2019年12月31日火曜日

光陰の記

光には陰がある。山にも陰がある。相も変わらず「山の陰」通いをしていくうちに、2019年も過ぎ去ろうとしている。光陰を追いかける殿(しんがり)には、今年、何を見て聞いたのか、書いておきたい。

出雲の銘酒・玉櫻

自分はつくづく《書きスケ》だと思う。《呑みスケ》でもあるけれど。この言葉は内田樹先生からの受け売り。言い得て妙である。
思えば、一年間ずっと書いていた。正月3日から『コンテキスター見聞記~半農半Xから国つ神へ~』の最終校正に掛かる。67歳の誕生日、2019年3月13日に発行できた。
紙本と電子版の同時発売。出版社はボイジャー。電子出版には四半世紀以上前から取り組んでいた。先駆けである。
2015年から書き続けた「国つ神と半農半X」という島根県全県取材ルポルタージュを出版するためにあれこれ考えた末に、ボイジャーの萩野正昭さんにお願いした。取材者との約束を果たすためには、これ以上、発行を遅らせたくない。なによりも自分が早く楽になりたい。自費出版しかない。

萩野正昭さん、南青山にて。

紙本は限定500部。300部を自宅に届けてもらう。A5版355頁、500グラムの重さ。うちは古いマンションの4階でエレベータはない。佐川急便の若者は息も絶え絶えになった。オロナミンCを2本あげた。


それから大晦日の今日にいたるまで著者直販のお願いを続けている。拙著をお買い上げいただいたみなさま、ありがとうございます!

野間の大ケヤキと
粟嶋神社の巨石と

そうなのだ。大晦日なのだ。田中文脈研究所の文脈レポートは一年に一回になってしまった。タイムラインを整理する。本人の感覚では、今年は「戦線を縮小」したつもりだった。なにしろ、2月25日には『新・出雲國まこも風土記』を書き始めて、大胆にも2019年中に出版する、とか言っていた。
ところがなんのその。意外に相変わらず動いていた。その詳細を書くと、年を越す。
まずは、できなくなったことから書いてみよう。

8年間、続けてきた米つくりができなくなった。狭い(猫の眉間くらい)田んぼとはいえ、肥料農薬除草剤を使わない、基本的に手植え、暑熱で草取り、ハデ干しという米つくりは、もう限界だった。僕の道楽につきあって田んぼを貸してくれる地主さんもいなくなった。
孫一家には、ずっとうちの米を供給していた。今さら「じじの米はもうない」とは言えなくなる。しかも9月には、もう一人、孫が田中家デビューした。どげするだ?

9月25日少女S誕生

出雲の仲間から買い求めよう。出雲イセヒカリ会、会長の坂本美由紀さんにお願いした。やっぱりイセヒカリは旨い。しかも硬質米の性格が少し柔らかくなってきたようだ。僕は讃岐うどん育ちなので、コシのある米の方が好きだが、伊勢うどん好みの人にも扱いやすい米になってきたのかもしれない。


鮎釣りができなくなった。今年はさらに釣行回数が少なくなって年に三日しか竿を出さなかった。37年鮎釣りをやってきて最小記録更新。


まあ、一応、近くの料亭で龍神鮎を綺麗に焼いてもらって、山の神と(なかよく)食べることはできたのですが。
僕は早起きが苦手になってきた。早起きできない釣師は形容矛盾だ。そろそろ釣師も返上した方がいいのかもしれない。
僕は睡眠時間が長い。「あんたは時間の使い方が下手だ」というのが山の神が僕を評する基本タームである。でもね、睡眠は執筆の母なのです。毎晩、夢を見て目覚めた瞬間に言葉が降りてくることが多いので。


そして、いなくなった人たちもいる。個人的文脈では佐賀のおばさん。大連からの引揚者で、僕にとっては大事な人だった。7月27日、享年97歳。


9月10日。丸亀高校の後輩が永眠。1969年に初めて会ったとき、16歳の女学生は「わたし星飛雄子(ほしひゆうこ)」と言った。素敵な女性だった。享年66歳。


この国の政治的文脈にとって大きな損失となったのが木内みどりさん。
11月18日。享年69歳。電通でともに働いた四國光さんの心の支えだった。光さんは四國五郎さんのご子息。「祈るだけでは平和は来ない」という父上の言葉に、忠実にしたがっている。ひたすら悲しい。


