〈NPO法人本の学校〉は2012年に設立された。遡れば前史がある。1995年1月17日、まさに阪神大震災が起こった朝、鳥取県米子市に「本の学校」という名の書店がオープンした。その実店舗をベースにして、まずは私塾として開校したのが「本の学校」であった。
その三原色は以下。
「生涯にわたる読書の推進」
「出版界や図書館界のあるべき姿を問うシンポジウム」
「業界書店人の研修講座」
初代理事長は永井伸和さん。今井書店グループの経営に長くたずさわり、現在は「知の地域づくり研究室」を主宰している。
そして、1995年から1999年、20世紀末の5年間に開催されたのが「大山緑陰シンポジウム」だった。出版業界の「ウッドストック」と言った人もいる。すなわち伝説である。大山という霊峰、緑陰という心地よさ。2泊3日、5回のシンポジウムには延べ約2000名が参加した。分厚い五冊の全記録集は、現在、僕の手元にお借りしている。
出版シンポジウムは東京に舞台を移す。東京国際ブックフェアの動き、コロナ禍などの紆余曲折を経て、神保町で今年も開催された。
【本の学校出版シンポジウム2024 in 東京】
2024年10月27日、会場は専修大学神田キャンパス。
リアルに参加しないとシンポジウムの気配を感じることはできない。話す人、聴く人の息づかいが会場の空気を形成していく。僕は2012年以来、NPO法人の正会員を継続している。したがって総会にも出席しているので理事のみなさんとも顔見知りになっていた。正会員としてのポジションは「読者」。筋金入りの活字中毒者として。電子本においても「活字」というのか、という問題は横におく。そしてニワカ作家。自費出版で紙本と電子版を出しているモノ書きとして。
今年の大テーマは〈本と地域をめぐる「あの話」〉。
地域おこしと連帯した書店、本来の役割をまっとうしようとしている図書館、出版の新しいカタチを探る作家。そして、2028年に街から書店が消えると予言したコンサルタント。確かにみなさん、本音でしゃべっていた。
「あの話」の根底には出版業界の構造的な問題がある。衆院選では「失われた30年」というキーワードがあった。1995年、阪神大震災と地下鉄サリン事件があった年から、この国の経済は停滞し、社会状況は劣化している。
出版業界の流通問題といわゆる「活字離れ」問題も大山緑陰シンポが開催された30年前から問題は共有されていたのに解決を先延ばしにしてきたから、こんなことになったのだ。出版業界に利害関係のない僕はそう思う。
シンポジウムを傾聴しながら、「読者は困ってないでしょう」という言葉を反芻していた。2023年5月に丸善ジュンク堂の福嶋聡さんが朝日新聞紙上で言ったこと。
「だって、Amazonがあるんだもん。本屋がなくなっても困らない」と感じている読者は出版業界の「あの話」には興味がないだろう。
幸か不幸か、僕は本も好きだが本屋も好きで図書館のヘビーユーザでもある。「あの話」の文脈研究を続けている。本屋や図書館にいると気分が落ちつく。求める本を手に入れる手段には困ってないが、本屋が消えると寂しい。極端に寂しい。
第1分科会は「書店と図書館にできること―地域を耕す、読者が生まれる」。パネリストは名古屋の図書館長、盛岡の書店員、東京の書店経営者。
さわや書店の栗澤順一さんは見た目は繊細だけど、様々な地域おこしイベントをひとりでやりきる忍耐力を持っているようだ。それが、どれほど大変なことであるかは、電通で36年間働いていた僕にはよく分かる。
家族経営のチェーン店、久美堂の井上健浩さん。釣りとキャンプが好きな三代目は「継げ」と言われたことはなかったという。しかし、結局は「ありがとうと感謝される仕事」としての書店に就職した。
久美堂は町田市の図書館の指定管理者になっている。さらに図書館の予約本の受け取りと返本を書店のカウンターで可能にしている。図書館と書店がコラボできたら「本のタッチポイント」は確実に増えるから。「ペイ・フォワードブック」は全国の本屋に広がるといいね!
