最近、フミメイと呼ばれることが多くなってきた。
fumimayというのはTwitterのアカウントネームだ。
2009年の8月21日にツイッターを始めるときふと頭に浮かんできた。
文夫と文明(ぶんめい)の組み合わせですわ、というと大きなネーミングのように聞こえる。
が、実はそれは後付けの話です。
メイというのはうちの犬の名前だ。
1996年6月10日生まれの14歳。おばあちゃんになっちまったパピヨンであります。
Mayは5月。6月生まれなのにメイとはこれいかに。
この話のわけは個人情報に関わるのでこれ以上は書かない(笑)・・・
ただ「となりのトトロ」へのオマージュでもあるとだけ言っておこう。
映画「インディ・ジョーンズ」のインディも実は犬の名前だったというエピソードもありましたね。
発音しにくいフミメイという名前で呼んでいただいている皆さん、すみません、こんな由来だったのです。
D社にいた頃は文夫さんと呼ばれることが多かった。
脱藩するときにさとなおが実名でメッセージをくれたときは少し恥ずかしかったが。
今、フミメイと呼ばれているのは協創LLP関係者からだ。
この組織はオープンでフラットであり、年の差は関係なく呼びすてが原則だ。
僕の先達、原田基風(ボブ)の後を追っていくうちにフミメイと呼ばれるようになってきた。
フミメイは先日、岡山県美作市上山に行ってきた。協創LLPのプロジェクトである上山棚田団と美作市地域おこし協力隊への表敬訪問だった。長男といっしょに非力ながらほんの少し草刈り協力をしてきた。
彼らの活動に関しての詳細は近々、紙の書籍が出版されるらしいのでそちらを参考にしてほしい。
上山棚田団のベースはさいぼう庵という。裁縫が得意だったおばあさんの古民家を借り受けて再生したそうだ。
さいぼう庵の前では2匹の犬が歓迎してくれる。そして玄関口にはたくさんの長靴が並んでいる。仲間たちが楽しそうに話し合っている。
この雰囲気はどこかで経験した覚えがある。コンテキスターの中で文脈が繋がった。
今世紀の初め、僕は中標津にいた。北海道の東にある小さな町だ。
そこにはムツゴロウ動物王国があった。畑正憲さんと愉快な仲間たちがいた。
純真な目をした犬たちと馬たちがいて、ムツ母屋の玄関には無数の長靴があった。
2001年、インターネット博覧会(インパク)内コンテンツとして僕はある通信会社のWEBサイト制作を企画した。そのサイトはムツさんの動物王国と1年間、生活をともにするコンテンツだった。
まだISDNの時代に、動物王国から24時間365日、ライブストリーミングをやりたいと提案したD社にクライアントは応えてくれた。
中標津の原野にまず電信柱を立てて、ISDNの専用回線を通してくれた。
ムツ牧場の母屋と浜中の王国に設置された定点カメラはいきいきと彼らの生活を映しだした。
犬や馬の出産、動物と人間の子供たちの成長と道北の空気感が映像として世界中に流れていた。ISDNの狭い帯域の中をドキュメンタリームービーがけなげに通過していく。
多少、コマ落ちしたその映像群は時を超えて生き残ってはいない。そのとき、その瞬間が切り取られた映像を記憶している人も限られているだろう。僕の中では永遠に生き続けているが。
このサイトには動物王国日記というコンテンツもあった。
まだブログという言葉が影も形もなかった時代にCMSを使って仲間たちが膨大な日記を書いてくれた。
実は、このサイトの跡地はまだネットの中に残っているのです。
ご興味のある方はアーカイブを見てください。ぼろぼろになったコンテンツですが雰囲気は分かります。こちらは古民家再生とはいかないが。
古民家を再生したさいぼう庵の犬と長靴が想起した思い出に浸っているばかりでは文脈が前に進まない。
かつての動物王国と同じようなすてきな仲間たちが今、棚田団に集結しようとしている。
棚田団と美作市地域おこし協力隊の縁脈力は絶大だ。
そして彼らは身体を張っている。
草なんか食べてしまったらええねん、と山羊を飼い、草なんか焼いてしまったらええねん、と野焼きを敢行した彼らの行動力は本当にすごい。
2001年に中標津に足繁く通ったように、これからの僕は上山に通うような予感がする。
