2012年7月31日火曜日

文脈日記(もし鉄腕アトムが卒原発したら)

さて、そろそろ原発に関して真正面から理論武装していかないとね。
敵(既得権益)には巧妙な戦略ができている。
ところがこちら側には怒りと苛立ちはあるが、まだ戦略ができていない。
少なくとも僕の中ではまだもやもやしているものがある。

以下の新聞記事で金子勝教授も言っているように、既得権益のど真ん中にある原発に対抗するためには「強いロジック」が必要なのだろう。



そして、そのロジックの原点はフクシマの現実でなければならない。
そのとおりだと思う。

ただし、原発に関する理論武装もまた個々人の事情の中でやらないと志を持ったロジックにはならない。しかも手垢のついていない言葉で。

教条主義や、どこかでいつか聞いたようなイデオロギーをたまたま目の前にある「原発」に適用しようとしても張り子の虎だ、などとまずは言ってみよう。

確かに言っている内容は正しい。でも問題は「張り子の虎」なのですよ。
この用語を使ったとたん、そこには毛沢東の匂いがする。このあたりが政治的文脈の難しいところですね。

そういう意味で、このエントリーのタイトルを考えているときに悩んだことがあった。

「反原発」か「脱原発」か。

「反原発」という言葉にはイデオロギー(特定の政治的立場に基づく考え)がつきまとうのだそうだ。

確かに「反戦平和」とか「反帝反スタ」とか、かつて「反」を冠にした左翼的スローガンは多い。そして「反」という言葉を使うと「賛原発」派との2極対立になって落としどころがなくなるというのが「反原発」というワーディングを嫌う人たちの主張だ。

一方の「脱原発」はどうだろうか。こちらは懐が広いようだ。大きな流れとして原発依存から脱却すること、という指向性をもっていれば右も左もウェルカムというのが、「脱原発」のいいところだ。

したがって、官邸前の抗議行動も「脱原発」という表現で報道されている。主催は首都圏反原発連合という名称なのだが。

どちらかと問われれば、僕も当然「脱原発」に一票を入れるでしょうね。政治的文脈で「反原発、野田政権打倒!」などと叫ぶだけでは状況は好転させられないから。

でもね、天野邪鬼のコンテキスターとしては「脱原発」も肌感覚が合わないのですよ。
何でもいいから「脱却」すればいい。そして脱却へ突き進む燃料は「野田どぜう宰相」への怒りでもフクシマへの同情でもマルクス主義的階級闘争でも新右翼的愛国心でもなんでもいい、と言われたら理論武装などできるはずもない。

そもそも「理論武装」という言葉もかなり左翼的匂いがするのですが、僕の文脈としてはこれ以外に表現できないのでご容赦願いたい。

で、あれこれ考えているうちに思い出したのが「卒原発」なのですね。
上山集楽/井筒耕平のメンター、名古屋大学の高野雅夫さんが紹介している言葉です。



「卒原発」の由来は、この本を読んでほしい。この言葉の発案者は名古屋の19歳の若者らしい。

そして僕は僕の文脈で「卒原発」を語ることにしよう。
頭の中で聞こえているのは尾崎豊の「卒業」だ。

この支配からの卒業。仕組まれた自由からの卒業。

僕の「卒原発」は自分自身の無邪気さからの卒業だ。
1952年、ラスト・オキュパイド・チルドレンの僕が生まれた年に「鉄腕アトム」も生まれた。月刊誌「少年」への連載が始まったのがこの年であった。



鉄腕アトムは10万馬力の科学の子だった。
そしてその ♪ららら心やさし科学の子~♪ の科学は原子力平和利用という科学だったのですね。

そして「アトムの子」は無邪気に原子力を信じていた。
一応、ヒロシマ・ナガサキの歴史は小学校で習っていたような気もするが、テレビのプロレス中継から流れるカール・ゴッチの「原爆固め」(ジャーマン・スープレックス)というアナウンスに素直に感動していた。
大気中の核実験があれば、雨にあたったら禿げる、などとこれまた無邪気に友達とはしゃいでいた記憶がある。
さらには原子力船「むつ」のプラモデルまでつくった覚えがあるぞ。
科学の子は「原子力の明るい未来」を夢見ていたのでしょうね。