名古屋市守山図書館と志段味図書館の館長、藤坂康司さんは〈図書館と書店にできること〉の多様性を追求している。
「図書館は地域の課題を解決するために、なんでもできるなと思った」。まずは児童サービス。お話会。医療、健康、ビジネス……。図書館利用者と仲良くなれば、イベントの多様性は確保できる。なんと、「としょキャン」まで。地元のボーイスカウトが図書館に泊まりたいと言った。夜の図書館で子供たちはひたすら本を読む。
本の学校理事の植村八潮さんが質問する。「経産省の書店振興プロジェクトでは図書館に関しては複本問題しか話さない。つまり、図書館が書店の売上に悪影響を与えると。がっかりした。もっと書店と図書館の本当のコラボを考えていった方がいいのではないか?」
「買う人も借りる人も読者!」と藤坂康司さんは喝破した。そのとおりだと思う。読者が増えれば本の需要が世の中に増える。借りて読んだ本をやっぱり手元に置きたくなって買ってしまう読者だっている。はい、僕です。このシンポの参考書籍は箕面市立図書館で読了していたのだけど、買って東京に持ってきた。
本に関するイベントは本とともに聴くのだ。
第2分科会が始まる。「著者・出版・書店の垣根を越えて―〈軽出版〉その可能性の中心」。ニワカ作家としては、最も聴きたかったのが「軽出版」。仲俣暁生さんとは以前、電子出版の先駆け、ボイジャーのイベントで話したことがあった。彼はNPO法人本の学校の呼びかけ人であり、大山緑陰シンポにも参加したことがあるという。
おや、司会は「本棚演算株式会社」の今井太郎さんだ。今井書店とは無関係だが、本の学校文脈に連なる人である。
「軽出版」という言葉に惹かれる。紙の本を出すためには昔も今も「大きな出版のシステムをガラガラ回す」必要がある。ニワカ作家にとっては荷は重い。重出版に対峙するところの軽出版。「ケは軽出版のケ」だったのか。『ウは宇宙のウ』はレイ・ブラッドリーのSF。読んだ覚えはある。
100部から1000部が軽出版。軽いことを戦略的に使っていくこと。まずは書くべし。Wordであれ一太郎であれ。そして版下つくり。ああ、憧れのInDesign。僕は2010年頃のAdobeを持っていたことはある。でもついに使いこなすことはできなかった。仲俣さんは軽やかに本の原液たるPDFまで完成させてしまう。印刷は「同人誌向けネット印刷」。すべてがネットで完結して美しい本の出来上がり!
さて、どう販売するのか。紙の本である。人と人が触れ合って手渡しで売るのが基本。文学フリマと独立系書店。あるいはシェア型書店。オンライン販売でも「アマゾンを迂回する」のが軽出版。「オタク文化のプラットフォームを使う。市民的プラットフォームのブリコラージュなんです」と仲俣さんは素敵な言葉を発した。BOOTHというオタクグッズ販売サイトは知らなかった。すみません、なにしろ僕は村上龍と同い年で村上春樹より三つ年下なものでオタク文化には縁遠い。
アマゾンには依存したくない、これは思想の問題でもある。拍手!(心の中で)
でもね、この国は敗戦以来、日米地位協定によりアメリカの属国であり続けている。そして今はGAFA依存症が進行している。はい、僕もそうです。
しかしながら、軽出版の世界では脱アマゾンが実現できている。喜ばしい。僕の認識では仲俣さんは電子出版の人だった。しかし、「電子は楽しくない」と今は言っている。どうやら彼は紙に回帰したようだ。
独立書店も軽出版の流通を支える。「双子のライオン堂」の竹田信弥さん。けったいな名前の本屋は100年続くのが目標であるという。棚には100年残したい本を選書しているそうだ。おや、ライオン堂のモットーは「ほんとの出合い」。これはまっとうだ。永井伸和さんの持ち言葉「本との出合いは本当の出合い」とマッチしている。
竹田さんは本屋であり出版人である。『しししし』という文芸誌。まだ出合ったことはないが、手にしたら、きっと「うっしっし」と言ってしまいそうな気もしてきた。
仲俣さんは竹田さんのことを「師匠」と言っていた。ハテナマークつきの重出版をしていたライオン堂は、現在、仲俣さんと連帯したような軽出版を志している。
