朝からあの日のことを思い出しながら、日本ペンクラブの「いまこそ私は原発に反対します」を読み続けていた。
僕は復興に関して、哲学者、内山節の以下の言葉に今も寄り添っている。
復興のグランド・デザインが何らかの設計計画だと考えている人たちは、おそらく、いま歴史が超えさせようとしているものに気づいていないのであろう。
(中略)
大事なことは、まず、自分たちがつくっていきたい自分たちの生きる世界を、文学的に、文化的に語ることである。
その語りのなかにこめられている思想をつかみとること、グランド・デザインはこのなかにある。
自分の明日を「文学的」に想像してみよう。
原発がそこになじまないなら、もういらないということだ。
あの日から今に至るまで原発を巡る政治的文脈の本が氾濫している。
でも自分たちの明日を文学的に想像して違う世界を創造する物語を編んだ本は少ない。
この本の第二章は 【紡がれた物語】。
ここに編まれた9編の物語は文学的に文化的に復興を想像する示唆に富んでいる。
特に以下の2編は必読。
中島京子 よい未来のための小説
吉岡忍 老人と牛
第三章 【うたう、詠む、訴える】。
日本の短詩が内包している想像力と静謐さが持つ力に敬意を表する。
以下、黒田杏子の【「福島」から「うつくしま」への禱りをこめて】から抜粋。
白百合の天に黙祷以後寡黙 林十市郎
さくらさくらさくらさくら万の死者 桃心地
3月の11日を生きて詫ぶ 田口昭子
揚雲雀農夫これよりどう生きる 植木緑愁
草を引き落ち葉を掃いて道遠し 坂本玄々
広島の長崎のああ福島忌 保井甫
倒木を山と積む浜福島忌 齋藤耕心
放射能の雨降る青田眺め立つ 佐藤きよし
そして、俵万智の【目の前の命を】まで読み進んでページを繰る手が止まってしまった。
子を連れて西へ西へと逃げていく愚かな母と言うならば言え
まだ恋も知らぬ我が子を思うとき「直ちには」とは意味なき言葉
簡単に安心させてくれぬゆえ水野解説員信じる
水野解説員、311直後のNHKでただひとり他の専門家たちとは違う情報を伝えようとしていた男。彼は今、NHKの中でどんな存在になっているのだろうか、と想像してみる。
僕は二年前の今日からしばらく、取り憑かれたようにツイッターとテレビに張りついて震災と原発情報をキュレーションし続けた。
フミメイは2011年3月15日に257件のツイートをしている。僕の家族と僕の友人に僕が正しいと思う情報を伝えるため必死だった。
田中文夫@fumimay
世界の原発史上、かなりのことが起こっている。人体に影響がある。NHKテレビなう。水野解説員の話です。最大400ミリシーベルトは一瞬浴びただけで症状が起こる。一般の人がいるとは考えられないが。
posted at 11:35:07 2011年3月15日
この日の夜、最終の新幹線でうちの嫁は東京から箕面に逃げてきた。
たくさんの外国人たちとともに。
僕は今日一日、日本ペンクラブ会長浅田次郎の気持ちを胸の深いところにしまいこんで、また自分の思いを書き続けよう。
私たちの先人は第二次世界大戦中に、思うところを書くことができず、むろん書物にして汎く訴えることなど許されませんでした。執筆者のみなさんはおそらく、そうした先人の無念に思いを致しながら、存分に筆を揮われたはずです。
かつて核兵器の惨禍を体験してしまった私たちが、またしても原発事故という同根の災厄をひき起こしてしまった事実は、責任の帰趨を論ずる以前に、国家としての屈辱であり、歴史に対する背信であると私は考えます。
この困難を国民こぞっての叡智で乗り越えなければ、たとえ日本という国が世界地図上に残っても、その存在価値は喪われてしまいます。
ねがわくばこの一書が、ひとりでも多くの読者の目に触れて、正しい議論の糧となり、日本と人類の未来を明るく照らしますように。
「いまこそ私は原発に反対します」はじめに
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