2010年5月19日水曜日

脱藩まで42日(ひたすら待つ)

背中を押された僕はひたすら待った。
役職定年と同時に実施されてきた早期退職優遇制度の案内を待っていた。

ずっといっしょにやってきたメンバーたちには、50%の確立で役職定年と同時にやめる、と宣言していた。50%の意味は優遇される可能性が半分だったからだ。

待っている間に、大手航空会社に38年勤めた友人が3月末で早期退職した。本当に嬉しそうだった。僕はうらやましい、と言うしかない。

メンバーたちとは僕がいなくなった後のことを話しあっていた。ありがたいことに、それぞれの落ち着き場所はいい感じで決定していく。

最近のD社は組織変更が多い。そのたびに、僕は僕のメンバーのことを考えて調整ごとを繰り返してきた。でも、僕自身に関することは待つ以外にはなかった。

すべてはD社の都合だ。今までは優遇されていても、僕の場合、優遇されなくても文句は言えない。でも、優遇されないのに早期退職する勇気はない。
この時期は正直、気が滅入っていた。家に帰っても、うっとうしい顔をしていた、と妻に指摘された。

そして、4月9日に案内がきた。優遇していただけるという。もちろん僕に迷いはない。心の整理はとっくについている。決断して宣言した。

「別に58歳で早期退職するのは、珍しいことではないのです。会社が優遇してくれると言って、それに答えた人は、今までにもたくさんいるのです」

と、東京の仲間たちにも説明をしに行く。言い訳する必要は何もないのだが、いっしょにやってきた仲間たちに説明責任はある。

で、やめて何をするの。その質問に対して回答をしていく日々が始まった。

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