2011年11月3日木曜日

里山研究庵 Nomad

ここのところ、また縁脈が拡がりつつある。
時代が新しい流れを切に求めているから、その流れが大きな河になりつつあるのかもしれない。

その潮流の中で、現在、台湾ロングステイ中の半農半X研究所/塩見直紀さんから、素晴らしいDVDをお借りした。

「四季・遊牧~ツェルゲルの人々」
ダイジェスト版(前・後編 2枚組 各1時間40分)
監督・撮影:小貫雅男
編集:伊藤恵子
発売元:里山研究庵 Nomad


1992年の秋から1年間、草原と遊牧の国、モンゴルで「地域おこし」を模索するツェルゲル村に住み込んで撮影された貴重な映像だ。

1989年にはベルリンの壁が崩壊している。その3年後、この地域社会にも旧体制からの脱却を志す動きが加速していた。
国と地域、管理と自立、という対立構造はイデオロギーを問わずこの星の緊急課題になっているようだ。

社会主義集団経営「ネグデル」から遊牧民協同組合「ホルショー」へ。
草原で太陽のリズムと山羊の生理とともに生きているノマドたちのトライアルが、小貫監督と伊藤女史の素朴な語りで綴られていく。

映像は荒削りながら、充分にモンゴルの叙情をとらえている。
だが、この映像のすばらしさは、自立を目指すストーリーを描ききった叙事にある。

そして、その叙事を語る伊藤女史も最初はチェルゲル村民から「わかもの、ばかもの、よそもの」扱いを受けていたのかもしれない。
しかしながら、この映像スタッフたちは大地と生きる村民に行動と意識をチューニングすることにより、見事なエンド・ロールを生み出した。

それがどんな「国家」であろうとも
この「地域」の願いを
圧し潰すことはできない。 
歴史がどんなに人間の思考を
顛倒(てんとう)させようとも
人々の思いを
圧し潰すことはできない。 
人が大地に生きる限り。 
春の日差しが
人々の思いが
やがて根雪を溶かし
「地域」の一つ一つが花開き
この地球を覆い尽くすとき
世界はかわる。 
人が大地に生きる限り。

この叙事詩は、この列島の「村楽」にもそのまま当てはまりそうだ。

原作の映像は三部作全6巻で7時間40分あるという。
このダイジェスト版は3時間20分だが、時間を忘れて見てしまう吸引力を持っている。

さて近いうちに里山研究庵 Nomad を訪問せねば。


《以下は2011729日に、フェースブックに書いた同じスタッフの本に関するノートです。
こちらにも再掲載しておきます


「菜園家族・山の学校」小貫雅男・伊藤恵子



またひとつ、すごいコンテキストに出会った。
「菜園家族・山の学校」

主宰、小貫雅男さんと研究員、伊藤恵子さんの共著だ。
とても薄いブックレットだが、コンテンツは詰まっている。
半農半X研究所の主任研究員、ボブ基風からもらった。

ニワカ百姓の僕は、今、身体を動かしつつ、共同体と地域と農に関する理論武装をしている。
「農を越える農」とは何か。「村楽」と「町楽」はいかにして連帯するか。
コンテキスターの課題は多い。
すべての文脈は通底しているはずだ。

里山研究庵は滋賀県、琵琶湖東岸に注ぎこむ犬上川の上流にある。
犬上川は30歳のとき、僕が始めてアマゴを釣った川だ。この水系にはよく通った。

「菜園家族・山の学校」は廃校になった保育園をベースにしているという。
くわしい内容は、WEBサイトにアクセスしてほしい。
このブックレットも販売している。

僕がこのノートで言いたいのは、「理論」と「実践」だ。
マルクス=エンゲルスは「共産党宣言」という薄っぺらい本でマルキシズムの理論を構築した。それは素晴らしい脚本だった。しかしながらその脚本を正しく演じる舞台も役者も監督も、結局のところ、この星には現れなかった。

というようなことを、かつて東ヨーロッパ上空を飛行しているときに、ある映像監督から示唆されたことがある。

小貫さんも同趣旨のことを言っている。

19世紀「社会主義」理論は、生産手段を社会的な規模で共同所有することによって、資本主義の矛盾を克服しようとします。 
しかし、20世紀に入ると、その実践課程において、人々を解放するどころか、かえって「個」と自由は抑圧され、「共生」が強制され、独裁強権的な中央集権化の道を辿ることになりました。
人類の壮大な理想への実験は、結局、挫折に終わったのです。そして、いまだにその挫折の本当の原因を突き止めることができず、新たなる未来社会論を見出せないまま、人類は今、海図なき時代に生きているのです。

小貫さんが里山研究庵で構築しようとしているのは、大量生産・大量消費の時代に終止符を打つ理論らしい。
自然循環型共生社会を経て、人類究極の夢である高度自然社会へと至る道を模索している、という。

311以降、その舌鋒は鋭くなっているのがWEBサイト上で見てとれる。
その実践のカタチがどうなっているのかは、犬上川に行ってみるのが一番早いだろう。

理論=コンテキスト=ストーリーと実践=経験=現場の両輪が噛み合っていけば、この国は確実に変わっていく。

国破れて山河なし どっこい菜園家族は生きてゆく

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