2015年10月2日金曜日

『国つ神と半農半X・吉賀町篇』

吉賀と書いて「よしか」と読む。〝良い鹿〟が住む町らしい。
島根県鹿足郡吉賀町(かのあしぐんよしかちょう)。島根県西南部の端っこ、出雲から遠く離れて山口県と向き合う分水嶺の町である。2005年10月1日に柿木村と六日市町が合併して誕生した。

そんな、お上の都合とは関係なく、この地は平安の昔から「よしか」と呼ばれていた。
『吉賀記』と『古事記』は漢字の見た目がよく似ている。さらにそこには似たような伝説が語られていた。八岐大蛇(やまたのおろち)と八畔鹿(やくろじか)。

八畔鹿とは、足が八本、角は「八畔」、つまり八本に枝分かれいる巨大な悪鹿。体を覆い尽くす毛は赤毛で、その毛の長さは一尺あまりだったそうな。
そう言われたら、八岐大蛇を連想しない方がおかしい。

民草を苦しめる怪物を退治するのは都から来た武士。道案内するのは国つ神の猿田彦だ。
やがて、八畔鹿は討ち取られ、良き鹿となりてこの地に祭られたという。
八岐大蛇が出雲の斐伊川のメタファーだとしたら、八畔鹿は日本一の清流・高津川を汚すなにかの化身だったのかもしれない。


吉賀町は高津川とともにある。柿木村はまだ中流部だ。さらに上へ詰めると六日市地区。そこに「山百姓」を名乗るあつくん、山口敦央(あつてる)さんのベースキャンプがあった。


ほとんど山口県になります、と言われていた山口家を訪ねたのは7月12日。その日は雨だった。アウトドアの取材はできそうにない。僕はじっくりと「山百姓」の話を聞くことにした。
雨の日の話は長くなる。部屋で種取りを待っている大根たちに悪いくらいに。



あつくんと初めて会ったのも2011年3月7日。「村楽LLP=有限責任事業組合」の設立準備サミットを飯南町で開催したときだった。
村楽LLPとは、地域おこし協力隊の全国ネットワークの名称である。


話はそこから始まる。僕はてっきりあつくんも地域おこし協力隊だと思っていた。実は当時は吉賀町企画課の「よしか暮らし相談員」として移住のコーディネーターをしていたそうだ。

協力隊は協力隊でも青年海外協力隊。2010年までウガンダにいた。アフリカ大陸はケニアの西。しかもそこで有機農業の普及をしていたという。これは筋金入りの半農半Xと巡りあったのかもしれない。

あつくんは7月7日に34歳になったばかりだった。誕生日の抱負は「笑顔を絶やさない!」。なるほど。

でもね、笑顔を抱負にするあつくんって、ほんとは根暗なのかもしれない、とは僕の第一印象だった。取材を続けると、その印象は変わってくるのだが。

本人もこう言っている。
「村楽LLPの設立準備サミットって、めちゃ派手だったから、僕、めんくらっちゃって。で、なんか関わるのをやめました。鼻息の荒い人といるのは苦手だし」
「僕はまだ自分に自信がない。けっこうしんどい、ぶっちゃけ。いつも悩んで眉間にシワが寄っているって言われることも多いんです」

悩めるあつくん!
それは君のXが並外れているからじゃないかな、と文脈家は思う。
〝内観する農家〟を自分のXにしたら、考え込まない方がおかしい。


「農家というエクストリームスポーツに取り組んでしまった結果、険しい顔になる事がままあるけど、笑顔だとやっぱうまくいきます」と誕生日に言ったあつくん。

村楽LLPの設立時のスローガンは「百匠たち百商して百笑する」だった。


内観しながら、極限の農家を目指すなら、これはもう笑顔でいかないと、しんどいだろう。

7月12日は雨で田んぼにも畑に行けなかったので、僕は梅雨明けの7月28日に再度、山百姓を訪ねた。このレポートに掲載しているアウトドアの写真は、その時点で撮ったものだ。

内観ばかりしていては、夏場の農作業は進まない。手を動かしているうちに、あつくんはとびきりの笑顔を見せる。根が暗かろうと明るかろうと、それは大きな問題ではない。問題は、根っこのうえにどんな笑顔を咲かせるかである。


それにしても、「山百姓」に「農家というエクストリームスポーツ」なのだ。
僕が取材を申し込む人は言葉に対する感受性が鋭い人が多い。

「山百姓」という言葉に彼は様々な意味合いを含めている。

山口姓の山、山岳部の山、里山の山、山仕事の山、山口県境の山、自分の山を内観しながら生きてきたあつくん。今、山口敦央は誇りを持って自己を「山百姓」と呼ぶ。



ならば、あつくんは「半農半山百姓」。今回の取材は以上、おわり。
そういうわけにはいかないのだ。あつくんの話は獣道をたどりながら奥へと進む。

そもそも、「半農」のあとに「半(山)百姓」と続くのはおかしい、と思う人もいるだろう。半分が農(業)で半分が百姓なら専業農家だ。
あれれ、半農半Xって、兼業農家のことでしょ、と思った人は、半農半Xの「稼ぎ」の部分を見過ぎている。
専業農家、兼業農家は、行政が農家を区分するために作った用語で、そこには「志」を測る基準はない。


