2015年4月30日木曜日

『国つ神と半農半X・四月篇』

ほいさっさとヘチマのように書けたら、どんなに楽だろうか、と思う。
こんなことを言ったら、忙しい時間を割いて、つたない取材に応じてくれている出雲と石見(いわみ)と伯耆(ほうき)の皆さんに失礼ですね。すみません!

『国つ神と半農半X』は、今年の米作りとシンクロして書いていこうという皮算用をしている。脱稿目標は稲架(はざ)干しが終わる頃とした。
ところが、この世界はあまりに深くて広い。取材を重ねれば重ねるほど、さらに取材したい人が増えてきそうだ。終わりは見えていない。さらに西に行く必要がありそうだ。

「半農半X」という言葉にまつわる考察だけでも十分に深い。そこで(主に)島根県という範囲設定をした。限定をしたつもりだった。

ごぞんじのように島根県は東西に広い。出雲(雲州)と石見(石州)を同一視して語ることに抵抗がある島根県人もいるかもしれない。
雲と石では質量がちがうだがね、などと言い始めたら、古代史に加えて近世史の文脈まで入ってくる。そこまで踏み込むのは無謀だ。

僕の書きたいのは、あくまでも「半農半X」である。そこに「国つ神」という補助線を引くこと。
「国つ神」の息がかかった「半農半X」の事例を取材して文脈を結ぶ試みをすること。その文脈の結び目は綾部の塩見直紀さんである。

あまり地理的なトリビアに囚われるのはやめよう。コンテキスターは大胆に自分で範囲設定をして物語をつくればいいのだ。

ということで、まずは『国つ神と半農半X』の東の境界からだ。ここは迷いがない。

『出雲国風土記』の国引き神話で綱を繋ぎとめた杭とされる伯耆大山(ほうきだいせん)。
大山と美保関を結ぶ綱の真ん中あたりにある鳥取県西伯郡日吉津村(さいはくぐんひえづそん)を、この物語の東端としよう。
すでに日吉津村役場住民課課長でありNPO法人本の学校副理事長でもある前田昇さんの取材もしている。



今月の文脈レポートは、日吉津村から西へ40キロの松江市にある島根県庁から始まる。

島根県農林水産部農業経営課担い手育成第二グループリーダーの田中千之(ちゆき)さん。そして田中さんを紹介してくれた公益財団法人しまね農業振興公社専務理事の松本公一さんの話を聞いた。
県庁の北にある松江城の桜は満開だった。



島根県は全国で唯一、「半農半X」という言葉を使った移住支援制度を推進している。
「いわゆる兼業就農」したいUIターン者のために、就農前の研修と就農後のそれぞれ最長1年間、月額12万円が支給される制度である。
半農半IT、半農半蔵人、半農半猟師、半農半看護士、半農半保育士など、さまざまなXの可能性が試されている。

2015年4月現在、延べ34名の半農半X移住者がいるそうだ。その大多数は島根県の西部で活躍している。島根の半農半Xは雲州よりも石州を好むのか。



半農半Xは「稼ぎつつ家庭を築きつつ」社会を変えていくムーブメントとも言える。
生業(なりわい)をどう成立させるか、という観点も重要だ。
そういう意味では、行政の支援事業としての「半農半X」は心強いことだろう。

「以前は、農業プラスアルファ事業と言っていたのです。それがちょっと衣を変えて、2012年度から半農半X事業と言いだしました。そこで支援金が高くなったのです」
と田中グループリーダーは言う。



きっかけは2011年3月6日だった。東日本大震災の5日前。
塩見直紀さんが初めて島根県で講演をした日。
当時、県庁の農林水産部に勤務していた松本公一さんが動いた。

「農業プラスアルファ事業を拡大する計画を立てていて、どんなネーミングがいいだろうか、とずっと考えていました。塩見さんの講演を聞いて、そのものズバリ、半農半Xという言葉が使えないだろうか、と思ったのです」

以前から塩見さんの本を読んでいたという松本さんは、講演会のあと、塩見さんにお願いに行ったという。



塩見さんの答えは「どうぞどうぞ」だった。僕には、そのときの塩見さんの表情まで見える。半農半X研究所代表のXは「半農半X」という言葉の普及でもあるのだから、断るはずがない。「半農半X」は登録商標ではないのだ。

「ラッキー! よし、この言葉を使おう」
島根の半農半Xは、松本さんの決断で始まった。その後、松本さんは県庁を定年退職したが、後輩たちは着実に路線を引き継いでいる。

