2011年9月11日日曜日

ふたつの11を悼む

今日は911だ。あれから10年。そして311から半年だ。

2001年9月11日、僕は出張で東京のホテルにいた。2機目の飛行機がツインタワーに突っ込む映像を見た直後、当時、テキサス州フォートワースに留学していた息子に電話をした。
何が起こっているのか分からなかった。
とにかく連絡をくれ、とメッセージをしたものの連絡がとれたのは翌日だった。

幸い、南部の片田舎では何事もなかった。
その後、エアライン・フリークで空港に飛行機の写真をよく撮りにいっていた息子はFBIの訪問を受けたらしいが。

2011年3月11日の午後、僕はある人の原稿の校正をしていた。集中するために音楽を聞きながら。
知人からの電話で事態を知った直後、当時、東京にいた息子に電話した。

そしてテレビとツイッターに張りついた。息子の嫁は妊娠していた。
ツイッター上では312の時点で、フクシマ・メルトダウンの情報が流れていた。その情報はデマを流すな、とマスコミに叩かれていたが。
僕は息子の嫁に東京からの疎開を勧めた。そして孫は無事に大阪で生まれた。

このノートの主旨は新しい命の誕生ではない。
失われた命を悼む話だ。


小説のラストシーンを読んで泣いたのは久しぶりだった。
文庫版は2011年5月10日に発刊されている。

「その人は誰を愛しましたか、誰に愛されましたか、何をして人に感謝されましたか」

これは、死というもののひとつひとつをないがしろにせず、ただひたすらに悼む人、坂築静人の物語だ。

小説家は911の直後に、この物語の着想を得たらしい。
そして311に遭遇して、こんなコメントを述べている。

 「悼む人」という小説で、事件や事故で亡くなった人が誰を愛し、誰に愛されていたかを聞く旅を続ける静人という青年を描きました。 
彼がここにいたら、あまりに多くの死者にぼうぜんとしながらも、被災地へ行き一人ひとりに話を聞いて回ったと思います。 
 被災した方が健康な生活を送る環境を整えることはすぐにも必要です。ただつらい思いをした人を根底から支えるのは、大切な人が失われたことを私たちが忘れていないという姿勢であり、喪失をわかちあう静かな連帯感だと思います。 
被災していない私たちこそが変わっていく必要があるのです。つらい思いをしてきた人が隣にいるかも知れないと思って接するような社会。今とは異なる社会のあり方が浮かんでくるはずです。 
 静人の旅を考えたのは9・11テロと報復の連鎖の中でした。悼む人がいてくれれば怒りが増幅されることはなくなり、絆が生まれると信じます。私も目をそらさず、災害のつらい現実を見続けていこうと思います。 
2011/5/9 asahi.comからの転載)

311で失われた人は、死亡15781人、行方不明4086人。(9月10日現在)
ここには2万人の悼まれる人がいる。

この事実を2万人の死者が出たというとらえ方をせずに、ひとりの人が死ぬという事件が2万件起こったのだ、という見方をすれば本質が見えてくる。
そう言ったのは北野武監督だっただろうか。

911では2973人の「誰かを愛し誰かに愛され感謝された」命が失われた。
イラク戦争の民間人犠牲者は10万人以上という説もある。

そしてこの列島では、毎年、3万人の人が自死している。
僕も僕の人生で大切な人を失った経験がある。

今日は、この星のすべての人が悼む人になるべき日なのかもしれない。

合掌。

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