そして、その無邪気さは311まで継続していた。
それまでは節電なんて真面目に考えていなかったし、原発には問題があるのだろうな、と漠然と意識はしていた程度だった。

60年の人生の中で、けっこう左翼思想もかじったことがある僕が、こと原発に関すると正確な「科学的」知識はほとんどなかった。

それほど敵の原子力平和利用キャンペーン戦略は巧妙だったのですね。

1970年に「安保粉砕!沖縄解放!」と政治的文脈でデモをしていたまさにその時期、福島第一原発1号機が完成していたのだ。
そして青森県上北郡六カ所村の使用済み核燃料再処理工場の起点となった「むつ小川原開発」計画は1969年に発表されている。

70年安保のデモ隊の中には「アトムの子」がたくさんいたはずだが、文化的文学的文脈で自分たちを支配しているものを自覚している人はどれだけいたのだろうか。

そして今また、デモの時代が来ている。
マスコミ、ネットを問わず、「街頭」での直接行動で原発再稼働を止めようとしている動きの情報があふれている。

必然的に鉄腕アトムの登場シーンもあるわけだ。アトムは「賛原発」のシンボルとして。



先日、ある「脱原発」会合に参加したときに、この写真を見て「アトムは反原発だ!」などと言っている人がいた。それは原子力科学の子、アトムに失礼ですよ。

なんでもかんでも「反原発」にするのではなく、それぞれの文脈の中で役割を評価していかなければ「卒原発」なんてできない。
この写真を見た瞬間、僕はNo Nukes Girl by Yoshitomo よりも鉄腕アトムに親しみを感じてしまう。
と僕が言った瞬間に、「だからお前はダメなんだ、自己批判しろ!」などとのたまう奴はもういないだろうな。そういう政治的文脈は連合赤軍で終わっているのだから。

先月の文脈研究レポートで、僕は政治的文脈で発言をしたくないのでデモに行く気はない、と書いていますね。

でも、デモに行った。関電本店前、7月20日。

デモ関連の情報大洪水をキュレーションしているうちに、どうやらこのデモは政治的文脈だけでは語れない、という気もしてきた。

そのことは、綾部の皆さんのデモ参加によって僕に伝わってきた。
半農半Xの聖地、綾部は高浜や大飯の30キロ圏内である。その厳然たる事実から行動を開始している彼らを見ていると僕も現場で声を上げたくなった。

何度も引用している内山節の「文学的に明日を想像してみること」の文脈に寄り添うと以下のような気持ちでデモに参加している皆さんも多いようだ。

「自分の子供、孫にはいつまでも気持ちのいい風が吹く世界で遊ばせたい」
「今、暮らしている場所の文化と伝統を遠くまでつなぎたい」
「エメラルドグリーンの水が流れる川で背びれがピンと張った鮎を釣り続けたい」

内山節は言う。
自分の明日を「文学的」に想像してみよう。そこに原発がなじまないなら、もういらないということだ。

そんな切実な情感でデモに参加している人が多いことは現場に行くと実感できる。
そしてデモに行けば自然に声は出てくる。一人の声出し人としてデモに参加するとなんだか胸がいっぱいになって声が詰まりそうになる瞬間もあった。


全国でデモに参加されている皆さんの誠意と熱意には本当に敬意を表します。


でもね、デモだけで世の中は変わらないかもしれない、と僕はあえて言いたいのですね。

そもそも「街頭へ」という言葉が時代錯誤のような気もする。
朝日新聞には悪いけど。
街頭=街の頭=中央政治の現場で声を上げるだけで歴史が変わらないのは60年安保と70年安保が証明しているのですね。

もう街の頭だけで世の中が変わる時代ではない。
街の頭は「地宝」からの底上げがなければ変わらない。地域発の「村楽パルチザン」、そして「地から」の力がますます求められている。