「今や、半農半Xは県内で普通に使われています。行政関係者も地元で相談を受ける人も使っています。行政が使えば新聞も使います。これも塩見さんが使っていいと言ってくれたおかげです」
田中グループリーダーが続ける。
「この施策が、たとえば『兼業農家推進事業』という名前だったら受けが悪かったと思います。半農半Xは、能動的に農業を楽しみながら農村に住み続ける誇りを持つ生き方なのでしょうね。島根県はますます半農半X支援を強化していきますよ」

後輩の話に松本さんはうなずく。
文脈家は島根県庁に「半農半X課」という、これもズバリの部署名称まで、できたらすごいことになりますね、と例によって妄想を語る。

松本さんは後輩を叱咤激励した。
名は体を現す。現場に出たら県庁のタテ割りは関係ない。でも、部を越えて動きをひとつにするには大きなパワーが必要だ。さらに大きく「半農半X」という言葉を使うことによって旗振り役の県が先頭を走ることができる。今なら「地方創生」の外圧を利用する手もあるし……。



県庁で取材を終えたあと、僕は須我神社の奥宮に登った。島根の半農半Xについて、その本質を語ってくれた松本さんの言葉を反芻しながら。



行政的固定観念の枠を取り払って、「半農半X」という言葉を導入した松本さんは2004年頃から、「いわゆる有機農業」を島根で推進してきた人でもある。

米作りで言えば、稲架(はざ)干しをする百姓たちに暖かいまなざしを向けてきたのだろう。なんといっても雲州は、奇稲田姫(クシナダヒメ)の時代から瑞穂の国の先駆けだったのだから。

「島根には豊かな自然が残っています。文化的伝統もあります。神話に裏打ちされたものがあります。海や山や川、多様な自然と神楽や田植え囃子などの多様な文化、人を含めて、それらの地域資源を残そうと思うと、言葉としてはやっぱり半農半Xになるのですね」

松本さんの語りは、僕が書こうとしている『国つ神と半農半X』のエッセンスをまとめてくれているように思える。


国つ神は古事記や出雲國風土記の時代から稲作の守り神であった。
そのことを現代の雲州人も意識しているようだ。くぐもった出雲弁では分かりにくいが、八雲山の文学碑には明瞭に綴られている。
をちこちの稲架に谺し祭笛 
里神楽神舞ふ稲穂鬢に挿し
そして国つ神もいた。この句には葦原中つ国の百姓の喜びが満ちている。
稲刈って夜は神楽の国津神

句碑に囲まれた登山道を上りきったところに、元祖国つ神夫婦がいた。
須我神社奥宮の祭神は「夫婦岩(みょうといわ」だった。

スサノヲ(須佐之男命)とクシナダヒメ(奇稲田姫)は苔むす岩となって、相変わらず仲良くしている。


こういう場所では勝手にXフォトを撮りたくなる癖が主任研究員にはある。


松本公一さんの話はまだまだ書きたいことがある。
開高健の愛弟子、天野礼子さんと知り合って加藤登紀子さんと繋がったこと。オーガニックコンサートの実行委員会を立ち上げ、県知事を口説いておときさんを島根県の有機農業大使にしたこと……。

僕の縁脈と釣りとの関係性でも興味はつきない。だが、それは『国つ神と半農半X』本体を書くときのお楽しみにとっておこう。


2011年3月6日。塩見さんが松江に来て半農半Xのタネを島根県に蒔いた日
翌日に「村楽LLP」設立準備サミットを控えて、塩見講演会の後に僕たちが野津旅館で歴史的宴会をした日。

この日、「国つ神の逆襲」が始まった、と勝手に興奮していた文脈家にも様々な出会いがあった。


現在、31歳の酒井聖文さん(まさどん)と初めて会ったとき、彼は雲南市の地域コーディネーターとしてキャンプ場の管理を任されていた。

1984年生まれ。僕の長男の二つ年下だ。刃物の町、岐阜県関市で生まれて横浜の大学卒業後、なんとなくCADメーカーに入った。
2008年のリーマンショックが転機となって、まさどんがたたら(製鉄)の町、雲南市にやってきたのは2010年。
まさどんは、どこかのタイミングで田舎に行きたいと思っていたという。
実は『半農半Xという生き方』を読んでいた。2008年に発刊された新書版だろう。

3月6日に、塩見さんと初めて会ったときの印象をまさどんはこう語る。
「塩見さんってテレビの中の人と同じように偉い先生だと思っていました。でも、いっしょに堀川巡りなんかをしたら、とても気さくな人で、自分のことを庶民代表だと言われてましたね」

まさどんは、塩見さんとはまた会うだろうな、という予感を持ち、その日、講演会場にいた人たちは同志だと思って居心地が良かったという。
横浜の会社で農的生活への憧れを語ったら、現実逃避をするな、目をさませ、と言われていたからだ。