あつくんもまた「半農半X」ワールドの大先輩だった。
彼は大学生のとき、2001年に「半農半X」という言葉と出会っている。
塩見直紀さんが「半農半X研究所」を設立したのが2000年。バイブル『半農半Xという生き方』を上梓したのが2003年。今世紀の初めから、塩見さんの言霊は心ある若者たちにじわじわと浸透していたのだ。
あつくんは学生時代に環境問題に関わる活動をしている。そして、その問題の解は農にあるという結論に達していたそうだ。

あつくんに遅れること9年、2010年に半農半Xに出会った晩生(おくて)の文脈家は、先輩との対話を続ける。

「新規就農者として半農半X的生活設計をするとき、半農から入るのではなく、半Xから設計すべきですね。どんなXをやりたいのかをまず考える。それから、それを支える農を設計していく。あるいは、すでに十分なXを持っている人であれば、そのXの根っこを強化するために農的営みを考えればいいんじゃないですか。
半農から入ると、どうしても農業収入計画にとらわれて、いっぱいいっぱいになってしまいますね」

なるほど、まず半Xありきか。僕はあつくんの話を聞きながら、半農のおさらいをする。

Xを支える半農は、稼ぎがなくてもいい。田んぼや畑がなくてもいい。そこに一輪の花があればいい。花や草や木や虫や魚、山川草木を見つめる眼があればいい。
自分のX、すなわち天職をまっとうするために、土に根ざした考え方と生き型を模索するのが半農ということだ、と僕は思う。

半農は「ねっこ」で、半Xは「たかくのびる」なのである。


山百姓として半農半Xの本質を見つめているあつくんの日々は、「農家として生きる!」に集約されている。

自分が納得できる農法で消費者と繋がること。地域に根ざした農家として「コトおこし」をしていくこと。農家として、ある程度の現金収入を得ること。

内観する農家の農法は、様々なトライをしている。有機栽培、自然栽培、自然農、炭素循環農法……。派閥をつくりがちな各農法にとらわれるともったいないので、自分の農法は「里山農法」となづけたそうだ。

「お前もそうやって勝手に名前をつけるから、また派閥ができてしまうんだ、と言われましたけど」
あつくんは苦笑する。
「里山農法は昔ながらの農法を参考にしていけば成り立つと思っています。里山の生き方、生活の工夫、そういうものの中に知恵がありますね」

僕はあつくんの田んぼと畑を見る。

トマトはソバージュ(野生)栽培。
茄子、かぼちゃ、胡瓜、ズッキーニ、玉蜀黍、モロヘイヤ、いずれも固定種/在来種である。


草と共生しているあつくんの畑を見せてもらっているとき、彼はつぶやいた。
「野菜を野草にすればいいんですよ」
「うーむ、深い」と感心した文脈家に、「福岡正信の言葉ですけどね」と山百姓はさらりと答えた。


様々な農法を操るあつくんに、野菜の味についても訊ねてみた。

「自分がつくった野菜は絶対においしいですよ。それは自分自身が育てたものを自分で食べるのだから絶対おいしいと思います」

あつくんの見解は、野菜や米を自分でつくった経験のある人なら、すぐに納得ができるだろう。
「内観する山百姓」は、さらに自分の野菜が目指す味を方向づける。

「食べた後に変な味が残らない野菜が理想です。不自然な後味が残らない野菜……。僕はそんな野菜をつくり続けていきたいです」

この見解にはニワカ百姓の僕も同感である。在来種のトマトや固定種の胡瓜や茄子は「さわやか」な味がする。旨味のあとにいやなものが残らない。

「立つ鳥あとを濁さない野菜!」
山百姓はまたすごい言霊を発した。この人は地味さの層が積み重なって光る言葉を実らせる。


僕は「道の駅かきのきむら」であつくんの自家採種、自然農の〝相模半白胡瓜〟を買い求めた。箕面に持って帰って食ってみる。


うまい!さわやか!後味すっきり!
僕が自分でつくった胡瓜の次にうまい……。と立場上、言っておく。
あつくんは、薄い緑の半白胡瓜を以下のようにレコメンドしている。
おすすめは相模半白きゅうり!見た目のごつさに似合わず、歯応え良く、味も濃くて、ちょっと大きめにゴロゴロ切って塩やドレッシングで美味しくいただけます。 
【里山農園やまぐちon facebook 2015.8.7】

ちなみに僕はイクラを乗せて食ってみた。いと旨し。


次はあつくんがつくった米をぜひ食ってみたい、と熱望する稲刈りの季節がすでに来ている。


「山口の人生は半分探し物でできています」と笑うあつくんとの話は尽きない。僕だって探し物は多いのだから。
だけど、そろそろ種取りの時間が来た。次に繋ぐ時は今だ。


分水嶺に住んで、山と里の接点に生き型を求めている「ど田舎確信犯」のあつくん。
彼はこれから島根在来種のワサビ栽培に挑戦するという。

早春、研ぎ澄まされた渓流に咲く白い花を想像しながら、僕は山を下りて柿木村に向かった。



《Intermission~休憩  いつも長くてすみません!


