2010年6月28日月曜日

脱藩まで2日(旅の準備)

いよいよ大詰めが近づいた。旅立ちの準備をしていこう。実務的にクールに卒業していくのが理想だ、と言いつつも感慨深いものはある。

概念としての旅の準備でもっとも大切なことは退職の事務処理と今後の生活設計だ。退職の事務処理に関しては懇切丁寧に説明していただき、迅速に済ませた。生活設計はしばらく無収入になるので支出を抑えていくしかない。ハローワークにも行かねば。

妻とはおかげさまで仲良くやっている、と勝手に思っている。
この1ヶ月は家にいる時間が長かった。左肩が動かないこともあるが、アウトドアよりもインドアライフの方が圧倒的に多かった。ほとんどPCの前に張り付いてデスクワークをしている。会社にいるときよりも長くデスクワークをしている気がする。家にいると当然、妻の友達が訪ねてくる。妻の方が友達が多いというのは冷厳な事実だ。
なので、なるべく邪魔をしないように部屋にこもるようにしている。コーヒーは自分で淹れられるようになったし。

家事手伝いはデスクワークが忙しくてさぼっている。今のところ妻も見て見ぬふりをしてくれているようだ。調理師学校に行くまでは見逃してくれるのか。そんな甘いことはないだろうな。

脱藩日に備えて会社からもらったチェック・シートを再点検する。どうやら忘れていることはないようだ。ただ、送別会は結局7月に回してもらったものが大阪で5回、東京で1回残っている。
7月になっても僕はどこにも行かない。精神的には相当変化すると思う。が、物理的にはしばらく箕面の家周辺から動かない。家周辺の中には坂出と小豆島も含まれるが。送別会が7月になっても問題はない。

退職記念に旅に出ます、放浪の旅に出ます。というのも魅力的なオプションだ。いつかはそういう旅にリアルに出てみたい。でも僕にはまだ早い気がする。

58年も生きてきたら、けっこう旅には行った。仕事とプライベートの両方で。CMの海外ロケも多かった。いずれも印象的で激しいロケだった。家族で海外にもよく行っていた時期がある。それらの旅を文脈化するのもコンテキスターのミッションなのだが、すこし時間が掛かるだろう。

まずは長男と二人でスコットランドに行ったときの記録を、この後にエントリーしておきます。まちがいなく自分史上、最高の旅だったので。

ちなみに田中文脈研究所のタイトル写真はスコットランドのアイラ島です。大西洋を見つめる僕を長男が切り取ってくれた。

2010年6月27日日曜日

小説「流れる」イントロ

【第一部は脱稿。現在第二部執筆中】未発表 奈良県吉野川川上村へのオマージュ

第一部 1993年

流介は、夜明けが好きだ。ジープ・チェロキーのアクセルを、めいっぱい踏みこむ。四千馬力のエンジンが心地よい唸りをあげて、真っ赤なボディが森を駆け抜ける。

透明な空気が流れる。生命が蘇る瞬間だ。河原流介は鮎師だ。六月から九月まで夏場のほとんどを鮎の川で過ごす。鮎の友釣り、この熱病を患ってから五年になる。川の石につく苔を一日中、食みまくる鮎の習性を見てこんな技法を発案した者を恨みたくなるほど、この釣りは面白い。

鮎は石についた苔しか食わない。美味しい苔のついている一等地の石の周りに自分の縄張りを持って、侵入してくる他所者の鮎を激しく追う。鮎師は縄張り鮎がいるポイントを見つけて、長い竿でコントロールしたオトリ鮎を近づける。野生の鮎が自らの餌場を守る執念はすさまじいもので、たちまち侵入者に体当たりをくわせる。その瞬間、オトリ鮎にセットされた掛け鉤で鮎を釣るのが友釣りだ。だからこの釣りは、友釣りではなく「喧嘩釣り」といった方があたっている。

「さーて、今年は、どんなシーズンになることやら」流介はつぶやく。六月一日は、鮎師の元日だ。今日の解禁日のために、流介は、デジタル・アートディレクターとしての仕事を整理した。オフィスのマッキントッシュには、秋まで、ひたすら川狂いをしても、あまりある情報をたたきこんである。新しいコンピュータ・グラフィックス・パターンのデータを小出しにしていくだけで、年収は確保できる見通しだ。

