五月の光はまぶしい。緑と青に惑わされて心は野に放たれる。
イセヒカリの苗はXを抱きしめて、すくすくと育っている。
僕はまた出雲に行った。
『国つ神と半農半X』は桜から新緑へと季節を進めていく。季節とともに物語も進行する。
ウグイスからホトトギスへ。双葉から本葉へ。
松江の野津旅館をベースにした取材は農暦で神有月が終わるまで続けるつもりだ。
今年の神有月(島根以外では神無月)末日は新暦の12月10日である。
その頃、天つ神の神田(しんでん)で発見されて国つ神の広野(ひろの)で育てられたイセヒカリは伊勢神宮と出雲大社に奉納されるという。
『国つ神と半農半X』のタイムラインは2011年3月6日から2015年12月10日までとする。
エリア設定も決めた。
東の杭打ちは終わっている。日吉津村(ひえづそん)だ。
ここには半農半知縁家である前田さんがいる。
地縁は知恵の縁も育む。言葉を耕したら「土知」(とち)は豊穣になる。
そんなことを考えながら、僕は米子の「本の学校」にも行った。今井書店グループの永井伸和会長にご挨拶して、原稿の進み具合を報告する。こちらの緑陰の縁も着々と繋がっていく。
西の杭は津和野で打つことにした。7月には清流高津川に鮎竿を持って取材に行く予定を入れている。
日吉津村から津和野まで直線距離で180キロ以上。その間で、どれだけの取材を入れるか。さてはて。
もちろん、半農半X研究所代表の取材も入れなければ。第一回目は5月1日に綾部で無事終了。
塩見直紀さんには原稿の最終段階での再取材を申し入れた。
五月の薫風の中に帰ろう。
5月19日。斐川町環境学習センター、「地球の秘密」も展示されるアース館。
僕は坂本美由紀さんに会いにいく。
取材を申し込んだら、美由紀さんはすぐに言った。
「そんなら、手作りこんにゃく教室やるけん、見にきてください」
「がってんしょうち!」
文脈家はフットワークが軽いのが取り柄だ。だが忘れ物も多い。エプロンを忘れていた。この取材には、長靴とエプロンが必需品なのだ。
野生のこんにゃく芋、あげな不細工なものがこげなうまいものになるなんて。
おっと、こんにゃくを食べてばかりではいけん。坂本美由紀さんの紹介だった。
僕よりはほんの少し若いが、還暦は過ぎたおばちゃんだ。
「自然食コーディネーター」「よろずご縁市主催者」「御幸(みゆき)農園百姓」「出雲イセヒカリ会世話人」……。
これはもう、半農半多彩。僕は美由紀さんのしゃべりと笑顔に圧倒されていく。
そして、みゆき号は走る。
軽やかにシフトチェンジをするみゆき号に乗りこんだ僕は助手席から取材を始める。
いつもは静かな場所で録音しながら取材するのだが、この人にそんな時間はなさそうだ。
斐伊川の土手のこちらがわ。風が吹き抜ける畑。「出すぎた家庭菜園」とご自身は言っている。
出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれないのだ。
美由紀さんがものごとを進めると、いつのまにかひょいと頭が出てしまい、そのパワーが頼りにされていくようだ。
かくして、美由紀さんがお世話する田んぼは、どんどん増えていく。
「おら、田んぼはあるけど、おら、もう歳なのでできん。田んぼはあるで。あんたがするかね?」村の長老から、そう言われると美由紀さんは「はい」と小さな声で答えて、胸のうちは高速回転を始める。
「水の権利関係はこうなっていて、あそこの法面の草刈りは大変で、畦を叩いて、Iターンしたあの人を連れてきて、ああしてこうして……」
かくいう僕も、はじめて美由紀さんに会ったとき、その間合いのよさにほっとした思い出がある。様々な場所に顔を出して使命多様性な人としゃべるのがコンテキスターのミッションだが、その場で初対面の緊張をふっと抜いてくれる人に出会うと本当に嬉しい。
美由紀さんは、人間関係の間合いを詰める達人のようだ。
2014年2月1日、日本エコビレッジ研究会・野津健司さんのイベントで坂本美由紀さんに出会ったときから、僕はずっと気になっていた。あの元気と笑顔の源泉は何だろう?