柿木村・大井谷棚田のエックス


柿木村は、その筋では有名な村である。ふたつの筋がある。

ひとつは有機農業の先進地。
35年前、1980年には「柿木村有機農業研究会」が発足している。農薬と化学肥料を使わない有機農業は、その里を流れる川の微生物を殺さない。
高津川の水質が素晴らしいのは、流程81キロのうち、15キロある柿木村の流域環境が保たれているからだ、と天野礼子さんは書いている。(『日本一の清流で見つけた未来の種』)

もうひとつの筋は鮎釣りである。
僕のような関西の鮎師には、柿木村流域の高津川は憧れだ。7月に行った2度の取材に、僕は鮎釣り道具一式を持っていった。

結果は7月11日に2尾。7月29日は坊主(釣り用語で0尾のこと)。
釣果はともかく、確かに川の透明度は高い。良質の鮎がつきそうな石もびっしり入っている。ただし、未知なるエックスの川での釣りは難しい。


おっと、鮎釣りのエックスではなく「国つ神と半農半X」の取材だった。
柿木村を含む吉賀町は、島根を目指すIターン者にとっても憧れの地である。


島根県の「半農半X施策」で移住した人は、2010年からの5年間でのべ34名。彼らは出雲よりも石見を選ぶ傾向にある。松江から西へ、西へ。

吉賀町には9名の「半農半X施策」利用者がいる。
正直なところ、移住してみたものの、何らかの理由で去っていった人も多い。僕の知っている初期の島根県地域おこし協力隊のうちにも……。
様々な事情のあるなかで、吉賀町の移住者の定着率は8割に近いそうだ。

そして、2013年8月15日に吉賀町柿木村木部谷(きべだに)に移住してきたのが佐野高太郎さんである。僕がはじめて巡り合った「半農半X施策」利用者だ。


高太郎さんは、まず「ふるさと島根定住財団」の産業体験助成を夫婦で受けた。その1年後に「半農半X施策」の定住定着助成を受けているところだった。こちらは高太郎さんだけ。
その助成も2015年8月31日で終了する。

7月28日、僕が「山百姓」を再取材したあと、「撮る百姓」高太郎さんの話を聞いたのはそんなタイミングだった。

高太郎さんはネクスト・ステップを考えている。
「元々、産業体験をしているときは、プロの農業構想を狙っていたのですが、自分たちが食べたい野菜を突き詰めていくうちに、自然農に近づいていったのですね」

有機農業の先進地、柿木村で高太郎さんはもう少し先に行こうとしている。
「自然農の勉強をしながら夫婦で話し合っていくと、結局のところ、それは農業というよりも生き方の問題なんだよね、ということになってきた」

高太郎さんも半農ではなく半Xの方から入って、人生の選択をする人だった。彼の選択基準は「すべては家族のために」である。
この取材の定番質問、「あなたにとって究極のXとは?」に対して回答をくれるまでは長い間があった。

「家族の笑顔があることですね」

なるほど、なるほど。と、この言葉にうなづくためには、高太郎さんの4年間を振り返る必要がある。

佐野高太郎、44歳。動物写真家。英BBCのワイルドライフ写真賞を二度受賞。


半農半写真家、自然界のフレームを切り撮る天職を持って農的生活を営む人。
僕が取材した人たちのなかで、高太郎さんほど明確にXを定義できる人は少ない。彼の究極のXには「写真」がくると予測するのが普通だろう。
だが、「写真」よりも「家族」だった。

今、彼は柿木村で自分を「撮る百姓」と呼んでいる。そこに至るまで彼は移住を繰り返した。
「遠回りしたけど、必要な遠回りだったんだと思います」と高太郎さんは言う。

遠回りの始まりは311であった。福島第一原発は佐野一家の人生設計を決定的に変えたのだ。

2011年3月11日、佐野一家は東京小金井に住んでいた。フクシマの爆発情報からメルトダウンを確信して、3月15日に神戸に避難する。当時、2歳と0歳だった子供たちの安全と安心を最優先させるために。
そこで紹介してもらったのが祝島(いわいしま)だった。
山口県上関町祝島。上関原発の建設予定地から4キロの瀬戸内海に浮かぶ島である。

フクシマの放射性物質から逃れるために、まず移住した先は反原発の最前線。そして四国の伊方原発から北へ40キロの距離である。さえぎるもののない海を隔てて。

「移住先を探していくと日本のことが見えてくる。魅力的なところを探すと、必ず原発が近くにある。日本ってひどい国だな、と思いましたけどね」

文脈家も思う。
島根県に移住してくる人たちが西を目指すのも、島根原発があるからかな、と。
何しろ、国宝松江城から島根原発までは8.5キロの距離なんだから。


祝島で高太郎さんは百姓の手習いを始める。このときに「半農半X」という言葉と出会ったという。確かにインパクトのある言葉だと思ったそうだ。

家族が理想とする半農半X生活を模索するために、一家はさらに移動する。
2012年11月には北広島町の芸北へ。さらに9カ月後には吉賀町柿木村へ。
そして、佐野夫婦はここで根っこを下ろすことにした。定住財団と「半農半X施策」助成もあったことだし。

高太郎さんが住む柿木村木部谷には「奇鹿(くしか)神社」の分社がある。
時の政権に追い立てられた八畔鹿が良い鹿となって祭られているところだ。
カタチを変えた国つ神が守る土地に、佐野さんの畑と田んぼがあった。目指すは野生の自然農。


半農半Xという生き型の基本マナーは「センス・オブ・ワンダー」である。
高太郎さんのそれは野生のものだ。なにしろアフリカ大陸の「チーターがいる砂漠」で磨かれたものなのだから。

野生動物の世界は弱肉強食である。しかし、それは悲惨な世界ではない。食うものも食われるものも目をきらきらさせる世界。生命力が跳躍する世界だ、と語る高太郎さんの目もきらきらしてくる。


その目で未来を見るとき、理想の野菜と米とは、そこにある水で育った野生の生命力を持つもの。愛とお日様がたっぷりと注がれた作物を自分の子供に食べさせたい。子供たちは正常な生きものの味を覚えて育ってほしい!



