2023年12月25日月曜日

バリ・ベトナム縁脈旅

あれは長男が3歳の頃だったと思う。僕たち夫婦はどこかのサファリパークに行った。何かの事情で山の神(妻のこと)がいなくなって、僕と長男が二人で歩くことになった。そのとき、彼は「ついてこないで」と言った。素直な父親であった僕は手を離し、すたすた歩く長男を見送った。見失った。サファリパークである。ライオンに食われたらどうしよう、と焦る。

「3歳の子供についてこないで、と言われて手を離す父親がどこにいるの」と山の神に叱責された。おっしゃるとおりだ。結果的には迷子案内で見つかって、今に到る。

そして現在、父は71歳、長男は41歳。四度目の二人旅に出た。

2003年、スコットランド。

2010年、ネパール。

2013年、ブルネイ。

まさか、ブルネイから10年後にまた二人旅に出るとは思っていなかった。今の僕は「ついてこないで」と長男に言われても、ひたすらついていく。方向音痴の父親には、それしか道はない。

「転職するので長い休暇ができた。どこでも好きなところに連れていってやる」

はい、了解。でもどこに行く?

「豊かな自然があるところ」、これが二人旅の絶対条件である。豊かな自然にはマコモがからんでいるはずだ。2016年から「まこも研究者」のようになった父は考える。「そうだ、アメリカマコモを見にいこう」

この短絡感がたまらない。旅の醍醐味というやつなのか?

アメリカマコモは米国五大湖周辺でインディアンが生業としている。彼らの言葉では“Manoomin”という。ワイルドライスのことだ。オジブワ族がブランド化している。ちゃっちゃと検索してみる。オジブワ族にはデニス・バンクス(1937―2017)という有名人がいる。彼は、この旅のきっかけとなった。あらら、ここにも不思議な縁脈が。

『聖なる魂』(森田ゆり/1989)

結果的には五大湖は諦めた。余りに経費が掛かる。長男はアメリカの大学を卒業しているので、英語と車の運転は問題ないとしても、最寄りの空港から移動に手間取る。それでも「マヌーミン」に関する資料は集まった。もしかして3冊目のまこも本を書くなら、アメリカマコモのことも書かなきゃ。

「アメリカは飽きた。行ったことがない国に行きたい」という長男。アホノミクスを解消しない「増税メガネ」のおかげで円安。横に飛ぶには飛行機代が高すぎる。ならば、縦に飛ぶ。やっぱり東南アジアだ。バリ島、すなわちインドネシアはどうだ。

それならOKと答えた長男は、飛行ルートを調べる。エアライン・フリークでもある彼は最安ルートを見つけた。ベトナムまでJALのマイルを使う。そこからVetJetというLCC。

実はバリ島にはデニス・バンクスにゆかりの人物がいることを知っていた。堀越大二郎さん、「堀越おかん」の息子である。

本棚から井上理津子さんの『大阪下町酒場列伝』(ちくま文庫/2004年)を取り出す。その145頁の写真を引用しておこう。2002年、心斎橋にあった高級天麩羅屋さん「若松」をりっちゃんが取材したときのものだ。当時26歳のマスター大二郎とおかんシェフの図。


大二郎さんは小学校6年生のとき、「中学いかん!」と宣言したそうだ。母であるおかんが慌てたのかどうかは分からない。なにしろ彼女は僕たちが密かに「不思議の国の由美子ねえさん」と呼ぶ人物である。


1989年、デニス・バンクスは京都で堀越大二郎さん(当時13歳)をもらい受けた。
登校拒否宣言をした男の子を10分の交渉で預かり、アメリカ大陸に連れて行ったのだ。

「もらう方ももらう方だし、ついていく方もついていく方だし、あげる方もあげる方だ」
と、2023年夏、堀越由美子さんは語った。
「デニスがピンクのハンカチをくれた。ハンカチとひとり息子を交換するアホおるか?」
と付け加えた。

そんなわけで(どんなわけなのかよく分からないが)、大二郎さんは1997年までデニスと行動を共にした。ということはネイティブ・アメリカンの「七世代先を考えるコミュニティ」を彷徨したということだろう。