みゆき号は走る。山の棚田と畑。イセヒカリ御田植え祭が開催される田んぼ。いずこも肥料・農薬・除草剤は使わない。
「百姓を始めたのは2001年から。肥やしと農薬を買うお金がないので買わなかった」と美由紀さんは笑う。笑いながら言葉も走る。
僕が取材対象に選ぶ人たちには、チェーンスピーカーが多い。話題はつきない。
「半農半Xという言葉は前から知っていた。でも兼業農家という意味と思っていた。農業だけでは食っていかれんし。塩見さんの講演は聞いていない」と言う美由紀さんに、半農半X研究所の主任研究員は懸命に解説を試みる。
「Xは天職です。自分ができることで世の中を変えることです。単なる稼ぎのことではありません。みゆきさんのXは山ほどあるじゃないですか。こんにゃく、田んぼ、畑、お酒……」
「わたしは普通の主婦だけど……」と美由紀さん。ギアはトップに入る。
「まず目の前のことをこなす。それから自分の持っている知識と技能を他人に伝えるだけ」
「うーん、半農半普通の主婦か?!」
僕が思うに、自分で自分を普通、という人が普通であったためしはない。
「わたし、お世話やきなの。今頃は人の世話なんか誰もしない。で、ひとりひとりがわたしはわたしでいい、あなたはあなたでいいの、という言葉がまかりとおっています」
「そうですね。今は関係性が平行線の時代です。半農半XのXは関係性のことでもあります。Xはクロスです。平行線が交わる方法を探すのも半農半Xです」
主任研究員の解説はちょっと小賢しい。
「あなたはあなたのままでいい、をはきちがえた人がいる。言っても言っても分からない人には言いたくなくなる。どうしますか、それ」
「うーん、一般論はないですね」と誤魔化す。
山のコツコツ手作り棚田では、坂本美喜雄さんがトンボで代掻きをしていた。
「男 坂本みきお」は堂々、百姓という肩書きの名刺を持っている。その志は以下である。
みゆき号は走り続ける。方向音痴の僕は自分がどこにいるのかは分からないが、何を聞きたいのかは自覚している。
「ねえねえ、みゆきさん、そんなみゆきさんの生き方に影響を与えた人は誰なんですか?」
「わたしは雑食でございまして。いいとこ取り。でも大きく影響をいただいたのは木村秋則さん!」
「ほうほう。僕は一月前に木村さんの畑講習を受けましたよ。その話は、このICレコーダーに入っているし2ショット写真もあります」ちょっと自慢。
「木村さんのプロジェクトXを見たら、涙がぼろぼろ流れてきました。世の中にはすごい人がいるんだ、と思った。それからしばらくして『降りてゆく生き方』という映画と出会いました。河名秀郎さんの『日と水と土』という本を何冊も買って、みんなに配って……。それから、映画の資料に〝この映画は映画館で上映されていません。次はあなたの番です〟というメッセージがあって、あっ、これわたしかいな? 困ったなあ、と思いつつ半年後に奥出雲と木次と松江で上映会をしました」
このあたりが世話焼きおばさんの真骨頂である。
天つ神の上から目線で「女性よ輝きなさい」と通達されなくても、国つ神の領域では自然体で輝いている女性はたくさんいるのだ。
文脈家は自慢するだけだが、普通のおばさんは思ったことをすぐに実行する。パワーが違うのだ。男どもも見習わなくっちゃ。
「あの頃はまだ田んぼをようけやっちょらんかったので忙しくなかったけん」とみゆきさんは笑いとばすが。
松江で『降りてゆく生き方』の上映会と河名秀郎さんの講演会を開催したのは2011年10月29日。311から7カ月後だった。
それまで自分なりにやっていた肥料と農薬を使わない「みゆき農法」に知識と理論がついてきた、という。
「稲が育って、おらが育てた、という人がいますけど、おらは何もしてませんよ。米粒一個、どうやってつくるん? つくってくれたのは大地でしょ、水でしょ、お日様でしょ。そのへんの話は少しだけお節介して話せるようになりました」
みゆき節は続く。
自然栽培、自然農、有機栽培、いろんなやり方があるけど、細かい違いはどうでもいい。
