2015年7月1日水曜日

『国つ神と半農半X・五月後篇』

その人は「いのちの道をたんたんと」歩んできたように見えた。
周藤久美枝(すどうくみえ)さん、73歳。「大庭(おおば)自然農園」を30年以上前に開いた人である。


一町歩と五反、4500坪という広大な面積が想像できるだろうか。田畑の面積感覚の単位はいろいろある。僕の場合は、町歩と反が感覚的になじむようになってきた。
ニワカ百姓を5年間続けてきた成果だ。
では百姓哲学と技術はどうか?と問われたら、それはまた別の話、と逃げておこう。

自分のことは棚に上げて、周藤さんの農園の話だった。広い農園というと町から遠く離れた村にある、というイメージかもしれない。だが、「大庭自然農園」は松江の市街からすぐそばにある。松江駅のそばにある僕のベース基地、野津旅館からは4キロほどの距離だ。


これほど近いところに自然農を学べる場所がある、ということも国つ神の思し召しかもしれない。

日本エコビレッジ研究会の野津健司さんは教師を退職して農の道を歩むと決めたとき、自然栽培、自然農の先達を全国に探し求めたという。
そして松江市内にある「大庭自然農園」にたどり着いたそうだ。

周藤さんに弟子入りするために、野津さんが初めて「大庭自然農園」を訪れたとき、彼はにこにこ笑っていたという。それはそうだろう。「灯台もと暗し」そのものだ。交通費も宿泊費も使わずに、毎日、自宅から通える場所に自然農の現場があったのだから。


僕はここに来たのは二度目だった。2014年4月27日、野津さんが主催した「西村和雄先生による有機農業講習会」と今回、2015年5月20日。

西村和雄さんは僕が箕面で借りている15平米の畑を提供してくれている(株)マイファームのアドバイサーをしていたこともあった。
その西村先生が、周藤さんの農園を見学したとき、「いい感じで草が生えとるな、気持ちええなあ」と感心していたのが印象に残っている。
周藤さんは西村先生に「そんなら、松江に移住してきたらどうですか?」と笑いながら言った。


僕は周藤さんに言う。「まだ生のアスパラを食ったことがないのです」と。
「はいどうぞ」と周藤母さんは、畑のアスパラをぽきっと折る。僕はそれを食べる。
甘い。美味い。ニワカ百姓の僕はこの頃から畑の野菜をそのまま口に入れる習慣がついたようだ。


アスパラの味が忘れられないのと同じように、周藤さんに関しては忘れられない話があった。

周藤さんは38歳のときに子宮ガンを患った。余命二か月と宣言されて、彼女はあらゆる治療法を試みたそうだ。そして自分の畑に半身を埋める荒療治までしてガンを克服した。余命二ヶ月からの壮絶な生還を、僕は農園見学のあとの交流会で聞いていた。

アスパラの味とガンの克服体験談。この二つの記憶を持って、僕は「大庭自然農園」を再訪したのだ。


翌日に田植えを控えた農園の事務所で僕は話を聞き始める。
例によって、「島根って半農半Xの先進県なんですよ」という話から。
すぐに答えが返ってくる。
「半農半Xは普通ですよ。私の母なんかもそれで食べてましたからね。それが普通。なかなか農業だけでは食べられないから……ダンナさんが稼ぎに出ないと」

半農半XのXは兼業農家の農業以外の稼ぎ方のことだけではないんですけど……。
半農半X研究所主任研究員は、なんとか塩見直紀さんのXにこめた思いを伝えようとしながら話を繋ぐ。

子宮ガンがどうして治ったのか、自分では分からないと周藤さんは言う。
「こうして農園を続けているのも病気したから。自分が死ぬのはもう怖くないですけど、やっぱり子供や孫たちには元気でやってほしい。誰でも親になってみると、そうでしょう。自分のことよりも周りを大事にしたい」
無我夢中で病気を治してから、勉強を始めたという。肥料と農薬をつかわない農業のこと、素材を活かす料理法、心と体の健康法など、周藤さんはあちこちに出歩いて勉強をしたそうだ。

そこで出会ったのが、一番尊敬している師、川口由一さんである。
川口さんは奈良県桜井市で自然農を実践し、その本質を伝えている。そして、生命の健全な姿を説き続ける。

体内にガンウィルスを招いたのは私です。私の体内がガンウィルスの発生するに適した状態になったからです。私の体内に問題があるのです。 
『妙なる畑に立ちて』(川口由一/野草社)P61
たぶん、周藤さんはガンに対する川口さんの考え方にも共感したのだろう。
周藤さんの場合は、ガンを克服したというよりも折り合いをつけた、あるいは自分の生命体を本来の姿に戻したというのが正しい言い方なのかもしれない。


