南房総にある鴨川自然王国といえば、農的生活の老舗です。
32年前に藤本敏夫さんが始めた多目的農園は今も半農半Xの最先端として全国から人と志を集めています。
当時も今もスローガンは「楽しくなきゃ人生じゃない。楽しくなきゃ王国じゃない」
英田上山棚田団の「楽しいことは正しいこと」と共通点がありますね。
加藤登紀子さんはこのコミュニティのことをこう語っています。
亡くなった藤本敏夫が築いた鴨川自然王国。
ここには、大切な「時間と空間」があると彼は言っていました。
天水の田んぼ、四季の野菜を育てる畑、美しい里山の風景。
生き生きとした未来を見つけるために、ともに農作業に汗を流し、
たき火や食卓を囲んで語り合える、それが鴨川自然王国です。
鴨川自然王国と深く関わっている半農半ジャーナリストの高野孟さんが311後に始めたのが大山村塾(おおやまそんじゅく)。
鴨川山中の小さな会場に民主党元総理や自民党総裁候補が来たりする破天荒な場として注目を集め、現代の松下村塾と言われているところです。
この塾に塩見直紀さんの縁脈で棚田団が招かれました。塩見さんは英田上山棚田団の会員でもあり、毎年開催される「土と平和の祭典」で鴨川とも深い関わりがあります。
2013年2月9日、大山村塾第六回講演会。
「限界集落?限界は突破するためにある!競争社会から協創社会へ」
メイン講師は棚田団の切り込み隊長かっち(西口和雄)。そして協創LLP代表のボブ(原田明)。棚田団の常としてサポーターたちも走って行きます。かっちのナビゲーターお喜楽美々(西口しのぶ)、MLATのウメちゃん(梅谷真慈)、そしてコンテキスターのフミメイ(田中文夫)。
会場には続々と聴衆が来てくれます。地元のお年寄りとIターンの若者たち。その熱気の中でかっちがしゃべり始めました。
あの歴史的な野焼きの映像を流しながら、かっちが突然、声を詰まらせます。上山の長老が野焼き後の石垣を見て「生きているうちにまた見られるとは思わなかった」と泣いてくれたこと。そのことを思い出すと自分はいつも泣けてくること。かっちのテンションが上がっていきます。
話は、やりたいことを「やりゃええが」と認める上山地区住民とのエピソードへと続き、棚田団と村人たちの信頼資本の蓄積が聴衆たちの心に浸透していくようでした。
講演後はもちろん懇親会です。こちらも大勢の人たちに集まっていただき縁脈は次々と深まります。さらには竹藪の中の不思議な焼肉屋さんで夜の更けるまでご縁会は続きました。
半農半陶芸家、杉山春信さんのご自宅に泊めていただいた翌日も快晴。
旅する地域おこし協力犬、上山ゴローとめりぃを連れて、まずは杉山さんのCafé SASAYAへ。
木漏れ日の中で戯れる犬たちを見ながら、笹谷窯で焼いたカップで珈琲をいただくと「ああ鴨川に来てよかったな」という気持ちが込みあげてきます。
やっぱり空間つくりというのは地域つくりの基本なのですね。
杉山さんにおもてなしの御礼を言ったあとは、いよいよ憧れの鴨川自然王国訪問です。
道中に広がる棚田はすべて天水だと聞いて上山メンバーは「大芦池の水を分けてあげたいね」などとしゃべっているうちに、王国の山賊小屋から棚田を見下ろすときがきました。
東の王国を支える高野さんと西の王国を目指すかっち、このツーショットはもしかしたら歴史的な縁脈になるのかもしれません。
そして気持ちのいい山道を降りていくと、そこにも明るいCafé Enがありました。鴨川自然王国の縁と緑を繋ぐ光のあふれるテラス、そして藤本敏夫記念館。
なるほどここで数々の伝説が生まれたのだな、と感慨にふけっていると、そこにふらっと現れたのはYaeさん。加藤登紀子さんの次女であり半農半歌手です。
そしてYaeさんのパートナーであり農事組合鴨川自然王国代表理事の藤本博正さんも。
かっちと藤本さんはたちまち次の農的ビジネスについて熱く語り始めます。その後ろで藤本敏夫さんが未来を見とおしているような目をしていたことがとても印象的でした。そのまなざしが写真の中だけなのが残念です。
藤本夫妻と次は上山でお会いしましょう、という約束をして向かったのは「大山千枚田」。休日とあって次々と人が集まってきているのが棚田倶楽部です。そこから見下ろす棚田は確かに丁寧に人の手が入っている感じがします。
しかし、まだまだ見えるところにブッシュが残っていたりするのが少し残念、とかっちは大山千枚田保存会事務局長の浅田さんと話しあいを続けます。
かっちは今、全国各地に出かけて講演をしています。その旅は一過性のものではなく持続的な未来型のネットワークを繋ぐためのもの。ですからその地を訪れた時には、かっちの気づいたこと、かっちが気づかされたことを「知恵と知恵の物々交換」します。