植物は植物の命をまっとうしているのに、あれいけない、これいけないっておかしいでしょ、人間が偉そうに言うな。
僕もそう思う。コンテキスターにはだんだん分かってきた。みゆきパワーの源は土の源からもらった元気である。
「田んぼや畑に行くと元気になります。土にいる微生物は腸の中に入ってくる。すると腸の菌ちゃんも元気になる。食べる物がおいしくなる。快食快眠快便!」
坂本美由紀さんは、畑でレタスを穫る。山でクレソンを摘む。種籾から育てたイセヒカリでお酒をつくる。
突撃インタビューの最終工程は酒で締める。富士酒造にできたての酒を取りに行くのだ。
国つ神は縁の神様である。だから「幸(さきわい)の縁」。
ネーミングは「わたしがつけた!」、ラベルは「わたしがかいた!」とみゆきさん。
日本列島は「言霊の幸ふ国」である。言葉の呪力で幸福がもたらされる「さきわうくに」だ。
その夜、僕は、この美酒の酔力ですっかりいい気持ちになってしまった。
斐伊川を渡る風のように爽やかで、稲佐の浜に沈む夕日のように味わい深い酒。
酔いどれ文脈家は、こんな言葉を思い浮かべた。
あのイセヒカリを50%も削った大吟醸なのだ。
代掻きを終えた坂本美喜雄さんに杯を勧められる。国つ神宅にお邪魔した夜は更けていく。
酔いつぶれる前に、坂本美由紀さんのXについてまとめておこう。
彼女は、「半農半お節介おばさん」なのだ。お世話を超えたお節介。しかも雑色系の。風土に根ざした雑食は強い。
心身の底から出たエネルギーを分ける。余計なエネルギーを使わない暮らしを余計なお世話で伝えていく。
「お節介がしたくなるのは、やっぱり出雲の神様が何かしてるからでしょうかね?」
文脈家がまた余計なことを言ってみる。
答えは返ってきた。
「風土は気質、気でしょ。目に見えないけど、そこに気が漂っているのが風土でしょ。風土をつくり出しているのは、そこに住んでいる人、そこで育っているもの、それぞれ醸し合って風土をつくっています。
出雲の風土でできたものを風土に返す。そうすることで、また繋がりができてくる。出雲の縁は濃いけんね。重くからみあっているの。
出雲は縁の国。あの人とこの人がああなってこうなって、あの人もこの人も知っとるよ……ぜんぶの縁を繋げんと気がすまん。
わたしは、縁が繋がったみんなに幸せになってほしい。だから、さきわいのえにし!」
「縁がからんでくると悪いことはできない。よく見せようと頑張る。見栄を張る。それも大事なこと!」
国つ神の山の神、坂本美由紀さんに僕は頭が上がらなくなってきた。山の神(妻のこと)にひれ伏すのは僕の習い性になっているのだが。
「で、みゆきさんの究極のXは何でしょうか?」
おそるおそる、この取材シリーズで定番にしている質問をしてみる。
究極に近いと思われる山の神はしばらく考える。
長い間。
「ピンピンコロリ!」
えっ!? 半農半ピンピンコロリ!
塩見直紀さん、世の中にはまだまだ様々なXがあふれていますよ。
みゆきさんの究極のXが実現するためには、あと40年は掛かりそうだ。
その間、イセヒカリは40回頭を垂れて、幸(さきわい)の飯のタネになり、幾千本の語り継がれる酒になっていくことだろう。
出雲イセヒカリ会が種籾を渡すのは「真面目にお米をつくる百姓」だけだそうである。
「農薬をまかない人」「化学肥料を使わない人」「牛糞鶏糞といった類の人為的な堆肥をやらない人」。
植えっぱなしの百姓の田んぼって、あまり稲が喜んでいないような気がするんです、とイセヒカリお世話=お節介おばさんは微笑んだ。
翌日の5月20日、僕は松江市内の大庭自然農園を訪ねた。ここにも筋金入りの山の神がいらっしゃった。周藤久美枝さん。
周藤さんにインタビューして、またすごい話を聞いた後、僕は広大な農園の一角でジャガイモの草取りと草敷を手伝う。周藤先生を慕う美少女とともに。
その話は、後編としましょう。そろそろ松江に向かって走り始めないと。
明日、5月31日は、イセヒカリの「御田植え祭」なのであります!