列島民が地に足をつけて街の頭を変えるためには、やはり「半農半X」という新しい倫理と規範が必要だと思う。

小さな農をベースにして自らの天職=ミッションであるXを追求する生き方が「半農半X」だ。

塩見直紀さんに代表される綾部の人たちの言葉がぶれないのは「半農半X」をベースにしているからだと思う。

今は、僕たちの半Xに「卒原発」も加えてみるべき時である。

「半農半卒原発」。

この言葉、決して原発の半分は認めようというのではないのです。
イデオロギーのみで反原発を主張している人たちへのアンチテーゼです。
綾部のハタノさん風に言えば、「半農半X with 原発即全廃」なのです。

半農半コンテキスターである僕は「半農半卒原発」の理論武装をお手伝いしていこう。

原発は今すぐゼロにすればいい。ゼロにしても電力不足にはならないという理論武装はすでに多くの論客がデータ提示をしてくれているのでおまかせしておく。

そして僕の「半農半卒原発」理論のスタートラインは科学的なものから始めたいと思った。
そこを理解していかないと自分の無邪気さからは卒業できそうにない。

僕は鉄腕アトム世代なのに、原子力の科学的知識が少ない。
まずは「夢のエネルギー」原子力がどのような科学的文脈で生まれてきたのかを理解する必要がある。
そこで60の手習いでこんな本を読んでみた。311直後に購入してiPadに格納していたものだ。

常石敬一、物理学を修めた科学史と科学思想の専門家。
「原発とプルトニウム」2010年4月6日に出版された本だ。


レントゲンがX線を発見してからプルトニウム生成にいたる科学者の無邪気な好奇心がヒロシマ・ナガサキ・フクシマに直結していることをトレースしておくこと。

第一章      禁欲と貪欲
第二章      「あり得ない」ことが起きる・・・
第三章      「あり得ない」ことが起きた!
第四章      失われた元素、プルトニウム
第五章      原爆開発ゴーサイン、好奇心から愛国心・恐怖心
第六章      百万分の一秒を目指して~ロスアラモス
第七章      「原子力平和利用」の時代

「理系」の学生のために書かれた本だそうだが、科学者たちの素朴な熱情と興奮が伝わってきて「文系」の僕にも興味深い。
ウランは天王星、ネプツニウムは海王星、プルトニウムは冥王星に由来するネーミングだということもはじめて知った。

まずは「科学技術万能幻想」を押し付けてくる「原子力ムラ」に対抗する理論武装の基礎知識を身につけよう。以下が原子炉の中で起こっていることの基本的な事象だ。

原子炉の中では中性子によるウラン235の核分裂だけでなく、ウラン238が中性子を吸収する結果、プルトニウムは必然的に生成される。その結果、現在日本はプルトニウムを約32トン持っている。プルトニウム239も核分裂しやすい物質だ。それで広島原爆の原料はウラン235で、長崎原爆ではプルトニウム239となった。(P16)

先日逝ってしまった知の巨人、吉本隆明は「科学の進歩は人類の発展そのもの」と一貫して主張していたそうだが、ここではもう一人の科学者に登場してもらおう。

山本義隆、東大理学部物理学科卒業生にして東大全共闘議長。
吉本隆明の檄にインスパイアされた全共闘たちのカリスマだった。
彼もまたフクシマに関して、科学史的見地からの本を著している。
「福島の原発事故をめぐって~いくつか学び考えたこと」


山本の核分裂生成物に対する説明は明快なので基本として引用させていただく。

原子炉では、制御された核分裂によって発生する熱を用いて蒸気タービンを回し発電する。原爆では、そのエネルギーを一挙に解放させる。(中略)核分裂ではもとの半分程度の質量の二つの原子核、たとえばストロンチウム90やセシウム137などと、その他いくつかの小さい原子核や中性子に分裂し、分裂前後の結合エネルギーの差が分裂でできた破片の運動エネルギーとして放出されるのである。つまり核分裂ではかならず多量の破片が生みだされ、もとの燃料とほぼ同質量のこの核分裂生成物がほかでもない「死の灰」である。その量は、現在の原発のほぼ平均出力である百万キロワットの原発一基を一年間稼働させたとして、広島級原爆の死の灰の千倍に達する。(P29)

フミメイ卒原発理論武装その1.