周藤さんには4人の娘さんがいて、つい最近17人目の孫が生まれたそうだ。
まさに「おおまま」である。大庭は「おおば」と読む。周藤さんの名刺には「大庭自然農園」は「おおままのさと」と記されている。

「おおままって何ですか?」と質問したら、「孫が私のことをそう呼ぶんですよ」と笑う。なるほど。たんたんとしゃべっているようだが、貫禄を感じる。
「おおまま」は身体が動く限り、大庭の畑に立ち続けることだろう。17人の孫の総大将として。

周藤さんは、森繁久弥のテレビドラマ『七人の孫』のファンだったのかもしれない。「十七人の孫」というとき、自分の人生に対する誇りのようなものを感じた。

『七人の孫』といっても、まったく分からない人の方が多いだろう。
参考までに、主題歌「人生賛歌」(作詞:森繁久弥)の一節を。
どこかで愛する 人もありゃ
どこかで別れる 人もある
この空の下 この雲のかげ
いろんな人が 生きている~♪
そんな周藤おおままにも別れがあった。大工だったご主人を5年前にガンで失ったのだ。
自身の経験から様々な知見を持っていたのに「だめなものはだめだった。口惜しくてたまらなかった」。

『国つ神と半農半X』シリーズ取材では、ご夫婦の機微に触れることも多い。周藤さんは言う。
「あまり農業はしてなかったけど、主人は主人で自由にしてきた。北海道から沖縄まで歩いていた。長く生きりゃいいものじゃないと言ってましたからね。ははははは」
笑いながらも口惜しそうだった。

『自然農に生きる人たち』(新井由己/自然食通信社)より
周藤さんの話を聞いていると、孫とご主人と同じくらい、川口由一さんの名前が出てくる。農の師、生き方の師として本当に尊敬されていることが伝わってくる。

「川口先生はすごいと思う。真っ正直で。でも4年間、先生のもとに通ったけれど、あまり具体的に教えてもらったことは少ない。自分で考えなさい、土はそれぞれの土地によって違うから、というのが川口先生の教えでしたね。その土地にいていっしょに働かない限り、そこでの農法は分からない。聞く方が間違っているとおっしゃっていました」

僕は川口由一さんに会ったことはない。ただ、ニワカ百姓としてあちこちに顔を出して人の話を聞いているうちに、そのお名前はよく聞くことになる。また訊ねた先の書棚で川口さんの本を見つけることもある。

『川口由一の自然農というしあわせwith辻信一』より

自然農の師は、その著作『妙なる畑に立ちて』(野草社)で、こう述べている。
大切なことが一つあります。僕の言葉に決して執(とら)われてはいけません。僕の示す数字に執われてはいけません。言葉通り、数字通りに行ってはいけません。言葉、数字の奥にある理に心を向けられて、その理を悟り識ってゆかれて下さい。僕とあなたの違いがあります。同じ一つの生命ですが、個々の違いがあります。僕とあなたの住んでいる場所が異なります。気候風土が異なります。同時に作物の個々の性の相違があります。百人百様、百人百態、また一人百様、一人百態となるのが真の姿であり、本来のあり方です。固定したもの、決まったものはなにもないのです。天然自然の理を悟ること、自らの内に宿し蔵している神ながらの智力能力を、僕の言葉や数字からの働きかけによって目覚めさせてやることが大切です。僕が発します言葉の生命、言霊が、皆様の内にある霊と共鳴して、目覚めてゆかれることが大切です。(P37)
周藤さんは、川口先生の法則を守る。消毒しない。肥料はやらない。草や虫を敵としない。耕さない。
「田畑の流れを順繰りに考えていけば、できます。やっとできたところです」

やっとですか?! ニワカ百姓でもある文脈家は驚く。30年の時の流れに沿って「亡骸(なきがら)の層」を見つめてきた農園主の営為を思う。
「亡骸の層」とは自然農のキーワードである。土はそこに積み重なった動植物のいのちの巡りによって育まれていく……。
自然農は自然の営みといのちある作物に「沿っていく、応じていく、従っていく、そして任せる」そのことによって、自然の恵みを十分にいただき、いただき続けることができる、そうしたできる限り自然に沿った栽培のあり方です。 
『自然農という生き方』(川口由一+辻信一/大月書店)P51