高太郎さんは、さらに半農半Xという生き方の理想も語る。
「半農半Xは、百姓という言葉に通じていますね。百姓は農業だけではなく、百の生業(なりわい)をもつから百姓です。農をベースにして、何でも自分でできる生活力を持っていくことも半農半Xの大事なポイントだと思います」

家族愛という土壌に理想という作物を高く高く伸ばしていく……。
高太郎さんは、これから、冬水田んぼ、冬期湛水(たんすい)の米つくりにチャレンジしていくという。



「撮る百姓」は柿木村をベースにして、徐々に写真家としての生業も回復しつつあるという。これはご同慶の至りだ。僕は高太郎さんが撮った野生の野菜や花や動物やカエルや鮎たちが見たい。

アフリカの砂漠や北海道の大自然を観察してきた写真家は、今も「身近」に目を向けている。
大自然に目を向けるにも、世界中の自然に目を向けるにも、まずは足元の自然を感じる感性がないと楽しめないような気がしている。(中略)身近な自然の美しいもの、というのは自分の永遠のテーマな気がする。そして「身近」というのも、様々な身近がある。場所としての身近。自分の生活のなかでの身近。自分の人間関係での身近。いろんな観点から、いろんな身近を探して切りとってみるのもいいのかもしれない。 
【佐野高太郎on facebook 2015.9.4】
考えてみれば、半農半X的生活というのは、それぞれのXは多様にしても、自分の「身の丈」にあった「身近」な生き型である。
そうだ、間違いない、と文脈家は納得してしまった。



取材の旅には出会いがある。まして、これは国つ神、すなわち緑と縁の神様に見守られている(と勝手に思っている)旅なのだ。

「のんびり鮎を釣りにふらっと来た人かと思った」と僕を泊めてくれたのは、はらだ屋旅館の齋藤奈美さん。
柿木村の真ん中で100年近い歴史を持つ宿である。目の前は高津川。しかも絶好の鮎釣りポイントだ。
あつくんと高太郎さんの取材を終えた翌日、高津川で竿を出して、のんびり酒を飲もうと思ったのだが、こういう旅館に泊まると、また取材モードに入ってしまう。


はらだ屋の女将、なみちゃんはあつくんのことも高太郎さんのこともよく知っていた。
この旅館は、筋金いりの鮎師が集まると同時に、移住者の情報交換センターであり、志が高い野菜が持ちこまれるところでもある。

自身も15年前に大阪からUターンしてきたというなみちゃん。彼女は吉賀町の歴史と神社について話してくれた。

そもそも、この文脈レポートのイントロで紹介した八畔鹿の伝説も、はらだ屋にあった本で知った。昔話と神社は、その地域を理解するための重要なファクターである。

怠惰な文脈家は、十分な事前調査をせずに旅に出る。
そして、出会う。綾なす糸で繋がったかけがえのない文脈と。


今回も長い文脈レポートを読んでいただき、ありがとうございました。
すっかり夏も終わり、稲刈りとハゼ干しの季節になっています。
ああ、今年も、あと少し。「よいお年を!」という前に、取材シリーズを完了したいのですが、どうなりますことやら。
次のレポートは松江の三島治さんと奥出雲の白山洋光さんです。
名前を聞いただけで、すごい!と思われたあなたはもう国つ神縁脈の中の人ですね……。


2015年9月2日水曜日

『国つ神と半農半X・津和野篇』

気がつけば夏も終わりだ。63歳の夏は一度しかないのに。
自分の7月と8月のスケジュール表を確認して愕然とする。よくこれだけ動いたものだ、と他人ごとのように思う。

フミメイ号の走行距離は2カ月で5000キロに達する。運転時間は105時間。
僕の主な動きは、箕面―坂出―小豆島―松江の4点を地回りすることだ。
ただ、それが半径250キロの範囲だから移動に時間が取られる。自分で運転するから本は読めない。古いロックとフォークを聞きながら、ときには落語に集中して眠気を追い払ってドライブしている。考えごとは十分にできる、だが書く時間がない。

そのうえ、この夏は安倍晋三に対するカウンター情報を発信するのに時間が取られる。
それでも、黙り込むわけにはいかない。

半農半X的生活ができるのも鮎釣りができるのも本が読めるのも好きなことを書けるのも、日本国憲法が平和への不断の努力を促し、表現の自由を保証してくれているからだ。愚昧宰相は憲法に対するクーデターを起こそうとしている。

僕たちの祖父母と父母、伯父伯母が命がけで獲得したものが奪われようとしているときには声を上げねば。ジョンレノンとボブマーリーの唄声を守り神にして僕も街頭に行き始めた。


霞ヶ関の情況を横目で見ながらも「国つ神と半農半X」の取材は続いていく。

僕は一気に西の杭を打ちに行った。東の杭は鳥取県日吉津村(ひえづそん)である。そこからの直線距離は180キロの津和野へ。島根県の真ん中で見たいところは後日にして、いきなり県の西端に行ったのにはわけがある。
7月10日に開催される「NPO法人日本に健全な森をつくり直す委員会」の「自然の中で子供たちを育てることを考えよう」という鼎談へのお誘いを受けたからだ。