とはいえ、棚田団のやることですから、決して堅苦しい雰囲気にはなりません。この日も思いがけないことがありました。近くでブルーベリー園を運営している池田さんから美々へ花束のプレゼント。房総の春が美々の腕の中で輝いていました。
次の交流場は半農半地球芸術家、林良樹さんのフィールドです。
彼は86歳の長老、栢尾(かやお)さんに導かれて鴨川に根を下ろしたとのこと。
「もうこれから二度と他所者という言葉は使わないことにしよう」を合い言葉にして若者たちとバカ者たちを受け入れる下地が鴨川の長老たちにはあったようです。
林さんの家の周りはまるごと311後の新しい暮らしの展示場でした。
コンポスト・トイレ、チキントラクター、キッチンガーデン、スローサンドフィルター、ロケットストーブ、とても刺激的なお話をぜひ上山でもしてほしいとお願いしました。
さらに林さんの案内でawanova(アワノバ)へ。
安房(あわ)の市場は毎月1回新月の日にオープンするオーガニック・コミュニティ・マーケット&カフェ。
この日がたまたま新月だったところにも棚田団の縁脈力の強さを感じます。
そこには講演を聞いてくださった方たちもいて、お褒めの言葉をいただき恐縮しました。
鴨川訪問の最後は池田ブルーベリー園です。
今、棚田団は上山に果樹を植樹していく計画を進めています。ウメちゃんがブルーベリーをもらえる話があって、その育て方を悩んでいたところでした。
そんなときに効率を求めず独自のノウハウでおいしいブルーベリーを育てている池田さんと出会うとは、なんだか上山神社のご加護がついているみたいですね。
今回の大山村塾と鴨川自然王国訪問では数々の「ここちよいおもてなし」をしていただきました。
それは老舗の日本旅館のように行き届いたおもてなしであり、棚田団は「気持ちいい」を連発してしまいました。
お世話になった皆様に感謝です。
鴨川自然王国には長い時間が紡ぎ出した確かな芯のような空間がありました。
その大切な「時間と空間」を共有させていただいたことを棚田団の今後の励みにしていきます。
藤本敏夫さんが政治的文脈から訣別してこの王国を設立したのは1981年。
2002年8月に藤本さんの最後のメッセージ「農的幸福論」が掲載された同じ本で塩見さんが初めて「半農半X」を提唱されたという奇跡のようなできごと。
その半農半X的縁脈史に英田上山棚田団が連なることができたことを誇りしたいに思います。
「プラスはいつかマイナスに、マイナスはいつかプラスに転換する。もう少し、プラスが行くところまで行き、マイナスが成熟するのを待たなあかん」
(故藤本敏夫さんの口癖)
32年前に藤本敏夫さんが始めた多目的農園は今も半農半Xの最先端として全国から人と志を集めています。
当時も今もスローガンは「楽しくなきゃ人生じゃない。楽しくなきゃ王国じゃない」
英田上山棚田団の「楽しいことは正しいこと」と共通点がありますね。
加藤登紀子さんはこのコミュニティのことをこう語っています。
亡くなった藤本敏夫が築いた鴨川自然王国。
ここには、大切な「時間と空間」があると彼は言っていました。
天水の田んぼ、四季の野菜を育てる畑、美しい里山の風景。
生き生きとした未来を見つけるために、ともに農作業に汗を流し、
たき火や食卓を囲んで語り合える、それが鴨川自然王国です。
鴨川自然王国と深く関わっている半農半ジャーナリストの高野孟さんが311後に始めたのが大山村塾(おおやまそんじゅく)。
鴨川山中の小さな会場に民主党元総理や自民党総裁候補が来たりする破天荒な場として注目を集め、現代の松下村塾と言われているところです。
この塾に塩見直紀さんの縁脈で棚田団が招かれました。塩見さんは英田上山棚田団の会員でもあり、毎年開催される「土と平和の祭典」で鴨川とも深い関わりがあります。
2013年2月9日、大山村塾第六回講演会。
「限界集落?限界は突破するためにある!競争社会から協創社会へ」
メイン講師は棚田団の切り込み隊長かっち(西口和雄)。そして協創LLP代表のボブ(原田明)。棚田団の常としてサポーターたちも走って行きます。かっちのナビゲーターお喜楽美々(西口しのぶ)、MLATのウメちゃん(梅谷真慈)、そしてコンテキスターのフミメイ(田中文夫)。
会場には続々と聴衆が来てくれます。地元のお年寄りとIターンの若者たち。その熱気の中でかっちがしゃべり始めました。
あの歴史的な野焼きの映像を流しながら、かっちが突然、声を詰まらせます。上山の長老が野焼き後の石垣を見て「生きているうちにまた見られるとは思わなかった」と泣いてくれたこと。そのことを思い出すと自分はいつも泣けてくること。かっちのテンションが上がっていきます。
話は、やりたいことを「やりゃええが」と認める上山地区住民とのエピソードへと続き、棚田団と村人たちの信頼資本の蓄積が聴衆たちの心に浸透していくようでした。