ただし、違いはある。
動物王国とのつきあいはD社のクリエーティブディレクターとしてだった。
棚田団とのつきあいは脱藩者としてである。駆け出しコンテキスターとしてである。
D社時代との違いは大きい。僕も身体を張らないと、とは思うものの体力は衰えていく一方だ。
衰えたきた体力は知恵で補うしかない。プロジェクトを進めるための経験値は積んできている。
知恵と知恵の物々交換をさせてもらって棚田団とのコンテキストを繋いでいければ、と思いつつ職能訓練は少しずつ進んでいる。
上山神社から見下ろす棚田は物理的空間として無限の可能性を秘めているようだ。
すり鉢状の景観はコンサートに向いているとボブも言っている。
そして、この上山棚田が小豆島の棚田に繋がる可能性もあるだろう。
棚田に溶け込んだアートが上山でも展開できれば素敵だ。すでに上山棚田団の皆さんはここを視察している。
さらには長男と行ったネパール、ポカラ郊外の棚田とも繋がれば最高だ。
D社時代によく言っていた言葉がある。
「アイデアは世界同時多発だ。今、この瞬間にも世界中で誰かが同じことを考えている」
これは厳しい競合にさらされていた広告業界で一秒でも早くアイデアを実現したものが勝ちだという競争原理の言葉だった。
同じ言葉は縁脈者の世界でも通用する。
ただし広告業界とは意味がまったく違う協創原理の言葉になる。
アイデアは世界同時多発だ。今、この瞬間にも善いことを考えている誰かがいるはずだ。
世界が手を繋げば善循環が高速回転していくだろう。
追伸:Facebookアカウント設定しました。
プロフィール画像はムツゴロウさんが僕の56歳の誕生日に描いてくれたものです。
ムツさん、ありがとうございました。
fumimayというのはTwitterのアカウントネームだ。
2009年の8月21日にツイッターを始めるときふと頭に浮かんできた。
文夫と文明(ぶんめい)の組み合わせですわ、というと大きなネーミングのように聞こえる。
が、実はそれは後付けの話です。
メイというのはうちの犬の名前だ。
1996年6月10日生まれの14歳。おばあちゃんになっちまったパピヨンであります。
Mayは5月。6月生まれなのにメイとはこれいかに。
この話のわけは個人情報に関わるのでこれ以上は書かない(笑)・・・
ただ「となりのトトロ」へのオマージュでもあるとだけ言っておこう。
映画「インディ・ジョーンズ」のインディも実は犬の名前だったというエピソードもありましたね。
発音しにくいフミメイという名前で呼んでいただいている皆さん、すみません、こんな由来だったのです。
D社にいた頃は文夫さんと呼ばれることが多かった。
脱藩するときにさとなおが実名でメッセージをくれたときは少し恥ずかしかったが。
今、フミメイと呼ばれているのは協創LLP関係者からだ。
この組織はオープンでフラットであり、年の差は関係なく呼びすてが原則だ。
僕の先達、原田基風(ボブ)の後を追っていくうちにフミメイと呼ばれるようになってきた。
フミメイは先日、岡山県美作市上山に行ってきた。協創LLPのプロジェクトである上山棚田団と美作市地域おこし協力隊への表敬訪問だった。長男といっしょに非力ながらほんの少し草刈り協力をしてきた。
彼らの活動に関しての詳細は近々、紙の書籍が出版されるらしいのでそちらを参考にしてほしい。
上山棚田団のベースはさいぼう庵という。裁縫が得意だったおばあさんの古民家を借り受けて再生したそうだ。
さいぼう庵の前では2匹の犬が歓迎してくれる。そして玄関口にはたくさんの長靴が並んでいる。仲間たちが楽しそうに話し合っている。
この雰囲気はどこかで経験した覚えがある。コンテキスターの中で文脈が繋がった。
今世紀の初め、僕は中標津にいた。北海道の東にある小さな町だ。
そこにはムツゴロウ動物王国があった。畑正憲さんと愉快な仲間たちがいた。
純真な目をした犬たちと馬たちがいて、ムツ母屋の玄関には無数の長靴があった。
2001年、インターネット博覧会(インパク)内コンテンツとして僕はある通信会社のWEBサイト制作を企画した。そのサイトはムツさんの動物王国と1年間、生活をともにするコンテンツだった。
