2011年7月31日日曜日

文脈日記(自分のための百姓学)

ようやく箕面のアブラゼミが全開になってきた。
「蝉たちの沈黙」は本当に気持ち悪かった。
僕は昆虫学にも植物学にも詳しいわけではない。それでも生きものが毎年、繰り返していくルーティンは気になる。

鮎師としてのルーティンなら29年経験している。
解禁があって皮の柔らかい若鮎を味わって土用隠れがあって垢腐れがあって台風の大雨があって川が磨かれて入れ掛かりがあってスイカの匂いに包まれて、次第に腹ボテの鮎になって、竿納めをする。

ただ、この鮎たちのルーティンも今年は狂っている。
地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの地震の洗礼と災厄の塊、フクシマを抱えこんだポスト311の世界で、ルーティンを語ること自体に意味がないのかもしれないが。

天地有情、自然と生きものが狂っている。くり返しの美学が滅びようとしている。
そんな情況へのささやかな抵抗として、僕は、今、ニワカ百姓を目指している。

最初にお断りしておきたいが、「百姓」という言葉は差別語ではない。
百姓というのは生業としての「匠」や「商」をたくさん持っている誇り高い人たちのことだ。
この言葉をマスコミから追放した人たちは自らの中に農業者に対する差別意識を持っていたのだろう。

このあたりのことは骨太の農学者、宇根豊さんの著書からの受け売りだ。


 ただ僕自身にも「百姓」という言葉に関するほろ苦い経験はある。
脱藩して小豆島のフミメイ庵再生を始めた時、近くのおばさんに「会社やめて百姓やるんな」と言われた時、自分の心の中に小さなざわめきがあった。
まだマスコミ関係者の残滓が残っていたのだろう。

その頃の僕は、「自産自消」をスローガンにするマイファームという会社の畑を契約したばかりだった。畑仕事はするけど、それって百姓?という感覚があった。

今なら胸を張って、いや、本物のお百姓さんには相当、遠慮をしつつ、「ニワカ百姓です」
と言うことができる。

ニワカ百姓を名乗ることは、共同体と地域と農に関する理論武装、すなわちコンテキスト(文脈)つくりをしていく、という決意表明でもある。

ただし理論は実践を伴わないと空虚だ。
ささやかでも百姓体験をしてからでないと、農のコンテキストは語る資格がない。
釣りの世界では「ボウズ」という言葉がある。釣行した時、1尾も釣れないことだ。ボウズと1尾は別世界だ。いくらニワカといえども、1尾くらいは結果を出してから農を語るべきだろう。

ニワカ百姓、その1。マイファームの畑体験。

全国の不耕作地を借り上げて、都市住民に畑として貸し出す会社から15平方メートルの畑を箕面で契約した。
このマイファームのおかげで、僕は生まれてはじめての農体験をした。昨年の10月のことだ。

マイファームには各農園に管理人がいる。箕面の管理人は寒吉さんという筋金入りの百姓だ。僕は寒吉さんの指導の下でさまざまな野菜を作り続けている。「野菜は甘やかしたらあかん」という寒吉理論にしたがって、あまり手をかけずに、一応は収穫ができている。
基本的に放置したままでも育ってきたものだけを収穫して、昇天された野菜たちのことはあまり気にしないことにしている。

あたりまえのことだが、すべてはお天道さまの下での作業である。ニワカ百姓の畑にも雪は降ったし嵐も来る。天地は平等だ。筋金入りとニワカ百姓を差別したりしない。
ヌカカやブトもターゲットを差別しない。そういう意味では僕のようなものでもお天道さまは百姓だと認めてくれている気がする。

この畑で百姓をしていると都市住民の農への関心が高いことがよく分かる。散歩の途中のおじさんやおばさんが寄ってくる。
僕はニワカ百姓のくせに、ベテランのようなしたり顔で「野菜つくりの面白さ」を述べたりする。

野菜つくりの楽しさは循環を愛でることです。双葉がでていつのまにか、その野菜らしいカタチになってきて花が咲いて実がなってやがて根こそぎしてまたつぎの種や苗を植えて・・・15平方メートルの持続可能性などと。


ニワカ百姓、その2。半農半X研究所/塩見直紀さんの1000本プロジェクト。

僕たちは1年間でおよそ1000食のご飯を食べている。そしてお茶碗1杯のごはんは稲1本だ。ということは1000本の稲を植えれば1年分のお米がとれる。
というコンセプトで塩見さんが始めた無農薬手作りお米プロジェクトに僕も参画している。
この道の先達、ボブ基風に連れられて京都の綾部まで行っているのだ。
.5M×20Mの田んぼは、お百姓さんにはとても狭いと思われるが田んぼでハイハイしながら草取りをするニワカにはけっこう広い。


田植え、草取り、もちろんこれも生まれて初めての体験だ。
今まで概念としてとらえていた「田を渡る風の涼しさ」を身体で感じることができている。
久しぶりにカエルやバッタやゲンゴロウを見つめるまなざしも回復してきつつある。

この田んぼを塩見さんは「哲学の田んぼ」と称している。それはまた「縁脈の田んぼ」でもあった。今まで4回、この田んぼに行ったが、そのたびにボブ基風の縁脈を繋いでもらっている。別に約束をしているわけではないのだが、素敵な人たちに出会う。ボブの綾部におけるキャリア形成は相当なものだ。脱帽。
そして塩見さんの田んぼにもマイファームメンバーがいる。百姓道はお天道さまの下で通底している。

僕は鮎釣りスタイルで、この田んぼに入る。鮎タビ、鮎タイツ、ベストは自分のアウトドアライフの基本アイテムだ。
ニワカ百姓ならではの田の神を恐れぬ行為だったら、すみません。でもこれが、けっこう快適なのだ。

田んぼの作業は基本的に中腰である。これはけっこう辛い。ところが鮎釣りスタイルだと田んぼの中に膝をつける。稲穂が伸びてきてからの草取りは穂先が目をついてくる。そんなとき、発想を変えて、稲穂の下に潜りこんだら問題は解決する。小型犬なら稲の間にポジションをとれる。稲に頬ずりして抱きかかえながら草取りしているとバッタと目があったりする。これがけっこう楽しい。
素足で感じる泥の心地よさはないが、その代わり、手で充分に泥の感覚を味わえる。
そう、最終的にはたんぼでハイハイしながら草取りをするのが一番楽だった。
それにしても、「稲の根の肩を揉むようにしてマツバイをとるべし」というボブのアドバイスは深い。匠の言葉にまたも脱帽。


