2012年6月29日金曜日

文脈日記(脱藩2周年、極私彷徨)

6月末で電通という会社を早期退職して2年が経過する。
思えば遠くに来たのかもしれない。

最近、「電通と原発報道」という本を読んだ。電通がマスメディアの原発報道をコントロールしている、という内容だ。
確かにそういうこともあるだろう。
だが、それは広告代理店の本質であって、今さら目新しい話ではない。
広告会社に限らず、会社員は会社のミッションに(ある程度は)忠実にならざるを得ない。
電通のそれはクライアント・ファーストだ。
広告屋が好きな横文字にすると何か素敵なことのように思えるが、要するに「お得意様への滅私奉公」なのですね。


元博報堂社員が書いたこの本を読んでいると、今、この瞬間にも激務をこなしている昔の愛すべき仲間たちを思い出す。どうぞ身体に気をつけて、ときには立ち止まって自分を客観的に見る時間も持ってくださいね、と言うしかない。今の僕には何もお手伝いはできないので。

電通はいい会社だった。過去形で言ってしまうが。ときにやりすぎることもあったが。
考えてみれば、今、僕が曲がりくねりながらあれこれ言っていることも電通での経験値が大きく影響している。そして電通の仲間たちに教えてもらったことは数え切れない。
そして何よりも先達、原田ボブと電通で出会わなければ、今の僕はないだろう。

僕は滅私奉公から、ごく私的な方向へ旋回して、まだ極私彷徨(ごくしほうこう)を続けている。


彷徨を共にしてくれているトレッキングシューズはまだまだ大丈夫です。脱藩時にこの靴をプレゼントしてくれた同期の皆さん、ありがとうございました。

フミメイ号の走行距離は8万1千キロを超えた。この2年間で5万キロ走っている。
どこへ向かって彷徨しているのかは、毎月の文脈研究レポートをトレースしてほしい。
実は本人にも相変わらずよく分かっていないところがあるのだが。

そろそろ本能のままに走るのはやめた方がいいのかもしれない。
でも身体が動くうちに自分の目で見て自分の耳で聞いておきたいことはまだまだあるのですね。
今年の夏にやりたいことを来年に回しても、同じように動ける保証はない。
このあたりの感覚は還暦を迎えたら皆さんにも分かるでしょう。

と上から目線になったところで、僕も立ち止まって彷徨の原点に戻ってみたい。
脱藩するとき、ミッション・シートを書いた。今から見ると、随分、素朴で幼い感じがするものだが、これが原点であったことはまちがいない。


できていることもあればできなくなったこともある。
ただ、田中文脈研究所という屋号とコンテキスターの肩書きは堅持しているつもりだ。
そして、原田ボブが掲げた住民代理店というスキームは一歩ずつ前進していると思う。

先日、綾部に行ったときに「半農半X実践編」という本を購入した。塩見直紀さんが自分でつくった半農半Xパブリッシングという出版社からの新装版だ。
ちょうど2年前の今頃にソニーマガジンズ版でこの本を読んだ。
書かれてあった塩見さんの提言に触発されて、僕は初めてコンテキスターという言葉を思いつき、こんなエントリーを書いている。


2年ぶりに新装版を再読して驚いた。この本にはすべてがあるのだ。
311を前にして塩見さんがまずは「実践編」を新装刊した意図がよく分かる。
「半農半Xのオキテ」(P36)を引用させていただこう。

今の思いを、コンパクトにまとめておくことは大事だと思う。それは、明日どうなるか分からない時代を生きている、ということにもよるが、時間をかけて考えたことのエッセンスを、それがたとえ役に立たないとしても、私たちは生きてきたエッセンスを後世に届けるべきではないか、と考えるからだ。それが「人間の仕事」ではないだろうか。ブログにもそうした面があると、私は見ている。粗削りだが、現段階の「半農半Xのオキテ」をまとめてみたい。オキテとは「すること」と「しないこと」、「大事にすべきこと」をはっきりさせるということである。 
 (1)   センス・オブ・ワンダー(sense of wonder=自然の神秘さや不思議さに目を見張る 感性)を大事にしよう 
(2)   野菜も夢も自給率をたかめよう 
(3)   plain living,high thinkingでいこう 
(4)   ブリコラージュしよう(あるものを活かして、ないものをつくっていこう) 
(5)   自分の型(かた)を持とう(ポジション&ミッションを定めよう) 
(6)   大好きなことで、小さな変革をしていこう(スローレボリューションでいこう) 
(7)   大事なことを発信し、後世に贈り物を残して逝こう 
 「戦略とは、しないことを決めること」という名言がある。言い換えれば、戦略はオキテであり、大事なことのために、何を優先するかということになる。まとめることによって、私には見えてくるものがあった。

