国つ神と半農半X』、書き始めることができそうです。
なお、もう1件、雲南市の《半農半コーディネーター》、酒井聖文(まさどん)にも取材しているのですが、次の機会にサマリーしたいと思います。あしからず。
※本文の神々の名称は『古事記』(日本文学全集・河出書房新社/池澤夏樹訳)に準じています。
0 件のコメント:
コメントを投稿