大二郎さんは3・11を経て2012年に夫婦でバリ島に移住。その何年か後、南部の高級リゾート地で、懐石料理店「匠 TAKUMI」を開店した。

そして、2023年9月2日、父と息子はTAKUMIのカウンターで素材を選びぬいた大二郎さんの絶品料理を味わい、旨口の酒をサーブされた。しゃべりたおす。


おっと、いきなり飯と酒の話になってしまった。もちろん旅することは喰うことであり呑むことなのだが、まだ8泊9日の旅程も紹介していなかった。

8月31日 伊丹から成田。成田からホーチミンへ。


9月1日 ホーチミン滞在。「戦争証跡博物館」訪問。


9月2日 バリ島に移動。クロボカン泊。TAKUMI飯。


9月3日~5日 バリ島ウブド泊。デワ・バンガローズ


9月6日 バリ島ジンバラン泊。


9月7日 バリ島からホーチミンへ。


9月8日 ホーチミンから成田。成田から伊丹。


もうお分かりだと思うが、これは短い旅の長いレポートになる。なんだったら年末年始に読んでほしい。

縁脈旅の目的はまず堀越大二郎さんに会うことだった。LINEでつながる。彼の友人、マデボギーさんを紹介してもらう。旅の足を確保した。きっといい人だと思っていた。そのとおりだった。

おっと、その前にベトナムである。バリへのエントリーがベトナムとなったのは偶然のようだが必然でもある。ベトナムすなわちサイゴン。ホーチミンという現在の都市名よりサイゴンの方に思い入れがある世代に僕は属している。1970年6月には東京で「ベ平連」のデモに参加していた。

10年前のブルネイ旅のレポートでも開高健に言及している。サイゴンに行くなら『輝ける闇』を持っていかねば。旅とは現地の本を持って現場に行くことでもある。
2003年のスコットランド、アイラ島には村上春樹の『もしも僕らのことばがウイスキーであったなら』を持っていった。
ベトナム戦争の闇を読みながら、かつて大東亜共栄圏という戯言を誰かさんたちが言った空を飛ぶ。

開高健は1965年、週間朝日の特派員としてサイゴンにいた。開高が滞在していたのはマジェスティック・ホテル。ベトコンのアンブッシュに遭遇して死にかけた戦場へも、このホテルから出かけていったのだろう。僕もそこに行ってみる。


伝統のあるホテルであることは分かる。でも、俯瞰してみればちっぽけな建物だった。歴史は川のように流れる。サイゴンのそれは泥の川だった。サイゴンでは「美しい自然」とは出会えなかった。


ベトナムでは、現在でもベトナム戦争と出会うことができる。


「戦争証跡博物館」。あの山本義隆と「10・8山﨑博昭プロジェクト」の一行は2017年にここを訪れていた。
「日本のベトナム反戦運動とその時代展」のオープニングセレモニーのためだった。

「ベトナムはフランス帝国主義とアメリカ帝国主義に勝利した世界で唯一の国であります」
確かにそのとおりである。南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)と北ベトナムのホーおじさんが南の傀儡政権とアメリカ軍を粉砕した。

でも、「輝ける戦争」などというものはない。
ベトナムの母子と同じように、我が子を抱きしめて泣いているウクライナの母子がいる。ロシアの母子がいる。パレスチナの母子も。イスラエルの母子も。

四國五郎の「ベトナムの母子」

戦車も戦闘機も機関砲も爆弾も、1975年4月26日にサイゴンから逃げ出したアメリカの残留物は館内のいたるところにある。もちろん、ソンミ村大虐殺の証跡もある。殺された村民の名前も刻まれている。


残留物のうち、最も人道上の罪が深いのは「エージェント・オレンジ」、枯葉剤である。


その非道い後遺症。奇形となった子供たちの写真を見るのが辛い。


僕のベトナム滞在はほんの僅かな時間だった。それでも戦争の記憶は確かに継承された。
それは、文字どおり命を賭けて記録を撮った写真家たちがいたから。インドシナ半島の戦争で殉職した写真家たちの肖像が並んでいた。