ニワカ百姓、その3。上山棚田団のお手伝い。

「愛だ!上山棚田団~限界集落なんて言わせない」でおなじみの上山棚田でのニワカ百姓は、残念ながらまだ経験不足だ。
本の校正をお手伝いしたように、百姓手伝いもしたいのだが体力の限界を感じて、いつも中途半端になっている。上山の皆さん、すみません。

僕は川の土嚢積み、水路掃除とほんの少しの草刈りしかしていない。
それでも上山での草刈り体験は、小豆島フミメイ庵の草刈りに大いに役立っている。
「草刈りもアートなんよ」というまなざしは身についてきた。まなざしだけで技術はまだまだだが。

この季節は、いろいろなところで草刈りをしているシーンに出会う。刈り払い機のエンジン音には敏感になって、鮎釣りをしていても、ついつい草刈り人にも見入ってしまう。
そして、川の入漁道の草が一定の方向に倒れていて、綺麗な紋様を描いていたりすると、おおここには手練れがいるな、と思わずにやりとする自分がいる。



 とここまで、自分のささやかなニワカ百姓実践を言い訳したうえで、最近、上山棚田でささやかれている「農を超える農」というお題に対するコンテキストを考えてみる。

以下の文脈は宇根豊さんの著書と講演にインスパイアされたものだ。
もちろん、農の超え方には様々な方法があるはずだ。上山のかっちは理屈ぬきでそれらを実践している。その現場自己主導主義に敬意を払いつつ、ひとつの理論武装として展開しておきたい。


超えられるべき農は近代化された農業である。工業の真似をしている農業である。金に換えられる直接的農生産物だけを評価する農業である。

それに対して超えた農は「情念と共感の農」である。お金にならない田んぼ周辺環境を評価する利他的農である。
いつものようにカエルが鳴くために、いつものようにトンボが飛ぶために、くり返しの美学を意識して人々を癒やしてくれる農である。
そうすることにより、先人たちの情念を持続していく農だ。

視座を変えて言うなら、「米一粒周辺価値」を最大化した農である。

価値を一粒の内部に求めて、糖度がどうのこうの、というのではなく、お米一粒を起点にして、その周りにまなざしを拡げていく農だ。

上山棚田米の一粒を結晶させるためには田んぼの水が必要だ。その水はミジンコ、オタマジャクシ、ゲンゴロウ、ホタル、バッタ、トンボ、クモなどの有情を育てる大きな価値を含んでいる。

棚田の水をキープするためには畦が必要だ。その畦の草刈りが美しい畦の花々という価値を生む。

棚田にその水を確保するためには水路が必要だ。先人たちの知恵と情念が入り交じった水路は、歴史的文化的価値の塊だ。さらには洪水防止という土木的価値も持っている。
その水路を持続していくという行為の価値はお金に換算すれば途方もないものになるだろう。

そして水路を含んだ上山棚田の景観と空気感は多くの人々を惹きつける磁力を持っている。多士済々の人財が集まってくる価値はいかほどのものだろうか。

こういうまなざしを持っていれば、「農を超える農」の価値はどんどん拡大していく。

「米」を生産するとき、「米一粒周辺価値」にまなざしを向けて、その情念と共感を拡大再生産していく志を持ち続けたら、この列島の農は超農力を発揮していくのでしょうね。

百笑的に言うならば、上山棚田米は「森羅万象をメリーにする」米になりつつある。
子供や大人たちだけでなく、カエルもバッタもトンボもクモも、雲も風も笑顔にするのが、「メリーライス」というものなのだろう。

僕は引き続き、「農を超える農」と「メリーライス」のコンテキスト=ストーリーを求めていくお手伝いをしていきたい。

そうすれば、僕は孫たちのために天地有情のルーティンを残せる百姓爺さんになれるだろうか。


2011年6月30日木曜日

文脈日記(村楽パルチザン)

脱藩して今日で1年が過ぎた。
D社のクリエーティブ・ディレクターをしていた時代はつい昨日のような気もするし、遠い昔のような気もする。
つい昨日のように感じるわけは、36年間やってきたことと同じアクションを違う土俵でやっているからだ。
遠い昔のように感じるのは、そのクライアントがまったく違うからだ。

今の僕は自分がクライアントで自分がエージェンシーで自分がプロダクションだ。
「自分のために人に何かをしたい」という利他的欲求本能に基づいて走っているうちに、「世の中のために働く」ことができるようになってきた。

僕の信頼と関係性を巡る冒険はまだまだ続く予感がするが、そろそろ脱藩一周年のサマリーをしてみたい。

今、僕は「村楽LLP」にアンガージュマン(社会的自己投機)している。
そしてコンテキスター(文脈家)として「村楽」と Merry Projectを繋ぐストーリーをつくっている。

6月25日は「村楽LLPキックオフ」(美作市湯郷地域交流センター)、26日は「Merry Forest @美作上山」(上山和みの森)という大きなイベントに参加した。
美作市地域おこし協力隊と上山棚田団がホストで、全国から志を同じくする仲間たちが集まってきた。僕はプレゼンテーションと現場ディレクションというある意味、手慣れた作業を担務させていただいた。
今の僕は百姓をやるよりも、まだこの種の作業の方が得意だ。


では「村楽LLPとは?」から話していこう。

LLPとは、Limited(有限)Liability(責任)Partnership(組合)の略称で「有限責任事業組合」と訳される。
株式会社でもない、協同組合でもない新しい事業形態だ。異なる分野の専門家がパートナーを組んで、新しく事業を生み出していくとき、LLPという組織は大変有効的な制度である。

詳しくは「愛だ!上山棚田団~限界集落なんて言わせない」のP85を参照してほしい。
僕はこの本に校正家として文脈を整えるため関わった。そのおかげで内容は熟知している。

そして、「村楽」である。
村が楽しいというネーミングは美作市地域おこし協力隊と上山棚田団のムードメーカー、お気楽美々が考えた。
村落という言葉はなぜ村が落ちるのだろうか、落ちたらあかんやろ、という素朴な疑問への回答だ。

村楽LLPとは、全国地域おこし協力隊連合である。各地で活躍する地域おこし協力隊の経験値と知見、問題と解決を共有するネットワークだ。

3月7日に島根県飯南町で設立準備サミットをやった。そのときはここまでのフレームワークしかできていなかった。

そしてその4日後が311だった。大震災でこの国は大きく変わった。若者たちは大量生産、大量消費に急ブレーキを踏んで大きく旋回している。都会から地域へ。効率の経済から心地よさの経済へ。自然と信頼をベースにした新しい社会関係資本で、痛めつけられた山河の再生に取り組もうとしている。