原発と原爆の科学的システムは同じ。核分裂は必ずヨウ素やセシウムなどの死の灰と呼ばれる核分裂生成物をつくる。そして原発では半減期が2万4千年で強いアルファ線を出し続けるプルトニウムもできていく。プルトニウムは原爆の材料だ。

基本の基、ですみません。
でも、311までは僕はこんなことも分かっていなかった。そしてこの研究レポートを書くために、超文系の僕が原子物理学のニワカ学習をして、必死で頭を整理しているのでそのプロセスも書いておきたいのです。

ウラン235とウラン238の核燃料については以下の図が分かりやすい。
後藤政志「『原発をつくった』から言えること」P13からお借りします。


そして原子炉の中の核分裂に関しては電気事業連合会「コンセンサス原子力2010」のイメージ図が分かりやすい。

分かりやすいのですけどね、核分裂生成物(いわゆる死の灰)の例がバリウムとクリプトンになっている。
このあたりが敵の戦略の巧妙なところだ。なんだか核分裂生成物が「いいやつ」に見えるのは僕だけだろうか。
そしてウラン238からプルトニウムが必然的に生成されることに触れるはずもない。

さらにネットを回遊して調べてみると「日本科学未来館」の解説にたどりついた。


これは311後に科学的事実として解説されたものでありヨウ素とセシウムの発生がよく分かる。
つまり「科学的事実」も見せ方によって、まったく伝わり方が違うときもあるのです。

それは「科学技術史」を振り返る時にも言えることだ。
「鉄腕アトム世代」は「科学技術幻想」を信じこまされている。なにしろ「人類の進歩と調和」大阪万博に熱狂した人が多い世代なので。
ちなみに僕自身は万博というものはこれまでの人生で一度も足を踏み入れたことはありませんが。

仕組まれた自由から卒業するためには、科学技術幻想からも脱却するロジックが必要だ。
山本義隆の「いくつか学び考えたこと」に教えを乞おう。

自由・平等・博愛を謳い近代市民社会の夢を実現しようとしたフランス革命は、同時に人間の能力に無限の信頼を置いたのであり、ベーコンの夢、つまり科学技術による自然支配と地球征服の夢を手の届く所に描いたのである。 (中略)電気文明の可能性をいちはやく描き出したのは、フランスの作家ジュール・ヴェルヌであった。ヴェルヌが1870年に発表した『海底二万里』は七つの海を高速で縦横に航行し、深海に自在に潜行する潜水艦「ノーチラス号」の物語であるが「すばらしい電気の力は、ノーチラス号に動力と熱と光を与え」るのである。動力としてはじめて原子力が利用されることになった1954年の合衆国最初の原子力潜水艦の名称「ノーチラス」は、もちろんこれに由来する。(P72)

ノーチラス号! この本は興奮して読んだ覚えがある。このプラモデルもつくったような気がするぞ。


でもヴェルヌが「動く人工島」という20世紀を舞台にした近未来小説を書いていたことは知らなかった。そしてこの小説こそ、近代科学技術には「人間に許された限界」があることを初めて文学的に指摘した作品だったらしい。

しかしこのヴェルヌの物語が特筆されるべきは、多くの人たちが「科学と技術を通じて、自然が用意したものよりもっとすばらしい人工世界を無際限に作り出せるだろう」という「粗大な妄想」にとらわれていた19世紀にあって科学技術が自然を越えられないばかりか、社会を破局に導く可能性のあることを、そしてそれが昔から変わらぬ人間社会の愚かしさによってもたらされることを、はじめて予言したことにある。(P74)