戦争証跡博物館には世界各地から観光客が来ていた。2023年末、戦火が止まず戦禍が拡大する世界で子供たちは何を持ち帰るのだろうか。


ホテルからここに来るまでは長男の背中を見ていた。


彼は早朝ランでホーチミンの地形を把握していた。翌9月2日は独立記念日だった。78年前にベトナム民主共和国が誕生した日。


国慶節を祝う看板を見ながら、息子は父を目的地まで連れて行ってくれた。バイクの川を横断させてくれた。


到着した戦争証跡博物館では父が息子に背中を見せていたような気がする。僕はここに3時間滞在した。

「客人、タクシーはどうでえ?」というおっさんの誘いには乗らずに、(行ったことないけど)パリのようなおしゃれな街を歩き続けたら腹が減った。


「お兄さん、ここの路地には旨い飯屋があるで」というホーチミンの放置犬の誘いには乗った。

ローカル食堂にたどりつく父の臭覚は、まだ少しは残っているようだ。


ホーチミンでは野菜は食べ放題みたい。


バーバーバービールは飲み放題ではないけど。


酔っぱらっている場合ではない。まだ先は長い。さあ、バリに飛ぼう。
ベトジェットはファミリアな飛行機だった。


バリ島、グラライ国際空港。迎えの人々。我らがドライバー、マデボギーとはすぐに会えた。ホテルに向かう。バリもバイクの川が流れる。渋滞の島。


ホテルから大二郎さんのTAKUMIに向かう。すぐそばのホテルを予約していた。
ここで話はプロローグにループしていくわけなのだ。バリの懐石料理店のエントランスはこんな感じ。


懐石料理と酒以外の話をつけ加える。
この夜の息子は嬉しそうだった。これは転職祝いディナーでもあった。
大二郎さんは優しい。「新しい仕事がうまくいきますように」と励ましてくれる。


僕はおかんから大二郎さんへのギフトを渡し、メッセージを伝える。
デニス・バンクスの話をする。
「インディアンはポトラッチ(贈与)するんです。だからデニスにもらったものは残していない。残した唯一のものがピアスです」
ステップ・ファーザーを懐かしみながら、シェフは左耳を見せてくれた。


「生き残るためにはまず何かを捨てなければならない」
なるほど。8年間、デニスとともに過ごした時間はそういうことだったのか。おかんは息子のアメリカ時代はよく知らないと言っていた。

続きの話は次回かな。次回は長男だけで、あるいは長男と次男の家族で大二郎さんの懐石を食べにくればいい、と父は思った。


ようやく、バリ島観光ができる。
観光の旅でけっして裏切らないところをあげろ、と言われたら躊躇なくバリ島といいますね。インドネシアのなかでは突出した「優しい島」だ。ここだけヒンドゥ教(本国はイスラム教)だが、インドのヒンドゥ教のような厳しい戒律はなく、万物に神が宿るという多神教の一種だ。山や木や花や風など、とにかく身の回りのあらゆるものを崇めるのだ。ソフトヒンドゥとも呼ばれている。 
『毎朝ちがう風景があった』
旅の達人、椎名誠はこのように書いている。
山川草木に宿る神々、というのはコンテキスターの「国つ神」定義にも通じる。
すなわち、「土着した神々」だ。
バリ島の山川草木を支えているのは水である。
ここは根元的には「水の島」だと思う。父と息子は、そのことを体感することになった。

旅に出る前には、現地にまつわる本を読む。実は違う視点の本も読んでいた。
『楽園の島と忘れられたジェノサイド~バリに眠る狂気の記憶をめぐって』(倉沢愛子)
バリ島の西北では1965年に政変とイデオロギーを巡る大虐殺があったという歴史的事実。
これはまた別の話にしておこう。


僕たちはまず山の町、ウブドに向かう。楽園のサーフィンにもショッピングにも興味はない。3泊したのは「デワ・バンガローズ」。番犬のような不思議な猫と雑多な神々がいる民宿だった。


「観光」すなわち光を観ることのキーワードは、聖地、沐浴、遺跡、棚田、夕陽。
ルートはマデボギーにお任せだ。全面的に信頼できるドライバーがいれば、旅は楽ちんだ。
初めての土地では遠くて高いところから行った方がよい。


バトゥール山麓、キンタマーニ。おお、確かに「豊かな自然」がある。


聖地入門。初めてサロンを腰に巻いて割れ門に入る。
今、気がついた。最初に行った寺院、「プラ・ウルン・ダヌ・バトゥール」も世界遺産だったのだ。この島には遺産があふれている。神々が豊饒すぎるからだろう。