そんな動きの中で「村楽」の目的も明確になってきた。
以下が村楽LLP代表のVENちゃんがまとめてくれた「村楽宣言」だ。

日本の村落を本当に豊かな「村楽」へ。
村楽LLPは地域おこし協力隊の全国ネットワークです。
私たちはそれぞれの地域での生業(なりわい)づくりを考えます。
百の商いができるから百商。
そして地域の技を引き継ぐから百匠。
いつでも笑顔で生きるから百笑。
「百商、百匠、百笑」が私たちのキーワードです。
村楽は田舎専門の働き方案内プラットフォームとして、
「地域のこし」に取り組み、持続可能な「懐かしい未来」を目指します。
私たちは、村楽のうねりを山から海へ、村から町へと善循環させます。


村楽LLPキックオフのコンテキスト・ブリーフを書いている時に、ふと「村楽パルチザン」という言葉が浮かんできた。
パルチザン【partisan】、フランス語で遊撃隊だ。

お仕着せとハコモノの地方行政、すなわち正規軍に対して、自己主導でしなやかに動いて信頼革命の狼煙を上げようとしている部隊がいる。この列島の山に海に空に村楽パルチザンの軍旗がなびいている。
マスコミの空爆に対して草の根のソーシャルネットワークで情報戦を仕掛ける部隊がいる。

そんなイメージを思い描くと村楽がますます楽しくなった。メリーになってきた。
村楽パルチザンの軍旗というと堅苦しいが、この遊撃隊の軍紀はただひとつ。
「楽しい事は正しい事」である。どこまでもメリーな集団だ。



「村楽」をMERRY VILLAGEと規定して、手書きのロゴをつくってくれたのはアートディレクターの水谷孝次さんだ。強い表現があるとコミュニケーションが早いのは広告もソーシャルデザインも同じだ。
2月7日に冬枯れの棚田に笑顔の花を咲かせたことがあるので、水谷さんと村楽メンバーはすっかり親しくなっている。(「愛だ!上山棚田団~限界集落なんて言わせない」P66参照)

今回の村楽LLPキックオフでは、村楽とMerry Projectが今後、どのようにコラボしていくかを再確認すべく、水谷さんと僕とでプレゼンをした。

村楽の生業(なりわい)である百商と百匠という目的を実現するのは簡単なことではない。しかめ面では辛いだけだ。そこには百笑というマナーがいる。メリーな表現が伴えば草だらけの道でもなんとかなりそうだ。パルチザンの士気も上がる。たとえ匍匐前進でも。

一方、Merry ProjectにはMerry ForestやMerry Farmingという流れがある。水谷さんが追い求めてきたメリーな森とメリーな田畑は、村楽パルチザンのテリトリーの中ではすでに存在している。

村楽とメリー、生業と表現が噛み合えばパルチザンは勝利する。

26日の「Merry Forest@美作上山」は雨の中だった。水谷さんは言う。

東北の被災地で撮影した子供たちの笑顔の傘を開く時は、いつも雨なんですよ。涙雨ですね。

それでも子供たちの笑顔はその開く場所をメリーにしてくれる。

和みの森、天空たんぼ、山水画のような棚田。

上山の人たち、大阪から来た上山棚田団、全国から参集した村楽パルチザン部隊が、水谷さんの「いち、に、さん、メリー」の掛け声でソーシャル・アートする。

思えばカタチになるのだ。
そうですよね、水谷さん。ありがとうございました。

僕の脱藩生活はこうして1年が経過した。
去年の今日、僕を見送ってくれた皆さん、僕は元気にやっています。


都人よ 来たってわれらに交じれ 世界よ 他意なきわれらを容れよ

風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

(宮澤賢治「農民芸術概論」より)


2011年5月30日月曜日

文脈日記(ノマドしつつ根っこを張ること)

おっと、5月も終わろうとしている。毎回、同じような書き出しだな。
月の終わりのレポート提出のようなこのブログ、そろそろ編集方針を変えて更新頻度を上げていこう。
そのためには自分への応援演説としての長いエントリーではなく、たまには備忘録的、メモ的エントリーがあってもいいような気がしてきた。

5月のカレンダーをトレースしていて気がついた。
今月、移動なしで箕面にいた日は14日しかなかったのですね。

今年は和歌山県の鮎釣り解禁が異様に早かった。
通常、鮎釣りは夏の風物詩と言われるように、解禁は5月末だった。ところが5月3日に試し釣りを兼ねて特別解禁するという。
この夏は相当、行事が多いことが予想されていたので、こらえきれない僕は、さっさと初釣行に行ってしまった。僕の鮎釣りのホームグラウンドは日高川の龍神温泉だ。ここには29年通っている民宿「せせらぎ」がある。宿のご主人とほぼ同世代なので、同じように年を重ねてきた。

龍神は紀伊半島の真ん中あたりに位置している。
はじめて龍神に行った頃はまだまだ秘境と言われていた。高野山の無限曲道を駆け上り、スカイラインをアップダウンしながらたどりついたものだ。
今は海沿いの高速道路を使ってアプローチすれば、とても便利になった。
幸いなことに、渓相は絶望的なほどには荒れていない。

この釣行で、宿泊客は僕1人であった。ゴールデンウィークの最終日から2泊3日の行程なら当然といえば当然だが、長い間、「せせらぎ」に通っていて、これははじめての体験だ。
鮎は小さい。でも真っ黄色で縄張りをもう持っている。誰もいない川で好きなポイントで釣りができるのは脱藩生活の醍醐味でありますね。

早々に鮎を釣って落ち着いてからは、上山棚田に通っていた。
自称、美作市地域おこし協力隊の協力隊副隊長としてあるいは上山棚田団の横入り臨時雇われ団員として。
野焼きの見学、ほんの少しの草刈り、川の土嚢積み、水路掃除などなど、いろいろお手伝いをさせていただいた。
でも全部、中途半端ですみません。
体力勝負では本物のメンバーたちと同じ働きができるはずはない。
それでも空の水路に新しい水が流れて、その水を確認していく「水追い」の感動は味わえた。あの感覚はやってみなければ分からない。

自称、コンテキスターとして上山棚田再生に関わった以上、現場を踏みたい、という気持ちは本物のつもりだ。
なんでも自分で経験してみないと分からない。まずは身体を張らないと。
そのために僕はバックパックにレッツノートとiPadとドコモのルータを詰め、車のトランクには長靴とレインコートを常備して移動しつづけている。