「出版は運動性を内包している。カフェや雑貨は粗利率の改善にはなるが運動性はない」と獅子座の店主は語った。「双子のライオン堂」という運動体は、選書と軽出版という持続する両輪を備えた。さらに、分散読書をベースにした読書会など様々な取り組みをしている。
竹田さんは1986年生まれ。うちの次男の一つ下だ。この国の出版界は捨てたものではない。出版業界というよりも出版界隈という言い方の方がなじむ出版界のことである。業界は30年来、停滞しているが、界隈では運動体が生まれている。そのベクトルを見ていきたい。
さて、問題の第三分科会。「街に書店があり続けるためには~未来への提言」である。提言というか予言をしたのが小島俊一さん。
『2028年街から書店が消える日』を精読してみた。消滅を2028年としたのは教科書がデジタル化する年だからという。町の本屋は教科書販売もするという収益構造も持っているから大きな分岐点になることは間違いない。
同書で素直に納得できるのは、冒頭のアインシュタインの言葉と巻末の映画『フィールド・オブ・ドリームズ』の名言である。
「愚かさとは同じことを繰り返しながら違う結果を求めることである」(アルバート・アインシュタイン)
「If you build it,he will come・それをつくれば彼はやってくる」(フィールド・オブ・ドリームズ)
両者は同じことの裏表を表現した言葉なのだが。
納得できなかったのは「ビジネスとしての本屋に関心があるものの、独立系書店には興味を持てない私」(191頁)それにしては、小島さんは独立系書店の大井さんと長崎さんとも親しいようである。
同書は2001年に佐野眞一さんが上梓した『だれが「本」を殺すのか』のトリビュートだという。確かに同じプレジデント社の発行だが、ちょっと違うんじゃないかな。
佐野眞一さんの本はよくも悪くも陰翳がある。過剰なまでに。小島俊一さんの本は丁寧に書かれた学習参考書という感じがする。もちろんノンフィクション作家とコンサルタントの書いた本という違いもある。
同書が「ハレーションを起こす」本であることは否めない。安倍譲二が「塀の中」を赤裸々に書いたように小島さんは出版業界の諸問題を外部の読者にさらしてくれた。だから本好き読者に売れているのだろう。「内幕もの」は魅力的になることもある。
おっと、この文章は出版シンポの文脈レポートだった。本筋に戻ろう。第三分科会の司会はブックスキューブリックの大井実さん。本の学校の理事であり福岡の独立書店主。
出版業界では有名人であり独立書店界隈の重鎮。「2001年書店の旅」に出た人。ちなみに、その年に『本コロ』が出版された。出版業界の改革は待ったなし、と佐野眞一さんはすでに言っていた。大井さんは小島さんにプレゼンテーションを促す。
「ボンクラ評論家は書店衰退の理由をネット書店と活字離れなどといってますが、何の関係もない!」小島さんの言葉は強い。経産省の「国内外の書店の経営環境に関する調査」を示していく。
「書店がなくなっているのは日本だけなんです!」
正確に言うなら「激減しているのは日本だけ」ということだろう。調査を見ると、米国とドイツは「減少傾向」、フランスは「横ばい」、韓国は「増加傾向」にある。
「日本の本屋の産業構造は終わった。雑誌とコミック中心の産業構造だからつぶれた。諸外国は書籍だけの流通を持っている。日本の本屋は書籍中心でも回る粗利益を出さなきゃならない」
そのとおり。一読者である僕でも本屋ウォッチングをしていれば分かる。
話は図書館問題、書店からの納本へとジャンプした。「競争入札、絶対おかしいでしょ。本には定価があるのだから」
これも正論である。鳥取県立図書館は地元の本屋を絶対的に支援する。「鳥取モデル」は永井伸和さんから話を聴いていた。鳥取県内の本屋が選書する。司書たちが協議する。随意契約で本を買う。人と人が本を吟味していく。
もちろん、装備費の問題はある。しかし、図書館のベクトルが地元の本屋とともにある。