塩見さんが2003年に出した本、『半農半Xという生き方』に導かれて、こっちの世界に来た人がここにもいた。

まさどんは、現在、雲南市の移住支援コーディネーターを卒業して、「おっちラボ」という持続可能な地域を創造するためのNPO法人を立ち上げた。
「学ぶ・創る・働く」を自給できると地域は自立できる、というコンセプトを基にして。
「おっち」とは出雲弁の「おっちら」。「ゆっくり落ち着いて」という意味だ。


まさどんの取材は「おっちラボ」事業の一環として、雲南市木次(きすき)の駅前商店街にできた「三日市ラボ」で行った。地元の人たちもこのコミュニティ・スペースが気になってしかたがないようである。



風の人と土の人を繋ぐこと。町と村を出雲の風土の中で融合させること。まさどんは、それを一生の仕事にしていきたい、と言う。

「横浜から雲南に移住したからこそ、全国の地域で同じ価値観で動いている仲間と繋がることができました。都会にいたときよりも、関係性が拡がっている。島根に来てからの方が東京、大阪の新しい友人が増えました。不思議な感覚です」

Xはクロスであり関係性である。島根のXが出雲大社の注連縄のように編みこまれていくのは自然の流れである。

さらにここ雲南はヤマタのオロチの故郷でスサノオが新婚家庭を持った場所なのだ。
僕は、国つ神のご利益を感じつつ酔いどれ文脈家と化していった。


「あなたにとって究極のXは何ですか?」
僕は取材をした人に、こう訊ねることにしている。
まさどんは考え込む。

半農半地域つくり? 半農半生業(なりわい)つくり?

口より土だ、という生き方をよく分かっているまさどんは、口もうまい。もちろんいい意味で。
この人は町では敏腕営業だったのだと思う。そして村では誠実営業となっている。

まさどんは根っからの営業なのだ、とコンテキスターは断定し、本人に告げる。
「まさどんは半農半接人なのだよ。接人31号……」

半農半接人31号は、毎年、パワーアップしていくことだろう。接人40号になる頃には、少しはましな世の中になっていてほしいものだ、と切に思う。


文脈家は接人31号に、島根取材コーディネーターをしてくれないか、と相談してみる。

島根の半農半Xについて書いてみたいのですけど……と話したとき、塩見さんはすぐに言った。それなら「耕すシェフ」ですね、と。
さすがは半農半X研究所代表である。ユニークな言葉はメモリーされている。

僕も「耕すシェフ」という言葉は気になっているので、まさどん、誰か耕すシェフの知り合いはいないかな? と聞いてみた。

あっ、それならうちの奥さんです。智子は「耕すシェフ」の一期生ですよ。いきなり答えが返ってきた。縁(えにし)をテーマにモノを書こうとしている文脈家はのけぞってしまった。


酒井(安達)智子さん、ともちゃん。邑南町(おおなんちょう)が「A級グルメ立町」という方針を立てたとき募集した「耕すシェフ」の一期生。
2011年7月に、こちらも横浜から邑南町に移住した。そして町営レストランで野菜をつくりつつイタリアンシェフとして修行してきた。


そして、僕は国つ神取材シリーズではじめて、出雲から西へ、石見(いわみ)に踏み込んだ。まだ話を聞いただけで、現地には行ってないが。

島根県邑智郡邑南町は島根県の中央、石州の東部に位置する。
豊かな自然と農の町。風土で味付けをしたFOOD(フード)をA級グルメに仕立てた町。

ともちゃんの言葉を借りれば、「エッジの効いた田舎」である。
元インターネット系広告代理店にいたともちゃんとの会話は僕にマーケティング用語を思いださせてくれた。

ともちゃんの「半農半X」の原点は、山梨県北杜市のリンゴ農家である祖父母の家にあるそうだ。縁側で足をぷらぷらさせながらみんなでお茶する生活が楽しかった。

〝縁側で足をぷらぷらさせる生活〟は彼女の楽園設計となる。

そのためには、まず成長産業である広告とIT技術を学ぼう!
その知見を衰退産業である農業に活かそう!
ともちゃんの戦略はクリアーだった。

そして、311を契機にして一気にライフスタイルを変える。
「耕すシェフ」ミッションを無事終了後、2014年10月に酒井聖文さんと結婚。石州邑南から雲州雲南にベースを移して、幸雲に溶けこもうとしている。


ともちゃんが「半農半X」という言葉に出会ったのは大学生のとき。パーマカルチャーの実践を目指していたときだった。
「日々の暮らしに農が根付いている……。いいな、わたしもこういうのがいいな」と思ったともちゃんは、数年後に自分が半農半X先進県に移住すると想像していただろうか。


ともちゃんは、今、半農半シェフから半農半情報調理人に昇華しようとしている。ダンナを接人と勝手に名付けた文脈家はそう思う。

「島根に来たら、土地が持っている力にびっくりした」と話す元シェフは、調理師免許ではなく旅行業資格取得を選んだ。

島根の空気、人の雰囲気、野菜、酒、水、米、豆、猪、すべてを味わってもらうために、人を呼び込むマーケティング・レシピを着々と下こしらえしているなう!