ノマド、遊牧民スタイルというとかっこよく聞こえるのだが、さすがに車の走行距離が長すぎる。
少しでも、距離を短くするために坂出の実家をベースにすることも多くなった。こちらは妻のおかげで宿泊には問題がなくなっている。

そして小豆島だ。島の北部、大部にある古民家、自称フミメイ庵はようやく上下水道工事が終わった。さて、これからどうするか、いろいろ考えているところだ。この家はいろいろな可能性があるが、まずは掃除をして僕だけでも宿泊可能にせねば。
あっというまに草たちはのびのびと育っていくし。

上山―小豆島―坂出ラインをいかに楽に移動していくかがこれからの課題です。
などと気楽なことを言っていたら、被災地に行って活動している皆さんに叱られそうだ。
ただ、自分にできることを粛々と自分のテリトリーでやっていることもポスト311の世界では重要なことだと思う。さとなおの言うボラツアに参加してみたい気はする。
でも今、僕がやっていることもポスト311の文脈に必ず繋がるはずだ。

身体を張るというのは根っこを張ることだと思う。
その根っこは、この列島に生えている以上、311の土壌に繋がっている。どこでなにをしていても土も空気も水も分かちがたく繋がっているのだ。どんなに細い根っこでも。

その根っこは言葉だけでは張れない。
フィッリップ・マーロウの名台詞「タフでなければ生きていけない。やさしくなければ生きている資格がない」にならうならば、「身体を張らなきゃ根っこは張れない。根っこがなければ生きている資格がない」ということである。

311と根っこが繋がっていることをポジティブにとらえて、6月末に美作市で実施予定のイベントを成功させるためにも、僕は今しばらく上山通いをする必要がある。

そして被災地で身体を張って笑顔のストーリーを繋いでいるのがMerry Projectの水谷孝次さんだ。本当に頭が下がる。

僕のノマド生活はほとんどが箕面から西なのだが、水谷さんにお会いするために今月は2回東京に行った。

5月28日(日) MERRY SMILE ACTION @六本木ヒルズ。
水谷さんと壇上に上がった被災地の皆様との繋がりが感動的だった。
なんどもマスコミのインタビューを受けてきたはずの漁師の大友さんが言葉につまるのは、あらためて水谷さんの優しさを思い出しているからにちがいない。

僕はこのイベントの関係者ではない。でも身体を張って参加したかった。六本木から東京タワーまで笑顔の傘を開いて歩いてみる。

台風が接近する雨の中で、最初から最後までこのイベントにおつきあいさせていただくことは僕のアンガージュマンだった。
ものごとを評論家的スタンスでコメントするのはたやすい。でも今の僕にそれはできない。小型犬のすぐに息が切れる身体であっても、まずは張ってみたい。

そして僕は今月最後のアンガージュマンを明日する。
今やグローバル・フレーズになりつつある「半農半X」の提唱者、塩見直紀さんの1000本プロジェクトに参加して、人生初の田植えをする予定だ。
先達、原田基風の尊い縁脈である。
もうすぐ脱藩して1年。ようやくこの季節がきた。

さてこのアンガージュマンはどんな根っこを張るのだろうか。

君あり、故に我あり。
すべての文脈が繋がってきた。

2011年4月30日土曜日

文脈日記(電子読書の快楽)


いつのまにかゴールデンウィークというものになった。
月末は文脈研究のエントリーを書く時でもある。でもなんだか気分が中途半端だ。

久しぶりにアマゴ釣りに行って電光石火のアタリと稲妻のような引きを味わっても心は晴れない。うちの老犬メイと散歩に行ってうんちを回収しているときも、一晩かけてわらびのあく抜きをしておひたしをつくっているときも、身体の中に白くて堅い石があるようだ。
この言葉は村上春樹の受け売りだが。

「釣り師は心にどこか傷を負っているが自分でそれに気がついていない」
という台詞は開高健が好んで使っていた。

釣り師の端くれである僕にももちろん心の傷があるのだろう。
そして3・11以来、さらに白くて堅い石が追加されたようだ。

この列島の西にはまだ愛おしい山河が残っている(はずだ)。ツバメはいつもの年と同じ場所に巣をつくる。じゃがいもは新芽を出した。エンドウはもうすぐ収穫だ。箕面の山は新緑が点描を描いている。

異常が日常になって自分の周りは妙に静謐だ。
ヒロシマ、ナガサキに加えて日本国自らが投下した3発目の核、フクシマの情況は何も変わっていないのに。

今、現在、アンガージュマンしていることはいくつかある。前に進んでいるはずだ。
ただ僕のやっていることは、どこまで行ってもテキストレベルだ。
コンテキストを紡いで編んで、投げかける。

言葉が虚しい、というのは3・11以後、よく聞かれる言葉だ。
情況が高速回転しているときに言葉を弄ぶのは虚しい。
というのが正確な表現だ、と今の僕は思っている。

3・11直後に「クリエーターの皆さん、節電コピーを考えましょう」というツイートが回ってきた。僕はこの動きに強い違和感を感じた。

原発の動き、被災地の情報が飛び交っているとき、無名のキュレーターたちが必死に情報を整理拡散しているときに言葉を弄んでいるのがクリエーターという人種なのか、それでいいのか、という違和感だ。
コンテキスターというのも、結局は言葉で戯言と妄想をまき散らすだけの職能なのかもしれない。でも、そのとき、その場のコンテキストを把握した上での発言をしている、という最低限のマナーは守っているつもりなのですが。

ただし、現状はいつまでも「言葉が虚しい」とばかりも言っていられないステージになってきた。
情況が次のベクトルを示すとき、やはり言葉はその道標になるはずだ。
そして言葉の集積である書籍の役割はますます重要になってくる。

今、とても本が読みたい。
言葉の真の意味で「晴耕雨読」をしたい、と願う。
やればいいのだけど。

断片の洪水となって溢れてくる情報とは距離を置いて、まとまったカタチでキュレーションされた本をじっくりと読みたい。
あるいは上質なエンターテインメントとしての本に没頭してみたい。

そして、僕にとっての本は半分が「電子読書」になりつつある。

異常を抱えた日常作業として、このエントリーは「電子読書の快楽」という宿題を片づけたいと思う。

送り手サイドの言葉である電子書籍を読者サイド、すなわち電子読書という視点で解読してみたい、とずっと考えていた。

脱藩以来、電子読書は追い続けてきたコンテキストだ。
実は今年の1月末には「電子読書の快楽」というプレゼン資料を制作していた。
上山棚田団の出版プロジェクトに関わって校正をしている合間に、電読にまつわるあれこれをまとめてみたくなったのだ。