東京には年に一回しか行かなくなった、と年末に投稿したが、嘘だった。
1月31日に行っていた。ボイジャー主催の「ジョン・オークス講演会」。


『ベストセラーはもういらない~ニューヨーク生まれ 返品ゼロの出版社』(泰隆司/ボイジャー/2018年12月18日)は名著だ。ニューヨークで返本ゼロの出版社を実現したORブックスのジョン・オークスは講演を以下の言葉で締めた。
“The business of books is supported by human relationship.”
コンテキスターが意訳するなら「本は関係性の塊だ」。
そのとおりだと思う。ジョンは著者と読者の間はできるだけシンプルなものがいいと説いたが、その究極のカタチは自費出版だ。いわば、本の「自産自商」。野菜の「自産自消」に加えて本のそれをやり続けていたら、大晦日はあっというまに来てしまった。


萩野正昭さんは2019年2月10日に『これからの本の話をしよう』(晶文社)という本を出した。その広告が3月23日の図書新聞に掲載される。なんと、萩野さんの本と『ベストセラーはもういらない』と並んで『コンテキスター見聞記~半農半Xから国つ神へ』が広告されていた。光栄であります。本の自産自商を後押ししてくれた。


11月26日、朝日新聞に萩野さんを取材した記事が掲載された。
タイトルは「だれでも作家 地獄の予兆」。執筆した記者は天下御免の日田支局長、近藤康太郎さん。「アロハで田植え」、現在は「アロハで漁師」の彼である。
記事の結語を引用してみる。
紙の本が人間社会にもたらしたものは「読者の誕生」だった。識字率の向上と、それで可能になった工場、軍隊、学校は、資本主義、国家、近代的個人を生んだ。
一方、ネットや電子書籍などは、人間に何をもたらすのか。それは「書き手の誕生」だろう。
だれでも書き手になれる時代は、マスメディアなど必要としない時代でもある。「既存の大メディアはフェイクばかり」。トランプ大統領ばりの主張は一定程度、説得力をもって受け止められる。なにせその傍証の書き手はネットで“無限”に見つかるのだから。
「だれでも作家になれるデジタルの福音は、悪貨が良貨を駆逐する地獄の予兆でもある。想像もできないノイジーな世界を、我々は覚悟しなければならない」
朝日新聞デジタルはこちら。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14272079.html?iref=pc_ss_date

そうか、デジタル出版は(すべて)悪貨なのか、と首をかしげる。どんな社会、組織、国家にもいい人と悪い人がいる。安倍政権には悪人しかいないけど。
僕は「電子出版は出版界の農地解放だ」という萩野さんの言葉を信じている。
自費出版者にとってデジタルは強い味方だ。旧弊で馬鹿でかい出版システムをがらがら回さなくても、本というものを出版できることができる。
解放された農地でどんな作物をつくるのかは、個々の百姓の志の問題だ。化学肥料と農薬と除草剤をぶちまけて米をつくっても旨くない。ましてや遺伝子組み換えのような地獄の米は孫に食べさせたくない。デジタルの福音を地獄にするのも天国にするのも、個々の作家の志で、読者のリテラシーがそれを支えるのじゃないかな。


拙著は電子本だけでなく紙本も出した。それは取材対象者との約束遵守ということもあった。自産自商あるいは持参自商において、紙本を買ってくれた人には電子版を無料でさしあげている。「理想書店」というボイジャーのサイバー書店においても同様だ。
僕の編集者が素敵な特集ページをつくってくれた。
https://store.voyager.co.jp/special/contexter


書店は理想だけでは動かない。けれども理想のない書店は、ときとしてヘイト本の陳列棚になったりする。今年は隆祥館書店との出会いもあった。大阪谷町六丁目の「13坪の奇跡の本屋」さん。


店長の二村知子さんと立ち話するのは活字中毒者にとって至福の時間だった。百田本は置かない。取次の理不尽な見計らい配本の実情を世に知らしめた。
ついに七年もの継続を許してしまった安倍晋三に対するカウンター本の発信基地でもある。

二村店長は内田樹さんと親しい。拙著には内田先生の著作から多くの引用をさせていただいた。憧れの内田先生に拙著を献本できたのも店長とつながりができたからだった。


来年もまだまだ著者直販すなわち自産自商は継続します。ご理解のほど、よろしく。
そのためにも、今年いちばんの「自産自商」トークのことを書いておきたい。

5月11日、難波神社。「大阪ぐりぐりマルシェ」に出店。関西の農的生活の元締、空庭みよこさんからお誘いをいただいた。英田上山棚田団の長老会、原田ボブ、いのっち、やっしーも手伝ってくれる。本を買ってくれた人にはキンカントマトの苗をおまけしちゃおう、という大胆な企画だった。