続いては、大井さんの自己紹介。福岡に行ったことはないけど、ブックオカの風景は目に見えるような気がする。のきさき古本市に行ってみたい。平野甲賀さんのブックカバーがほしい。「本のもりのなか」に入って本に関する名言を読みたい。キューブリックの文脈棚が見たい。
〈One for all,all for one〉といいたくなる。本のチカラを最大限にするためにトライが続いているようだ。
長崎健一さんも1889年創業の老舗書店を継いだ経営者。長崎だけど熊本県。絵に描いたように実直な話しぶりである。しかも熊本県書店商業組合の副理事長だという。読者である僕には書店組合の実情は分からない。でも、その運営が新旧組合員の葛藤のなかにあることは想像に難くない。
長崎社長は来店促進と売上増のための施策を考え続けている。マーケティングとして目新しさはないが、「継続は力なり」を信条にしているのだろう。〈ブックカルテ〉という選書サービスも始めた。
長崎さんは「地域の生活」でのニーズを重視したいと考えている。読者、特に子供がどんな本を読んでいるのか、簡便にデータを取得できる方法論があればよいのだが。マーケットインの書店経営に幸あれ。
司会の大井さんが論点を整理する。
①来店促進 ②粗利の改善 ③流通改革 ④人材育成
この4つの問題が解決したら、書店消滅を防げるのは確かなことだろう。読者の立場からいえば①の来店促進を裏返して考えたい。
なぜ、僕は本屋に行きたいのだろうか? どうして、図書館に行くのが楽しいのだろうか?回答を端的にいえば、僕は〈情報〉ではなく〈場〉を求めているのだ。それはまた別の話にしておきたい。
②と③と④に関しては、読者の立場ではなにもできない。ただ、本の学校正会員としては、人材育成は書店人教育講座として、本の学校が30年前からやっていることでしょう、と言いたいだけである。
出版業界には3ナイがあると小島さんは言う。
「学ばナイ、変わらナイ、議論しナイ」
小島さんの大きな声を無視して、旧態依然として取次が見計らい配本する本をほいさっさと棚に刺していくだけの書店はつぶれるしかない、そんな気がしてくる。
「今こそ、タブーなしで議論しませんか」という小島さんの呼びかけに出版業界はどう応えるのだろうか。無視するのか。
「僕を講演に呼んでくれる出版関係者は少ない」そうだ。確かに小島さんの立ち位置は微妙である。トーハンの九州支社長、松山の明屋書店代表取締役というキャリアから経営コンサルタントに転じた。
「現在は出版業界とは何の関係もない、離れて10年」と言っても、半身は業界内部の人のように見えてしまう。
だから「トーハンにいてはったのに、よーいうわ」という声があったりするのかもしれない。「小島さんがいうほど悲観的ではない。本はまだまだ売れる、流通の改革も進んでいる」という会場からの声を信じたい。
産業構造としての出版業界を経営コンサルという視点で批判する。これが小島俊一さんのスタンスである。必然的に経済産業省と親和性が高い。小島さんは「経済産業省・書店振興プロジェクトチーム」に大きな期待を寄せている。2024年10月4日に経産省は「関係者から指摘された書店活性化のための課題(案)」を公表した。
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/contents/downloadfiles/syoten_kadai.pdf
経産省の課題(案)を生情報として『2028年街から書店が消える日』を参考書籍にすれば課題は網羅されている。
「出版業界の一部では経産省に抵抗感を持つ人もいるが馬鹿げている。経産省は経済構造としての出版産業を崩壊から守ることだけが目的なんだから」
小島さんはそのように言うが、実は僕も抵抗がある。以下は、本の学校正会員という立場を離れて、半農半リベラル過敏派としての見解である。
問題は、経産省PTの母体が自民党の「街の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る議員連盟」であることだと、僕は思う。
