2011年12月28日水曜日

上山集楽、山の上の雲人たち。


2011年も最終局面だ。
今年は1868年の明治維新、1945年の敗戦に匹敵する節目の年として歴史に残るだろう。年の終わりにコンテキスター、フミメイとして1年の文脈をサマリーしておく必要がある。

2011年、僕は上山集楽とともにあった。
集落、集まって落ちるところではなく、集楽、メリーが集まるところ。
岡山県美作市上山はまさにMerry Togetherな地域である。

山の上の雲人(くらうど)たちは上山のさいぼう庵といちょう庵をベースにして、風とゆききし雲からエネルギーをもらいつつ、情報発信と百商発力を続けている。
僕を含めてひ弱な都人(みやこびと)たちは上山に行くことにより地宝のお裾分けにあずかることができる。

上山に初めて行ったのは今年の1月だった。その頃、転職で悩んでいた長男といっしょだった。
その後の僕の上山を巡るささやかな冒険は文脈日記に綴ってきた。

年末なので、あらためて時系列的に整理してみよう。

2月7日、Merry Project@上山棚田。水谷孝次さんに出会い、いきなり撮影のディレクションをしてしまった。そんなつもりではなかったのだけど、現場に入ると身体が動く癖が抜けていなかったのですね。
その翌日、小豆島の中山棚田でもメリープロジェクトを実施したあと、塩見直紀さんの松江講演会に絡めて3月生まれのお誕生日会をやりましょ、とかっちにつぶやいてしまった。
その一言はあっという間に3月7日、島根県飯南での村楽LLPの設立準備サミットに繋がっていった。

村楽サミットの前日、妻の実家、松江の野津旅館での楽しい宴会は忘れられない。ボブによれば、後世に「野津屋会談」として語り継がれるそうだ。

そして、その4日後、311が起こった。

3月11日の15時半頃まで僕は原徹郎さんという映像作家の「動画つくりの新レシピ」という草稿の校正作業に集中していた。
妻の友人から電話がかかってくるまで、東北の異変に気がついていなかった。
慌ててテレビをつけると……、それから後はツイッターに張り付いた。

東京にいる長男夫婦のことが気になる。
フクシマがメルトダウンする、という情報は3月12日にはツイッター上に流れてきた。マスコミにはデマだと否定されたが。

3月15日、この時期、妊婦は東京にいるべきではない、という僕の説得に応じて嫁が箕面に疎開してきた。
東京に残された長男は毎週、箕面に帰って来つつ、上山にひとりで行くこともあった。

5月になると、綾部での米つくりが始まる。それでも上山のことは気にかかる。
ボブ編集長の本の最終校正作業もあり、綾部から上山に直行したこともあった。

そして6月25日と26日、村楽LLPキックオフとMerry Forest @美作上山が開催された。
上山発の流れがこの国をメリーランドに変えていきそうですね、と水谷孝次さんと話合いながら雨中で東北の子供たちの傘を開き、みんな笑顔で棚田を歩いて行った。

この日は、協創LLP出版プロジェクトの「愛だ!上山棚田団~限界集落なんていわせない」(吉備人出版)がついについにお目見えした記念すべき日でもある。

7月14日、初孫、杏奈が誕生する。
2011年生まれの子供たちのメリーな未来には村楽が深く関わるような予感がする。

上山での《出来事多様性》はまだまだ続く。
8月20日、上山の雲海上にメリー空彦気球が上がった。2月にメリー海彦山彦空彦というコンセプトとストーリーを妄想したものがまさか実現するとは思わなかった。

上山という集楽はメリーな人財を集める磁力をもっているようだ。
山の上の雲人たちは縁動脈の心臓になりつつある。

その雲人たちの中心にいるかっちと美々の棚田結婚式にからめて11月12日には村楽ガチ討論会に全国から同志が集結した。
さらに上山に住む地元の人たちを巻き込んでの棚田映画上映会。地元民たちからのかっちと美々への祝福メッセージ。感動的な一日だった。
この日には、これも2月以来の課題であったメリーライスがカタチになった。

僕と上山集楽との関わりは「知恵と知恵との物々交換」だと思っている。
僕は自分にできることを集楽に提供する。たとえばメリープロジェクトのイベントプロデュースであり、メリーライス制作ディレクションであり、コンテキスターとしての発言だ。そのかわり、それ以上のものを貰ってきたのが、この1年であった。

12月になってから、僕は電通関西支社の仲間たちと再会していった。
彼らは一様に「文夫さんは変わっていない。ますます元気になっている姿に感動して刺激をもらった、たぶん周囲の人に頼りにされているのでしょうね」などと言ってくれた。ちょっと照れくさかったが、本当に嬉しかった。

僕がこのように元気に脱藩生活を続けられるのも上山集楽の雲人たちとコンテキストが繋がっているからだろう。

本音をちょっと言うと、上山集楽はけっこう過激な集団なので、ときどきしんどいこともあるのですがね。

来年、上山集楽はますます過激度と多様性を深化させようとしている。
さあて、僕はどこまでついて行けるのか。




2 件のコメント:

  1. こうして振り返ってもらうと、フミメイ・ドラゴンの加入は非常に大きな足跡を残してくれたと分かります。
    ボブ・ドラゴンは6月までは出版にかかりっきりでしたし、それ以降は協創代表として考え事が増えましたし・・・。
    まあ、やっしーも含めてカンレキ・ドラゴンズは、ここぞという時の渋い役回りを担っていくことになるのでせう。

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  2. ボブ・ドラゴンの飛翔がすべての始まりであった。おかげでフミメイ・ドラゴンの小さな翼は空気抵抗が少なくて助かりましたよ。

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