松江の「大庭自然農園」は、写真集『自然農に生きる人たち』(新井由己/自然食通信社)でも紹介されている。
国つ神エリアの自然農学習グループとして、周藤さんが野津健司さんたちを川口先生のところに連れていったときのこと。
「あなたの連れてくる人はみんな変わっていますね」と先生は言われたそうだ。
そのことに関して質問してみると、周藤さんはすぐに答えてくれた。
「どこでもそう言われます。有名です。だって私が変わっているから。先生にはよく島根の風は変だと言われていました」

おや、ここでも「変人へそ曲がり文脈」を掘り当てた。僕は『上山集楽物語』を書いている頃から、ずっと「変人へそ曲がり取材」を続けているような気がする。
そのわけは僕もまた、まごうかたなき変人にしてへそ曲がりであるから。

「人間はいろんな人がいないと、この地球はもちませんからね。私はそう思っています。普通の会社員には会社員の生き方があるし、変わっている人にはその人の生き方がある」
と周藤さんは続ける。
これって、半農半X研究所的に言うなら「使命多様性」ですよね、塩見直紀さん。
川口由一風に言うと「百人百様にして一人百様」ということになりそうだ。



「何を遺すかと言われたら、私は自然を遺したいですね。それ以外ないと思います。何もないです」と周藤さん。
僕は「周藤さんの究極のXは何ですか?」とお約束の質問をしてみる。
「私には農しかないので、ただ健康に元気で畑で死ねたらいいな……」


島根の半農半Xについて取材を重ねていると、違和感を感じることもある。

「半農半X」とは兼業農家のことですね、農業だけでは食べていけないので、他で稼ぐ方法を探すのがXでしょ、という理解をされている方に出会うときだ。
もちろん、生業(なりわい)が重要なのは言うまでもない。半農半XのXが兼業農家の稼ぎ方であっても、塩見直紀さんは問題にしないだろう。

ただし、Xが稼ぎのことだけはない例だってたくさんある。
たとえ専業農家であったとしても、自らの農的営みで世の中に何かを働きかけようという志、すなわちXを持っていれば半農半Xなのだ、と僕は思っている。

Xとは天から与えられたミッション、天職のことである。Xにより稼ぐかどうかは本質ではない。
塩見さんから聞いている例では「半農半祈り」というのがある。綾部で小さな畑を耕しているおばあさんの言葉だ。
私は普段、家族のために午前中は小さな畑仕事をしています。本(『半農半Xという生き方』:引用者註)を読んだ後、私のエックスは何だろうと考えました。齢を重ね、身体も昔のようには動きません。あえていうなら、家族の健康やこの世の平安を祈ることでしょうか。 
『半農半Xな人生の歩き方88』P147
そういう意味でいえば、周藤久美枝さんは「半農半自然療法家」なのかもしれない。
本人は「農しかない」と謙遜されているが、農を抱きしめながら、マクロビオティックを研究し、ビワ灸にも造詣が深いという。さらには「二人ヨーガ・楽健法」の師範でもある。

この場合の「自然療法」とは、二つの面を持っている。
そもそも自然農というのは、米や野菜に育ってもらうことにより、自然そのものを癒やし、その本来のあり方に戻す農法なのかもしれない、つまり「自然を癒やす療法家」。
そして、もちろん余命二ヶ月から生還した人間として、「自然に寄り沿って人を癒やす療法家」としての側面もある。


周藤さんと話しながら、窓から外を見ると黙々と働いている女性が見える。
大谷怜美(おおたにさとみ)さん。若き「半農半自然療法家」である。

化学物質過敏症の彼女は、松江の建築会社を退職して大庭自然農園の研修生になった。そして朝から晩まで畑で働くことにより、大庭の自然に心身を治癒されてきた。あるいは大庭の自然を持続させるための役割を担ってきた、とも言えるだろう。

一年間の自然農研修での変化をおおちゃんはこう語っている。
一年を振り返ってみると、体力的にも精神的にも鍛えられたな~としみじみ思います。
体温が1℃上がり、体重は7キロ落ち、若干ほくろが増えましたが、健康そのもので、こういう暮らしが体をつくるんだなと実感しています。
畑では、一年前と同じ作物をつくっていても、新しい気づきがあります。それに見たことない虫や動物に会うと嬉しくて、日々学びが多く、毎日が勉強です。
僕は周藤さんのおすすめにしたがって、おおちゃんを手伝うことにした。
ジャガイモ畑の草をいい加減の長さに切って、畑に敷き詰めると同時に株元に土寄せをしていく作業だ。マイ鎌は持っていなかったので、周藤さんのを借りる。

