2010年9月15日水曜日

文脈日記(微笑みのネパール)

Directly to airport ?
と、カンチャがタクシーの中で聞いてきた。
Yes! と父と息子が声をそろえた。

ネパール・ロードの最終日のこと。正直、もう帰りたくなっていた。ネパールのローカルツアーは面白い。が、疲れる。そろそろ限界になっていた。これ以上、僕たちはどこにも行きたくない、早く空港へ行こうよ、カンチャ。
そしてカトマンドゥ空港に着く。セキュリティの問題でカンチャは出発エリアに入れない。まだバンコク行きのフライトまで時間はあるが、ここでお別れだ。

突然、カンチャが泣き出した。息子にハグして離れない。いつまでも泣いている。息子は28歳、カンチャとはほぼ同い年だ。ふたりであらためて連絡先を交換している。
そうだよ、君たち、Don't trust over thirty.
30歳以上なんて信用するな、君たちが世界を変えていくのだよ。
父の眼鏡の中にも少し水分が貯まった。カンチャはもっと僕たちと旅を続けたかったのだ。

カンチャというのはネパール語で末っ子の意味だ。今回、父と息子のネパール・ロードのガイドをお願いした彼のことを、僕たちはそう呼んでいた。カンチャの涙で、ネパール・ロードは終わった。

この旅も例によって、突然、決定した。夏休みにどこか行きたい、と言っていた息子が「ネパールどうかな」と提案してきた。アウトドア志向が強い父に異存はない。息子と二人旅をするのはスコットランド以来だ。

ただし、無職の父はどうでもいいが、息子の休みの都合で出発まで20日を切っている。これはさすがに焦った。いよいよパックツアーか、と覚悟した。これまでいろいろなところに旅をしてきたが、お仕着せの旅はしたことがないのだが。

そこで思い出したのがD社の先輩のことだ。先輩の娘さんはネパール人であるTさんと結婚している。Tさんは大阪にいる。

さっそくTさんに会いに行くと縁脈が繋がった。彼の弟がすべてガイドをしてくれるという。弟は末っ子なのでカンチャと呼ばれているらしい。カンチャがカトマンドゥまで迎えに来て僕たちの面倒を見てくれるそうだ。

これはありがたい。いつものことながら気ままな旅をしたい親子なので、自由度の高いプランは大歓迎だ。都会であるカトマンドゥでの滞在は最小限にして、カンチャが住んでいるポカラをベースにトレッキングを含んだ旅程をつくる。

そうなのだ。この旅のメインイベントはトレッキングだった。Tさん夫婦が中心になってポカラ郊外の村につくった診療所と、そこからさらに上ったところにある村の家を訪ねるトレッキング・プランを立てていた。

結論から言うと、トレッキングの目標だったところには2カ所とも到達できた。でも当初の予定であった診療所と村での宿泊はパスになった。
実際に診療所と村を訪ねてみると、僕たちのような軟弱な日本人には、日帰りでちょうどよかったような気もする。それでもこれは貴重な体験であった。出発前にTさん夫婦から諸事情は聞いていたが、行ってみなきゃ分からない。

58歳になるまでD社のクリエーティブをやっていたおかげで、いろいろな経験値は積んできたつもりだ。それでもまだまだ体験しないと分からないことがある。コンテキスターとして世の中の文脈を紡いで行くために身体が動くうちに行けるところに行っておくべきだ、と旅から帰ってつくづく思っている。

ネパール・ロードの時系列にそった記録は、僕のロード・ツイートを遡ってください。iPhoneでWi-Fiに入れるタイミングが限られていたので、実は時系列が混乱しているのだが、そこはアジア的寛容心でご容赦願いたい。

ここでは、キーワードにそって旅のサマリーをしておこう。

まずはラニーニョ。スペイン語で女の子の意味だ。でもそんな可愛い話ではない。この夏、全地球的に異常気象をもたらしているのはこいつのせいらしい。東太平洋の赤道付近で海水の温度が低下する現象だ。