「時は今。いざ釣らんかな。鮎は愛。愛は河原に宿りたまう」でたらめな歌を口ずさんでいるとき、電話が鳴った。流介のチェロキーには電話とファックスがついている。夏中、気ままな生活をしている流介の必需品だ。

「流介、遅い、今どこだ」しわがれ声が受話器から飛びこんできた。「あっ、師匠。すみません。夕べちょっと遅かったもんで」

「女か」ぶっきらぼうに応対するのは、流介を鮎釣りの世界に引っ張りこんだ玉山秀次だ。「解禁前夜にそんな余裕あるわけないでしょう。ひと夏、鮎にのめりこむために、パソコンとにらめっこですよ」 「何でもいいが待ちきれん。蜂の巣ポイント、双子岩だ」それだけ言うと電話は切れた。

「師匠、気合い入ってるなあ」厳しいカーブが連続する林道を疾走しながら、流介の心も川に飛んだ。 玉山が電話をかけてきた杉山オトリ店まであと十五分。入漁券とオトリを仕入れて、指定された場所まで三十分。その間に師匠は五尾くらい掛けているだろう。

こいつは解禁日から厳しい勝負になりそうだぜ、と気持ちを引きしめた瞬間、バックミラーに飛びこんできた黒い車が、ブラインドカーブで追い越しをかけた。鋭いエアホーンをあびせながら追い抜いていったのはフルサイズのランドクルーザーだ。

解禁日には気持ちが焦る。他人よりちょっとでも早く良いポイントに入った者には、釣果が約束されているからだ。解禁日の鮎は、まだスレてなく、オトリ鮎が自分の縄張りに入ってくれば、必ず激しい追いを見せる。しかし、ポイントの選択を間違うと多くの人出のために移動もままならず、不本意な結果に終わることがある。

それにしても、解禁日から事故ったらどうしようもないだろうが、あの馬鹿。ブラインドカーブで追い越しをかけるのは、想像力がない証拠だぜ。

杉山オトリ店は、香美川の入漁券とオトリ鮎を求める鮎師でごった返していた。解禁日の興奮を楽しむ彼らの中にあって、長身に銀色のヴェストを着こなした流介の姿は、際だってスマートである。髪を後ろに束ねたその顔色はもう夏のものだ。

「流ちゃん、ええ友、持って行きや」流介を見つけた杉山のおっちゃんが声をかけてくる。鮎師はオトリ鮎のことを友と呼ぶ。その日の釣果を左右するのは最初のオトリだから、鮎師は誰でも、友の選択には慎重だ。

「おっちゃん、今年もお世話になります」  流介は笑顔で挨拶した。杉山が選んでくれた元気のいい友を二尾、オトリ缶に入れて、すぐにエアーポンプをセットする。「流ちゃん、今シーズンの目標は?」杉山が、友を鮎師に渡す手を休めずにたずねる。「目標千五百尾!」 と言いたいけど、自分で納得できる釣りができればいいよ」 「またまた、ええ子ぶってからに。ほんまは、今年こそ師匠を追い抜いて、リバーラン・カップの優勝、狙とんやろ」杉山の言葉にちょっと照れたような微笑みを返して、流介はジープ・チェロキーに乗りこんだ。

禁漁期の渓流師のために 「つりかげ-わが渓わが人生」(山本素石著)

【某同人誌のための書評】1993年頃?未発表。

山本素石(やまもとそせき)を知らない渓流師はもぐりである。わが国の渓流釣りの大先達として、素石は偉大な足跡を残している。渓流釣りとは、いわゆる川釣りの中でも、最も源流部で、最も釣りにくく、最も美しく、最もおいしい渓魚達、イワナ、アマゴ、ヤマメを狙う釣りだ。

山本素石に言わせればこの釣り以外のフィッシングゲームは思想も精神も伴わぬ魚との勝負事に過ぎないということになる。

素石は、全国の山河を彷徨して、渓流釣りに関する著作を数多く著した。渓流釣りを志す人は、何らかのかたちで彼の文章に接しているはずである。それほど、素石の技術論と釣場紹介は、多くのハウツー本のネタになっている。

しかし素石の真骨頂は、渓流師の心情論にある。憂愁とユーモアとリリシズムを餌に男たちの心を針に掛ける文体(スタイル)にある。そして、この「つりかげ」は、その文体の集大成といえるだろう。