畑でデイトをしながら、おおちゃんと話す。手と口を同時に動かすと話は弾んでいく。


おおちゃんのXも聞いてみる。「今は楽健法!」と断言した。

周藤さんの後を追って、おおちゃん自身も奈良の東光寺に通い楽健法の習得をしている。

「楽健法」は奈良県桜井市の東光寺の山内宥厳和尚が伝えている「二人ヨーガ」である。この文脈も深いものがありそうだ。
以下、山内さんの「楽健法経」テキストより引用させていただく。

「ヨーガは自力自助の手段にして、いまだ発心せざる衆生には病患を癒やすには、はなはだ遠き手段なり」
「楽健法は、二人ヨーガ楽健法と呼称しているように、他力によるヨーガです」
「他人をして、楽にすることで、自分も楽になるという、布施の行の不思議を体験できることでしょう」

このあたりは、同じ桜井市に居住する川口由一さんの「自他の別なき一体」という自然哲学にも通じるところがあるのだろう。

おおちゃんは松江出身だ。
大庭自然農園の研修生を卒業したあとも松江をベースにして「ななむすび~出逢い気づき動き出す~」という場つくりユニットで活動を続けていきたいそうである。
アメリカ大陸の先住民イロコイ族が提唱した七世代後の未来を考える生き方に沿って。

この「七世代後」というのは半農半Xのキーワードでもある。


さて、大庭自然農園と国つ神である。

周藤さん自身と大庭自然農園に参集する人の話を聞いていると、やっぱり「縁(えにし)の力」を感じる。
「この農園のそばには国つ神系の神社がたくさんありますよね。そのことと縁の力についてどう思われますか?」と文脈家は周藤さんに問いかけた。

「神の魂ですね。神魂(かもす)神社の水がここまで来ています。うちの農園の井戸と神魂神社は水脈が同じなのですよ。いろんな人の縁がつながって、ここを掘ったら水が出るよ、と言われて41メーター掘ったら、ほんとに水が出た」


なんと、大庭自然農園は神魂神社と水脈が繋がっていたのだ!
『国つ神と半農半X』取材は本当に文脈が深い。神魂神社は日本最古の大社造りが現存する神社で国宝である。


神魂神社は大庭自然農園の東南東1.6キロの距離にある。
僕は周藤さんに神魂神社を背にして立っていただき写真を撮った。


私達は、人と呼ばれる神であり、私達も神の心から生まれた妙なる人であります。
私達は、人と呼ばれる天然全体であり、天の意志から生まれた妙なる生命であります。 
『妙なる畑に立ちて』(川口由一/野草社)P122
川口由一さんが「神」というとき、それは西欧的一神教の神ではないだろう。
おそらくは「山川草木」すべてに宿る神々。古より日本列島に住み着いていたとされる神々のこと。すなわち、それは国つ神のことではないだろうか?

川口由一さんの哲学が生まれた大和は「天つ神」に近いところにある。だが、大和はまた出雲と国つ神ネットワークでも繋がっているのだ。

川口さんが自然農の田畑を営む奈良県桜井市には三輪山(みわやま)がある。
その大神(おおみわ)神社に祀られている神は大物主神(オオモノヌシノミコト)。大国主命(オオクニヌシノミコト)とともに国造りをした仲である。

国つ神の末裔が半農半Xという生き方をするとき、妙なる世界が現出するのかもしれない……。


また長いレポートになってしまいました。しかも「五月後篇」が七月までずれこんでしまったというありさまです。六月篇の取材はとっくに終わっています。どこかの時点でこのずれを修正したいと切に願いつつ、今年も半分が過ぎたのです。
今回のレポートを書くにあたっては、松江市街地図をよく眺めました。
気になること。
龍のカタチをした島根半島の首根っこにあたるところには島根原発があります。国宝松江城からは8.5キロ、神魂神社からは15キロ。
大谷怜美さんの「ななむすび」では、最近、映画『シェーナウの想い』の上映会を開きました。チェルノブイリ原発事故をきっかけに自然エネルギーの電力会社をつくったドイツの人々の物語です。
さてと、『国つ神と半農半X』の文脈はどこまで繋がっていくのでしょうか?


