2010年5月21日金曜日

脱藩まで40日(脱藩とは)

今日は少し視点を変えよう。
脱藩という言葉はもちろん「龍馬伝」の影響だ。NHKの大河ドラマというものは、記憶にある限りあまり真剣に見た覚えはない。
だが今年はちがう。たまたま龍馬だった。だが僕にとって、それは必然だったような気もする。

自分を取りまく状況とドラマの進行にシンクロニシティがあった。

3月28日「さらば土佐よ」の頃は早期退職の意思は固めたものの、優遇制度の案内がなかなか来ずに憂鬱だった。
龍馬は家を捨てて脱藩する。もちろん脱藩優遇制度など存在するわけはないが。
僕は本当に脱藩できるのだろうか。焦りがでていた。

4月4日「お尋ね者龍馬」の頃、まだ案内は来ない。土佐は窮屈ぜよ、と龍馬は言う。この会社もどんどん窮屈になるからね、と言う僕の真意を周りはどれだけ分かっていたのだろうか。

4月11日「ふたりの京」がオンエアーされたとき、僕はまったく気分が違っていた。4月9日に早期退職優遇の案内が来たのだ。少しロマンチックな気分になっていた僕に、この回はよく効いた。

今年の終わりに総集編を見ることがあれば、この三週に集中しよう。

孫正義さんほどではないが、僕にも坂本龍馬に対する思い入れはある。「竜馬がゆく」は何年か前に通読している。
それは司馬遼太郎に対する思い入れと言い換えた方が正解かもしれない。司馬さんは満州での陸軍体験が作家としての出発点になっているという。

満州は田中文脈研究所のテーマのひとつだ。僕の祖父と父は大連にいた。そして母の家族も中国沿岸部を転々としたあと敗戦は大連でむかえている。妻の家系は長春につながる。
このことは、またあらためて書くことにしよう。とにかく僕は昨年の9月に大連から長春までのセンチメンタル・ジャーニーを敢行した。

満州への道程のキックオフは龍馬の時代に始まっている。そのことを意識しつつ龍馬伝を見ると興味深いのだが、このエントリーのテーマは脱藩であった。

土佐藩というのはタテ型組織を極限まで突き詰めていたらしい。

タテから脱出しないとヨコには繋がることができない。

これは幕末であろうと世紀末であろうと永遠の真理だと思える。タテ社会でしか生きてきたことのない僕がヨコを語るなよ、と言われたらそれまでだが、それはこれからのトライアルだ。

とにかく脱藩しないことには始まらない、という僕の意識と龍馬伝が妙にシンクロした2010年であった。

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