2012年1月25日水曜日

文脈日記(デジタル・コンミューンの時代)

スティーブ・ジョブズの公式伝記(ウァルター・アイザックソン著)をようやく読了した。
もちろんiPadで。ジョブズが望んだかたちで。

この電子読書は、僕にかなりの刺激を与えてくれた。
ジョブズについては世界中のアップル・ファンがありとあらゆることを語りつくしている。今さら僕などが新たに語ることはないだろう、と思っていたのだが、そうでもないらしい。

僕もジョブズについて語ることがある。
それは彼より3歳年上でアメリカ西海岸のカウンター・カルチャーを太平洋の彼方から垣間見ていた自分の文脈からだ。コンテキスターとしての務めを果たそう。




1970年に僕が早稲田大学に入った頃、全共闘という大きな流れがあった。LOC(ラスト・オキュパイド・チルドレン)として全共闘といかに関わったかは、このエントリーを読んでほしい。しかし、あの疾風怒濤の時代にあったのは全共闘だけではない。

既存のものにNO!と言ったのは政治の世界だけではなかったのだ。
反体制と言わなければ生きている資格がない、でも反体制で政治的アンガージュマンをするのは嫌だ、と考えていた若者たちが語ったキーワードがある。

ヒッピー・レボリューション、フラワーチルドレン、カウンターカルチャー、アンダーグラウンド、ホール・アース・カタログ、そしてコンミューン。

日本ではヒッピーのことをフーテンなどと言った。新宿の風月堂あたりはフーテンたちの溜まり場だったのですね。
早稲田の貧乏学生で何をするのも中途半端だった僕は全共闘にもフーテンにもなりきれずに合成酒という恐るべき日本酒でふらふらと酔っ払っていた覚えがある。



ジョブズが大好きだった「ホール・アース・カタログ」については、1971年頃に英語版の情報を見ていたような気もする。でもはっきりとこの本の存在を意識したのは宝島社の「全都市カタログ」を通じてだったと思う。このあたりは大学時代の友人でサブ・カルチャーの雄、S君にあらためて訊いてみたいところだ。



「ホール・アース・カタログ」のことを長い年月が経ってから思い出したのは2010年にD社を脱藩する直前、最後の仕事に関わったときだった。
関西の人たちにはおなじみのFM COCOLOの第二の開局キャンペーン。
あのステーションの「WHOLE EARTH STATION」というコンセプトは「WHOLE EARTH CATALOG」から来ている。
ステーションロゴで「Stay hungry, Stay foolish」と繰り返しているのも「ホール・アース・カタログ」へのオマージュである。
「貪欲であれ愚直であれ」というメッセージはジョブズの死とともに、また有名になったが、元々は「WHOLE EARTH EPILOG」、シリーズ最終版の裏表紙にあったのですね。

脱藩するとき、仲間たちからiPhoneをプレゼントされ、その直後、iPadも手に入れた時、僕はジョブズが遺した「めちゃくちゃすごい」製品たちは21世紀のホール・アース・カタログだということが直感的に分かった。

「ホール・アース・カタログ」のコンセプトは「access to tools」、道具への近道だ。
ジョブズの創ったデジタル・ハブは今やクラウドにあるすべての道具=情報にアクセスできるようになった。
アートとテクノロジーの交差点でついにデジタル技術は人間の心友になったのだ。



WHOLE EARTH EPILOG 」が発刊されたのは1974年。ジョブズはその頃、ポートランド郊外のオールワンファームというリンゴ農園でコンミューン生活をしていた。大好きなこの本はいつも持っていたという。

ホール・アース・カタログの発行者、スチュアート・ブランドは創刊号にこう書いている。
以下、スティーブ・ジョブズ公式伝記から引用をさせていただく。
「自分だけの個人的な力の世界が生まれようとしている…個人が自らを教育する力、自らのインスプレーションを発見する力、自らの環境を形成する力、そして、興味を示してくれる人、誰とでも自らの冒険的体験を共有する力の世界だ。このプロセスに資するツールを探し、世の中に普及させる…それがホールアースカタログである」
これは1968年に書かれた文章だ。
2012年、ポスト311の世界で「自立した個の群れ」が草の根で連帯する村楽LLPの同志たちのあり方に似ていることに驚く。

そして自立した個の群れが冒険的体験を共有する武器として彼らはiPhoneとiPadを駆使している。
ホールアースカタログが理念を語り、スティーブ・ジョブズが具現化した道具はこの列島の明日を変えるかもしれない。




もうひとつのキーワード、コンミューンについて語ろう。
辞典による定義は以下である。

《大辞林》
コミューン【(フランス)commune】[コンミューンとも。誓約団体の意]
・共同体。
・中世ヨーロッパで、領主・国王から住民による自治を許されたいた都市。
・フランス、イタリアなどで、市町村にあたる地方行政の最小区画。
・パリコミューンの略
《はてなキーワード電子辞典》
生活基盤を共有しつつ生活する複数の家族のありかたを言う。かつての「ヒッピー」(自称・部族)の人たちも実践していた。