塩見さんは自問する。最大級の罪を犯してしまった私たちは3・11以降をどう生きるか、と。
あたりまえのことをすればいい。答えはなんてシンプルなのだろう、と彼は回答し、ぶれずにさらに半農半Xに集中すべし、という決意を「新装版へのあとがき」で述べている。

農を、食を、天職を、家族を、地域を大事にするということ。蓄積した日本の和の知恵と、そして今回の代償と引き換えに得たものを磨きあげる。世界に向けて個々が陰徳を積んでいく。それしかないだろう。(P189)

ですが、塩見さん、かなしいですね。
農と食と天職と家族と地域を滅茶苦茶にしたフクシマの教訓から何も学ぼうとせずに自らが得をすることしか考えない連中がまだまだいるのですね。

子供の日に緑の鯉のぼりを立てて、原発ゼロの日を祝ったのが遠い昔のように思える。


僕たちがお借りしている綾部の1000本プロジェクト田んぼは大飯原発から35キロ程度だ。あの哲学の田んぼも里山ねっと・あやべも、いや日本列島のすべての山河が危機にさらされている。

原発だけではない。アスベストもモンサントもダムもすべては繋がって既得権益が山河の包囲網を形成している。

今こそ僕たちは声を上げなければならない。
坂本龍一が言うように自らの存在をかけて声を上げ続ける必要がある。
列島の山河と末永く協創できるようにするために。
復興から見えるあなたの未来のために。

そしてその声は無名の列島民、ひとりひとりが極私的に上げるべきものだ。

今「国民」という言葉はとても虚しい。限りなく軽い。賞味期限が切れてしまった。
だから僕は「列島民」という言葉を使う。大衆でもない、ましてや広告屋がいうところの小衆でもない。

列島民とはこの星の極東に連なる愛おしい山河で生業をする民のことだ。

政治屋がいうところの「国民」は滅私奉公しても列島民は黙ってはいけない。

なんだかアジテーション演説みたいになってきた。
だが勘弁してほしい。なにしろ脱藩2周年記念エントリーなのだから。
田中文脈研究所は自分へのアジ演なのだから。

彷徨の原点を踏まえつつ、自分の立ち位置を確認するのだったね。

僕は政治的文脈で発言したくない。
コンテキスターは文学的文化的文脈で列島の復興に向かって声を上げていきたい。
そして、それは地に足をつけたものでありたい。
天地有情に寄り添って口より土を大切にしていくこと。

脱原発のデモや集会に行くことも声の上げ方のひとつだと思う。ただし今現在の僕はデモに行く気はない。
1970年のあの敗北感がトラウマになっているのかもしれない。

声の上げ方にはさまざまな方法論があるはずだ。列島民がそれぞれ抱えているそれぞれの事情の中で声を上げればいいと思う。

僕の場合は文学的文化的に語られる復興の思想を繋いでいく。
それが田中文脈研究所という屋号を上げて、コンテキスターという肩書きをつくった者のミッションだと確認し確信した。

「文学的文化的に語られる復興の思想」などとまたコンテキスターが煙に巻こうとしている、と思われる方もいるかもしれない。

この言葉にももちろんタネ本があるのです。
当研究所ではおなじみの内山節「文明の災禍」だ。

課題はこれからの日本の社会づくりの思想とは何かである。私はそれは文学的、あるいは文化的に語られるべきものなのではないかと考えている。 たとえば海の偉大さを感じながら暮らすことのできる町、ということでもいい。学校帰りに子どもたちが道路や草原で遊んでいる町、でもいい。お祭りにみんなが集まってくる町でも、高齢者たちの笑声が聞こえてくる町でもいい。風の中に自然を感じることができる町でも、仕事帰りの人たちが充足感に満ちた表情をしている町でもいい。 私がいう文学的、文化的とはそんなことであり、それはどんなことでもよいだろう。私が主張したいのは、まずこのようなところから、グランド・デザインを語るべきだ、ということである。自分たちはこれからどんな社会をつくっていきたいのかを、こんなふうに語るところからはじめるべきだと私は思っている。(P128)

「平家物語」や「奥の細道」など近代以前の日本の思想はつねに文学によって語られてきた、と内山節は言う。「諸行無常の響き」や「月日は百代の過客」という表現は文学であると同時に思想でもあったのだ。