プレゼンする相手も機会もなかったのだが、自分自身のためにつくった資料だった。
その後、もろもろの情況の変化で放置していたものを見直してみた。
3ヶ月前のものだが、それほど古くはなっていない感じがするので、思い切ってダダ漏れしよう。

ご興味のある方はご覧ください。こちらにリンクを貼っています。


3・11では数多くの書籍が流されたことだろう。濡れた紙は二度と人に読まれることなく放棄されていることだろう。でも紙という器と本という中身は別物なのだ。
本というコンテンツを未来に引き継いでいくために「電子書籍」という器はますます重要になっていくはずだ。

津波で数多くの建築物がなすすべもなく流されていくのを見たある建築家は、このままでは「建築」という概念すらなくなってしまうという危機感を覚えたそうだ。

形あるものは崩壊する。
そう認識することからポスト3・11の世界が始まるような気がする。

歴史的に見ても、本の容れ物は変遷してきた。
木簡、パピルス、そしてグーテンベルグの活版印刷。15世紀のルネサンスは活版により知の共有化ができたことも関わっている。

電子書籍は次世代に知見を伝えるための容れ物としては優れていると思う。
純粋にコンテンツだけを抽出された本は、ある種のフェイル・セーフとも言える。
紙が朽ち果てても、デジタルデータはこの地球上のどこかに残る。
紙には放射性物質が付着しても、純粋データは汚染とは無縁のはずだ。

青空文庫というネット上の電子図書館がある。
著作権が切れた書籍をボランティアの力でデジタル化している。そのコンテンツは日々、増加しているようだ。

東北出身の知の巨人、宮澤賢治の作品も青空文庫になっている。

夢想する。
もしかしたら避難所で、その暗闇の中で、携帯端末のバッテリーを気にしながらも宮澤賢治を読んでいた人はいなかっただろうか。

いや、もちろん、電気や水道やライフラインの情報が優先で、そんな人が存在したはずはない。
こんなことを考えていると、僕の気分はまたどんどん中途半端になっていく。
たとえ極めて個人的な文脈研究であろうとも、すべてのことは3・11のコンテキストから逃れられなくなったのだ。

2011年3月30日水曜日

文脈日記(善いことを決意すること)

アンガージュマンするのは今だ、と書いた一ヶ月前が遠い昔に思える。
3,11で世界は否応なしに変わってしまった。
まずは亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。そして被災された方にお見舞い申し上げます。
そのうえで、僕は自分への応援演説であるこのブログを書き続けなければならない。

アンガージュマンとエンゲージメントは同じ、ENGAGEMENTだ。
広告業界では「企業と生活者のエンゲージメントが新しい消費行動の鍵だ」というような文脈で語られている。
ところがアンガージュマンは少しちがう。
【アンガージュマン】フランス engagement
関与・拘束の意。フランス実存主義の用語。
状況に自らかかわることにより、歴史を意味づける自由な主体として生きること。サルトル・カミュなどでは、さらに政治的・社会的参加、態度決定の意味をもつ。(大辞林より)
1968年頃、この言葉は「自己投企」と訳されていたような記憶がある。
ごちゃごちゃと理屈をこねるのはやめて、言葉をもてあそぶのはやめて、まずは行動すること。
全共闘が華やかなりしときには、そのような文脈でアンガージュマンが語られていた。
アンガージュマンを大和言葉で表現するとどうなるのか、と質問をしてきた団塊世代がいた。僕の答えは「いてまえ!」だった。

2011.3.11後の世界にアンガージュマンするのは正直、しんどい。
自分を鼓舞するためにコンテキスターは、また文脈を接続していく必要がある。

今、僕の視座にはひとつの詩がある。
美しいものに驚くこと
ほんとうのものを守ること
気高いものを敬うこと
善いことを決意すること
半農半X研究所の塩見直紀さんから原田基風(ボブ)経由でいただいたルドルフ・シュタイナーの言葉が今の僕のよりどころになっている。


ポスト3.11でも一歩もぶれずに「半農半X」の伝道者でありつづける塩見さんのブログに癒やされなければやっていけない日々が続いている。
そもそも「田中文脈研究所」という屋号も「コンテキスター」という肩書きも塩見さんにインスパイアされて決めたものだ。
その塩見さんのブログに当研究所のことが紹介された。ありがとうございます。
善いことを決意すること
この状況にアンガージュマンするためにはそれなりの決意が必要だ。

3.11直後から僕はツイッターに貼りついた。
被災地や原発に関するコンテンツが錯綜するなかで、「自分に何ができるのか」を考えつつタイムラインに流れてくる情報の仕分けやRTを繰り返していく。

僕程度のフォロワー数の者が必死にツイートしても世の中全体に対しては影響力を持たない。
でも、少なくとも僕をフォローしてくれている人々には客観的(と僕が主観的に思う)情報を流したい。今の僕はテレビとネットに貼りつける環境にいるのだから。
そんな思いから、僕のしたことは主に福島原発に関して、NHKテレビで流れてくる情報とUSTで流れてくる情報をテキストにしてつぶやくことだった。
さらに、ぶれない発言をしている人を見極めて、その人の情報ソースを確認して自分が納得できればツイッターとフェイスブックに流していった。

家族からは「お父さんはなにかに取り憑かれたみたいだ」と言われた。
その状況は今も変わっていないが、このエントリーを書くことによって少し憑きものを落としたい。

何に取り憑かれたのか。文脈の接続に取り憑かれたのだ。
気がつけば、それが「キュレーション」ということだった。


「キュレーションの時代」という佐々木俊尚さんの本は購入していた。紙ではなくePUBとPDFで。iPadに格納して読めるようにしていた。このエントリーを書くにあたってようやく読了した。しかもiBooksで。実は3月の文脈研究は「電子読書の快楽」にしようと決めていた。
それはまた宿題にしておこう。
ポスト3.11では書籍のあり方も変わるような気がする。