「島根の皆さんはことごとく歴史を語りますね。自分の土地に関する歴史や神様をよく知っているのにも驚きました。島根に来ることができるのは神様が来ていいよ、と許可してくれた人だけ、と言っている人もいます。ある種の結界を突破できないと、たとえわたしと友達でも島根に来られない、という体験もしましたし……。ここにはたくさんの神様がいるのですね。オオクニヌシがひとりでできる範囲を超えちゃってる」

ともちゃんもどうやら国つ神の申し子になってきたようである。

酒井聖文と安達智子、接人と調理人の夫婦。

二人と話した三日市ラボの奥の間から東へ14キロ行けば、須我神社の奥宮がある。
僕は新時代の国つ神夫婦にも、善きことをなすためのマーケティングを続けてほしいと願う。

雲であろうが石であろうが、山川草木、天地有情に小さな神々が宿るところが国つ神のテリトリーである。そして、その祠(ほこら)には半農半Xがよく似合う。

幸雲の願い橋にはXが連なっていたりする。


今月の文脈レポートは、こげなところでおしまいにするけん。
読んでくれて、だんだん!
だども、ほんとは、まだ言いたいことがあーがね。

今回、僕は須我神社奥宮、八雲山の頂上で大きな発見をしている。登り切ったらいきなり大本教の出口王仁三郎(でぐちおにざぶろう)の名前が飛びこんできたのだ。
「半農半X」という思想を綾部で生みだした塩見直紀さんは、同じく綾部で生まれた大本教にも造詣が深い。
こんなところで、綾部と出雲が密着するとは想像もしていなかった。
こんな出会いがあるから、現場取材はやめられない。


大本教と出雲との関わりは、またいつか文脈レポートをしたいと思います。
そのためには、松江の新しい友達、田中克典(カツー)の助けを借りる必要がありそうですね。
まったく世に文脈のタネは尽きないのであります。


※日吉津村の前田昇さんに関しても次のレポートとさせていただきます。あしからず。

2015年3月31日火曜日

『国つ神と半農半X・ことはじめ』

ずいぶん長い間、文脈レポートを更新していなかった。
2月と3月はコンテキスターにとって毎年、嵐の季節なのだ。

といっても、今年の2月は大きなイベントをプロデュースしたわけでもなく、まとまった文章を書いていたわけでもない。やたらに動き回ってインプット過剰になり、アウトプットがおろそかになっていただけだ。
1月末から今まで、和気に1回。松江に2回、小豆島に1回。坂出に3回、佐賀に1回、京北に1回。三木に1回。 それから小説『消えた街』のオンデマンド出版のための校正、デザイン作業。その他、もろもろの調整ごとなどなど……。

この間にまた新しい出会いがあった。
吉田俊道さんの「菌ちゃん野菜」。


飯田茂実さんの「みくさのみたから」 。


はじめての手前味噌つくり。はじめてのヌカ床つくり。はじめてのキンカントマト発芽こころみ。
さらには、『消えた街』登場人物の「白川妙子」、103歳のメリー・バースデー・ムービー制作素材撮影中。

いずれにしても、自分がクライアントで自分がプロダクションの話なのだ。エージェンシーはいない。できる範囲で自問自答しながらこなしていくしかない。

そうこう言っているうちに、3月13日で63歳になった。
僕の人生カレンダーでは、65歳になったら一度、立ち止まることになっている。
あと2年は、この調子で走るしかないのだ。とほほ……。
などと嘆いていてもしかたがない。
「あんたは時間の使い方が下手だ」といつも山の神に言われている僕にとって、いちばん大切な時間は文脈レポートを書くときなのかもしれない。
ここが僕のベースキャンプであり前進基地なのだから。

さて集中しよう。
今年の初めから、書くぞ!と宣言している『国つ神と半農半X』について整理整頓をして、最初の一行が降りてくるのを待たないと間に合わない。締切は晩秋、はぜ干しが終わる頃としているのだから。

「半農半X」に関しては当研究所で何度も書いてきたので繰り返さない。
だが、「国つ神(くにつかみ)」という言葉については説明が必要なようだ。なにしろ時には「なべつかみ」と混同されるのだから。