「釣り師は心にどこか傷を負っているが自分でそれに気がついていない」という名言がある。その心の傷が何であるかを探すために、渓流師は今日も山の奥深く入っていくのだが、その心の振幅を山本素石ほど、正確に表現できた者は空前絶後だ。

この本には戦後すぐ、国破れて山河があった頃の日本の山里と、彼自身の心身の旅立ちが活写されている。この物語に登場する素石は、26才から35才の多感な青年だ。

素石は言う。

「野面にかげろうの立つ春が来ると、人は浮かれ出すと言うが、それは悲哀を知らぬ半ばの人なのであろう。晩春になると、物憂さが勝って、何とない旅心を誘うのも一般である。春愁というのだろう。(中略)朔風が梢に満ちる清明の疎林、碧い中空に抜き出る残雪の嶺、細雨に烟る草屋根の村里、黄金に波打つ麦畑、うらさびた漁村、月の浜辺、すすきの原野、遠い山波、落葉の山路、山峡の炊煙、峠の白雲…。そうした風景が、常に私の旅の心象にはある。身近な死者の面影は、行く先々のどんな風景の中にも宿っていた」

絵に描いたような、憂愁だ。その釣りの特性から渓流師は孤独な影を背負うが、素石のそれは、特製の極め付けのものだったらしい。渓流釣りは、ほとんど山歩きである。賢い渓魚は人の気配に敏感で、同じ場所で何匹も釣れることは希である。あの大岩の向こう、その崖の先、と渓流師は、大物のポイントを求めて歩き続ける。そして、一日歩き続けた果てに、魚籃(びく)の中には笹の葉だけというのもよくあることである。

そういう釣りを好む者は、いきおい求道者の体をなしてくる。

「一人旅というものは、やりかけると癖になる。日常の人間関係の中では満たされぬものが旅先にはあって、既成の生活の枠組みに位置づけられた自分の殻を抜ける解放感と、素肌で世間にふれてまわる好奇のたのしみがある反面、オドオドした緊張感が絶えず背中にへばりついている」と語る素石が旅をした戦後の混乱期には、この釣りをする求道者は少なく、彼の姿は、相当、女心をくすぐったらしい。

釣師本来の釣欲と憂愁と、その上、女の影まで引きずり、素石の旅は、ますます陰影の濃いものとなっていく。

道を求める者が、一瞬にして解放されるのは、勿論あの時だ。
「会心の手ごたえは胸の痞えが一気におりるような、集約した官能の放出を覚えさせる妙がある」と素石が感じ、釣師なら誰でも納得できるあの時、魚が掛かったアタリの瞬間だ。

その一瞬、釣師の頭の中の魑魅魍魎は、はじけ飛ぶ。釣師が、無念無想だなんてのは、まるっきりの嘘だ。釣師の頭の中では、さぁ釣るぞ、なぜ釣れぬ、どうして釣るか、まだか、まだか、まだか…とイライラの羽虫がぶんぶんうなっている。それでも釣師が一日飽きもせず竿を振るのは、その一瞬がいつ釣師を直撃するか分からないからだ。

その至福の時を、素石は緻密な筆致でこう表現する。

「岩の上を走る道糸の白い目印がツと横に走ったとき、垂れ下がった樹の枝をさけて斜めに竿先を撥ねると、黒い岩の狭間に銀色の魚体がひるがえって、川下の方へ矢のように疾走した。竿が激しく絞り込まれて、張りつめた糸のさきにキラキラと銀鱗が光る。八寸級のヤマメだ。あの黒い岩盤の隙間の、どこにこの白銀の魚体が潜んでいたのか。顎にかかった鉤を外そうとして、ヤマメはさまざまな姿態で反転した。うるしを引いたような黒い岩の上で、銀色に光ったり、白い条を描いたりして狂い回るダイナミックな輪舞を見ると、抜きあげてしまうのが惜しいような気がして、私は竿をたわめたまましばらく目を奪われた」

そして、渓流師は釣り上げたばかりの輝く渓魚に見惚れて、誰もいない谷で哄笑したりするのだ。

この「つりかげ」という本は、渓流師の心情を余すところなく表現してくれているが、一方で山本素石という一人の青年の人間関係論でもある。師との出会い、山人との交流、結婚、子供、母、そして恋。戦後の混乱期を舞台に多彩な人間模様が描かれる。彼にとって、渓魚との間合の取り方と同時にホモ・サピエンスとの距離感をも学習した日々なのであろう。