話がそれた。

佐々木俊尚さんの著作には「文脈とコンテキスト」がよくでてくる。その論旨は明快でいつも参考にさせていただいている。

僕が今も継続しているコンテキスター業務は間違っていないと思う。
それはささやかながらもキュレーション業務でもあったのだ。
以下、「キュレーションの時代」から引用させていただく。
キュレーション【curation】
無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。 
(キュレーションにおける)視座とは、どのような位置と方角と価値観によってものごとを見るのかという、そのわくぐみのことです。 
言い換えれば、視座とはすなわち、コンテキストを付与する人々の行為にほかなりません。そして私たちはその〈視座=人〉にチェックインすることによって、その人のコンテキストという窓から世界を見る。 
この「視座」を提供する人は今、英語圏のウェブの世界では「キュレーター」と呼ばれるようになっています。
そしてキュレーターが行う「視座の提供」がキュレーション。
僕のキュレーションなんてたかが知れている。
でもキュレーションという行為はカリスマとかアルファーとか言われる人が独占的にやる行為ではない。

無数の名もなきキュレーターがポスト3.11の世界では必要になると思われる。
僕はそのひとりでありたい。
「情報と関係の善循環」を回し続けるためには彼らのタコツボ化していないネットワークが必要だ。

佐々木さんによれば「タコツボ化」の反対語は「セレンディピティ」というそうだ。
また引用させていただく。
セレンディピティというのは「偶然幸運とぶつかる力」という意味の英単語で、ネットの世界では「自分が探していたわけではないけれども凄く良い情報を偶然見つけてしまう」というようなニュアンスで使われています。
僕が以前のエントリーで書いた「情報循環説」というのはこういうことだと思う。
ただ、今の僕は「凄く良い情報を見つける」のは偶然ではないような気がしている。
すべては必然的な関係性の善循環によるものだ。
無名キュレーターたちがその循環のエンジンになっているのは間違いない。
ポスト3.11を支えるのは彼らだ。

ポスト3.11がどうなるのかは予断を許さない。
福島原発は永遠に現在進行形で過去完了になることはないだろう。

原発問題に関して、僕は原子力資料情報室、後藤政志さんの視座にチェックインしている。後藤さんがキュレーションしたこと、そして彼の表情が物語ることに寄り添っている。


ポスト3.11は「国破れて山河なし」だと原田基風(ボブ)は喝破した。
そこが1945年との大きな違いだ。

僕のポスト3.11へのアンガージュマンは膨大な情報と格闘することから始まった。
そして、今日、この時点でこのエントリーを書いたことが次のアンガージュマンだ。

2011年2月28日月曜日

文脈日記(世の中のために働く)

僕を巡るコンテキストが急展開している。
「コミュニケーション・デザインのボランティアやります」というミッション・ステートメントが実現できそうになってきた。

脱藩するときに「これからは世の中のために働く」と言ったことがある。
普通に考えたら、こいつアホや、と一笑に付されるだけだろう。
実際にそうだった。というか、自分自身の中でも、そんなことできるわけないわな、と自嘲気味に言っていた言葉だった。

ところが、D社のT専務(当時)は、それいいやん、やりいや、とニコニコしながら僕の背中を押してくれた。

脱藩8日前のT専務宛メールを公開する。
世の中のために働けばいいやん。
小さなコミュニケーションを繋いでいけばいいやん。
早期退職を決心した私にとって、これ以上の激励はありません。
どこまでやりきれるかは分かりません。
でも、志は高く腰は低く、世の中と歩調を合わせつつ進んで行きたいと思います。
ときにはプロとして、世の中の半歩先を進むことも必要でしょうが、長い間、D社にいるとどうしても「上から目線」になりがちです。
そこは少しずつリハビリをしながら、前に進んで行きます。
デジタルという道具を使えば耳元でささやくコミュニケーション、ヨコにつながるコミュニケーションは簡単です。
ただ、ささやく言葉そのものは、どこまで行ってもアナログです。
人を動かすコンテンツは0か1かではなく、割り切れないコンテキストから生まれてくるのでしょうね。
私はコンテキスターとして縁脈を繋ぎながら、世の中のために働きながら、自分の新しいコンテンツにトライしていきます。
まず言葉ありき、だった。
この頃は脱藩生活に不安を抱いていた。周りからも「辞めてどうするねん?」と質問攻めにあっていた。
今、このメールを読み返してみると気負いばかりが先行していて照れくさい。
言っている理念は正しいが、現実にどうすればいいのかはさっぱり分からなかった。

だが、この1ヶ月間で「コンテキスター業務」というものが現実味を帯びてきた。

それはMERRY PROJECTを展開しているアート・ディレクター水谷孝次さんとの出会いが大きい。そしてその出会いをもたらしてくれた尊い縁脈のおかげだ。

2月の始め、僕はMERRY PROJECTに参画した。その模様はMERRY PROJECT公式サイトのコラムを見ていただきたい。「坂出のコンテキスター、フミメイ」が実名(?)で登場している。「海彦山彦空彦」というコンセプト・シートを水谷さんが採用してくれた。ありがとうございます。

このブログではMERRY PROJECTの詳細は書かない。今後のメリーな展開はTwitterとFacebookでフォローしてください。

このブログはあくまでも僕と僕の周辺を巡る文脈研究発表の場だ。
文脈研究家としては、以下、2冊の本のコンテキストを繋いでみたい。

「デザインが奇跡を起こす」水谷孝次 PHP研究所



「思考するカンパニー」熊野英介 幻冬舎


1951年3月14日生まれの水谷さんは「子供たちの笑顔は未来への希望です」をコンセプトにソーシャル・デザインとしてのMERRY PROJECTを世界中に拡散されている。

1956年3月17日生まれの熊野さんは「持続可能社会の心産業」を目指してカンパニー・デザインをされている。

そして1952年3月13日生まれの僕は「コミュニケーション・デザイン」のボランティアを目指している。お二人とはまったくレベルが違うので、お恥ずかしいのですが・・・

ここで本論に入る前に「コミュニケーション・デザイン」の話をしておこう。
広告業界で「デザイン」という言葉は、新聞広告やポスターのデザインというように「グラフィック・デザイン」の領域で狭い意味で使われてきた。
ところがマス広告だけではモノが売れなくなり、新しいやり方が必要になってきたときに「コミュニケーション・デザイン」という言葉が生まれた。
「設計」という意味合いを広義の「デザイン」と表現することにより深みが加わった。

僕がD社時代にした「コミュニケーション・デザイン」の定義は以下です。

その広告コミュニケーションに対する生活者の気持ちと動線をデザインする。

このあたりはさとなおの「明日の広告」を読んでください。

そして今、僕がささやかながらも始めた「コミュニケーション・デザイン」のボランティアはこういうふうに定義できるだろう。

その社会的コミュニケーションに対する参画者の意思と世の中を繋ぐストーリーをデザインする。
世の中で情報発信をされようとしている皆さんのコンテキストを整理してストーリー化するお手伝いをする。