2015年5月30日土曜日

『国つ神と半農半X・五月前篇』

五月の光はまぶしい。緑と青に惑わされて心は野に放たれる。
イセヒカリの苗はXを抱きしめて、すくすくと育っている。

僕はまた出雲に行った
『国つ神と半農半X』は桜から新緑へと季節を進めていく。季節とともに物語も進行する。
ウグイスからホトトギスへ。双葉から本葉へ。


松江の野津旅館をベースにした取材は農暦で神有月が終わるまで続けるつもりだ。
今年の神有月(島根以外では神無月)末日は新暦の12月10日である。
その頃、天つ神の神田(しんでん)で発見されて国つ神の広野(ひろの)で育てられたイセヒカリは伊勢神宮と出雲大社に奉納されるという。


『国つ神と半農半X』のタイムラインは2011年3月6日から2015年12月10日までとする。
エリア設定も決めた。
東の杭打ちは終わっている。日吉津村(ひえづそん)だ。
ここには半農半知縁家である前田さんがいる。


地縁は知恵の縁も育む。言葉を耕したら「土知」(とち)は豊穣になる。

そんなことを考えながら、僕は米子の「本の学校」にも行った。今井書店グループの永井伸和会長にご挨拶して、原稿の進み具合を報告する。こちらの緑陰の縁も着々と繋がっていく。


西の杭は津和野で打つことにした。7月には清流高津川に鮎竿を持って取材に行く予定を入れている。
日吉津村から津和野まで直線距離で180キロ以上。その間で、どれだけの取材を入れるか。さてはて。


もちろん、半農半X研究所代表の取材も入れなければ。第一回目は5月1日に綾部で無事終了。
塩見直紀さんには原稿の最終段階での再取材を申し入れた。


五月の薫風の中に帰ろう。
5月19日。斐川町環境学習センター、「地球の秘密」も展示されるアース館。
僕は坂本美由紀さんに会いにいく。


取材を申し込んだら、美由紀さんはすぐに言った。
「そんなら、手作りこんにゃく教室やるけん、見にきてください」
「がってんしょうち!」
文脈家はフットワークが軽いのが取り柄だ。だが忘れ物も多い。エプロンを忘れていた。この取材には、長靴とエプロンが必需品なのだ。
野生のこんにゃく芋、あげな不細工なものがこげなうまいものになるなんて。


おっと、こんにゃくを食べてばかりではいけん。坂本美由紀さんの紹介だった。
僕よりはほんの少し若いが、還暦は過ぎたおばちゃんだ。

「自然食コーディネーター」「よろずご縁市主催者」「御幸(みゆき)農園百姓」「出雲イセヒカリ会世話人」……。
これはもう、半農半多彩。僕は美由紀さんのしゃべりと笑顔に圧倒されていく。


お日さまと水と土がつくってくれたものを私たちはいただくだけ。わたしに胡瓜のタネはつくれない。自然の恵みをいただくだけ。肥料も農薬も使わない。自然が育ててくれた。わたしはそこにできたのを取ってくるだけ。
虫は虫の人生をやっている。草は草の人生をやっている。その中で人間だけが自分に都合のいいことを言ってもだめ。
出雲の山の神たちが美由紀ワールドに引き込まれていく。炊き込み寿司はあくまでもうまい。山の神たちが笑顔を決める。


そして、みゆき号は走る。
軽やかにシフトチェンジをするみゆき号に乗りこんだ僕は助手席から取材を始める。


いつもは静かな場所で録音しながら取材するのだが、この人にそんな時間はなさそうだ。

斐伊川の土手のこちらがわ。風が吹き抜ける畑。「出すぎた家庭菜園」とご自身は言っている。


出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれないのだ。
美由紀さんがものごとを進めると、いつのまにかひょいと頭が出てしまい、そのパワーが頼りにされていくようだ。

かくして、美由紀さんがお世話する田んぼは、どんどん増えていく。
「おら、田んぼはあるけど、おら、もう歳なのでできん。田んぼはあるで。あんたがするかね?」村の長老から、そう言われると美由紀さんは「はい」と小さな声で答えて、胸のうちは高速回転を始める。

「水の権利関係はこうなっていて、あそこの法面の草刈りは大変で、畦を叩いて、Iターンしたあの人を連れてきて、ああしてこうして……」


かくいう僕も、はじめて美由紀さんに会ったとき、その間合いのよさにほっとした思い出がある。様々な場所に顔を出して使命多様性な人としゃべるのがコンテキスターのミッションだが、その場で初対面の緊張をふっと抜いてくれる人に出会うと本当に嬉しい。

美由紀さんは、人間関係の間合いを詰める達人のようだ。
2014年2月1日、日本エコビレッジ研究会・野津健司さんのイベントで坂本美由紀さんに出会ったときから、僕はずっと気になっていた。あの元気と笑顔の源泉は何だろう?


