2012年12月30日日曜日

文脈日記(全記録・綾部文脈研究の日々)

初めて、田中文脈研究所のコンテキスターとして講演をした。
しかもその場所は半農半Xの聖地、綾部だった。
12月9日、綾部里山交流大学情報発信研究所の講師として3時間の講演。

お題は「綾部型情報に関する研究会~いま綾部から何を情報発信すべきか」である。

これはプレッシャーがかかりましたね。
なにしろクライアントはあの塩見直紀さんなのですよ。
そして綾部里山交流大学といえば2007年度から5年間、そうそうたる面々が講師としてラインアップされている。

スタートは骨太農学者、宇根豊さんだったらしい。
開墾モリモリで田舎を宝の山にする曽根原久司さん、マイファームのスティーブ・ジョブズ、西辻一真さん、情念の舞踏家、JUNさん、ダウンシフターズの高坂勝さん、歴代綾部市長などなど。

この列島をいい方向に変えていくための様々なまなざしを持った講師陣を見ていると、綾部里山交流大学は、ポスト311の価値観が大きくシフトする時代に出現した松下村塾のような気がしてきた。

そんなところで僕が講演をすることになったきっかけは、やっぱり上山集楽の拡道者、かっちだった。
かっちがこの大学の交流デザイン学科の講師に指名された。ならば、応援に行くしかない。

10月6日、自称、塩見直紀の第一発見者にして半農半X研究所の主任研究員、原田ボブ基風とともに綾部まで駆けつける。
この日のかっちは珍しく自分の生い立ちからしゃべりはじめた。一気にドライブがかかったらかっちは止まらない。


実は、この日、僕たち応援団はかっちのバックアップでそれぞれの「オモロイがカタチになったもの」をしゃべるつもりだったのですね。でも彼は「怒濤の2時間しゃべりたおし」で、僕たちの出番はなかった。

それはそれで気楽でよかった。僕はかっちのナビゲーターお喜楽美々の愛犬、上山メリーが大きなガラスにどすんとぶつかるのを見て笑いをこらえていたりした。
生まれて初めてガラスを見たので通り抜けられると思ったらしい。あほやね。


かっちの2コマ目はワークショップだった。彼はあまりワークショップは好きじゃない、と思っていたのだが、「自分のプロジェクトを実現するために他人との関係つくりをする方法」についてワークを展開していく。


そのとき、僕はでしゃばってしまったのですね。
自分もしゃべらなあかんと思っていた勢いで、コンテキスターとは文脈を繋ぐ者で世の中のためのコミュニケーション・デザインをします、とかなんとか熱弁してしまったらしい。
これが苦労の始まりだった(笑w)。



かっちの講演のあと、すかさず塩見さんから「情報発信研究所」の講師を依頼された。
僕は気楽に引き受ける。情報発信に関することなら電通時代の経験でしゃべることができるはず。協創LLPの定例研究会でもセミナーをしたことがあるし。

ところがですね。
これは情報発信の一般論ではなくて、「綾部型」の情報発信について研究してくれ、というご依頼だったのですね。しかも3時間。

これは悩んだ。相手はあの「綾部」なのだ。
塩見直紀さんの前で「綾部」についてしゃべるなんて。しかも半農半X研究所の主任研究員をさしおいて。

でも引き受けた以上はやるしかないのだ。
僕はやる気になったら、とことんやってしまう癖がある。
酒を呑んだら酔う癖もあるけど。

まずは、かちゃかちゃとパワーポイントつくりを始めるしかない。
行き着く先はどこか分からないけど、プレゼン資料つくりも現場至上主義なのだ。
頭よりも指先だ。
いやもちろん頭も使うのだが、僕の場合はかっちかっちとキーボードを叩いているうちに考えがまとまってくることの方が多い。

僕のパワポつくり現場の原則は以下。

20ポイント以下のフォントは使わない。
1枚のスライドに入れる文字数はできるだけ減らす。
その代わりスライドの枚数は何枚になっても気にしない。
写真はなるべく大きく使う。そのためにスライド枚数が増えても気にしない。
思いついたことは忘れないうちにとにかくスライドに打ち込んでおく。整合性はそのうちに取れてくる。
整合性がとれた部分から最終に近いくらいにレイアウトを整えていく。その作業の中でまた思いつきが出てくる。まずアウトラインで全体像をつくるというやり方はしない。
スライド文脈のつなぎに無理がないか、常に意識しておく。
アニメーションはカットインだけ。最後に自分のしゃべりのリズムを検証しながらつけていく。