この「ストーリー」という言葉の使い方は熊野さんの受け売りだ。
受け売りから本論に入ろう。

水谷さんの本からはパトス(情熱)をもらった。熊野さんの本からはロゴス(論理)をもらった。

活字中毒者としてさまざまな本を読んできたが、この2冊は本当にすばらしい。
そして、この2冊はコンテキストが繋がっている。

水谷さんは言う。

「僕が大人になったら、世の中を変えてやる」僕は三歳にして、すでにそんなことを考える早熟な子どもだった。

熊野さんは言う。

欲望の大量生産から利他的モデルへと移行する私たちの試みは、社会を変えていくこと、さらに歴史を変えていくことにつながっている。

水谷さんと熊野さんは世界を変えようとしている。

2011年2月6日、僕は水谷さんと出会った。その日は連合赤軍の永田洋子死刑囚が亡くなった日でもあった。

世界を変えたい、というスタートラインは同じだったはずなのに、限りない負のスパイラルに落ちこんでいったグループの終着点と新しい善で全なる縁脈の出発点が同じ日だった。

寒風の中、身体ひとつで子供たちの笑顔の傘を拡散していく水谷さんのパトスに引きずられて僕は行動をともにした。
高松から上山、小豆島へと水谷さんの後ろを追いかけていくうちに、僕の中に少しばかりの知恵熱がでてきたようだ。

子供たちの笑顔は未来への希望です。
世界はひとつ、ひとつの願い、そしてそれは平和です。
デザインで人を幸せにする。地球を幸せにする。
人を楽しませることこそ究極のデザインだ。
ソーシャル・デザインで世界を変える。
自分たちができることから世界を変えていこう。

「デザインが奇跡を起こす」の中にある水谷語録を頭にたたきこんでいるうちに、僕の中でささやかなストーリーができてきた。そして、そのストーリーは今、縁脈の中で活かされつつある。

ただし、パトスで行動した後には反動がくる。僕は昔からそうだった。
なぜ僕は会社を辞めたのにじたばたしているのだろう。これでいいのだろうか。36年間も働いてきたのだから、もう少しのんびりしてもいいはずだ。
釣りして畑して読書して料理して、定年退職者的悠々自適をしてもいいのに。

そんなとき「思考するカンパニー」に出会った。
熊野さんご本人とはまだお目にかかったことはないが。

僕は自分がなぜじたばたしているのかが分かった。
熊野さんの言葉はコペルニクス的転回を僕にもたらした。

事業家の私は性善説、性悪説ではなく「性弱説」を取る。人間は弱いから嘘もつくし、見栄も張る。しかし一方では自己犠牲の精神や「他人のため」という利他的な欲求ももっている

「利他的欲求」がキーワードだった。
どうやら僕は自分の利他的欲求にしたがい、関係性を新たな視点でデザインするために動き出したようだ。

人は「関係性」の中でしか生きられない。それが信頼という価値観に支えられた善循環の関係であれば最高だ。
僕はいつのまにか関係と信頼を巡る冒険に一歩を踏み出したのだ。
それが勇み足でないことをひたすら願う。

はるか昔、人類が「思考力」をサバイバルの戦略として選んだとき、自己犠牲と利他の欲求も本能に組み込まれたのだ、という熊野さんの説は深い。

また「世の中のためにはたらく」と僕が妄想を言ったことの意味も、この本で明快になった。そのまま引用させていただこう。

そこには「精神的満足の利益」がある。「こんなことをしたら喜ばれるのではないか?」と参画欲求をもってかかわり、「素晴らしい」と肯定された瞬間に参画欲求が満足する。そこに最大の利益があるという感覚。自分がいる意味があったという、こうした仕組みを広げていきたいと思う。

さらに「世の中のために」と言った瞬間に発生する「あほか?」感についても
熊野さんは喝破されている。

利他的モデル構築を進めたい。そのうえで一番のジレンマは、利他的モデルという言葉がなかなか通じないことである。あなたは「人のためにいいことをして儲けよう」という人間の言葉を信じることができないだろう。たぶん、うさんくさく思うだろう。利他的モデルというのは、そこが難しい。
利己を追求したら、やはり「自分のために人に何かをしたい」という欲求に行き着く。
そこには、「孤独にはなりたくない」という利己的理由があり、結果としては利他の価値観を追求しなければならない。人間としてごく自然のことなのだが、「人のために生きる」と言った瞬間に、今の時代、非常に偽善的に聞こえてしまう。「自分のために人を助ける」と言った瞬間、なんだかいやな人間に見えてしまう。利益に対する間違った偏見と企業活動に対する偏見が、真実を曇らせている。

「デザインが奇跡を起こす」で行動を起こして「思考するカンパニー」で理論武装した僕はしばらくこのまま前に進もうと思う。

「世の中のために働く」にうさんくささはないのだ。
儚くて脆い利他的欲求を顕在化して価値観を共有するためにソーシャル・ネットワークが存在する。その使い方にもようやく慣れてきた。
東の方で、いみじくもつぶやかれたようにSNSを使えばコミュニケーション・コストはフリーなのだ。

僕は文脈を接続してストーリーをつくるコンテキスター業務を継続していこう。
ひたすら誠実な凡人として、志は高く腰は低く。

そして笑顔を忘れずに。

水谷さんと熊野さんの笑顔に対する考え方は通底していた。

「デザインが奇跡を起こす」P238

「水谷さんにとって、MERRYとは何ですか?」
ときどき、そう聞かれる。僕はこう答えている。
「和顔愛語」
仏陀が2500年前に言った言葉だ。何もあげる物がないなら、あなたが笑顔と優しい言葉をあげなさい。そうしたらあなたにも笑顔と優しい言葉が返ってきますよ、と。

「思考するカンパニー」P74

ちなみに人間だけが笑うといわれる。生まれたばかりの赤ん坊は最初に笑う。ひ弱に産まれ、人から愛してもらわなければ生き残れないのが人間だからだろう。ブッダは「人は、何ももたない赤ん坊でもほほ笑みを人に与える。これを願施という」といった。

やはり笑顔は究極のコミュニケーション・デザインだったのですね、水谷さん。
利他的モデルの組織体は同じ価値観で繋がっていますね、熊野さん。

2011年2月28日現在、世界は激動している。
世界は同時多発善で動いているような気がしてきた。
チュニジアでエジプトでリビアで起こったソーシャル革命は、この列島にも確実に広がりつつあるのかもしれない。