「鍋つかみ」とよく似た(?)「国つ神」はつかみそこねると火傷するくらい熱い。国つ神鍋にはカオスが煮詰まっているのだから。

神話的カオス、古代史的カオス、文明史的カオス、文学的カオス。そして統治システムと絡まった政治的カオスがぐつぐつしているのが国津神鍋だ。
まずは一般的定義を押さえよう。「国つ神」は「天つ神(あまつかみ)」の対立用語である。

大辞林によれば、国つ神の定義は以下である。
天つ神に対して、日本の国土に土着する紙。地神。地祇(ちぎ)。
対する天つ神といえば、次のようになっている。
天上界にいる神。また、天から下った神。天神(てんじん)。
そして「天神地祇」と合わせた場合の解説もある。
天の神と地の神。天つ神と国つ神。あらゆる神々。日本では、高天原(たかまのはら)に生成また誕生した神々を天神、初めから葦原中国(あしはらなかつくに)に誕生した神を地祇とする。
国つ神の解説は、この程度にしておこう。いきなり神話的迷宮に入ったら後が続かない。



僕は昔から「国つ神」という言葉が気になっていた。あるいは気にいっていた。
その理由は、単純に言えば「国つ神」の方が「天つ神」よりも左翼の匂いがするからだろう。決してマルクス主義の匂いではないが。

過激派ではなく過敏派の僕としては、天つ神が有毒ガスを発生させようとしたときには、炭鉱のカナリアのように素早く感知して、国つ神たちに警告を発したい。
などと、いつまでたっても青汁のように青臭いことをまずは言ってみる。

僕が国つ神好みになったもうひとつの理由は、山の神(妻のこと)が松江の生まれであるということだ。
国つ神の本場、島根県松江市にはお世話になった。
ふたりの息子は松江生まれだし、美味いものと美味い酒をさんざん楽しませてもらっている。松江は日毎夜毎に酒好きの神々の宴が続く街だ。
僕は、新車を買ったら必ず八重垣神社でお祓いをしてもらってきた。
山の神の父上が健在な頃には、元日は夜明け前から松江市内の寺社仏閣を歩いて初詣するのが習わしだった。

そして僕は山の神には一生、頭が上がらない。たぶん。


国つ神たちの愛憎物語は、日本最古の文学作品『古事記』に生々しく描かれている。
そこで注目したいのは、古事記の神話でもっとも大きな分量を占めているのが、天皇家につながる天つ神の事績ではなく、かれらに滅ぼされた出雲の神々だという点である。はじめて地上の主となったのは、現在、出雲大社(島根県出雲市)に祀られるオホクニヌシ(大国主神)であった。オホクニヌシは、少年の時にはオホナムヂ(大穴牟遅神)と呼ばれており、いくつもの試練を乗り越えて地上にりっぱな国を作り、その主として君臨する。ところがそこに、高天の原のアマテラス(天照大御神)が目をつけ、まことに唐突に、地上はわが子孫が治めるべきところであると宣言するのである。そして、何度かの遠征がなされた果てに地上を手に入れる。 
『古事記・池澤夏樹訳』解題・三浦佑之

天つ神が武力を持って征服に来たとき、国つ神代表であるオホクニヌシは家族会議の結果、戦わずして豊かな国土を譲り渡した。土に着く神はまことに気前がいい。底抜けの平和主義者として描かれている。

だが、オホクニヌシは瑞穂の国のど真ん中、出雲大社に居座って、天つ神が勝手なことをしないように、睨みを効かせていたのだ。死者の国がある西の方を向いて――。

このあたりからはコンテキスターの妄想も入ってくる。
僕は学術論文を書く気はないし、その能力もない。想像力でコンテンツを結びあわせていくのが文脈家の役割だと思っている。
残念ながら古事記というコンテンツは国家権力に悪用されたことがある。昭和の侵略戦争を支える皇国史観の拠り所として。
たとえば「撃ちてし止まん」という「鬼畜米英」との全滅戦を強いるためのフレーズがある。これは古事記中巻の神武東征で記されている言葉である。

閑話休題。僕は古事記の文脈レポートを書いているのではなかった。



『国つ神と半農半X』で僕が書きたいのは、基本的には出雲地方と伯耆地方の半農半X事例である。

島根県は、半農半Xが一般用語であり行政用語となっている先進県だ。そのきっかけは塩見直紀さんが2011年3月6日に松江で講演をしたことだ。
その仕掛け人は島根県議会議員の三島治さんとNPO法人エコビレッジ研究会だった。
その5日後に東日本大震災と福島第一原発事故が起こって、葦原の中つ国は大きく傾いていく――。