以後、各地で豊満で過剰な神々と出会う。子供たちの笑顔にも。


そして、聖地のなかの聖地、ブサキ寺院へ。バリ・ヒンドゥーの総本山。


寺院内ガイドは日本で働き、日本語が話せるB君。名前を聞き忘れた。BはBesakihのB。
長男とB君はずっと話していた。


父は犬と子供の写真を撮るのに忙しい。


そして生活者も撮影したい。


B君は長男と同世代のようだった。家族と子供の話になる。
「僕の妻は上にいる」突然、空を見上げてB君が言った。
Because of COVID-19.
これは英語だったような気がする。
この島はウイルスの楽園になったこともあった。島の渋滞は消えた。彼の妻は失われた。


長男はドル札を探す。別れ際にそっと渡した。いいところがあるじゃないか。


マデボギーは次の聖地に僕たちを連れて行く。
ティルタ・ウンプル寺院。ここもまた世界遺産だ。


観光客の沐浴は見るだけにした。行列ができている。夕刻になり気温が下がってきた。


その水が流れ出る聖なる泉に行く。そこで僕は興奮した。
あれは、マコモではないか。あくまでも透きとおった水の中、ひとりすっくと立つ姿は「聖なる草」なのではないか。


できるだけ近づく。もはや息子の背中は意識から遠のく。
バリ島が水の島であるなら、どこかにマコモがいても不思議ではない。そんな気持ちは持っていた。だが、結局のところ、マコモらしきものを見たのはティルタ・ウンプルだけだった。


「おっちゃん、葉のかたちがマコモとはちゃうよ」
と現地の子に言われたような気もする。いいのだ。たたずまいがマコモであれば。


あの草が何であったのかを確かめるすべはない。ただ僕は夏の夕暮れ、澄んだ水に住む一本の草に魅せられただけである。


マデボギーと長男は父が満足するのを待ってくれた。


聖地3連発で始まったバリ島ツアーは、その深度を増していく。
次の日は遺跡巡りで始まった。ゴア・ガジャとは象の洞窟。


修行僧が眠った古代遺跡にはガネーシャがいてリンガがあった。


謎の蛇おっさんもいた。


素敵な磐座もあったが、気になったのは象の足のような根を持つ樹。ここは聖なる樹の聖地でもあるのだろう。


さあ来い、次の聖地!
「グヌン・カウィの石窟寺院へは約270段の階段を下りることになる。急な階段なので田園風景を楽しみつつ、休みながら下るのがおすすめ」
二人旅のバイブル『地球の歩き方』にはこう書いてあった。

この日は足腰の鍛え方が問われる日でもあった。日頃から走っている息子は問題なし。もしかしたらマデボギーはしんどかったのかも。父は黙って手すりを持って降りる、登る。


「じじ、がんばりや」とおばはんに言われたような。そのあたりの女の子が励ましてくれた。

田園風景を楽しむのは得意だ。


バリ島の遺跡は単なる遺跡ではない。現在進行形の祈りの場でもある。長い下り階段の底でも民草は祈っている。


ワンコに禁足地はない。


それから、人生初のムルカットに向かう。沐浴、しかも滝行。水着は忘れていなかった。
スバトゥの滝はガイドブックに載っている観光地である。ここも長い階段を降りる。


滝の脇では犬神様が睨んでいた。いささか緊張して滝に臨む父と息子。


マデボギーが防水カメラを構える。行くぞ、おそるおそる。


冷たいのだ。勢いがあるのだ。気持ちがいいのだ。スバトゥの滝でムルカットしたら、心に黒いものがある人は背後に黒い水が流れるそうだ。

背後を見る余裕もなく祈る。浄化のあとは祈るべし。


2023年9月4日は二人旅史上、まれに見る強行日程だったといえるだろう。ネパールでは、大きくいえばヒマラヤに向かって小さなささやかなトレッキングをしたことがあった。しかしながら、それは13年前のことである。

聖地と遺跡から棚田へと舞台は移っていく。
テガララン棚田。いささか観光客向けに演出をされているところではあるが、現役の棚田であることは間違いない。聖地も好きだけど棚田も好きだ、という父の趣味に息子はつきあう。彼だって稲刈り、ハゼ干しをしたことはあるのだ。


