メイちゃんは? とあんなが聞く。
メイちゃん、ねんね! と家族全員が答える。
うちのメイが旅立った。
2歳1ヶ月のあんなに「旅立ち」がどこまで理解できたのかは分からないが。
1996年8月から2013年8月24日まで17年間、ずっといっしょにいた存在が突然、不在になると心臓の周りの肉をごっそり削られたような気分になる。
パピヨンという犬種を選んだのは「とても陽気で楽しく飼いやすい。辛いことがあってもなぐさめられる」と犬選びガイドに書いてあったからだ。
犬と暮らそうと決めたのは小さな頃から動物好きだった次男の切なる願いがあったから。
メイと名づけたのには深いわけがある。うちの山の神の名前が五月(さつき)で、五月の子分はメイという名前に決まっていたので。詳しくは『となりのトトロ』を見てください。
この1年ほどのメイは外には出ずに家の中で気ままにふるまっていた。
ちょっと認知症が入って、おしっこもうんちもお好きなところでする特権まで持って。
食欲は旺盛で、今自分が食べたことも忘れておねだりをする。
昔からひとりで留守番をするのは平気な子だったが、晩年は山の神が出て行くと、ずっとドアのそばで待つことが多かった。
家族全員で留守をすることはなく、誰かが家に残ってメイとともにいる、というのがうちの生活パターンだった。6月の時点ではまだまだ元気で、僕たちは9月までは死ぬことはないな、と話し合っていた。
死の一週間前、松江に帰る山の神を見送るメイ。じじが居残るんだけど、ちゃんと面倒みてくれるのかなあ、というまなざしをしている。この頃は足もしっかり踏ん張れたし、ぷるぷるもできた。
ふらついた後に、きゃいーんと悲鳴をあげて倒れおしっこを漏らす発作が起こっていたメイを獣医さんに見せたとき、犬はぷるぷるができれば大丈夫だと言われていた。
8月24日、土曜日。
朝からメイの様子がおかしい、と次男が言う。山の神も同意する。
ずっと立ったままだ。寝ようとしない。どうやら頭を下げると苦しいようだ。
それでもメイの腹は減る。食欲はある。
見かねた山の神がだっこをする。だっこをして寝やすい位置に彼女の頭をキープする。
夕飯の準備をするため、山の神に代わって僕がだっこをする。突然、いやいやをし始める。僕は慌てて、山の神にメイを渡す。
これはもしかして。もしかして……。
17年間、ずっとメイの守り神だった隣人を呼ぶ。そして、近くに住む長男と外出している次男に電話をした。
その瞬間はふわーっと訪れた。
「メイの足の力が抜けていく」と山の神。
「水を口に含ませてあげて」と隣人。
ふわーっと命は空に憧れて行った。
メイの眼は命が上がっても地上で開いている。
帰って来た次男にだっこされても、まだ眼は次男を見つめているようだった。
「眼を閉じて」と僕。「閉じない」と次男。
祭壇をつくった。通夜の準備をする。山の神が絵本を持ってくる。
「ずっーと、ずっとだいすきだよ」どうやらこの本は次男の小学校の教科書に載っていたらしい。それを山の神が気に入って絵本をずっと持っていたとのこと。
この本が出た1985年は次男が生まれた年でもある。
僕はメイの写真を集め始める。突然、メイ写真集をつくりたくなった。
今、僕のiPadにはメイのスライドショーがある。BGMは荒井由実「ひこうき雲」だ。
遺影は「ちょうだいちょうだいメイ」にした。ペット霊園に電話をしてお骨箱に収めるサイズの写真もつくる。何かをしていないと気持ちの納めどころがないのだ。
長男と次男はメイに添い寝する。
翌日は雨。ずっと日照りが続いていたのに雨。
うちの家族にとっては鉄錆色の味がする雨。
線香は絶やさない。デジタルフォトフレームを買ってきてメイの写真を映し続ける。
これまで、何度も親しい人を送り出してきた。その場合は葬儀社が来てあれやこれやと言ってくる。あれは悲しみを置き忘れるために編み出された方法論でもあるのだ。
犬の場合はすべて自分たち家族の判断に任される。メイは元々、無口でなんの遺言もしていないし……。
2日目の夜もメイをひとりにはしなかった。
悲しみは悲しみとして家に置いておくとしても、メイの身体はそのままにはできない。
3日目、火葬に出発する前に、長男が提案した。
いまから、家族ひとりひとりでメイにお別れを言おう。
順番にひとりだけでメイの部屋に入ること。時間無制限で。ちゃんとメイに御礼と挨拶をすること。
それから、メイと家族の写真を撮ろう。
長男がフェースブックで言っていた「悔いのないやり方で送り出す」とはこういうことだったのか。
なんだか成長しやがって。
僕もメイのそばに行く。なんだかごにょごにょとメイに話しかけるが、何が何だか分からない。
ありがとうとか先にいっとけとか。
メイは40時間を経過しても、そのままのメイだった。
ペット霊園につく。火葬車に入れる。みんなで見送る。メイ、行ってらっしゃい!