体制から統治(ガバナンス)されるのではなく、メンバーが自らを統治する地域共同体がコンミューンである。

そうであるならば、今、地域おこしの現場でポリシーとしてささやかれている「協創ガバナンス」はコンミューンの大原則となるのだろう。

上からの統治を拒否して同志たちと協力して生活基盤を創りあげ自分で自分を統治することができれば、本当にメリーな暮らしができると思う。

考えてみれば、上山集楽もある種のコンミューンなのですかね。
ただ、コンミューンという言葉には様々な歴史的政治的コンテキストが付随することが多いので使用上の注意がある。

ジョブズがThink Differentな発想を生涯貫きとおす原体験となったリンゴ農園でのコンミューン生活は公式伝記には以下のように記されている。

この農園の名前はオールワンファームというネーミングだったこと。
悟りを求める人々が週末を過ごす場所としたこと。
母屋と大きな納屋のほか、庭には小屋があったこと。
ジョブズはグラベンスタインというリンゴの木を剪定する作業を担当して農園を復活したこと。

あまり詳しいとはいえないこれらの記述を読む限り、ここは農をベースにして東洋的な精神修養をする場所だったらしい。ただし創設者が事業色を強めすぎて問題が起こったようだ。

僕にとってもコンミューンはほろ苦い。
コミューンのことを僕はコンミューンと言う。それは自身のささやかな体験に基づいている。
ジョブズがオールワンファームにいた時代の少し前、1972年頃に僕も「備北コンミューン」というところに短期滞在したことがある。
たぶん岡山県津山市あたりの中山間地にあったのだろう。
D社に入る時に、そのときの記憶は封印してしまったので正確な場所は分からない。このコンミューンで何をやっていたのかも定かではない。なんだか夏休みの合宿だったような雰囲気だけは覚えているが。

たまたま今、隣の美作市に足繁く通っているのは不思議な偶然だ。

あの頃は政治的な動きからドロップアウトした学生がコンミューンで共同生活をする、というムーブメントが日本にもあった。
ちなみに村上春樹の「1Q84」に登場する農業コンミューンはその流れがモデルになっているようだ。小説の中ではカルト教団に方向転換してしまうが。

コンミューンというコンテキストにまつわる様々な事象について詳細に語るのは、ここでもニワカ体験しかしていない僕には荷が重い。

ただ言えることは、コンミューンという言葉はLOC世代の僕にとっては「理想郷」という意味合いを持っていることだ。
WHOLE EARTH CATALOG」 の項目にはcommunityがあり、そのトップコンテンツはThe Modern Utopianとある。




コミュニティの理想郷を夢見るという文脈は当時からあったのだろう。

まるで見果てぬ夢を見ているような話なのだが、スティーブ・ジョブズの道具たちとコンミューンとの関係性を繋ぐ努力はしてみたい。

いつのまにかiPhoneとiPadが体液を循環させるツールになってしまい、しかもかろうじてホールアースカタログ世代でもある還暦ドラゴンには、その義務があると思う。

今、この瞬間にも二つの道具を座右において、facebookとtwitterを横目でにらみながらこのエントリーを書いている僕の中で、ある妄想が頭をもたげてきた。

ソーシャル・メディアはデジタル・コンミューンだ。

そのデジタル・コンミューンに参加する近道がジョブズの愛したデバイスたちなのである。

スティーブ・ジョブズは「デジタルハブ」という構想を今世紀の初めに打ち出している。
その流れにしたがい自分の手の中にあるデバイスが電話、音楽、写真、動画などすべてのコンテンツのハブになるという理想郷を実現した。

そしてジョブズの道具の進化と同時進行してきたのがソーシャル・メディアだ。

今や世界は二種類の人間に分かれている。ソーシャル・メディアを友とする人と拒否する人。
ちなみにソーシャル・メディアを拒否する人はマスコミ関係者に多い。彼らは自らを情報強者だと思い込んでいるからだ。この点についてはまた宿題にしておこう。

iPhoneとiPadでソーシャルメディアするときの利便性は、それらのユーザーには自明のことである。アップルのデバイスはエンド・ツー・エンドで閉じられた世界だが、その先には無限の可能性を持ったオープンでフラットなクラウドが待っている。

現時点ではクラウドの中で最大のコミュニティを形成しているfacebookは、デジタル・コンミューンの塊だと言えるだろう。

コンミューンの本質は「協創ガバナンス」だ。
仲間と協力して新しい時代を創る、自分たちによる自分たちのための統治共同体である。
行政主導とは対極にある。

またそこでの情報の流れはマスメディアとも対極にある。上から下へ、ではなく、横から横へ。

そしてデジタル世界のコンミューンは地理的制約を超えて複層的に捉えることができる。
たとえば農をベースにしたコンミューンはこの列島の各地に燎原の火のように拡がっている。
ソーシャル・メディアの中ではそれらの動きが複雑に絡み合い、デジタル・コンミューンとして一定の方向性を持ち始めているような気がする。

もちろん311以降の閉塞情況を打破する方向だと信じたい。

コンミューンをコンテキストに持ち続け、ホール・アース・カタログをデジタルの世界で完成させた男、スティーブ・ジョブズ。

1984年にビッグブラザーにハンマーを投げつけ世界を変えた男の遺志は無限に拡がるデジタル・コンミューンの中で確実に引き継がれている。




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