散策の前のランチタイム。棚田を見下ろしながらビンタンビール、よいではないか。


畔道を歩くのは得意だ。いつでも稲刈りできそうなくらい穂が垂れている。


おや、バリ島の田んぼにもコナギちゃんがいる。


耳慣れた草刈り機のエンジン音がする。


さすがに歩き疲れた。ウブドのバンガローに帰る。でも、まだ欲ばっていた。夜はケチャの公演を見たかったのだ。


でも、無理。サテー(焼き鳥)喰って寝ましょう。手回しよくディナーの前に買っていたチケットは無駄になった。そんなこともある。旅なんだから。


「ケチャとは、百人以上の踊り手と歌い手によって演じられる伝統的なダンスです。このパフォーマンスのユニークなところは、楽器は一切使わずに人間の声と手拍子だけで演じられるところです」とチケットの解説に書いてある。
口惜しいので、YouTubeで見ておこう。

チャチャチャと翌日になった。
9月5日はバリ島旅で最高のパフォーマンスを父と息子がした日。

Taman Beji Griya Waterfall タマン・ベジ・グリヤの滝。
また『地球の歩き方』に載っていないところに行けた。マデボギーの妻、ゆかりさんが情報をくれた。

ウブドの西へ1時間ほど走ると、水の島の源泉のような場所があった。


苔むす神々、もれる光、輝く水、花と聖水。命のお守り。




バリ島寺院の割れ門は、この洞窟を模したものではないか。岩の割れ目からもれる光と水に敬意を表したものなのかもしれない。ああ、アニミズムの極地。




グルとはヒンドゥ教の導師のこと。グルに導かれて、めくるめく聖水巡りができた。


ヒーリングとかセラピーとかごちゃごちゃ案内板に書いてあるが、そんなことはどうでもいい。ただ感じればいいのだ。

この石の遺跡はいつ誰が刻んだものなのだろうか。分からない。蛇がいる。猿がいる。獣がいる。掌がある。男神と女神がいる。


混沌と過剰の水際を父と息子は歩んでいく。


供物と祈りを忘れてはならない。青空に向かって手を伸ばす。世界はこんなに美しい。


昨日のムルカットは予行演習だったのだ。滝壺のスケールがまったくちがう。息子が手を引いてくれる。


鮮烈さに叫ぶしかない。水しぶきは天と地をつなぐ。


世界の輪郭がぼやける。


ああ、楽しかった。楽しいことは正しいこと、というキャッチフレーズがあったが、僕たちは正しいムルカットをしたのだろう。


浄化のあとは祈る。バリのコモンセンスである。


フルコースを終了したら、グルは右手首に3色お守り(Tri Datu)を巻いてくれた。


赤は火の神、白は風の神、黒は水の神。僕は星の神、ビンタンビールで乾杯する。


ツゥリ・ダトゥを見せたら、バリ人は微笑んでくれる。
焼鳥屋のおっちゃんもホテルマンも。


ふわっとした心持ちでバンガローに帰った。番猫は相変わらず気持ちよさそうだ。


ひと休みしたら、サテーを食って夜のウブド王宮に行く。ガムラン舞踊を見逃して帰るわけにはいかないと誰もが思うだろう。

ガムランとは端的にいえば「打楽器のオーケストラ」。


古代インドの叙事詩、ラーマヤナの物語。善(ダルマ)と悪(アダルマ)の闘いなのだろう。善悪二元論、そこには陰謀論も「ディープ・ステート」もない。単純でよかった。


さて、父と息子のバリ島物語は最終日となった。ウブドの民宿の女将と番猫に別れを告げる。


棚田へ。広大な棚田へ。ニワカ雨が降る天気ではあったが、気分は最高。
ジャルティルウィ・ライステラス。


ムルカットでバリ島の国つ神に祝福されたから父は上機嫌である。


田んぼと稲がある。しかも7月に田植えしたら9月に稲刈りができる豊穣の棚田なのだ。白い米は「ヒブリダ」という品種。赤い米もつくるそうだ。


お姉さんの笑顔も素敵だ。


バイクのおっさんにもご挨拶。


変な奴が来たな、と田んぼ猫に言われた。気にしないで、君はネズミを取りなさいと言ってみた。


ここは手植え、手除草、手刈りの田んぼである。牛は糞に尿をかける。現役の手押し耕耘機がある。


しかも、いたるところに、田の神を祀ってある。供物が絶えることはない。