素石がこの本を出版したのは、1980年、61歳のときである。彼自身が後書きに書いているように、原体験を対象化するには25年の歳月が必要だった。彼は「つりかげ」の後にも先にも多くの著作を著すが、この本ほど濃密で赤裸々な人間関係を描いたものはない。他の単行本にふれる余裕はないが、最近、村起こしとやらで話題になる謎の蛇を「ツチノコ」という一般名称にしたのも、彼の業績の一つだということは覚えていてほしい。

山本素石、この希代の天才釣師文学者は「つりかげ」から8年後、享年69才で逝った。「川立ちは川に果てる」という諺どおりにはいかなかったようだが、その辞世は病院のベッドで昏睡状態のまま呟いた「ここから川が見えるか。川が見たいんや」という一言であったという。

この「つりかげ」、釣りに興味がある人は勿論、興味のない人も是非、読んでほしい。単行本は1984年にアテネ書房から発行されたが、最近PHP文庫にも収録されて手にはいりやすくなった。

これは、600 円で体験できる魂の遍路である。

鮎釣り経済学

『釣場速報』' 92/10/09掲載

暑い夏を走り抜けた鮎師の皆さん、今年の釣果は、いかがでしたか。サラリーマン鮎師の我々としては、どうやって釣行回数を増やし、1匹でも多く釣るかということに頭を悩ませ続けた夏でした。

釣行回数が増えるのはいいのですが、それに伴い出費のほうも増えていきます。鮎師の妻たちは、一家を支える男の狂乱ぶりに、思わず預金通帳を握りしめるひと夏でございました。

いったい我々は、1匹当たりいくらで鮎を釣っておるのか、平均的サラリーマン鮎師の私の場合を例にとって概算してみましょう。

まずは、竿先の計算です。今年の私は、百%金属糸を使用しました。4メートルで、鼻カン、掛け針等を含めますと竿先の合計は、約1500円というところでしょうか。その仕掛けの先につく友鮎は、500 円。つまり私の竿先には、常に2000円が、ぶら下がっているわけです。高切れ、根掛りなどしようものならその損失は、少なからぬものがあります。

今年の総匹数は、242 匹。20匹に一度仕掛けを変えたとして、1500×12=18000 、針はもっと頻繁に交換しているので仕掛け費は、20000 円と見積もっておきましょう。 そして、今年の釣行回数は、20回。平均走行距離を250 キロとして、5000キロ。リッター6、5 キロしか走らない車で、ガス代を@123 円として約95000 円。高速料金がどう少なく見積もっても、35000 円。

さらに、鑑札代。年券は、吉野川川上村と美山、20000 円なり。今年竿を出した日は、27日。そのうち、川上と美山以外が、13日。日券が、平均3000円として、39000 円。

エーイまだあるぞ。オトリが約40匹、20000 円。もう一声、宿泊費が、56000 円だ!

仕掛け  20000
ガス 95000
高速 35000
鑑札 59000
オトリ 20000
宿泊費 56000
計 285000

この経費は、全体に安めになっております。それは、この拙文を読む妻の目をかなり意識しているからです。

285000(総経費)÷242(総匹数)=1178円です!

この1178円が高いか安いかは、私には判断がつきません。

ただ言えることは、ひと夏、せせらぎの音に身を任せ、フィトンチッドに包まれ、ストレスを川に流し続けて、242 匹の天然鮎が、わが家族とわが近所の胃袋に収まり、おいしい酒を呑み、釣友と語り、川で出会った鮎師達の笑顔を胸に収めて、川遊びをする子供たちの笑い声を耳に残して、『あ~今年もいい夏だった』と心からそう思える秋を迎えたということです。

さて、来年は、1匹いくらの鮎になりますことやら。願わくば、1000円以下の鮎にしたいものです。そのためには、もっと腕を磨いて、もっと一日の数を伸ばさなくては。何せ、釣行回数を減らす気は、全くございませんので…。ごめんなさい、お母ちゃん。

山河有塵

『釣場速報』' 92/05/01号掲載

それにしても、岩魚というのはしたたかな魚だと思う。少々、濁っていようがゴミが多いところであろうが、しっかりと生き抜いている。滋賀県高時川水系、四月十一日。まだ寒い。骨酒が飲みたくて、今日は岩魚ねらいである。またまた雨が降っている。