島根県に半農半Xという言葉を広めた元県庁の松本公一さんとは鮎釣りの話もしていた。
常に「日本一の清流」という枕詞つきで語られる高津川で一度は竿を出してみたい、と思っていた僕に、松本さんが絶好の機会を教えてくれた。

「天野礼子さん、養老孟司さん、藻谷浩介さん、の3人が話すイベントが津和野の日原(にちはら)であります。一緒に行きませんか?場合によっては鮎竿を持って……」



天野礼子さん!彼女のことは松本さんを取材したときにお聞きしていた。
関西の渓流と鮎釣師の間ではアマゴちゃんの愛称で親しまれている天野さんは、現在、高津川に拠点を移していたのだ。

僕の鮎釣りのホームグラウンド、和歌山県日高川の龍神でアマゴちゃんの噂はよく聞いていた。ニアミスしていたこともあったかもしれない。
また、長良川河口堰反対の集会にも行ったことがある。

僕は本棚の奥から『川よ』(天野礼子/1999年刊)を取り出した。これは名著である。最終章の開高健との別れのエピソードはよく覚えていた。

そして、この本に描かれている川の何本かでは、僕も竿を出したことがある。
さらに国つ神のテリトリーを流れる斐伊川に関する記述もある。その章には「水都」松江の「中海・宍道湖淡水化・干拓事業」の顛末も書かれている。
松江は大橋川のほとり、野津旅館の目の前で今でもシジミ漁を眺めながら朝食が食べられることを幸せに思う。


「鼎談が終わったあとは、天野さんの新刊の出版祝賀会もすることになりました。こちらにも出席しませんか」
松本さんのお誘いが続いた。もちろん出席の返事をさせてもらう。

迷ったけれど、鮎釣り道具一式もフミメイ号に積むことにした。高津川は関西の鮎師が憧れる川なのだ。万が一、もしかして、釣れるかも……キャリアだけは長いへっぽこ鮎師の僕は儚い希望を持った。


さて津和野である。そして、その南の吉賀町(よしかちょう)である。
せっかく行くのだから、取材のお願いをしよう。津和野にも吉賀町にも話を聞いてみたい人がいる。

津和野は三宅智子さん(たまちゃん)。たまちゃんと初めて会ったのは2012年10月14日だった。岡山の閑谷学校で開催されたイベントにもんぺ姿で来ていたのが印象に残っている。


『国つ神と半農半X』の企画書を書いたときから、西に行く機会があればたまちゃんを取材しようと思っていた。彼女は鳥取県は大山のふもとで「農業女子」としての修行を終えて津和野にUターンしている。


7月10日。僕は坂出から300キロ走って、道の駅、津和野温泉「なごみの里」に到着した。
ここの産直コーナーでは、たまちゃんが描いたPOPが輝いていた。
最近の農業女子は、本当に表現力が豊かだ。


僕はまず「半農半X」とたまちゃんの関わりを聞いた。

例によって『半農半Xという生き方』の文庫本を取り出したら、島根大学の農業生産学科時代に読んでいたそうだ。さすがは島大。授業で「半農半X」という言葉を教えていたのだ。

「半農半X」という言葉が島根県で広まっていったのは、もちろん県が「兼業農家支援」を「半農半X」に置き換えたことが大きな原因である。しかし、島根県民はそれ以前から、農をベースになにか違うことをする暮らしとの親和性が高かったようだ。

「なにか違うこと」が「なにか他に稼げること」に留まらず、プラスXしている人を僕は取材しているつもりだ。
プラスX、すなわち世の中のために自分ができることである。
単に農業収入が半分、兼業仕事での現金収入が半分というのでは、昔ながらの「半農半漁」から進歩していない。


たまちゃんは、自分が育った農家・三宅家に誇りを持っている。おばあちゃんを敬愛している。農業女子の種を未来に繋いで行こうとしている。

「自然からもろーたエネルギーとまめな百姓がありあまっとるパワーぶち込めとる」米と野菜を食べ続け、もんぺが大好きだった少女智子はにこやかに成長した。
そして、松江の島根大学生物資源科学部農業生産学科に入学した。

卒業後は、鳥取県南部町朝金の「アイガモファーム・井田真樹農園」に勤める。そこは日吉津村の真南に位置している。たまちゃんは農業法人ではなく家族経営の農家で、大学では教えてくれない農業の現場を踏みたかったという。

有機農法も取り入れた農家での修行は苦労が多かったようだ。はじめての従業員でしかも住み込みだったのだから。
それでも、そこは伯耆大山(ほうきだいせん)の麓だ。この山は国引き神話で、島根半島を引っ張ってくるとき縄を引っかけた杭だった。


霊峰のパワーに引きつけられて暮らす人々の生き方は多様であったという。半農半機織り、半農半銀細工、半農半ペンションなどなど。「半農半Xという生き方」は「使命多様性を尊重しあう生き方」でもある。