フミメイ卒原発理論武装その2

原発は科学技術が万能であると信じられ、工業を中心にした右肩上がりの経済成長が永遠に続く仮定のもとに構築されてきた。しかし、どんなに科学が進歩しても人間は放射性物質を完全にコントロールすることはできない。

僕は山本義隆のアジ演説は聞いたことがない。僕が東京に行ったとき彼はすでに逮捕されていたから。だが、以下の文章を読むと彼がいかに魅力的なアジテーターだったかがよく分かる。

3月11日の東日本大震災と東北地方の大津波、福島原発の大事故は、自然にたいして人間が上位に立ったというガリレオやベーコンやデカルトの増長、そして科学技術は万能という19世紀の幻想を打ち砕いた。今回東北地方を襲った大津波にたいしてもっとも有効な対抗手段が、ともかく高所に逃げろという先人の教えであったことは教訓的である。私たちは古来、人類が有していた自然にたいする畏れの感覚をもう一度とりもどすべきであろう。自然にはまず起こることのない核分裂の連鎖反応を人為的に出現させ、自然界にはほとんど存在しなかったプルトニウムのような猛毒物質を人間の手でつくりだすようなことは、本来、人間のキャパシティを越えることであり許されるべきではないことを、思い知るべきであろう。(P91)

ここまで物理系の科学者によって理論武装をしてみた。さらに科学者の意見を聞いてみよう。

生命科学者、柳澤桂子「いのちと放射能」(初版は1988年)

原子力問題でいちばんの悪者はいったい誰なのでしょう。原子力を発見した科学者でしょうか。原子力発電を考案した人でしょうか。それを使おうとした電力会社でしょうか。それを許可した国でしょうか。そのおそろしさに気づかなかった国民でしょうか。そのように考えてきて、私はふと、私がいちばん悪かったのではないかと気がつき、りつ然としました。私は放射線が人体にどのように影響をおよぼすかをよく知っていました。放射能廃棄物の捨て場が問題になっていることも知っていました。(P12)

このように語り始める生命科学者はこう結論づける。

生物に対する微量の放射線の作用をまとめてみましょう。放射線はDNAに傷をつけたり、切断したりして、突然変異を引き起こします。その結果、細胞がガン化したり、奇形児が生まれます。また、表面にあらわれないDNAの傷が子孫に伝えられますので、長い間に、生物の中にDNAの損傷が蓄積していく可能性があります。(P70)

この本の解説では以下の事実も報告されている。
2005年6月に米国科学アカデミーは「被ばくには、これ以下なら安全と言える量はない」ことを、大規模疫学調査に基づき公表しました。

この事実はつい最近、拝聴した小出裕章先生の講演でも報告をされていた。


利用できる生物学的、生物物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した。被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない。

ちなみにここで言及されている利用できる生物学的データとはヒロシマの被爆者をアメリカが長年調査(治療ではなく)し続けた結果らしい。

フミメイ卒原発理論その3

どんなに微量でも、いのちと放射能は相容れない。DNAすなわち遺伝子を傷つけることは人類ひとりひとりに対する犯罪だ。使用済み核燃料すなわち何万年も毒性を失わない高レベル放射性廃棄物を子孫に押し付けることは人類全体に対する犯罪だ。

まいどおなじみ、長いエントリーになってすみません。
でも、今月書いておかないと、僕自身が前に進めない気がするのでもう少しお付き合いください。

科学者たちの意見を聞いて「卒原発」へ頭が整理できたところで、そろそろなぜ「半農」なのか、というロジックを組み立てるべきだろう。

「卒原発」への具体的なプロセスは「半農半X」という生き方をベースにするしかない。
どう考えてもこれしかない、というのが現時点での僕の結論です。

何度も半農半X研究所、塩見直紀さんの言葉は引用させていただいた。でもまだ引用したい。

天の意に沿って小さく暮らし、天与の才を世に活かす生き方、暮らし方を1995年ころから私は「半農半X」と呼ぶようになりました。これは、小さな農業で食べる分だけの食を得て、ほんとうに必要なものだけを満たす小さな暮らしをし、好きなこと、やりたいことをして積極的に社会にかかわっていくことを意味します。天の意に沿う暮らしとは大量生産・輸送・消費・廃棄に訣別する循環型社会を意識するものです。天与の才とは人それぞれが持っている個性、長所、特技を指します。(「半農半Xという生き方」P1より)