あとは待つだけ。
メイの骨は尻尾の先から喉仏まできれいだった。家族全員で骨を拾ってお骨箱にいれる。
そしてメイは家に帰って来た。10月11日の四十九日までは家にいる。
僕は変人でへそ曲がりなので「ペットロス症候群」などというおしゃれなものとは縁がないと思う。
手持ちの「睡眠時無呼吸症候群」だけで精一杯だ。夜中に叫ぶのは僕の日常なのだ。
夜中に眼が覚めて、寝ぼけながらベッドを降りるときに足下を白いものが動くような気がすること。これは、毎晩酔っぱらっているのでしかたがないことである。
メイのうんちを最後に踏んだ足裏のぐにゅとした感覚がときどき蘇ること。これは年の割には鋭敏な皮膚感覚を維持しているということで、よしとしよう。
家に帰ってドアを開けると、そこで尻尾を振っているメイがいないこと。これは物理的現象としてはあたりまえのことである。
そもそも、メイのことはお母さんにまかせっぱなしで、家の外にしか目を向けなかったお父さんなんだから。
それでも、そもそも喪失感というのはやっかいなものではあるな。
弔電代わりにある人が送ってくれた唄を聞いて荒治療をしたほうがいいのかもしれない。
Leftover Cuties~You Are My Sunshine
寝苦しい夜、ベッドにうつ伏せになって、右手をベッドサイドから下ろすと僕の叫び声で逃げ出していったメイが、その手に鼻面を押しつけてくることがあった。
僕は寝ぼけながら、メイを撫でる。メイは何度も何度も僕の右手を求める。
そんなこともあった、という事実をふと想い出しただけだが。
想像力は時として権力を奪取するが、想像力は涙腺を刺激する。
フミメイの半分はメイだったのだ。
メイちゃん、ねんね! と家族全員が答える。
うちのメイが旅立った。
2歳1ヶ月のあんなに「旅立ち」がどこまで理解できたのかは分からないが。
パピヨンという犬種を選んだのは「とても陽気で楽しく飼いやすい。辛いことがあってもなぐさめられる」と犬選びガイドに書いてあったからだ。
犬と暮らそうと決めたのは小さな頃から動物好きだった次男の切なる願いがあったから。
メイと名づけたのには深いわけがある。うちの山の神の名前が五月(さつき)で、五月の子分はメイという名前に決まっていたので。詳しくは『となりのトトロ』を見てください。
食欲は旺盛で、今自分が食べたことも忘れておねだりをする。
昔からひとりで留守番をするのは平気な子だったが、晩年は山の神が出て行くと、ずっとドアのそばで待つことが多かった。
家族全員で留守をすることはなく、誰かが家に残ってメイとともにいる、というのがうちの生活パターンだった。6月の時点ではまだまだ元気で、僕たちは9月までは死ぬことはないな、と話し合っていた。
死の一週間前、松江に帰る山の神を見送るメイ。じじが居残るんだけど、ちゃんと面倒みてくれるのかなあ、というまなざしをしている。この頃は足もしっかり踏ん張れたし、ぷるぷるもできた。
ふらついた後に、きゃいーんと悲鳴をあげて倒れおしっこを漏らす発作が起こっていたメイを獣医さんに見せたとき、犬はぷるぷるができれば大丈夫だと言われていた。
8月24日、土曜日。
朝からメイの様子がおかしい、と次男が言う。山の神も同意する。
ずっと立ったままだ。寝ようとしない。どうやら頭を下げると苦しいようだ。
それでもメイの腹は減る。食欲はある。
見かねた山の神がだっこをする。だっこをして寝やすい位置に彼女の頭をキープする。
夕飯の準備をするため、山の神に代わって僕がだっこをする。突然、いやいやをし始める。僕は慌てて、山の神にメイを渡す。
これはもしかして。もしかして……。
17年間、ずっとメイの守り神だった隣人を呼ぶ。そして、近くに住む長男と外出している次男に電話をした。
その瞬間はふわーっと訪れた。
「メイの足の力が抜けていく」と山の神。
「水を口に含ませてあげて」と隣人。
ふわーっと命は空に憧れて行った。
メイの眼は命が上がっても地上で開いている。
帰って来た次男にだっこされても、まだ眼は次男を見つめているようだった。
「眼を閉じて」と僕。「閉じない」と次男。
「ずっーと、ずっとだいすきだよ」どうやらこの本は次男の小学校の教科書に載っていたらしい。それを山の神が気に入って絵本をずっと持っていたとのこと。
この本が出た1985年は次男が生まれた年でもある。
今、僕のiPadにはメイのスライドショーがある。BGMは荒井由実「ひこうき雲」だ。
遺影は「ちょうだいちょうだいメイ」にした。ペット霊園に電話をしてお骨箱に収めるサイズの写真もつくる。何かをしていないと気持ちの納めどころがないのだ。
長男と次男はメイに添い寝する。
翌日は雨。ずっと日照りが続いていたのに雨。
うちの家族にとっては鉄錆色の味がする雨。
