2010年5月15日土曜日

脱藩まで46日(同期年少組)

D社を脱藩するのは、衝動的なことではない。
かなり前から、58歳で退職しようという意思はあった。

この会社には役職定年制度というものがある。60歳まで待たずに、若いマネージャーのために道を譲る制度だ。そのタイミングで、早期退職の優遇をされることもある。

D社もご多分にもれず逆ピラミッド組織になっている。会社の新陳代謝のためにこの制度は悪くないと思う。

社員の方から見ても、58歳で会社人生と脱会社人生を熟考できる機会を与えられるのはありがたいことだ。そのチョイスは人それぞれで、もちろん、そのまま60歳まで勤める権利もある。少しばかり、待遇は違ってくるが。

ただ、これだけは言える。早期退職するかどうかの選択権は自分にあるのだ。長い会社人生の中で、最初で最後に人事の選択権が自分の方にくるのだ。これは快感ですよ。
60歳の本定年はノーチョイスですからね。

僕は同期の年少組で一番若い。退職した同期たちは僕にこう言う。

おまえは若いのだから、その特権を活かしてもっともっと働かないと損やで。
確かに若い。年長組とは3歳も差がある。
でも考えてほしい。同期ってことは、同じ年月、働いてきて同じように消耗しているのですよ。

3月13日生まれの僕は小さい頃からあまり得をした覚えはない。君の生涯年収は同期で一番多くなるんだぞ、と言われても困ってしまう。それが自分のアドバンテージだという気持ちにはなれなかった。

むしろ同期の中でどうして僕だけいつまでもタフなことをやっているのだろうか、という思いの方が強かった。

もちろんお金はほしい。でも36年間、フルに働いたらやめる権利を主張してもいいんじゃないか。という気持ちを抑えられなくなってきた。

誰でもいつかは親の死に目に会うし、いつかは会社をやめる日がくるのだ。親の死に目は天寿が決めることだが、会社をやめる日は自分で決めることができる。

その決断の基準にはそれぞれの家庭事情がある。僕の場合、二人の息子たちはもう大丈夫なようだし、家のローンも終わった。贅沢をしなければ、年金まで、なんとかやっていけそうな気がする。もちろん、長い間、サラリーマンをやっていると定期収入がなくなることは不安だ。とても不安だ。

でも、いまさら心配してもしかたがない。
入らなければ出ていくお金を抑えればよいのだ、と今は開きなおっている。なんとかなるさ。

生涯年収を競うよりもちがうレースに出場してみたい。チームの一員ではなく一個人として動いてみたい。その気持ちを、後押ししてくれたのが、僕より前に早期退職をした仲間たちだった。
そのあたりの事情は、また明日にしましょう。

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