子供たちが田植えをする前に、国引きの神を祀る神社が神事をするから、来てくださいね。
みゆきさんの誘いに乗らないわけにはいかない。
何しろ『国つ神と半農半X』なのだ。神楽と田植え、絵に描いたような話ではないか。
読んでくれてありがとうございました。後編もお楽しみに。
イセヒカリの苗はXを抱きしめて、すくすくと育っている。
僕はまた出雲に行った。
『国つ神と半農半X』は桜から新緑へと季節を進めていく。季節とともに物語も進行する。
ウグイスからホトトギスへ。双葉から本葉へ。
松江の野津旅館をベースにした取材は農暦で神有月が終わるまで続けるつもりだ。
今年の神有月(島根以外では神無月)末日は新暦の12月10日である。
その頃、天つ神の神田(しんでん)で発見されて国つ神の広野(ひろの)で育てられたイセヒカリは伊勢神宮と出雲大社に奉納されるという。
『国つ神と半農半X』のタイムラインは2011年3月6日から2015年12月10日までとする。
エリア設定も決めた。
東の杭打ちは終わっている。日吉津村(ひえづそん)だ。
ここには半農半知縁家である前田さんがいる。
地縁は知恵の縁も育む。言葉を耕したら「土知」(とち)は豊穣になる。
そんなことを考えながら、僕は米子の「本の学校」にも行った。今井書店グループの永井伸和会長にご挨拶して、原稿の進み具合を報告する。こちらの緑陰の縁も着々と繋がっていく。
西の杭は津和野で打つことにした。7月には清流高津川に鮎竿を持って取材に行く予定を入れている。
日吉津村から津和野まで直線距離で180キロ以上。その間で、どれだけの取材を入れるか。さてはて。
もちろん、半農半X研究所代表の取材も入れなければ。第一回目は5月1日に綾部で無事終了。
塩見直紀さんには原稿の最終段階での再取材を申し入れた。
五月の薫風の中に帰ろう。
5月19日。斐川町環境学習センター、「地球の秘密」も展示されるアース館。
僕は坂本美由紀さんに会いにいく。
取材を申し込んだら、美由紀さんはすぐに言った。
「そんなら、手作りこんにゃく教室やるけん、見にきてください」
「がってんしょうち!」
文脈家はフットワークが軽いのが取り柄だ。だが忘れ物も多い。エプロンを忘れていた。この取材には、長靴とエプロンが必需品なのだ。
野生のこんにゃく芋、あげな不細工なものがこげなうまいものになるなんて。
おっと、こんにゃくを食べてばかりではいけん。坂本美由紀さんの紹介だった。
僕よりはほんの少し若いが、還暦は過ぎたおばちゃんだ。
「自然食コーディネーター」「よろずご縁市主催者」「御幸(みゆき)農園百姓」「出雲イセヒカリ会世話人」……。
これはもう、半農半多彩。僕は美由紀さんのしゃべりと笑顔に圧倒されていく。
お日さまと水と土がつくってくれたものを私たちはいただくだけ。わたしに胡瓜のタネはつくれない。自然の恵みをいただくだけ。肥料も農薬も使わない。自然が育ててくれた。わたしはそこにできたのを取ってくるだけ。出雲の山の神たちが美由紀ワールドに引き込まれていく。炊き込み寿司はあくまでもうまい。山の神たちが笑顔を決める。
虫は虫の人生をやっている。草は草の人生をやっている。その中で人間だけが自分に都合のいいことを言ってもだめ。
そして、みゆき号は走る。
軽やかにシフトチェンジをするみゆき号に乗りこんだ僕は助手席から取材を始める。
いつもは静かな場所で録音しながら取材するのだが、この人にそんな時間はなさそうだ。
斐伊川の土手のこちらがわ。風が吹き抜ける畑。「出すぎた家庭菜園」とご自身は言っている。
出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれないのだ。
美由紀さんがものごとを進めると、いつのまにかひょいと頭が出てしまい、そのパワーが頼りにされていくようだ。
かくして、美由紀さんがお世話する田んぼは、どんどん増えていく。
「おら、田んぼはあるけど、おら、もう歳なのでできん。田んぼはあるで。あんたがするかね?」村の長老から、そう言われると美由紀さんは「はい」と小さな声で答えて、胸のうちは高速回転を始める。
「水の権利関係はこうなっていて、あそこの法面の草刈りは大変で、畦を叩いて、Iターンしたあの人を連れてきて、ああしてこうして……」
かくいう僕も、はじめて美由紀さんに会ったとき、その間合いのよさにほっとした思い出がある。様々な場所に顔を出して使命多様性な人としゃべるのがコンテキスターのミッションだが、その場で初対面の緊張をふっと抜いてくれる人に出会うと本当に嬉しい。
美由紀さんは、人間関係の間合いを詰める達人のようだ。
2014年2月1日、日本エコビレッジ研究会・野津健司さんのイベントで坂本美由紀さんに出会ったときから、僕はずっと気になっていた。あの元気と笑顔の源泉は何だろう?