こんな感じで『国つ神と半農半X』は書きだしていかれると思う。
と、他人ごとみたいに言っているが、こればかりは書いてみないと分からない。
なにしろ、まだ一行も書いていないのだから、えへん。

怠惰を自慢している場合ではないので、先を急ごう。今月の文脈レポートには自分が書きたいことの大枠を組み立てて、これから取材をさせていただく方に提示する役割もある。


半農半Xを塩見さんが提唱されてから20年になる。バイブル『半農半Xという生き方』の単行本がソニーマガジンから出版されたのが2003年。同社から新書版が出たのが2008年。
決定版がちくま文庫になったのは2014年10月10日。この本は今でも、新しい海に乗り出していく人々の筏になっている。

僕自身も、この筏に乗って広告会社を脱藩した。塩見さんが届けてくれる言葉にどれだけインスパイアされてきたことか。
その御礼の意味もこめて、僕は塩見直紀さん自身についても書いてみたいと思っている。
その「年季の入った腰の低さ」はどのようにして練られてきたのか。あくなきXを求める「センス・オブ・ワンダー」の源は何なのか。
聖地、綾部に行って塩見さんの取材をする必要もある。


半農半Xという言葉とコンセプトは、日本列島にポスト311の新しい倫理や規範として根付いている。さらに東アジアまで影響力を浸透させつつある。
そのすべての事例を僕だけで書いていくことはできない。

僕は、縁(えにし)の糸で綾なされた出雲の半農半Xにフォーカスしていこう。塩見さんが出雲に播いた半農半Xの種は、根っこを広げて高く育っている。
僕はその文脈を結び合わせてみたい。

そして、事例を紹介するときに「国つ神と天つ神」という補助線を引こうと思う。まずは対立項として。

国つ神は東洋的自然(じねん)主義であり、天つ神は西洋的合理主義である。
国つ神が「君あり、故に我あり」と言えば、天つ神は「我思う、故に我あり」と言う。

国つ神は里山資本主義であり、天つ神はグローバル資本主義である。地域のヒダヒダを残そうとする者たちとすべてをノッペラボーにしたい者たち。

信頼資本と金融資本の対立。自然エネルギーと原発の対立。自産自消と大量生産・大量消費。

農的生活でいうなら、国つ神は自然栽培・有機栽培であり、天つ神は慣行農法である。

政治的文脈でいうなら、国つ神代表は細川護煕であり天つ神代表は安倍晋三である。
これは例によって文脈家の独断であるが。

協創と競争。成熟と成長。エトセトラ。

補助線は平行線である。今のところは。だが、Xはクロスである。どこかに平行線が交わる地点があるのだろうか。分からない。国つ神と天つ神を繋ぐ光の梯子はあるのだろうか。


ともあれ事例を書くためには取材が欠かせない。いつ書けるか分からない、という無茶な前提で取材に応じてくれた皆さんに感謝しつつ、これまでの取材をサマリーしてみよう。

まずはNPO法人日本エコビレッジ研究会(JEF)の3人衆。
JEFは2010年9月に松江で設立された持続可能な安心社会を追究する研究会である。
到達すべき山頂は「ひとつの地球で足る暮らし方」だ。


その山に登るためには3本のルートがある。
召古裕士(めしこ・やすし)さん、多久和厚(たくわ・あつし)さん、野津健司(のつ・たけし)さん。三者三様の登り方である。

召古さんはロゴス(論理)の人だ。
長年培ってきた環境コンサルタントとしての実績をベースにして、理路整然と「小さな循環、域内循環」を語る。
現在、全世界のエコロジカル・フットプリントは地球1.5個を越えている。この指標は、地球の資源やエネルギーの消費量を地球の個数で表したものだ。地球はすでに環境容量をオーバーしてしまった。日本は年間に地球2.47個を消費して生活している。このまま地下資源や化石エネルギーに依存していれば、間違いなく破綻する……。
この危機感から召古さんはFEC2を地域で自給する方策を模索している。
FEC2とは、フード・エネルギー・ケア・コミュニティ(food,energy,care,community)のこと。
生きるための総合資産である。

召古さんは、常にパトス(感情)だけで動いている僕とは対極に位置しているようだ。
僕はその語りに圧倒された。そして、島根半島最北端、多古鼻は沖泊の景観にも。

崖っぷちで両手を広げる召古さんと対峙して僕はすっかり腰が引けてしまった。実は高い所は苦手なのだ。



召古さんは、最近、「海彦」になるため日本海の波と同期できる集落に移住した。
里山ならぬ里海で、村人と語りあいながら、地域を全体最適化できる方法を模索しているそうだ。