たまちゃんは、家族経営の農家での多様な農法と様々な生き方を観察して津和野に戻った。
2013年6月のことである。国つ神テリトリーの東の端から西の端に移動する。

僕は『国つ神と半農半X』というコンセプトで、この原稿を書き続けている。だから、すぐに「国つ神」という言葉を使う。ところが一般的には「国つ神」は出雲地方にのみお住まいになっていると考えられることもある。
僕は「国つ神は土着の神、地祇(ちぎ)である」ととらえている。国つ神を出雲神話の枠に閉じ込めたくない。頭でっかちで地に足がついていない思考をする上から目線の「天つ神」以外はすべて「国つ神」だととらえたい。

だから、伯耆の国の西端から出雲の国、石見の国を通底して「国つ神」は存在している、と推測している。
雲であろうが石であろうが、山川草木、天地有情に小さな神々が宿るところが国つ神のテリトリーである。そして、その祠(ほこら)には半農半Xがよく似合う。


明るい農村娘、三宅智子、26歳の話に戻ろう。
津和野なごみの里のすぐ近くに農家・三宅家はあった。
このあたりでは20代はたまちゃんしかいないそうだ。必然的に近所のばあちゃんじいちゃんのアイドルになる。

彼女は自分のことを「集落ソーシャルワーカー」だと言った。少量多品目家内農業を営みながら、地域への気配りを忘れない。
半農半ソーシャルワーカー! さらに将来は「農家ティーチャー」になりたいという。
これがたまちゃんの究極のXなんだろう。
縁あって、去年は小学生や中学生を農業見学に受け入れる機会をいただきました。元々大学時代に教職を学んで先生になる道も悩んだことがありましたが、もしいつか子どもたちに学びの場を提供するなら、私のフィールドは学校ではなく畑だと思いました。命あふれる畑には学校では出会えない教材がたくさんあり、また農業には先人たちの知恵や技が残っています。農業と教育は似ていると思います。水や栄養をあげてすくすくと成長するのを見守ったり、あえて厳しくして学ばせたり、時には優しくしたり。持っている能力や魅力を引き出し、発揮させる手助けをする仕事。今後も農業から教育と関わり、見つめていきたいと思います。  
(「25歳農業女子、生まれ育った町に生きること」無印良品ローカルニッポンより)

三宅家の多様な作物は、それぞれに最適化された栽培法で育てられている。

イタリアントマトはソバージュ栽培。ソバージュとはフランス語で野生のこと。脇芽をとらずにネットで支えて、野生えに近い収穫量を確保しようとする栽培法である。


さっそく、その場で味見する。もちろん甘い。
三宅家の野菜は産地直送コーナーや津和野マルシェで販売されている。祖父母とたまちゃんがやっている生業としての農はプラスマイナス0だそうである。ご両親はともに教師なので現金収入はそちらにお任せしている、とたまちゃんは笑う。

では、たまちゃんのプラスXは何か?
それは、農業女子の誇りを受け継ぎ、農的営みをスタイリッシュに発信していくことである。
言葉を変えれば、尊敬しているおばあちゃんをめざし、農をダサいと思っている人たちに「農業ってかっこいい!」と伝えていくのがたまちゃんのプラスXだ。


さて、おばあちゃんである。21世紀の初めにこんなことがあった。
中学三年生の三宅智子は夏休みの作文を書いて校内弁論大会で発表した。

「うちのおばあちゃんがつくった野菜を食べて、おいしくて感動します、という人がいます。普通のおばあちゃんがつくった野菜で感動するってすごい、と思います。わたしも将来は農業をしてみたい。おばあちゃんみたいにかっこよくなりたい……」

ところが、この意見がファッショナブルな女子からけなされた。
農業なんて、ダサい!汗臭い!泥だらけ!
ショックを受けたたまちゃんは「これは見返してやらないけん」と決意したそうだ。

ははは、たまちゃん、大丈夫だよ、21世紀は進化して今や六本木ヒルズから田舎にIターンするのがトレンドになっている時代だよ、と文脈家はたまちゃんに言う。


あと半世紀たてば、おばあちゃんに追いつく孫娘はこんなことを言う。

「おばあちゃんは津和野の山奥で生まれたんですが、今でもすごく好奇心が旺盛です。この間もジェラート屋さんがやりたいって言うんですよ。長年の経験、ノウハウ、要領のよさがあるから、何が起きても驚かない。朝から晩まで働いている。雨が降ろうが何が降ろうが鉄人みたいな人。研究熱心でいつも前向きに生きている。そして、敵をつくらない」

おばあちゃん、78歳。「十日豆」を播種しようとしていた手を止めて、僕のカメラに微笑んでくれる。
「きれいに撮ってもらいんしゃい」と孫娘が言った。


一周回っておばあちゃんの時代が来たかな、と孫娘は誇らしげに言った。


葡萄にメロン、里芋にさつま芋、葉物いろいろ、土手カボチャまで。三宅家の作物多様性を見せてもらい、僕は田んぼにも案内された。

「よく見てください。この田んぼには鯉が泳いでいますよ」
僕は覗きこむが、見えない。稲の上に鎮座している雨蛙くんには見えるのだろうか。
「田んぼで鯉、今は1㎝くらいです。千匹くらい泳いでいるはずですよ」
これもソーシャルワークの一環だった。
津和野の人は鯉をこよなく愛している。その鯉を育てるために田んぼの水を利用しているのだ。残念ながら除草効果はないそうだが。鯉が大きく育つまで待てるように晩生のモチ米を植えているのだという。