もう皆さんお分かりだと思いますが、こういうやり方でパワポをつくっていくとスライド枚数はかなり増えていきますね。

この「いま綾部からなにを情報発信すべきか」というパワポの枚数は結局、第1部と第2部を合わせて274枚だった。

上記の原則でつくっていれば、1枚のスライドにかける時間は30秒もあれば充分だ。中には5秒しかかからないスライドもある。

僕は長い間、15秒CMの制作現場にいた。その世界では商品カットは最低2秒半あれば認識できるというのが常識だ。パワポのスライドだって全面写真にすれば3秒もあれば充分に認識できる。

デジタルという便利な道具を使いこなせばプレゼンも楽になる。昔は、パワポを印刷して配る必要があることも多かった。だからなるべくスライド枚数は少ない方がいいと思っていたのだが、今は違う。手持ち資料の代わりにどこかのクラウドにPDFをアップしておけばすむ話だ。

そうやってようやく完成したのが、このパワポです。


クラウドにアップする方法はいろいろある。

「いま綾部から何を情報発信すべきか」issuuはこちら。

「いま綾部から何を情報発信すべきか」googleドライブはこちら。

issuuの方がおしゃれなのだが、Flashを使っているためiPadでは開かないこともある。
つい最近、どうやらiPad対応も始まったようだが。

念のため、googleドライブでもバックアップする。ただしこのPDFは重すぎてプレビューはできないのでダウンロードの必要がある。

ご興味のある方はご覧下さい。とても長いPDFですが写真が多いのでざっと流してもらえれば、全体像は掴めると思います。

皆さんお察しのように内容的には例によってコンテキスターの思い込みと独断が多い。
特に第1部は「綾部」という深遠な文脈を自称アヤベイストが覗き見したものなので、反対質問も多いと思う。


反問に対する回答は僕なりに用意することはできるのだが、それはあくまでも半答でしかない。
回答の全体像を整えるためには、皆さんご自身が考えてください、という「逃げの一手」が第3部の「反問半答」タイムだった。


そして第2部には、いつのまにかデジタルじじになってしまった僕の経験値が反映されている。
「情報大洪水を楽しむため」の一般論として僕なりのソーシャル・メディアとのつきあい方とちょっとしたコツを書いている。
このパートだけならこんなに苦労はしなかったはずだ。綾部にご興味のない方は第2部だけをぱらぱらと見てください。


この種の研究会ではセミナーとワーク・ショップというのが一般的な組み合わせなのだろう。
でも僕はファシリテーターというのは得意じゃないのだ。どちらかというと他人の言うことを素直に聞く方ではないので。
ワーク・ショップをやらないで済ますためには、しゃべるパートをできるだけ長く用意して後は質疑応答に持ち込むしかない。

どこまで行っても僕はファシリテーターではなくアジテーターなのだ、と最近つくづく思う。
自身がワークショップに参加するのも正直に言えば、あまり好きではなかった。

しかし、そんな僕が参加して感動したワークショップがある。

塩見直紀さんの「半農半Xデザインスクール」。
「ノリノリ四天王寺まち×むら楽座」という大阪でのイベントで僕はこのワークショップに参加した。

綾部での講演の2週間前だった。

塩見さんというのはつくづく不思議な人だと思う。
彼が10年前に提唱した「半農半X」は今や一般名詞になりつつある。
そして数々の言霊を世の中に提供し続け、ときには日本を代表する思想家と言われることもあるのに、まったくオーラを出さない。あるいは出せない。

その塩見さんがファシリテーターをする場では、関係性の奇跡が起きることもある。
自分を無にすることができる塩見さんならでは技だろう。

四天王寺は聖徳太子が病人を癒やすためにつくられた寺だと言われている。
そのせいかもしれないが、このワークショップには医療系の皆さんの参加が多かった。

短い時間のワークショップが終了するまでに塩見さんがつくったエックス発見のための方法論が参加者に浸透していく。

そして終了時には場の空気感がエックスとエックスの新しい関係を祝福するようなものに変わる。

僕も珍しく素直に人の話を聞き、自分のミッションを分かりやすくしゃべることができたような気がする。
半農半コンテキスターと堂々と名乗れる気分になった。


綾部での講演の前に四天王寺で塩見さんのワークショップに参加できてよかった、とつくづく思う。最後まで悩んでいた第1部の結論が見えてくる。

塩見さんがよく言われる「綾部から型を出せ」の「型」とは「半農半Xという生き型」だったのだ。

すでに半農半Xという言葉に慣れ親しんでいる皆さんには、あたりまえの結論に見えるかもしれない。
だが、コンテキスターがめぐりめぐって綾部の文脈研究をした結果、たどりついた地平がここなのだ。
「半農半Xという生き方」は生き方の選択肢のひとつだった。
だが、「半農半Xという生き型」はポスト311の新しい倫理や規範のプロトタイプなのだ。