まだISDNの時代に、動物王国から24時間365日、ライブストリーミングをやりたいと提案したD社にクライアントは応えてくれた。
中標津の原野にまず電信柱を立てて、ISDNの専用回線を通してくれた。
ムツ牧場の母屋と浜中の王国に設置された定点カメラはいきいきと彼らの生活を映しだした。
犬や馬の出産、動物と人間の子供たちの成長と道北の空気感が映像として世界中に流れていた。ISDNの狭い帯域の中をドキュメンタリームービーがけなげに通過していく。
多少、コマ落ちしたその映像群は時を超えて生き残ってはいない。そのとき、その瞬間が切り取られた映像を記憶している人も限られているだろう。僕の中では永遠に生き続けているが。
このサイトには動物王国日記というコンテンツもあった。
まだブログという言葉が影も形もなかった時代にCMSを使って仲間たちが膨大な日記を書いてくれた。
実は、このサイトの跡地はまだネットの中に残っているのです。
ご興味のある方はアーカイブを見てください。ぼろぼろになったコンテンツですが雰囲気は分かります。こちらは古民家再生とはいかないが。
古民家を再生したさいぼう庵の犬と長靴が想起した思い出に浸っているばかりでは文脈が前に進まない。
かつての動物王国と同じようなすてきな仲間たちが今、棚田団に集結しようとしている。
棚田団と美作市地域おこし協力隊の縁脈力は絶大だ。
そして彼らは身体を張っている。
草なんか食べてしまったらええねん、と山羊を飼い、草なんか焼いてしまったらええねん、と野焼きを敢行した彼らの行動力は本当にすごい。
2001年に中標津に足繁く通ったように、これからの僕は上山に通うような予感がする。
ただし、違いはある。
動物王国とのつきあいはD社のクリエーティブディレクターとしてだった。
棚田団とのつきあいは脱藩者としてである。駆け出しコンテキスターとしてである。
D社時代との違いは大きい。僕も身体を張らないと、とは思うものの体力は衰えていく一方だ。
衰えたきた体力は知恵で補うしかない。プロジェクトを進めるための経験値は積んできている。
知恵と知恵の物々交換をさせてもらって棚田団とのコンテキストを繋いでいければ、と思いつつ職能訓練は少しずつ進んでいる。
上山神社から見下ろす棚田は物理的空間として無限の可能性を秘めているようだ。
すり鉢状の景観はコンサートに向いているとボブも言っている。
上山棚田 |
そして、この上山棚田が小豆島の棚田に繋がる可能性もあるだろう。
棚田に溶け込んだアートが上山でも展開できれば素敵だ。すでに上山棚田団の皆さんはここを視察している。
小豆島棚田とアート |
さらには長男と行ったネパール、ポカラ郊外の棚田とも繋がれば最高だ。
ネパール棚田 |
ネパール棚田 |
ネパール棚田 |
D社時代によく言っていた言葉がある。
「アイデアは世界同時多発だ。今、この瞬間にも世界中で誰かが同じことを考えている」
これは厳しい競合にさらされていた広告業界で一秒でも早くアイデアを実現したものが勝ちだという競争原理の言葉だった。
同じ言葉は縁脈者の世界でも通用する。
ただし広告業界とは意味がまったく違う協創原理の言葉になる。
アイデアは世界同時多発だ。今、この瞬間にも善いことを考えている誰かがいるはずだ。
世界が手を繋げば善循環が高速回転していくだろう。
追伸:Facebookアカウント設定しました。
プロフィール画像はムツゴロウさんが僕の56歳の誕生日に描いてくれたものです。
ムツさん、ありがとうございました。
フミメイ~素敵な記事でした♪
返信削除足しげく通ってください。てか住んでもいいよ(笑)
小豆島Projectもすすめんとね!
ネパール棚田すごいですね!今年いってみます!!
ということでMerryProjectプレスリリース最終版が届きましたああああああああああ世界中が繋がるでええええええ
かっち!あたたかいコメントありがとうございます。ネパールも子供たちの笑顔がすてきでMerryな国です。よろしければ、このブログの2010年9月15日のエントリー文脈日記「微笑みのネパール」も読んでみてください。
返信削除