ネパールにいた10日間のうち9日は雨が降った。世界はほとんど厚い雲に覆われていた。旅の雨は気が滅入る。どうしても出せないラブレターを持ち続けているように。ネパールはまだ雨季だということは分かっていた。でもここまで意地悪しなくてもいいでしょ、ラニーニョちゃん。

ずっとこんな空が続いた。サランコットからポカラを見下ろす。
それでも、ラニーニョのご機嫌伺いをしながら、かろうじて晴れた風景にも出会えた。ポカラのフェワ湖のベストショット。
青い空のある写真は貴重だ。サランコットから。
トレッキングで出会ったレディと青い空。


次のキーワードはマチャプチャレだ。ネパール、ポカラのガイドブックを見てほしい。ポカラの象徴はマチャプチャレだ、と書いてある。

マチャプチャレとは「魚の尾」という意味らしい。アンナプルナ連峰のなかでひときわ目立つその偉容は一目見たら忘れられないらしい。と、人ごとのように言うのは、ついに僕たちはマチャプチャレを見ることができなかったからだ。フェア湖畔でも、トレッキング中でも僕たちはずっとマチャプチャレを求めていたのに。

息子が望遠でとらえてくれたマチャプチャレの先っぽ。顔を出していたのは1分くらいか。
この雲の向こうに三角の魚の尾を想像してください。


そして、この旅にはメディカルという重要なキーワードがある。ポカラからアンナプルナに向かうルートの入り口、ヤンジャコット村にある診療所のことだ。
標高1700メートルの村にTさん夫妻が中心になって診療所をつくった。
このメディカルは、他にはまったく医療施設のないエリアで村人たちの診察をしている。山の中にこういう建築物をつくる、ということの意味は、自分の足で行ってみないと分からない。Tさん夫妻の努力に敬意を払おう。村の診療所を支援して、自立を促進するための会は現在も活動中らしい。

僕はiPhoneで、ここで働く医師のインタビュー動画を撮影した。その動画をどう活用すればいいのか、今のところ分からない。ただ世の中のために働く住民代理店を目指す者としては必要な行為であったと思う。

余談だが、この旅では本当にiPhoneのお世話になった。僕にPhone4を与えてくれた皆様にあらためて感謝します。暗い夜道を歩くときは懐中電灯になるし。こいつは本当に「Access to tools」だ。2010年の「WHOLE EARTH CATALOG」だ。

ずいぶん長いエントリーになりそうだ。ここらで一休みしよう。そこで次のキーワードはチョウタラ。ネパールを旅するときに必ずお世話になるものだ。菩提樹が植えられた石積みの休憩所のこと。
トレッキングの途中で、僕は何度も「カンチャ、テイク・ア・レスト!」と叫ぶ。でもカンチャは次のチョウタラまで止まってくれない。

さて、一休みしたら本題に入ろう。ここからがネパールの文脈研究なのだ。冒頭のカンチャの涙に繋がるはずだ。

ネパールという国のコンテキストは、その微笑みにある。彼らはとてもまったりとした微笑みの持ち主だ。それは顔の骨格と皮膚の間に張りついたような、とても自然なネイティブ・スマイルばかりだった。この微笑みを背景にネパールを歩けば、見えてくるものがある。

僕は、そのネイティブ・スマイルが生まれる瞬間に出会った。
生後8日目のカンチャの次男だ。このシャッターチャンスの直前、確かに彼の微笑みを見たような気がする。ほんの少しその残り香がある写真だ。

カンチャは僕にこの子の名前をつけてくれと頼んできた。ネパールでは誕生日から9日目で盛大なお祝いをして子供に名前をつけるという。そう言われたときに僕の頭の中にはEMIという名前が浮かんだ。

EMI for smile.
エミというのは、微笑みのエミだよ、と僕は解説を加える。ちなみにカンチャの長男はYUKI、ユキと言う。兄と弟の名前のバランスもいいのではないかな。