みゆき号は走る。山の棚田と畑。イセヒカリ御田植え祭が開催される田んぼ。いずこも肥料・農薬・除草剤は使わない。
「百姓を始めたのは2001年から。肥やしと農薬を買うお金がないので買わなかった」と美由紀さんは笑う。笑いながら言葉も走る。
僕が取材対象に選ぶ人たちには、チェーンスピーカーが多い。話題はつきない。
「半農半Xという言葉は前から知っていた。でも兼業農家という意味と思っていた。農業だけでは食っていかれんし。塩見さんの講演は聞いていない」と言う美由紀さんに、半農半X研究所の主任研究員は懸命に解説を試みる。
「Xは天職です。自分ができることで世の中を変えることです。単なる稼ぎのことではありません。みゆきさんのXは山ほどあるじゃないですか。こんにゃく、田んぼ、畑、お酒……」
「わたしは普通の主婦だけど……」と美由紀さん。ギアはトップに入る。
「まず目の前のことをこなす。それから自分の持っている知識と技能を他人に伝えるだけ」
「うーん、半農半普通の主婦か?!」
僕が思うに、自分で自分を普通、という人が普通であったためしはない。
「わたし、お世話やきなの。今頃は人の世話なんか誰もしない。で、ひとりひとりがわたしはわたしでいい、あなたはあなたでいいの、という言葉がまかりとおっています」
「そうですね。今は関係性が平行線の時代です。半農半XのXは関係性のことでもあります。Xはクロスです。平行線が交わる方法を探すのも半農半Xです」
主任研究員の解説はちょっと小賢しい。
「あなたはあなたのままでいい、をはきちがえた人がいる。言っても言っても分からない人には言いたくなくなる。どうしますか、それ」
「うーん、一般論はないですね」と誤魔化す。
山のコツコツ手作り棚田では、坂本美喜雄さんがトンボで代掻きをしていた。
「男 坂本みきお」は堂々、百姓という肩書きの名刺を持っている。その志は以下である。
藁一本の重さを知り、米粒一つの重さを知る。それは全て大地が育てたものであり、その大地に感謝します。肥料や農薬を使わなくても、毎年、豊かな恵みをいただいている。無力な人間だからこそ、大地に寄り添っていきることが一番。
みゆき号は走り続ける。方向音痴の僕は自分がどこにいるのかは分からないが、何を聞きたいのかは自覚している。
「ねえねえ、みゆきさん、そんなみゆきさんの生き方に影響を与えた人は誰なんですか?」
「わたしは雑食でございまして。いいとこ取り。でも大きく影響をいただいたのは木村秋則さん!」
「ほうほう。僕は一月前に木村さんの畑講習を受けましたよ。その話は、このICレコーダーに入っているし2ショット写真もあります」ちょっと自慢。
「木村さんのプロジェクトXを見たら、涙がぼろぼろ流れてきました。世の中にはすごい人がいるんだ、と思った。それからしばらくして『降りてゆく生き方』という映画と出会いました。河名秀郎さんの『日と水と土』という本を何冊も買って、みんなに配って……。それから、映画の資料に〝この映画は映画館で上映されていません。次はあなたの番です〟というメッセージがあって、あっ、これわたしかいな? 困ったなあ、と思いつつ半年後に奥出雲と木次と松江で上映会をしました」
このあたりが世話焼きおばさんの真骨頂である。
天つ神の上から目線で「女性よ輝きなさい」と通達されなくても、国つ神の領域では自然体で輝いている女性はたくさんいるのだ。
文脈家は自慢するだけだが、普通のおばさんは思ったことをすぐに実行する。パワーが違うのだ。男どもも見習わなくっちゃ。
「あの頃はまだ田んぼをようけやっちょらんかったので忙しくなかったけん」とみゆきさんは笑いとばすが。
松江で『降りてゆく生き方』の上映会と河名秀郎さんの講演会を開催したのは2011年10月29日。311から7カ月後だった。
それまで自分なりにやっていた肥料と農薬を使わない「みゆき農法」に知識と理論がついてきた、という。
「稲が育って、おらが育てた、という人がいますけど、おらは何もしてませんよ。米粒一個、どうやってつくるん? つくってくれたのは大地でしょ、水でしょ、お日様でしょ。そのへんの話は少しだけお節介して話せるようになりました」
みゆき節は続く。
自然栽培、自然農、有機栽培、いろんなやり方があるけど、細かい違いはどうでもいい。
植物は植物の命をまっとうしているのに、あれいけない、これいけないっておかしいでしょ、人間が偉そうに言うな。