「半農」というベースがあれば、教条的な「反原発」になることも代替案のない「脱原発」になることもないだろう。

科学者である小出裕章さんは、これからの自分のミッションは二つあると言う。
ひとつは子供たちを被ばくから守ること、ふたつめは一次産業を守ること。

そして僕が聞いたときもそうだったが、講演での話は子供のことに集中していく。
「一次産業を守ること」については話が短くなりがちだ。

そこで山口県での講演映像からも文字起こしをしつつ、一次産業への小出先生の想いをサマリーしてみよう。
人間は愚かにもエネルギーさえあれば豊かになると錯覚して、どんどんエネルギーを使うようになって、他の生き物たちを殺す、絶滅するという道を歩んできた。その過程の中で一次産業を次々に崩壊させてきた。その象徴が原子力だと私は思っているわけですが、その原子力が不始末をしでかしたら、ますます一次産業を崩壊させるということをしたら、もう私たちの未来はありません。やはり一次産業を守って自然に寄り添うようなカタチでどうやって生き延びていくか、ということを探す以外にないと思う。僕は豊かな自然に恵まれている日本の稲作文化が大好きです。ところがある時から、とにかく工業化だということになって限界集落を生んでしまった。そこに一役買ったのが原子力だった。右肩上がりの経済成長はいつまでも続かない。原発事故に加えてさらにこれ以上、一次産業をつぶすと日本は壊れる。

信念の科学者、小出先生が農的生活への強い思いを持たれているとは知らなかった。

最近お会いしたもう一人の論客は田中優さんだ。
優さんは科学者ではなく、義理と人情の「活動家」である。

「地宝論~地球を救う地域の知恵」という本のタイトルにも表されているように元々、農林水産業に問題解決の糸口を見つけようとする人だった。
彼も小出先生と同じように、原発と電力問題に関して直接的に既得権益に対抗するロジックを提供することに今の状況では集中されている。データ分析の鬼として。

でも、講演の中では農に関する指摘も多い。
フクシマの放射能放出のために、ガンのリスクが高まっているのは残念ながら否定できない。そのリスクを少しでも減らすために免疫力を高める努力をしたい。そのためには抗酸化物質を多く食べればいい。抗酸化物質が多いのは緑黄色野菜。毎日、紫外線にあたっているので必然的に抗酸化物質が多く含まれている。また、野菜がかつて農薬を使っていない時代の栄養価に戻ればより効果的だ。そういう意味でも有機農法の野菜が増えてほしい。

このあたりは自産自消を目指すマイファーマーが喝采を送りそうなところだ。

その優さんが応援していた山口県知事候補の飯田哲也さんは残念ながら落選してしまった。

だが卒原発にむけたエネルギーシフトの動きは止まりようがない。
そのベクトルは「半農」もしくは「地に足をつけた自己主導型」であるべきだ、と僕は信じている。
そのことは僕と繋がっている上山集楽や村楽LLP、さらには協創LLPの動きを見ていると肌感として分かる。

フミメイ卒原発理論武装その4

文学的に考えても科学的に考えても原発はいらない。大規模集中型の街頭的発想には限界が来ている。地に足をつけて小規模分散型ネットワークを繋いでいくことがエネルギーシフトへの近道だ。無邪気な明るさは失わずに無知な無邪気さからは卒業して。

原発と真正面から向き合うというのは、本当に悩ましい。
文脈家としての未熟さを実感しつつも、とりあえず、自分に課した月末の締め切りは守ることにしよう。

悩ましさを次のエネルギーにしていくしかないな。

なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ
(宮澤賢治 農民芸術概論)

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