YUKI and EMI. YUKI and EMI. とカンチャは何度も口の中で転がした。彼はEMIというネーミングを選んだ。

YUKIもまた素敵な微笑みの持ち主だ。
こんな表情に出会ったら旅の疲れも吹き飛ぶ。そして僕は、この微笑みの由来をカトマンドゥ郊外、パタン博物館で見ることになる。
仏教にもヒンドゥー教にも疎いのでこの像の解説はできない。だがこのネイティブ・スマイルには心が動いた。
この微笑みは村のオジサンに引き継がれている。
 おばさんと愛犬も微笑む。
そのプロタイプはここにある。
ヤギさんも微笑む。
 きりがないので、このへんで写真はやめておこう。

僕たちはこの国を旅している間、まったりとした笑顔にいたるところで遭遇した。軟弱な日本人はトレッキングで歩くべき道をジープで疾走した。当然、歩いている人々には迷惑な行為だ。でも彼らは追い抜いていくジープを笑顔で見つめてくれていた、と思ったのは僕の錯覚だろうか。

あの微笑みを何に例えればいいのだろうか。

波紋かもしれない。水底から水面に浮かんできた何かが創りたもうた波紋かもしれない。静かな水面にそれが広がったあとの余韻が漂う。

光栄にもカンチャのベビーにEMIという名前をつけさせていただいたあと、僕たちはポカラをベースにして村を歩いた。そしてカトマンドゥに移動して、パタンやボガナートを訪れた。

村でも街でもネイティブ・スマイルは普遍的存在だ。それはこの国に富の偏在があるのと同じくらい明白な事実だ。
微笑みの普遍と富の偏在、その狭間で底抜けに明るく僕に心情を語ってくれた人物がいた。

ルワング村の17歳男子。カンチャの甥っ子だ。
 
彼は語る。

僕には父もいない。母もいない。僕は勉強をしたい。でもお金がない。僕には牛がいる。山羊がいる。猫がいる。犬がいる。ここが僕たちのお茶畑だ。すばらしい景色だろ。鳥の姿が見えたかい。ここが僕の世界のすべてだ。僕は勉強をしたい、お金はない。

僕は彼の微笑みトークに日本的曖昧笑いで応えるしかない。僕は彼の問いかけに応えられない。そして僕は、この村で写した写真を彼に届ける手段を持たない。

彼は今も微笑んでいるだろう。微笑みの持つ普遍の力がネパールの国境を越えていく日もあるだろう。そう願いたい。

カンチャの涙は微笑みの塊が一瞬、はじけとんだせいかもしれない。その涙はEMIの微笑みに繋がっているにちがいない。そして、僕と僕の息子の内側の深いところにも。

ナマステ、カンチャ。ありがとう。

4 件のコメント:

  1. イイネ!
    さすがというか、当然というか・・・
    吸引力のある文章と写真です。
    ヤギさんがいいねえ。オチになっている。

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  2. ありがとうございます!きわめて個人的な体験を読んでいただいたことを感謝します。

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  3. こんにちは

    いきなりすみません。
    うめといいます。ブログ拝見させていただきました。
    雨季のネパール、緑がすごい勢いがあっていいですね。
    私は乾期に2度ネパールへ行き、この3月にも行く予定です。
    乾季はほこりっぽいですが、サランコットからは
    マチャプチャレが鮮明に見えることもありよかったです。
    僕はネパールへ行くとすごいホッとする国だなと思っており
    ブログ題の「微笑みのネパール」が
    すごいしっくりくるなと思いとても共感しました!
    ネパール語も少しずつ勉強中です。
    と、若造がテンションが上がり書き込んでしまいました。

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  4. うめさん、コメントありがとうございます。
    最近、またネパールのことを考えて写真など整理していたので、このコメントはシンクロニシティを感じます。
    僕もネパールとは縁脈がつながっているので、なにかあればご連絡ください。

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