この鯉たちは津和野の殿町堀でアイドルになるという。


津和野は石州瓦の赤が似合う美しい町だ。しっとりとした雨の中で色を濃くする赤い屋根が僕も大好きになってきた。


町を見下ろす丘には赤い神社があった。太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)。大社造りの茶色い神社を見慣れてきた僕は、その赤に目を見張る。大きな注連縄の見え方がまったく違う。


このイナリ神社は、全国で唯一、「稲成」と表記するらしい。
稲が成る神社の祭神はウカノミタマ。古事記によれば、この神様はオオトシノカミの弟である。この兄弟はスサノオの子供たちだ。

大歳神とは出雲の御田植え祭で会っている。
見た目はまったく違う神社だけど、稲を守る国つ神は、やっぱり繋がっているように思える。

だが、国つ神は通底していても、出雲と石見はやっぱり風土が違う。したがって、そこで暮らす人の気質も違ってくる。

たまちゃんは津和野から松江に行って、さらに大山の麓を経由して津和野に帰ってきた。
彼女に石見人と出雲人を比較して語ってもらった。

「まず言葉が違います。ここらは広島弁に近い。じゃけー、じゃけー! 出雲弁はズウズウ弁で、言うことがこもっている。石見人は言うことが直球勝負ではっきりしています。出雲人は遠回しの会話が多い。天気も違います。松江は曇るし雨が多い。こっちの方が天気もはっきりしている。町も山も雰囲気がまるで違う」

出雲学の大家、藤岡大拙もこう言っている。
「石見人は、時代を超え、階層にかかわりなく、いずれも頑固なまでに一途であり、素朴単純であり、情熱的であった。出雲人との気質の違いは歴然としている」
(『出雲人』藤岡大拙/P141)


たまちゃんのおばあちゃんも半世紀前は情熱的なレディだったのだろうな、と想像しながら僕はさらに取材を続けた。

ここは出雲大社から遠く離れた津和野なので、いつもの「縁」という言葉は使わずにネットワークと言ってみる。
たまちゃんのネットワークもすごく広いようだけど、どうやって繋がっていくの?

「農業に関して同じ悩みを抱えている人と重なりたいと思っています。特に農業女子と。ひとりと繋がると、あの人の友達ね、という感じでどんどん繋がっていく。島根はどの町にもキーマンがいるような気がします。人口が少なくて環境もそんなに違わないから、すぐにお互いに問題点を共有できるのかしら」

なるほど。農を取り巻く諸問題には出雲人と石見人の国境(くにざかい)はないのだ。
だから「半農半X」という言葉が島根県内であまねく伝わっていったのかもしれない。

僕は、出雲と石見の国境である多伎(たぎ)の海に沈む夕陽を撮影した写真を眺める。一瞬、海に境目はできるが、志のツバメは軽やかに境を越えていくのだ。


7月10日はこの夏で一番長い日だった。話は夜の部に移る。
またまた長い文脈レポートになっている。すみません。休憩しながら読んでください。


長い夏の日が落ちる高津川の中流域。
島根県鹿足郡(かのあしぐん)津和野町日原(にちはら)の山村開発センターに続々と人が集まってくる。


養老孟司、藻谷浩介、天野礼子、この豪華なメンバーの3人話が、なぜこんな田舎で、しかも19時45分からという遅い時間帯から始まるのか不思議だった。

話が始まると、そのわけが分かってくる。
高津川中流部はこの3人にとってホームグラウンドだったのだ。講師は昼間、別件の仕事をすませて津和野までやってきている。家に帰る前にちょいと寄り道して茶飲み話をしていくかね、という雰囲気なのだ。

一方、オーディエンスも昼間の農林作業、川仕事などを終えて、週末の寄り合いに来ているような空気を漂わせている。

この空気感を醸し出したのは高津川に通い始めて12年の天野礼子さんだろう。
2013年からは、高津川で一番うまい鮎が取れるという噂の左鐙(さぶみ)地区に「日本に健全な森をつくり直す委員会」の事務局を構えている。


養老先生の話を聞くのは、はじめてだった。
「子供は自然の側に属しています」
この明快な言葉で、鼎談の趣旨が包括される。

そして、鼎談の趣旨は以下であった。
日本中が「人口減少」へ向かっています。これは、そんなに憂うべきことなのでしょうか。この狭い日本列島に1億2千万人もの人口があることは、考え直してもよいことではないでしょうか?それを教えてくれたのが、藻谷氏の「里山資本主義」でした。また、これからは、「500年向こうまでの“活断層活動期”」でもあります。こんな日本列島で、子供たちを健全に育てていくことを考えるのは、大人である私達の務めではないでしょうか。私共「日本に健全な森をつくり直す委員会」は、高津川流域を、日本のこれからの生き方のモデルにしようと考えて、津和野町左鐙1986番地に事務所を構えています。目指すのは、「森のお手入れ(間伐)」をするためにI・Uターンする老若男女が無農薬農業などを副業や本業として「食っていける社会システム」を作ることです。島根中から、日本中から、多くの皆さんがお集まりくださり、「日本列島のこれからの住まい方」「子供たちを自然の中で育てていくこと」を一緒に考えてくださると幸いです。 
(日本に健全な森をつくり直す委員会広報係・藤原英生on Facebook 2015.7.10)
イベントのあと、『日本一の清流でみつけた未来の種』の出版祝賀会の会場「若松屋」に向かう。
川沿いの道を歩いて、会が始まったのは22時近くだった。


本の登場人物、出版関係者がにこやかに出版を祝う会のテーブルには高津川の天然鮎塩焼きが150匹。その他に天然鰻のかば焼き、すっぽん料理。食卓も豪華メンバーだ。なんという田舎!