天つ神は富める者をますます富めるようにして格差を広げる部分最適をする。
国つ神は地域を全体最適するために行動を起こす。
木を見つつ森も見る。貝を見つつ潮流も見る。

召古さんは《半農半最適家といえるかもしれない。

文脈家的妄想で分析するならば、召古さんはオモヒカネの神(思金神)に似ている。
天つ神の知恵袋にして、アマテラスを天の岩戸から引きずりだすアイデアを提供した神。
後にホノニニギ(番能邇邇芸)とともに葦原の中つ国に降りてきた。

その後、天つ神のことを知り尽くしたオモヒカネはその知見を生かして国つ神のより善き暮らし方について熟考を重ねていったとさ……。このあたりは僕の創作ですが。


「海彦」召古さんのパートナーは「山彦」多久和さんである。

多久和さんは、現在、雲南市の山王寺棚田で太陽と風をエネルギーにして暮らしている。里山暮らし研究所は「ひとつの地球で足る生き方」のモデルハウスだ。
里山ハウスは太陽光発電と風力発電でオフグリッドした。
眼下の棚田と畑の恵みで環境に負荷をかけない生き方で「あるもの探し」を楽しむ。
薪ストーブの燃料は周りの山にある。竹を伐りだして竹炭をつくる。

自分を《半農半村人》だ、という多久和さんは地域に溶け込んで、朝日とともに起きる毎日を送っている。

召古さんと同じく、長い間、会社経営に携わってきただけあって、里山ハウスの方針は明快だ。
コットンを育てて、若い女性の心をつかむ。大豆の味噌をつくりに主婦を誘う。
蕎麦好きのオジサンたちにも来てもらおう。

山彦は今、町の老若男女を里山に呼び込もうとしている。


小さな循環で大きな未来をつくるために、多久和さんは「里山笑学校」プロジェクトを立ち上げた。里山体験を通じて町と村を結びあい、消費者と生産者を一体化させるための試みだ。

僕は、その笑学校の校歌をつくりたくなってきた。
たとえば、こんな感じ。

【里山笑学校校歌】

八雲立つ出雲の里に笑いあり
のぼる朝日に光あり
青き棚田に水みちて
実りの秋(とき)を願うなり
おお我ら里山 里山笑学校
ああ我ら里山 里山笑学校

八雲立つ出雲の里に光あれ
花咲く里に笑いあり
垂れる稲穂に笑いあい
風吹く里に草なびく
おお我ら里山 里山笑学校
ああ我ら里山 里山笑学校


また、コンテキスターの妄想が入ってしまった。



多久和さんが住む山王寺棚田の入口には須我神社がある。
ここは国つ神夫婦の源、スサノヲ(須佐之男命)とクシナダヒメ(奇稲田姫)の愛の巣だった。日本最古の愛の歌が詠まれた場所だとも言われている。
善き前例を倣ったかのように、里山ハウスの多久和さん夫妻は仲がいい。僕が訪ねたときに降っていた雪を溶かすほどに。


召古さん、多久和さんと三角関係を構築しているのが野津健司さんである。

日本エコビレッジ研究会の農的営みと試みの種蒔く人。「山王寺環境農業実験圃場」の場長だ。



野津さんは土着した生きものを活かして草とともに野菜を育てている。
「国つ神式」農法は草と戦わない。微生物も友達にする。農薬や化学肥料に頼る「天つ神式」とは志が違う。したがって味が違う。
野津さんの大豆(フクユタカ)は豆腐になっても志を貫く。感動的に美味いのだ。


ずっと教職に就き、養護学校の先生をしたこともある野津さんにとっては、農福連携作業はお手のものだ。若者たちがつくった野菜を松江市民と直結して販売するシステムも構築されている。


そして、野津さんはイセヒカリを山王寺棚田で持続的に栽培できるようにしている。

イセヒカリは国つ神と天つ神を結びあう米なのかもしれない。伊勢神宮で発見されて出雲大社に奉納される米となっているのだ。

イセヒカリは1989年(平成元年)に伊勢神宮の神田で発見された。台風に襲われて倒伏したコシヒカリのなかに直立した稲が2株あったそうだ。この突然変異種は伊勢で試験栽培された。

やがてイセヒカリと名付けられた種籾は、山口イセヒカリ会に託される。さらには出雲イセヒカリ会が発足し、国つ神の田んぼでも天つ神の田んぼで生まれた強くて美味い米が毎年、実るようになってきた。