地球の東の果てにある離島では「新」から「心」への改革が必要とされているのだろう。

さてと、僕はぼちぼちと僕のできることからやっていこう。

ここまで書いたら、アンガージュマン(engagement)という1968年頃に流行っていた哲学=政治用語を思い出した。

LOC(Last Occupied Children) としてアンガージュマンするのは今だ。

2011年1月25日火曜日

文脈日記(フミメイと呼ばれること)

最近、フミメイと呼ばれることが多くなってきた。
fumimayというのはTwitterのアカウントネームだ。
2009年の8月21日にツイッターを始めるときふと頭に浮かんできた。

文夫と文明(ぶんめい)の組み合わせですわ、というと大きなネーミングのように聞こえる。
が、実はそれは後付けの話です。

メイというのはうちの犬の名前だ。

1996年6月10日生まれの14歳。おばあちゃんになっちまったパピヨンであります。
Mayは5月。6月生まれなのにメイとはこれいかに。

この話のわけは個人情報に関わるのでこれ以上は書かない(笑)・・・
ただ「となりのトトロ」へのオマージュでもあるとだけ言っておこう。

映画「インディ・ジョーンズ」のインディも実は犬の名前だったというエピソードもありましたね。
発音しにくいフミメイという名前で呼んでいただいている皆さん、すみません、こんな由来だったのです。

D社にいた頃は文夫さんと呼ばれることが多かった。
脱藩するときにさとなおが実名でメッセージをくれたときは少し恥ずかしかったが。

今、フミメイと呼ばれているのは協創LLP関係者からだ。
この組織はオープンでフラットであり、年の差は関係なく呼びすてが原則だ。
僕の先達、原田基風(ボブ)の後を追っていくうちにフミメイと呼ばれるようになってきた。

フミメイは先日、岡山県美作市上山に行ってきた。協創LLPのプロジェクトである上山棚田団と美作市地域おこし協力隊への表敬訪問だった。長男といっしょに非力ながらほんの少し草刈り協力をしてきた。

彼らの活動に関しての詳細は近々、紙の書籍が出版されるらしいのでそちらを参考にしてほしい。

上山棚田団のベースはさいぼう庵という。裁縫が得意だったおばあさんの古民家を借り受けて再生したそうだ。

さいぼう庵の前では2匹の犬が歓迎してくれる。そして玄関口にはたくさんの長靴が並んでいる。仲間たちが楽しそうに話し合っている。

この雰囲気はどこかで経験した覚えがある。コンテキスターの中で文脈が繋がった。

今世紀の初め、僕は中標津にいた。北海道の東にある小さな町だ。
そこにはムツゴロウ動物王国があった。畑正憲さんと愉快な仲間たちがいた。
純真な目をした犬たちと馬たちがいて、ムツ母屋の玄関には無数の長靴があった。

2001年、インターネット博覧会(インパク)内コンテンツとして僕はある通信会社のWEBサイト制作を企画した。そのサイトはムツさんの動物王国と1年間、生活をともにするコンテンツだった。

まだISDNの時代に、動物王国から24時間365日、ライブストリーミングをやりたいと提案したD社にクライアントは応えてくれた。
中標津の原野にまず電信柱を立てて、ISDNの専用回線を通してくれた。

ムツ牧場の母屋と浜中の王国に設置された定点カメラはいきいきと彼らの生活を映しだした。
犬や馬の出産、動物と人間の子供たちの成長と道北の空気感が映像として世界中に流れていた。ISDNの狭い帯域の中をドキュメンタリームービーがけなげに通過していく。

多少、コマ落ちしたその映像群は時を超えて生き残ってはいない。そのとき、その瞬間が切り取られた映像を記憶している人も限られているだろう。僕の中では永遠に生き続けているが。

このサイトには動物王国日記というコンテンツもあった。
まだブログという言葉が影も形もなかった時代にCMSを使って仲間たちが膨大な日記を書いてくれた。

実は、このサイトの跡地はまだネットの中に残っているのです。
ご興味のある方はアーカイブを見てください。ぼろぼろになったコンテンツですが雰囲気は分かります。こちらは古民家再生とはいかないが。

古民家を再生したさいぼう庵の犬と長靴が想起した思い出に浸っているばかりでは文脈が前に進まない。

かつての動物王国と同じようなすてきな仲間たちが今、棚田団に集結しようとしている。
棚田団と美作市地域おこし協力隊の縁脈力は絶大だ。

そして彼らは身体を張っている。
草なんか食べてしまったらええねん、と山羊を飼い、草なんか焼いてしまったらええねん、と野焼きを敢行した彼らの行動力は本当にすごい。

2001年に中標津に足繁く通ったように、これからの僕は上山に通うような予感がする。

ただし、違いはある。
動物王国とのつきあいはD社のクリエーティブディレクターとしてだった。
棚田団とのつきあいは脱藩者としてである。駆け出しコンテキスターとしてである。

D社時代との違いは大きい。僕も身体を張らないと、とは思うものの体力は衰えていく一方だ。
衰えたきた体力は知恵で補うしかない。プロジェクトを進めるための経験値は積んできている。

知恵と知恵の物々交換をさせてもらって棚田団とのコンテキストを繋いでいければ、と思いつつ職能訓練は少しずつ進んでいる。

上山神社から見下ろす棚田は物理的空間として無限の可能性を秘めているようだ。
すり鉢状の景観はコンサートに向いているとボブも言っている。

上山棚田

そして、この上山棚田が小豆島の棚田に繋がる可能性もあるだろう。
棚田に溶け込んだアートが上山でも展開できれば素敵だ。すでに上山棚田団の皆さんはここを視察している。

小豆島棚田とアート

さらには長男と行ったネパール、ポカラ郊外の棚田とも繋がれば最高だ。

ネパール棚田

ネパール棚田

ネパール棚田


D社時代によく言っていた言葉がある。

「アイデアは世界同時多発だ。今、この瞬間にも世界中で誰かが同じことを考えている」

これは厳しい競合にさらされていた広告業界で一秒でも早くアイデアを実現したものが勝ちだという競争原理の言葉だった。

同じ言葉は縁脈者の世界でも通用する。
ただし広告業界とは意味がまったく違う協創原理の言葉になる。

アイデアは世界同時多発だ。今、この瞬間にも善いことを考えている誰かがいるはずだ。

世界が手を繋げば善循環が高速回転していくだろう。


追伸:Facebookアカウント設定しました。
プロフィール画像はムツゴロウさんが僕の56歳の誕生日に描いてくれたものです。
ムツさん、ありがとうございました。