2013年7月28日の津和野大水害の痛手からまだ回復していない高津川で、これだけの鮎を集めるのは大仕事だということは、へっぽこ鮎師でも分かる。
松本公一さんも笑顔でかぶりつく。


宴の中締めは藻谷浩介さん。その挨拶が素敵だった。

「みなさん、僕の話なんかを聞いていないで、目の前の料理を食べてください。高津川の天然鮎、天然鰻、すっぽん鍋、おにぎり、みなさん、なんで残すんですか。お前ら、みんな食え!(と絶叫)。夜11時まで店を開けて、お世話をしてくれている女将さんたちの気持ちを考えて、食え!それが礼儀でしょ。僕は食いしん坊だから非常用の食料として、このおにぎりを持って帰る!」

こういう肌感覚というか、食感覚を持つ藻谷さんを僕はすっかり好きになった。以前、「里山ねっと・あやべ」で講演を聞いたとき、そのしゃべりのドライブ感に圧倒されてファンになったが、ますます好きになった。


『半農半Xという生き方・決定版』(塩見直紀/ちくま文庫/2014.10.10発行)の帯は藻谷浩介さんが書いている。僕の本はずっと持ち歩いているので、帯がぼろぼろになってしまったが。


もちろん、藻谷さんは単なる食いしん坊ではない。
地域の現場をひたすら見て歩き、そこから考えたことを「里山資本主義」という言葉に昇華させている。
『日本一の清流で見つけた未来の種』巻頭の「藻谷浩介・天野礼子対談:日本の課題の〈ど真ん中〉」から引用してみよう。
「エネルギー」「お金」「不動産」の循環が復活し、その先に「人口」の循環再生が正常化すること、そういう社会を目指す行動原理を、「里山資本主義」と再定義させてください。「成長」ではなく「循環」、その結果としての定常的な安定を目指す主義です。 
(中略) 
できるところから「循環再生の糸」をつくらなければならないのです。こうしたことを、釣りを入り口に活動を始めた天野さんと、自然とはまったく関係の薄い仕事をしていたお受験エリートの私が語り合えるということ自体が、世の中が大きく循環再生の復活という方向に向かっていることの証だと思います。入り口はいろいろあっても、頂上の方に来ると道が重なり合ってきているということなのではないでしょうか。まだまだ麓をうろうろしているのかもしれませんが、それでもゆっくりゆっくり頂上の方に向かって行っているということを、私は確信しています。(P69~70)
「自然を相手に地域を相手に本気でがんばっている人たち」を活写した本で、天野さんは「島根県の半農半X」にも言及されている。

「2011年3月に、半農半Xの生み親である塩見直紀さんが松江で講演をされたことがきっかけになり、島根では「半農半X」は一般名詞として定着しているようだ」

その一文に続いている文章が、僕の取材シリーズに新しい展開を与えてくれた。
匹見に同行したカメラマン・佐野高太郎さんは、1997年と98年にイギリス国営テレビ局BBCのネイチャーフォト部門で二つの賞を取った方だが、「東京でフリーカメラマンが家族全員に安全な無農薬野菜を十分に食べさせることはできない」と、吉賀町柿木村に入村し、一年目は「しまね定住財団」のIターン者への支援制度である「農業体験」に夫婦でチャレンジし、去年から今年は「半農半X」制度を活用している。(P106)
文脈家はびっくりした。この取材に驚きはつきものだが。
佐野高太郎さんとは出版祝賀会で隣合わせて一緒に鮎をぱくついていたのだ。

僕はずっと県の半農半X施策を使っている人を取材したかった。ところが、これだけ島根県内をうろついても、実際に施策を使って移住した人には巡りあわなかったのだ。
それが、偶然の必然で繋がってしまった。国つ神の思し召しであろう。まったく神様ってやつは!

佐野高太郎さんの名刺には「撮る百姓」とあった。これは取材を申し込むしかない。
すでに吉賀町で「山百姓」山口敦央さん(あつくん)の取材を決めていた僕は、次の取材スケジュールを考え始めた……。

山口敦央さん

この文脈レポートを仕上げずに温めているうちに、たまちゃんは8月28日、津和野町が開催した藻谷浩介さん講演会のパネラーとして登壇している。


津和野は増田レポート『地方消滅』で島根県内ワーストワンとされた。
だが、そこでも確実に「循環再生の糸」は美しい模様を描き始めているようだ。

藻谷さんは半農半Xの推薦エンジンでもある。
「里山資本主義」に先立つこと10年。「半農半X」はもう世界の共通語。
どうやら時代が言葉に追いついてきたようだ。半農半Xを巡る善循環はどんどん進化している。
さらに、今回の文脈レポートを書いているとき発見があった。
大辞林第二版デジタルバージョン。半農半Xは一般名詞になっていた。
はんのうはんエックス【半農半X】
半自給的な農業と、適性・長所を生かした社会貢献的な仕事を両立させる生活スタイル。

※あつくんと高太郎さんの文脈レポートは次回とさせていただきます。すみません!