イセヒカリの特長は六つある、と野津さんはいう。
風水害に強い。収量が多い。食味がいい。酒米になる。病害虫に強い。陸稲として栽培できる。

つまり、除草剤も農薬も使わない自然栽培に最適化された米ということである。


野津さんのXは、人やモノや情報を繋ぐことにある。
「すべては必然であり意味がある」と宣言して、日本列島の善きこと、自分が楽しいと思ったことを縁(えにし)の注連縄にして編んでいく。
《半農半縁脈家》、といえるかもしれない。

僕が『国つ神と半農半X』を書きたい、と思ったのも縁脈家との出会いがあったからだ。
そのおかげで、イセヒカリで醸した極上の酒も吞ませていただける。


野津さんは、天つ神の父(ニニギ)と国つ神の母(コノハナサクヤ)から生まれたホデリとホヲリ、すなわち海彦と山彦を繋ぐ国つ神なのかもしれない。

そんな国つ神は現存しないが、文脈家は創造する。捏造かもしれないが。

日本列島の海彦と山彦を繋ぐのは「空駈ける稲田彦(イナタヒコ)」。すなわち「空彦」である。そう言いたくなるほど、野津さんは様々なレイヤーで情報を善循環させているように見える。


召古さん、多久和さん、野津さん、日本エコビレッジ研究会の3人衆は「ひとつの地球で足る暮らし方」という山頂を目指して鋭意登山中である。それぞれの方法論で足場を確保しながら。

その途上で、彼らは頻繁に意見交換をしているようだ。

どげしちょるかね? あげだがね、そげだがね!
と話し合う還暦を過ぎた3人の姿には、国つ神も微笑みかけることだろう。


JEFのイベントに何度か参加しているうちに取材したい人はどんどん増えてくる。
僕は次に出雲の《半農半陶芸家を訪ねた。

三島耕二さん。「いまみや工房」というアートな空間で土とともに生きている。
そこは古代出雲の意宇の郡(おうのこおり)。国引き神話で、ミッション完了後、国つ神が「意恵(おうえ)!」と叫んだとされている土地である。


耕二さんは塩見さんが松江に来るきっかけをつくった県会議員、三島治さんの弟だ。三島兄弟はともに「西村和雄式ぐうたら農法」で百姓をしつつ、自らのXを極めようとしている。

耕二さんは言う。「したいことがいっぱいありすぎです。でも寝るのも好きなので、なかなかできません」。僕も睡眠時間は長いので、とても共感する。

数ある耕二さんのXのうち、現時点での理想型Xはやっぱり焼き物だ。
いまみや工房は陶芸教室を備えたカフェだ。座敷には素敵な色と肌合いを持った焼き物が飾られている。


そんな空間の隅っこに、自分の畑で採れた豆たちが乾されていた。アーティストがレイアウトすると、豆もちょっと違う感じがする、と言う僕に、「いや、あれはヨメさんがやったんですけど」という答えが返ってきた。


文脈家はアーティストではないが、常にセンス・オブ・ワンダーを磨き続けたいと思っている。
センス・オブ・ワンダーとは「自然の神秘さや不思議さに目を見張る感性」のことだ。
半農半X的生き型の基本的感性である。

耕二さんが創作活動をするときの「心持ち」はセンス・オブ・ワンダーに満ちているようだ。


いまみや工房のエントランスには陶器の破片が敷き詰められている。シャーベット状になったその美を讃える陶芸家の感性に惹かれて、僕は取材にやってきた。


美しいものというのは自然が介在したもの。  
自然との交感作用が起きたとき、美しいものが発生する。 
美しいものというのは、そこにあるものを大事にするということ。 
自然といっしょになってつくると美しくなってくる。 
芸術という名前をつけちゃうと意外にたいしたことはない。
三島耕二さんが語る美学は、とても心地よかった。
《半農半陶芸家は、生きていることにぴたーっと密着した器をつくり、同じ土からできたものを包み込む。風土を食って飲む。

天つ神は頭上にいる。国つ神は土着する。
天つ神は権威を好み、国つ神はそこにあるものを可愛がる。
そこにあるもののネットワークは、心地よい。

耕二さんの話を聞いたら、文脈家はすっかり「心地よい心持ち」になったきた。こういう瞬間があるから国つ神ネットワークの取材は楽しいのだ。

野津さん、多久和さん、召古さん、三島耕二さんと同じく、僕も楽しいことしかやりたくない。
楽しいことは正しいことなのだから。


また長いレポートですみません。読んでくれてありがとうございます。
おかげさまで、『国つ神と半農半X』、書き始めることができそうです。

なお、もう1件、雲南市の《半農半コーディネーター、酒井聖文(まさどん)にも取材しているのですが、次の機会にサマリーしたいと思います。あしからず。


※本文の神々の名称は『古事記』(日本文学全集・河出書房新社/池澤夏樹訳)に準じています。