線香は絶やさない。デジタルフォトフレームを買ってきてメイの写真を映し続ける。
これまで、何度も親しい人を送り出してきた。その場合は葬儀社が来てあれやこれやと言ってくる。あれは悲しみを置き忘れるために編み出された方法論でもあるのだ。
犬の場合はすべて自分たち家族の判断に任される。メイは元々、無口でなんの遺言もしていないし……。
2日目の夜もメイをひとりにはしなかった。
悲しみは悲しみとして家に置いておくとしても、メイの身体はそのままにはできない。
3日目、火葬に出発する前に、長男が提案した。
いまから、家族ひとりひとりでメイにお別れを言おう。
順番にひとりだけでメイの部屋に入ること。時間無制限で。ちゃんとメイに御礼と挨拶をすること。
それから、メイと家族の写真を撮ろう。
長男がフェースブックで言っていた「悔いのないやり方で送り出す」とはこういうことだったのか。
なんだか成長しやがって。
僕もメイのそばに行く。なんだかごにょごにょとメイに話しかけるが、何が何だか分からない。
ありがとうとか先にいっとけとか。
メイは40時間を経過しても、そのままのメイだった。
ペット霊園につく。火葬車に入れる。みんなで見送る。メイ、行ってらっしゃい!
あとは待つだけ。
メイの骨は尻尾の先から喉仏まできれいだった。家族全員で骨を拾ってお骨箱にいれる。
そしてメイは家に帰って来た。10月11日の四十九日までは家にいる。
僕は変人でへそ曲がりなので「ペットロス症候群」などというおしゃれなものとは縁がないと思う。
手持ちの「睡眠時無呼吸症候群」だけで精一杯だ。夜中に叫ぶのは僕の日常なのだ。
夜中に眼が覚めて、寝ぼけながらベッドを降りるときに足下を白いものが動くような気がすること。これは、毎晩酔っぱらっているのでしかたがないことである。
メイのうんちを最後に踏んだ足裏のぐにゅとした感覚がときどき蘇ること。これは年の割には鋭敏な皮膚感覚を維持しているということで、よしとしよう。
家に帰ってドアを開けると、そこで尻尾を振っているメイがいないこと。これは物理的現象としてはあたりまえのことである。
そもそも、メイのことはお母さんにまかせっぱなしで、家の外にしか目を向けなかったお父さんなんだから。
それでも、そもそも喪失感というのはやっかいなものではあるな。
弔電代わりにある人が送ってくれた唄を聞いて荒治療をしたほうがいいのかもしれない。
Leftover Cuties~You Are My Sunshine
寝苦しい夜、ベッドにうつ伏せになって、右手をベッドサイドから下ろすと僕の叫び声で逃げ出していったメイが、その手に鼻面を押しつけてくることがあった。
僕は寝ぼけながら、メイを撫でる。メイは何度も何度も僕の右手を求める。
そんなこともあった、という事実をふと想い出しただけだが。
『虹の橋』
天国の、ほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。
この地上にいる誰かと愛しあっていた動物たちは、死ぬと『虹の橋』へ行くのです。そこには草地や丘があり、彼らはみんなで走り回って遊ぶのです。たっぷりの食べ物と水、そして日の光に恵まれ、彼らは暖かく快適に過ごしているのです。
病気だった子も年老いていた子も、みんな元気を取り戻し、傷ついていたり不自由なからだになっていた子も、元のからだを取り戻すのです。まるで過ぎた日の夢のように。
みんな幸せで満ち足りているけれど、ひとつだけ不満があるのです。それは自分にとっての特別な誰かさん、残してきてしまった誰かさんがここにいない寂しさを感じているのです。
動物たちは、みんな一緒に走り回って遊んでいます。でも、ある日その中の1匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。その瞳はきらきら輝き、からだは喜びに小刻みに震えはじめます。
突然その子はみんなから離れ、緑の草の上を走りはじめます。速く、それは速く、飛ぶように。あなたを見つけたのです。あなたとあなたの友は、再会の喜びに固く抱きあいます。そしてもう二度と離れたりはしないのです。幸福のキスがあなたの顔に降りそそぎ、あなたの両手は愛する動物を優しく愛撫します。
そしてあなたは、信頼にあふれる友の瞳をもう一度のぞき込むのです。あなたの人生から長い間失われていたけれど、その心からは一日たりとも消えたことのなかったその瞳を。
それからあなたたちは、一緒に「虹の橋」を渡っていくのです。
原作者不詳 和訳:YORISUN
想像力は時として権力を奪取するが、想像力は涙腺を刺激する。
フミメイの半分はメイだったのだ。
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