https://www.jpic.or.jp/topics/docs/e250d610845c5c900e527e17de8ccb9977a8ed45.pdf
悪いけど、僕は自民党という政党を信じることはできない。安倍一強政治がこの国をおかしくした。自民党の「街の本屋」議連の会長は塩谷立氏だった。安倍派の重鎮。現在は裏金問題により政界を引退している。
書店に関する議員連盟は、かつては超党派だったそうだ。与党も野党も本を読むべし。それは当然のことだったと思える。ところが、自民党だけの議連は、わざわざ「日本の文化」を強調している。文化は日本だけにあるのではない。半島にも大陸にも存在する。
書店を守ることは国力を守ること、と短絡されたら気色悪い。国防のために本を読む人もいれば、国家権力を監視して対抗する術を知るために本を読む人もいる。
考えすぎでしょ、と言われたら自民党政権が図書館の蔵書に指図をしたことを思い出してほしい。もちろん拉致問題の解決は急務であるが、政権の都合で「拉致問題に関する蔵書を増やせ」というのは大きなお世話だ。
さらに過敏派として見解を述べるなら経産省についてである。かの省庁は原発を背負っている。仮に街の本屋への補助金が決定したとしよう。その本屋の棚に反原発本がたくさん刺さっていたら、どうなるのか。
かつて、大日本帝国の出版業界は検閲を受けていた。その悪夢を忘れてはならない。
「経産省書籍振興PTに見棄てられたら本屋はおしまいです」と小島さんは言った。そうだろうか。読者に見棄てられたとき本屋は死ぬのだ、と読者である僕は思う。
本と本屋と図書館は文化の根元である。だから読者は、それらを三位一体で守るための不断の努力をしていこう。
「文化を守れ!社会的共通資本としての本屋を守れ!」
本と本屋と図書館は文化である。文化だから守っていこうというしかない。文化が守れない国には言論の自由がなくなる。
『2028年街から書店が消える日』は「30人目の識者」として読者を想定している。はい、読者としての感想を言葉にしました。そう簡単に言霊になるとは思えないけど。
このシンポジウムが開催されたのは2024年10月27日である。その夜、自民党は総選挙で大敗していく。自民の「街の本屋」議連と経産省の書店振興PTがどのような展開になっていくかは、まだ誰にも分からない。
同時刻、参加者たちは、それぞれのポジションを持ち寄って交流を深めていた。本は人間関係を編むこともできるらしい。
未知の明日に対応するために、私たちは今日も本を読む。本のチカラを信じて。
「浮上したい」と活字は言っている。
「よくこれだけのメンバーを集めたな」といわれるほどのシンポジウムを企画し実現させた〈NPO法人本の学校〉理事長の柴野京子さん、副理事長の前田昇さんと梶原治樹さんをはじめとする理事、監事、相談役、顧問の皆様に深謝いたします。
参考書籍
『本との出会いを創り、育てるために~本の学校・出版産業シンポジウム2012記録集』
(編者・NPO法人本の学校/出版メディアパル/2013年7月10日)
『本屋、地元に生きる』
(栗澤順一/KADOKAWA/2023年2月22日)
『ポスト・ムラカミの日本文学[改訂新版]』
(仲俣暁生/破船房/2024年9月1日)
『もなかと羊羹~あるいはいかにして私は出版の未来を心配するのをやめて軽出版者になったか。』
(仲俣暁生/破船房/2024年10月7日)
『めんどくさい本屋~100年先まで続ける道』
(竹田信弥/本の種出版/2020年4月27日)
『2028年街から書店が消える日~識者30人からのメッセージ』
(小島俊一/プレジデント社/2024年5月25日)
『だれが「本」を殺すのか』
(佐野眞一/プレジデント社/2001年2月15日)
『「本屋」は死なない』
(石橋毅史/新潮社/2011年10月30日)
『本屋のない人生なんて』
(三宅玲子/光文社/2024年3月30日)
『浮上せよと活字は言う』
(橋本治/中央公論社/1994年3月20日)