「自産自消」トークを聞きに来てくれた聴衆のなかに「50年ぶりの人」がいた。香川県立坂出中学校の同級生。いやはや。まさに「本は関係性」の塊である。


難波神社の国つ神、クスノキさんもびっくり。


実は、空庭さんのおかげで、5月4日、発酵デザイナーの小倉ヒラクさんに拙著を買っていただいた。梅田大丸百貨店にて開催された「れいわはじマルシェ」での出来事。ヒラクさんの新刊『日本発酵紀行』にサインをもらうとき、なにげなく話したら、すぐに手に取ってくれた。取材ものという共通点があったからと思われるが、喜びが醸された。

空庭みよこさん
小倉ヒラクさん

さてはて、そろそろ今年も終わり。先を急ごう。
今年もやっぱり半径300キロの行動をしていた。いつ地元に帰るのか、という質問も受けるが、困ったことに僕の地元はあちこちにある。
まずは、同級生が来てくれた坂出について。
坂出の家はミッションを完了した。売りに出すことにした。仏壇は性根抜きをした。


この家には、貴重なまこも関係の書籍と資料があった。うちの風呂はマコモ風呂だったのか。

小豆島の家について。ここも地元といえる。息子たちとの相談の結果、もう少し家を持続しようということになった。昨年、帰天した母の散骨をする。それが一周忌。持続するためには草を刈る必要がある。なにしろ村いちばんの土地持ち、つまり草刈場持ち。ご丁寧なことに、田舎の人は除草剤を撒いてくれる。親切心なのか?
看板を立てた。草刈りのモチベーションが上がる。子供たちに昔ながらの夏休みを味あわせてやりたい。


2019年の松江はホーランエンヤの年だった。40年近く、松江に通っていたのに観たことがなかったのが恥ずかしかった。5月26日、今でも「♪ホーランエンヤ~」の掛け声と踊る子供たちが目に浮かぶ。10年後は、どうなっているのか分からないもんね、と松江のおばちゃんたちと話した。野津旅館の特等席から眺めた。


そして「出雲國まこもの会」の仲閒たち。野津健司さんと多久和厚さん。もはや盟友と言っても過言ではない。今年のマコモタケは始まりが遅く終わりが早かったが、味はとても甘かった。


さらにスペシャルサンクスは米子と松江をベースとする「山の陰」の知的ベースライン、今井書店さん。若き社長、島秀佳さんと「ブックインとっとり」「宇沢弘文フォーラム」の提唱者、永井伸和さんには、本当にお世話になっている。今井書店松江センター店で拙著が平積みになっていたのには、野津旅館関係者も喜んでくれた。


第32回ブックインとっとりには、拙著もエントリーされていた。素直に嬉しかった。


2019年のラストシーンまで、あと1時間半。
で、極めて短絡的にサマリーするとしたら、結局、今年も僕はまこもさんとずっと一緒にいたような気がする。なにしろマイファームを卒業して新しく借りた畑には、まこもが守り神のようになっている。なんとマコモタケも収穫できた。


2019年大晦日、フミが池農園。この畑を教えてくれた野津旅館の関係者とうちのまこもさんの祈念写真。来年はいい年になりますように。


来年、68歳の誕生日、3月13日までには『新・出雲國まこも風土記~人とまこものケミストリー』を出版できる。


どうやらコンテキスターの「ひとり出版プロジェクト」は、まだ続いているようで……。
みなさん、今年もいっぱいお世話になりました。新年もよろしく。だんだんねー!





1 件のコメント:

  1. 消えた街という小説を興味深く読ませていただきました。実は、昨年96歳で他界した母は娘時代に新京でタイピストをしていたそうです。両親が若くになくなり、先に新京の興農合作社というところで、小説の登場人物たちのように当時の理想を抱いて働いていた兄を頼って新京に渡ったそうです。母は終戦の少し前に日本に帰り、母の兄は戦争の末期に関東軍に召集された後ソ連軍の捕虜になりシベリアの収容所で死亡したようです。母から当時の満州の話を聞き、母のいろいろな思いを聞かされましたが、もっと語りたいことがあったように思いちゃんと話を聞いてあげればよかったと思っておりました。ですので、この小説に出会えたことを大変貴重なことに思い感謝しています。戦前が遠く感じられていますが、実はそんなに遠いことではない。もっと知らなけれならないと思っています。

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