相変わらず走り回っている。
愛車、フミメイ号の走行距離は4年で6万4千キロ、この1年で3万キロ以上、走っている。さすがに傷だらけになってきた。
僕の身体も首肩腰が凝り固まっている。
どこへ走っているのか。山や川や森や田や海だ。つまり都会以外の方向性だ。
これらを総称してなんと呼べばいいのか、考えてしまう。
地方、地域、田舎、中山間地、村、様々な言葉があるが、どれも一面的な感じがする。
そういう意味では「村楽」というワーディングはよくできている。
行政区分としての村は市町村合併とやらで、方向音痴の僕には訳が分からなくなっているが、いわゆる村的地域に行けば、そこには楽しみがある。
何のために走っているのか、と聞かれたら「村的楽しみ」のお裾分けをいただきに参ります、としか答えようがない。
車と身体を痛めつけながら走っているのは、稼ぐためではない。
仕事か、と聞かれたら、「世の中のためにコンテキストを繋いでストーリーをつくる」仕事をしている、とちょっと照れながら答えることにしよう。
おかげさまで、コンテキスターという肩書きは僕周辺では浸透してきたようだ。
世の中の方が僕の動きをどう見ているのかを気にし始めると、思考が悪循環を始めて出口がなくなる。そこはペンディングにしておこう。別に見返りがほしいわけではないのだから。
還暦まであと半年になって、人混みの中に行くと人酔いしてしまう身になった僕は、しばらくこんな生活を続けていくのだろう。
なんといっても、「村的楽しみ」をお裾分けしてもらうのは楽しいことなのだから。
先日は岡山の西粟倉村にいた。ここは美作市との合併を拒否して純粋に村として存続している。
この村で、百年の森林事業の間伐に邁進するブルの背中には「森は地域の宝もの」というスローガンがあった。
地域の宝、地宝という言葉は田中優さんの本のタイトルでもある。
「村的楽しみ」は地域の知恵である地宝から生まれる。
村楽のお裾分けは地宝のお裾分けでもあるのだ。
西粟倉では川のお裾分けとして天然うなぎを食べさせてもらった。
また森のお裾分けとして百年の時の流れを感じながら吉野川源流まで散策させてもらった。
そして僕の個人的好みでいえば、この地方の地宝は素敵な水の流れる渓流だ。
渓流のお裾分けで天然アマゴを釣らせていただいた、というわけにはいかなかったが、久しぶりに泡の浮いていない川を見た。
惜しむらくは護岸工事だ。なぜ、ここまでコンクリートで川を固めなければいけないのか、それは公共工事のばらまきというやつだろう、と自問自答しながら眺める川に澄んだ水が粛々と流れていた。
地宝を見つけるためには、ないものねだりをやめる必要がある。あるもの探しから地宝は発掘されていくのだろう。
西粟倉では、森に豊富にあるミツマタから和紙アートをつくろうとしている若者と出会った。
森の産物を地域の中でブランド化して、消費者に直接送り届けようとしている「森の学校」も訪問した。
あるものを昇華させて、なかったものを創り出すのが地宝の善循環だ。
それは村楽的に言うならば、百商の生業(なりわい)づくりでもある。
この国の未来は都会にはない。
311で破れた山河を修復するためには、全国の村楽で生業を模索している人々の力がいる。
村楽LLPは、その力を結集するためにつくられた発力団体だ。
僕自身は、いまさらどこかの村楽に移住して地宝探しをするわけにもいかない。
現在、再生プロジェクト進行中の小豆島フミメイ庵が完成した暁には、海の地宝を楽しむため、釣り竿を持って長期滞在するかもしれないが。
それでも、自分自身の生業探しというものは一生、やり続ける必要がある。
村楽LLPメンバーとして地域おこし協力隊に協力するために、さまざまなコンテキストを書き連ねていくことは生業のレベルになるまでなんとか続けていきたい。
そうすることによって、孫たちの世代までなにかが残れば嬉しい。
ただ、人はPCの前だけでは生きていけない。やっぱり身体も動かす生業がなければ。
そういう意味では、夏場には鮎の一夜干しを生業にしたくてトライをしている。
ただし、この生業のためには、まずはおいしい鮎を釣らなくてはいけない。
そのためには、素敵な香りがする苔が生える川がなければいけない。
そんな川を持続可能にするためには、保水力がある森が必要だ。
やっぱり地宝を守る人々がいなくては、僕の目指すささやかな生業すら、成り立たない時代になっている。
すべては繋がっているのだ。
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