講演後はもちろん懇親会です。こちらも大勢の人たちに集まっていただき縁脈は次々と深まります。さらには竹藪の中の不思議な焼肉屋さんで夜の更けるまでご縁会は続きました。
半農半陶芸家、杉山春信さんのご自宅に泊めていただいた翌日も快晴。
旅する地域おこし協力犬、上山ゴローとめりぃを連れて、まずは杉山さんのCafé SASAYAへ。
やっぱり空間つくりというのは地域つくりの基本なのですね。
杉山さんにおもてなしの御礼を言ったあとは、いよいよ憧れの鴨川自然王国訪問です。
道中に広がる棚田はすべて天水だと聞いて上山メンバーは「大芦池の水を分けてあげたいね」などとしゃべっているうちに、王国の山賊小屋から棚田を見下ろすときがきました。
東の王国を支える高野さんと西の王国を目指すかっち、このツーショットはもしかしたら歴史的な縁脈になるのかもしれません。
そして気持ちのいい山道を降りていくと、そこにも明るいCafé Enがありました。鴨川自然王国の縁と緑を繋ぐ光のあふれるテラス、そして藤本敏夫記念館。
そしてYaeさんのパートナーであり農事組合鴨川自然王国代表理事の藤本博正さんも。
かっちと藤本さんはたちまち次の農的ビジネスについて熱く語り始めます。その後ろで藤本敏夫さんが未来を見とおしているような目をしていたことがとても印象的でした。そのまなざしが写真の中だけなのが残念です。
藤本夫妻と次は上山でお会いしましょう、という約束をして向かったのは「大山千枚田」。休日とあって次々と人が集まってきているのが棚田倶楽部です。そこから見下ろす棚田は確かに丁寧に人の手が入っている感じがします。
しかし、まだまだ見えるところにブッシュが残っていたりするのが少し残念、とかっちは大山千枚田保存会事務局長の浅田さんと話しあいを続けます。
かっちは今、全国各地に出かけて講演をしています。その旅は一過性のものではなく持続的な未来型のネットワークを繋ぐためのもの。ですからその地を訪れた時には、かっちの気づいたこと、かっちが気づかされたことを「知恵と知恵の物々交換」します。
とはいえ、棚田団のやることですから、決して堅苦しい雰囲気にはなりません。この日も思いがけないことがありました。近くでブルーベリー園を運営している池田さんから美々へ花束のプレゼント。房総の春が美々の腕の中で輝いていました。
次の交流場は半農半地球芸術家、林良樹さんのフィールドです。
彼は86歳の長老、栢尾(かやお)さんに導かれて鴨川に根を下ろしたとのこと。
「もうこれから二度と他所者という言葉は使わないことにしよう」を合い言葉にして若者たちとバカ者たちを受け入れる下地が鴨川の長老たちにはあったようです。
林さんの家の周りはまるごと311後の新しい暮らしの展示場でした。
コンポスト・トイレ、チキントラクター、キッチンガーデン、スローサンドフィルター、ロケットストーブ、とても刺激的なお話をぜひ上山でもしてほしいとお願いしました。
さらに林さんの案内でawanova(アワノバ)へ。
安房(あわ)の市場は毎月1回新月の日にオープンするオーガニック・コミュニティ・マーケット&カフェ。
この日がたまたま新月だったところにも棚田団の縁脈力の強さを感じます。
そこには講演を聞いてくださった方たちもいて、お褒めの言葉をいただき恐縮しました。
鴨川訪問の最後は池田ブルーベリー園です。
今、棚田団は上山に果樹を植樹していく計画を進めています。ウメちゃんがブルーベリーをもらえる話があって、その育て方を悩んでいたところでした。
そんなときに効率を求めず独自のノウハウでおいしいブルーベリーを育てている池田さんと出会うとは、なんだか上山神社のご加護がついているみたいですね。
今回の大山村塾と鴨川自然王国訪問では数々の「ここちよいおもてなし」をしていただきました。
それは老舗の日本旅館のように行き届いたおもてなしであり、棚田団は「気持ちいい」を連発してしまいました。
お世話になった皆様に感謝です。
鴨川自然王国には長い時間が紡ぎ出した確かな芯のような空間がありました。
その大切な「時間と空間」を共有させていただいたことを棚田団の今後の励みにしていきます。
藤本敏夫さんが政治的文脈から訣別してこの王国を設立したのは1981年。
2002年8月に藤本さんの最後のメッセージ「農的幸福論」が掲載された同じ本で塩見さんが初めて「半農半X」を提唱されたという奇跡のようなできごと。
その半農半X的縁脈史に英田上山棚田団が連なることができたことを誇りしたいに思います。
「プラスはいつかマイナスに、マイナスはいつかプラスに転換する。もう少し、プラスが行くところまで行き、マイナスが成熟するのを待たなあかん」
(故藤本敏夫さんの口癖)
0 件のコメント:
コメントを投稿