「これで旨い米ができないわけはないがね」
「このあたりの稲は穂刈りするけんね」
「草は牛の餌になるでのう」
気分はバリ百姓。身分は観光客。そのような者でした。


発見があった。有能で陽気なドライバー、マデボギーは農家の子でもあったのだ。棚田の農民とも話があう。小さい頃は広い田んぼで草取りの手伝いをしていたという。


「バリの田んぼではネズミが稲の根を食うんです。でも、猫はネズミを取らない」
えっ、そうだったのか。ではあの田んぼ猫は暇なのではないか。


そんなことを話しながら、車は一気に南下する。何かの儀式が見えた。涙雨か。


バリ旅のスタートラインに戻る。「匠 TAKUMI」のある町、クロボカン。
マデボギーが妻のゆかりさんと住む家。そこに近所の大二郎さんも来てくれていた。


ゆかりさんは、バリ旅のコーディネーターであり情報源だった。感謝しかない。




嫁に来た実家を愛娘と愛犬とともに案内してくれる。豪邸だった。屋敷寺がある。おお、マデボギーは豪農の子だったのか。


これは集合写真を撮らねば。撮ったあと、大二郎さんは僕をハグする。やめてよ、泣けるから。


それから、父と息子は海に向かった。バリ島に行ったといえば、ワイン片手にリゾートビーチを楽しんだと誰もが思うらしい。はい、ワインはあちこちで呑みました。でも居場所は山でした。


ラストシーンは海というよりも夕陽。そしてイカン・バカール。海辺で、焼魚を食いながら夕陽が見たかった。しかもシーフードの村、ジンバランは空港が近い。夕陽と飛行機という長男の好みがふたつながらにしてある。


夕陽は旅の未練をたっぷりと残しながら落ちていく。心も波立つ。


雲がアートする。バリはアーティストたちが住みついた島でもあった。


父はワインを呑む。息子の背中を見る。


翌朝、9月7日、長男は砂浜を空港の近くまで走った。


僕はひとりで朝の海を散歩する。流れついたような木を見た。


守られた手を見る。僕の指はガムランダンサーのようには動かない。それでもキーボードを叩いて、見たこと聞いたことを書くことはできる。いつまでかは分からないが。


ケラトン・ジンバラン・リゾートはいいホテルだった。


いつものようにパンクチュアルに迎えに来たマデボギーの車に乗りこむ。空港までは短い時間だった。そして分かれた。
君のおかげでいい旅だった。「トゥリマカシ」、Terima kasih ! サンキュー。


青い空と海からバイクの川、ホーチミンに飛んだ。


最後のディナーで僕は長男にお礼を言った。
「ありがとう。これが人生最後の海外旅になると思う。おかげさまで楽しかった」


旅の最終目的は無事に帰宅することにある。旅の途上の子供もそう言っているように思えた。

9月8日、成田空港。また息子の背中を追いかけた。


2023年12月、父と長男の手にはまだ世界を守るものが巻いてある。息子は走り続けるだろう。父はもうついていけない。たぶん。



参考書籍
『大阪下町酒場列伝』(井上理津子/ちくま文庫/2004年)
『聖なる魂~現代アメリカ・インディアン指導者デニス・バンクスは語る』
(森田ゆり/朝日新聞社/1989年)
『輝ける闇』(開高健/新潮文庫/1982年)
『ベトナム戦記 新装版』(開高健/朝日文庫/2021年)
『観光コースでないサイゴン(ホーチミン)』(野島和男/高文研/2017年)
『週末ベトナムでちょっと一服』(下川裕治/朝日文庫/2014年)
『あやしい探検隊 バリ島横恋慕』(椎名誠/ヤマケイ文庫/2016年)
『毎朝ちがう風景があった』(椎名誠/新日本出版/2019年)
『楽園の島と忘れられたジェノサイド』(倉沢愛子/千倉書房/2020年)
『バリ島小さな村物語』(長尾弥生/JTBパブリッシング/2004年)
『地球の歩き方 バリ島2024~2025年版』(地球の歩き方編集室/2023年10月)
『コンテキスター見聞記~半農半Xから国つ神へ』(田中文夫/2019年)






















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