僕もそう思う。コンテキスターにはだんだん分かってきた。みゆきパワーの源は土の源からもらった元気である。
「田んぼや畑に行くと元気になります。土にいる微生物は腸の中に入ってくる。すると腸の菌ちゃんも元気になる。食べる物がおいしくなる。快食快眠快便!」
坂本美由紀さんは、畑でレタスを穫る。山でクレソンを摘む。種籾から育てたイセヒカリでお酒をつくる。
突撃インタビューの最終工程は酒で締める。富士酒造にできたての酒を取りに行くのだ。
国つ神は縁の神様である。だから「幸(さきわい)の縁」。
ネーミングは「わたしがつけた!」、ラベルは「わたしがかいた!」とみゆきさん。
日本列島は「言霊の幸ふ国」である。言葉の呪力で幸福がもたらされる「さきわうくに」だ。
その夜、僕は、この美酒の酔力ですっかりいい気持ちになってしまった。
斐伊川を渡る風のように爽やかで、稲佐の浜に沈む夕日のように味わい深い酒。
酔いどれ文脈家は、こんな言葉を思い浮かべた。
あのイセヒカリを50%も削った大吟醸なのだ。
代掻きを終えた坂本美喜雄さんに杯を勧められる。国つ神宅にお邪魔した夜は更けていく。
酔いつぶれる前に、坂本美由紀さんのXについてまとめておこう。
彼女は、「半農半お節介おばさん」なのだ。お世話を超えたお節介。しかも雑色系の。風土に根ざした雑食は強い。
心身の底から出たエネルギーを分ける。余計なエネルギーを使わない暮らしを余計なお世話で伝えていく。
「お節介がしたくなるのは、やっぱり出雲の神様が何かしてるからでしょうかね?」
文脈家がまた余計なことを言ってみる。
答えは返ってきた。
「風土は気質、気でしょ。目に見えないけど、そこに気が漂っているのが風土でしょ。風土をつくり出しているのは、そこに住んでいる人、そこで育っているもの、それぞれ醸し合って風土をつくっています。
出雲の風土でできたものを風土に返す。そうすることで、また繋がりができてくる。出雲の縁は濃いけんね。重くからみあっているの。
出雲は縁の国。あの人とこの人がああなってこうなって、あの人もこの人も知っとるよ……ぜんぶの縁を繋げんと気がすまん。
わたしは、縁が繋がったみんなに幸せになってほしい。だから、さきわいのえにし!」
「縁がからんでくると悪いことはできない。よく見せようと頑張る。見栄を張る。それも大事なこと!」
国つ神の山の神、坂本美由紀さんに僕は頭が上がらなくなってきた。山の神(妻のこと)にひれ伏すのは僕の習い性になっているのだが。
「で、みゆきさんの究極のXは何でしょうか?」
おそるおそる、この取材シリーズで定番にしている質問をしてみる。
究極に近いと思われる山の神はしばらく考える。
長い間。
「ピンピンコロリ!」
えっ!? 半農半ピンピンコロリ!
塩見直紀さん、世の中にはまだまだ様々なXがあふれていますよ。
みゆきさんの究極のXが実現するためには、あと40年は掛かりそうだ。
その間、イセヒカリは40回頭を垂れて、幸(さきわい)の飯のタネになり、幾千本の語り継がれる酒になっていくことだろう。
出雲イセヒカリ会が種籾を渡すのは「真面目にお米をつくる百姓」だけだそうである。
「農薬をまかない人」「化学肥料を使わない人」「牛糞鶏糞といった類の人為的な堆肥をやらない人」。
植えっぱなしの百姓の田んぼって、あまり稲が喜んでいないような気がするんです、とイセヒカリお世話=お節介おばさんは微笑んだ。
翌日の5月20日、僕は松江市内の大庭自然農園を訪ねた。ここにも筋金入りの山の神がいらっしゃった。周藤久美枝さん。
周藤さんにインタビューして、またすごい話を聞いた後、僕は広大な農園の一角でジャガイモの草取りと草敷を手伝う。周藤先生を慕う美少女とともに。
その話は、後編としましょう。そろそろ松江に向かって走り始めないと。
明日、5月31日は、イセヒカリの「御田植え祭」なのであります!
子供たちが田植えをする前に、国引きの神を祀る神社が神事をするから、来てくださいね。
みゆきさんの誘いに乗らないわけにはいかない。
何しろ『国つ神と半農半X』なのだ。神楽と田植え、絵に描いたような話ではないか。
読んでくれてありがとうございました。後編もお楽しみに。
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