北陸道木之本インターから丹生、管並を経て高時川本流沿いを溯る。まず、印象に残るのは川原の汚さである。いたる所にゴミが落ちている。そのうえ、ずいぶん山深いところに来ているのに水は澄んでこない。

大先達、山本素石さんは、『山河有情』と言う色紙を残されているが、これでは『山河有塵』である。川をゴミ捨て場と勘違いしている人が多いのには呆れる。

それでも岩魚は出た。まず、鷲見と半明間で二十センチが二匹。釣友は二三センチと十八センチ。ただし朱点がない。帰宅後、「西日本の山釣り」(山本素石著/釣りの友社)をひもとくと、この水系の岩魚は「色は甚だ悪い」と書いてあった。なるほど。

岩魚の色は悪くても、河原は春の色だ。山野草が咲き始めた。ゴミが多い割には自然が色濃く残っている不思議な川だ。黄色いミヤマキケマン、白いニリンソウ、赤いイカリソウ、そしてワサビ。駆け出し者のネイティブ・ウオッチャーにもそれくらいには分かる。

中河内でR365に出てさらに北上する。ついでに余呉高原スキー場、今庄365スキー場と冬場の遊びのために下見する。私も、釣友もスキーは、たしなむので新しいスキー場ができるのは歓迎するが、そのために北国街道沿いの川は、ますます濁ってくる。まぁ、ゴルフ場ができるよりはましか。

結局、日野川の上流で竿を出すことにする。やはり水はきれいとは言い難い。それでも、かろうじてキープサイズを二人で三匹ずつ。骨酒の素は確保したということで満足して今庄インターから帰宅の途についた。

それにしても、川のゴミと春の長雨と名神の渋滞、何とかならぬか。

神童子谷始末記

『釣場速報』' 92/04/10号掲載

「気をつけろ!」と釣友の声が聞こえたときは遅かった。ガタガタときて、激しくエアーの抜ける音がする。バースト、しかもダブルだ。谷を怖がるあまり、山側により過ぎて落石と接触してしまった。左の前輪と後輪のサイドが気持ちいいくらい見事に裂けている。 三月二十一日早朝、もう少しで夜が明け切る頃の出来事だ。

 「そろそろ綺麗なアマゴを釣ろうや」と言う釣友の誘いに乗って、選んだのが天川水系、神童子谷であった。昨年三月、釣友は赤鍋ノ滝上流まで釣り上り、二十五センチクラスを十五匹ほど堪能したらしい。久々に見つけた桃源郷をお前にも味合わせてやりたい、と興奮した釣友とともに私がこの谷を初めて訪れたのは昨年四月の事。しかし、このときは車止めに先行者がいて、入渓をあきらめた。

  そして、この日が満を持しての再挑戦のはずだった。小雨が降る絶好のアマゴ日和、間違いなく一番乗りということで、思わずアクセルに力が入ってしまった。しばし茫然としていた二人であったが、気を取り直して修理に取りかかる。しかし、一輪をスペアーに変えたのはともかく、指が二本入る傷にタイヤファンドが効く訳もなく、冷たい雨の中、とぼとぼと山道を降りる羽目になった。いくらス-パー4WDでもタイヤが無くっちゃ走れない。傾いたまま置き去りにする愛車を見ながら不注意な運転を反省することしきりであった。

さて、みたらい食堂のご主人、中山自動車と川合のモービルGSの皆さん、本当にありがとうございました。おかげさまで予想よりも、よっぽど早く戦線に復帰できました。一時は車を捨ててバスで大阪まで変えることを覚悟しておりました。

性懲りもなく神童子谷、沢又をめざして走る釣りバカ二人、今は崩れ果てた遊歩道の入口についたのは、昼前だった。私にとっては、念願の桃源郷、ダブルバーストの悪夢は忘れて気合いを入れ直す。トガ淵を越えるまでに私も釣友も二十五センチを一匹ずつ。これが神童子谷の実力だ、などとうそぶきつつ水量が増えた、へっついさん(両側から崖が迫る難所の名称)をこわごわ越える。朝からの雨はこの頃には吹雪に変わっていた。

問題は赤鍋ノ滝の高巻である。濡れて滑りやすく、迷いやすいルートを釣友の後からついていく。久々の本気の谷行きに緊張する。一直線に滝壺が見えるポイントは下を見ずに通過する。ようやく、高巻を終えようとしたとき、同じルートを下ってくる先行者に会った。聞けば、ノウナシ谷に一人で入っていたが、吹雪のため引き返してきたとのこと。大した釣果は無かったようだ。