そして、そのプロトタイプを実践したら、こんな家族が増えてきてごく普通に革命が起こる。


半農半Xという生き型を綾部から発信して世界をぜんたい幸福にしてほしい。

そうしてほしい、きっとそうなるだろう、いやなってくれなくては困る。

これが綾部文脈を研究したコンテキスターの切なる願いである。

こんなことを一気にしゃべったのだ。会場は元小学校の教室だった。
オーディエンスは決して多いとは言えなかったが、僕自身としてはやり切った感はある。

2ヶ月間、綾部という底知れぬ文脈と向き合う日々を過ごした。
超ヘビー級の小説「邪宗門」も読破した。21世紀の平和学「イカの哲学」も読んだ。
ときには、坂村真民の詩で目を休め癒やされながら。

少々、くたびれたCPUでも、まだたまにはフル回転することができる、と分かっただけでも僕にとっては大きな収穫だった。

というように自己満足ばかりしていてもしかたないのだが。

つたない話を長時間にわたって聞いてくれた皆さんになにかひとつでもお伝えすることができたとしたら本当に嬉しい。聞いてくれてありがとう、と御礼を申し上げたい。

そして、還暦ドラゴンの年も終わろうとする時に、尊い機会を与えていただいた塩見さんにひたすら感謝したい。ありがとうございました。


年の瀬の忙しいときに、また長いエントリーをここまで読んでいただいた皆さんにも深謝です。
今年も好き勝手なことばかりを書き連ねたのが当研究所のレポートでした。

田中文脈研究所は永遠のβ版。
宮澤賢治の言葉を借りるならば「永久の未完成これ完成である」と言いたいところなのだが…。

そんな当研究所ではあるが、自慢できることがふたつある。

ひとつは「鶴の恩返し」をしていること。

盟友、原田ボブ基風が俳人独特の感覚で当研究所のことをそう言ってくれた。

僕たちは恵まれた時代の世の中に助けられて、ここまでの人生を送ってきた。
助けられたら恩返しするのは当然だ。
そして恩返しするときに鶴は自分の羽根をむしっていく。

僕は自分で現場に行って見たこと聞いたことを自らの内に貯めこんでいる。
研究レポートを書く時は、その肉(たぶん羽根ではない)をむしっている気がする。
僕の場合はその姿を見られても恥ずかしくはないが。

綾部パワポを創ったとき使用した写真は99%まで自分で撮影したものだ。それは自慢してもいいだろう。

ただし「鶴の恩返し」システムは貯めこむこととむしりとることのバランスが崩れたら破綻する。今のところ、顔も腹もお肉は余っているので大丈夫だとは思うが(笑w)。

また走り回る体力がなくなっても破綻する。このあたりは来年の課題ですね。

ふたつめは当研究所を応援してくれる同志がいること。

綾部での研究会にもNPO法人英田上山棚田団と協創LLPの仲間たちが遠くから駆けつけてくれた。そして、僕の野菜作りの師匠、寒吉つぁんも。

彼らの素晴らしいところのひとつは、自分たちが主催していないイベントでも最後まで残って気遣いと片付けをすることだ。
綾部型情報発信に関する研究会でもロングドライブの直後に3時間もおつきあいいただき、さらに会場である教室の片付けまで手伝ってくれた。

そして例によっておつかれさまショットを撮影する。
最近は僕たちのピースサインである「るるぷう」(LLPのひらがな読み)をどなたさまでもいっしょにやってくれるようになった。これもすごいことだ。

この同志たちは僕の自慢だ。


ということで今年最後のエントリーを終了します。

終わる前に、今年も1年間、好き勝手に走り回ることを許してくれた山の神に小さな声でありがとう、と言っておこう。

孫悟空はキント雲で一気に十万八千里を飛んだという。でもそこにあった5本の柱に落書きをしたら、それはお釈迦様の指だったのですね。
男なんて所詮、お釈迦様の掌で右往左往しているだけなのだ。

来年もまた変わらず「鶴の恩返し」ができて、同志たちに見捨てられないように山の神にお願いしなければ。

それでは皆さん、よいお年を。


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