復興のグランド・デザインが何らかの設計計画だと考えている人たちは、おそらく、いま歴史が超えさせようとしているものに気づいていないのであろう。(中略)大事なことは、まず、自分たちがつくっていきたい自分たちの生きる世界を、文学的に、文化的に語ることである。その語りのなかにこめられている思想をつかみとること、グランド・デザインはこのなかにある。「文明の災禍」(P129)

ここにひとつの映像とその書き起こしがある。

ドジョウに例えられる政治家が大飯原発を再稼働させるために詭弁を弄した日のちょうど一年前、村上春樹がスペインで行ったカタルーニャ国際賞授賞式のスピーチだ。

「非現実的な夢想家」


復興の思想を文学的文化的に語るとはこういうことなのだ。

ドジョウの戯言がマスコミで垂れ流されるのなら、僕には村上春樹の夢想を何度でも反芻する権利がある。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
ヒロシマに刻まれたこの言葉から始まった日本の戦後がなぜフクシマに至ってしまったのかを小説家は切れ味鋭く、説き起こす。

理由は簡単です。「効率」です。efficiency.
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。(中略)そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくなってもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、地獄の蓋を開けてしまったかのような、無残な状態に陥っています。それが現実です。

「非現実的な夢想家」が「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかれずに力強く前に進む様子を村上春樹は生き生きと描写している。

壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれできるかたちで、しかし心をひとつにして。その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関わる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉を連結させなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

一人ひとりがそれぞれできるかたちで、しかし心を一つにして。
一人ひとりがそれぞれの立ち位置で地に足をつけて声を上げていくこと。
既得権益が夢想だという、この列島の新しい倫理と規範を創造する仕事は楽しいことのはずである。

電通を脱藩して2年が経過した今、僕も非現実的な夢想家の列に加わる資格だけはできたようだ。文学的文化的に復興コンテキストを繋いでいくお手伝いはできると思う。

脱藩時の大送別会
なにものに対しても「滅私奉公」してはならない。「滅私」するのを既得権益は待っている。
「私」が滅したら、誰かさんの悪だくみが増していく。

電力についても列島民は我慢をする必要はないと思う。
もちろん限られた資源を無駄遣いすることはないが、計画停電の脅しに屈して我慢をするのはいつか来た道だ。

すなわち、「欲しがりません、勝つまでは」の再来だ。
電気を使う人間が非国民と言われる時代を招いてはならない。
声を上げた人間を非国民と吊し上げて、ヒロシマまで至った歴史を忘れてはならない。

「快適で楽しい生活」を欲しがって何が悪い、と大きな声を出そう。
ただし、その生活が今までと同じような「大都市における豊かで人間的な暮らし」(ドジョウ宰相の詭弁より)だとしたら新しい倫理と規範ではない。

またしても長いエントリーになってすみませんが、ここで「半農半Xのオキテ」に戻っていただきたい。

地に足をつけて声を上げる、とは比喩ではないのです。

小さな農があり、わたしとあなたの使命多様性を認めて、ありもの探し(ブリコラージュ)をしていく「半農半X」は新しい倫理と規範のひとつではないだろうか。

復興思想の文学的文化的表現として「半農半X」は際立っている。

ようやく塩見直紀と内山節と村上春樹が繋がった。お待たせしました(笑w)。


311後、若者たちの価値観は急旋回をしている。
都会から地域へ。「効率」の経済から「心地よさ」の経済へ。
地に足をつけた村楽パルチザンは今も既得権益と戦いつづけている。

天地有情に寄り添って快適で楽しい生活を欲しがることをやめてはいけない。
天地とは自然のことである。有情とは生きもののことである。
欲しがり方を変えれば、「豊かで人間的な暮らし」はそこにあるのだ。

そして脱藩2周年記念の無謀な試みとして、僕も及ばずながら、新しい倫理と規範を新しい言葉に連結してみよう。

極私彷徨している僕が現時点でたどりついた「上山集楽」における「協創ガバナンス」とは?

「協創ガバナンス」とは自立した個の群れが天地有情と力を合わせて行う連帯統治である。

お察しのとおり、このことの解説は宿題にします。
文学的文化的に復興思想を繋いでいく僕の彷徨はまだまだ続きそうなので。

あとから来る者のために、まだ立ち止まるわけにはいかないようだ。



2 件のコメント:

  1. 奉公から彷徨へ。次は咆哮やな。LOCの咆哮。

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    1. さすがにボブは分かってらっしゃる。実は下書きでは「咆哮」まで書いていたのだが、照れくさくなってやめてしまった。小型犬の咆哮は迫力がないので。そこは誰かに任せて、今しばらくさまようことにいたしましょう。
      ちなみにLOCとはLast Occupied Childrenの略。1952年生まれの「最後の占領された子供たち」のことです。

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