少々がっかりしながらも河原に降りて、仕掛けを再セットしようとしたとき、またトラブルである。穂先のリリアンがとれている。予備の竿はない。残念、ここまで来て釣れない。なんてこった。
仕方がないので釣友だけに奥へ行ってもらう。河原で待つしかない。まあいいや、朝からいろいろあったことだし、ここはひとつ、のんびりと…などと余裕があったのは、三十分ぐらいか。釣り始めたのが遅かったせいもあって、次第に暗くなってくる。吹雪は強くなってくる。寒い。心細い。

動物園の白熊のように狭い河原をうろうろする。呼び子の笛を吹きまくる。ようやく釣友の姿が見えたときには、心底ほっとした。さすがは我が師匠、十八センチを二匹は確保していた。ただし、彼のほうも残した私が気になって、集中力に欠けたとのこと。

渓流釣りを始めて十年、この日ほどいろいろなことを経験したのは、珍しい。川合のかつら館に着いたときはさすがにほっとした。

それでも、翌二十二日、九尾谷、五色谷、山上川上流、小泉川、千本谷、天の川本流の中庵住、と走り回り、かろうじて数匹のアマゴを手にし、テンカラのお稽古までしたのは、よーやるわとしか言いようがない二人組でした。

脱藩まで3日(釣りの準備)

そろそろ文脈研究所のカテゴリーを整備していこう。
釣文(ちょうぶん)というカテゴリーがある。これは釣りに関するコンテキストをぼちぼちと書いていきたいと思っていたのだ。

僕は30歳で釣りを始めた。讃岐育ちで瀬戸内海はすぐそばにあったのに釣りはしたことがなかった。最初の子供が男の子だと分かったときにその子とどうやって遊べばいいのか、と考えた。

父と息子の遊びといえば、定番はキャッチボールだ。ところが僕は小さい頃から極度の近視で野球は苦手だった。今でもまともにボールを投げることができない。ならば、釣りをすればいいのだ、とここでも僕の短絡志向が発揮された。

そして師匠を探した。すぐそばにいた。D社同期のFさんだ。
師匠は山釣りの人だった。渓流のアマゴと鮎に関してはプロだった。さっそく弟子入りした。不肖の弟子だった。なにしろ当時はアウトドアの経験値が絶対的に少なかった。

ご迷惑ばかりかけてすみませんでした。
おかげさまで父と息子の対話はうまくいきました、と言いたいところだが少しちがう。父は息子をほったらかしにして、この遊びに夢中になったのだ。

渓流に関しては体力の衰えとともに回数は極端に減った。天然のアマゴとイワナを狙うのはほとんど山登りと同じ世界なのだ。鮎釣りは一時、ゴルフに浮気をしたが、今も行きたくてしかたがない。

僕に鮎釣りのことを聞いてくる皆さんには、鮎釣りに手をだすのだけはやめた方がいいと伝えている。それほどこの釣りは面白い。どこが面白いかというと、「いのちでいのちで操ることだ」と答える。

鮎釣りの基本は友釣りだ。9メーターの竿でオトリ鮎を操縦して縄張りを持っている野鮎に近づける。野鮎は怒って喧嘩を売ってくる。オトリ鮎の尾の先についた針に掛かる。2尾の鮎が流れに乗って疾走する。ああ、たまらない。

鮎釣りのことを書いているときりがないので、ひとまずこのあたりにしておこう。

今年も鮎釣りは解禁になっている。でも僕はまだ一度も行っていない。脱藩するため、さまざまな始末に追われていることもあるが、左肩の故障が大きく影響している。

疾走する鮎を取り込むためには、左手で腰にさした玉網(たも)を構えて川面から引き抜いた2尾の鮎をキャッチする必要がある。とてもスリリングなアクションだ。引き抜きに失敗したら鮎釣りのローテーションは回らない。

僕の左肩は50肩だそうだ。2月から思うように肩が上がらない。現在リハビリ中だが治りは遅い。今シーズンの鮎釣りはまだスタートできない。

とりあえず渓流と鮎に関して、今まで書いたコンテンツの一部を、この後にエントリーしておきます。お楽しみはこれからだ。