みゆき号は走る。山の棚田と畑。イセヒカリ御田植え祭が開催される田んぼ。いずこも肥料・農薬・除草剤は使わない。


「百姓を始めたのは2001年から。肥やしと農薬を買うお金がないので買わなかった」と美由紀さんは笑う。笑いながら言葉も走る。
僕が取材対象に選ぶ人たちには、チェーンスピーカーが多い。話題はつきない。

「半農半Xという言葉は前から知っていた。でも兼業農家という意味と思っていた。農業だけでは食っていかれんし。塩見さんの講演は聞いていない」と言う美由紀さんに、半農半X研究所の主任研究員は懸命に解説を試みる。

「Xは天職です。自分ができることで世の中を変えることです。単なる稼ぎのことではありません。みゆきさんのXは山ほどあるじゃないですか。こんにゃく、田んぼ、畑、お酒……」
「わたしは普通の主婦だけど……」と美由紀さん。ギアはトップに入る。
「まず目の前のことをこなす。それから自分の持っている知識と技能を他人に伝えるだけ」
「うーん、半農半普通の主婦か?!」

僕が思うに、自分で自分を普通、という人が普通であったためしはない。

「わたし、お世話やきなの。今頃は人の世話なんか誰もしない。で、ひとりひとりがわたしはわたしでいい、あなたはあなたでいいの、という言葉がまかりとおっています」

「そうですね。今は関係性が平行線の時代です。半農半XのXは関係性のことでもあります。Xはクロスです。平行線が交わる方法を探すのも半農半Xです」
主任研究員の解説はちょっと小賢しい。

「あなたはあなたのままでいい、をはきちがえた人がいる。言っても言っても分からない人には言いたくなくなる。どうしますか、それ」
「うーん、一般論はないですね」と誤魔化す。


山のコツコツ手作り棚田では、坂本美喜雄さんがトンボで代掻きをしていた。


「男 坂本みきお」は堂々、百姓という肩書きの名刺を持っている。その志は以下である。
藁一本の重さを知り、米粒一つの重さを知る。それは全て大地が育てたものであり、その大地に感謝します。肥料や農薬を使わなくても、毎年、豊かな恵みをいただいている。無力な人間だからこそ、大地に寄り添っていきることが一番。

みゆき号は走り続ける。方向音痴の僕は自分がどこにいるのかは分からないが、何を聞きたいのかは自覚している。

「ねえねえ、みゆきさん、そんなみゆきさんの生き方に影響を与えた人は誰なんですか?」
「わたしは雑食でございまして。いいとこ取り。でも大きく影響をいただいたのは木村秋則さん!」

「ほうほう。僕は一月前に木村さんの畑講習を受けましたよ。その話は、このICレコーダーに入っているし2ショット写真もあります」ちょっと自慢。

「木村さんのプロジェクトXを見たら、涙がぼろぼろ流れてきました。世の中にはすごい人がいるんだ、と思った。それからしばらくして『降りてゆく生き方』という映画と出会いました。河名秀郎さんの『日と水と土』という本を何冊も買って、みんなに配って……。それから、映画の資料に〝この映画は映画館で上映されていません。次はあなたの番です〟というメッセージがあって、あっ、これわたしかいな? 困ったなあ、と思いつつ半年後に奥出雲と木次と松江で上映会をしました」

このあたりが世話焼きおばさんの真骨頂である。
天つ神の上から目線で「女性よ輝きなさい」と通達されなくても、国つ神の領域では自然体で輝いている女性はたくさんいるのだ。

文脈家は自慢するだけだが、普通のおばさんは思ったことをすぐに実行する。パワーが違うのだ。男どもも見習わなくっちゃ。
「あの頃はまだ田んぼをようけやっちょらんかったので忙しくなかったけん」とみゆきさんは笑いとばすが。

松江で『降りてゆく生き方』の上映会と河名秀郎さんの講演会を開催したのは2011年10月29日。311から7カ月後だった。
それまで自分なりにやっていた肥料と農薬を使わない「みゆき農法」に知識と理論がついてきた、という。

「稲が育って、おらが育てた、という人がいますけど、おらは何もしてませんよ。米粒一個、どうやってつくるん? つくってくれたのは大地でしょ、水でしょ、お日様でしょ。そのへんの話は少しだけお節介して話せるようになりました」


みゆき節は続く。
自然栽培、自然農、有機栽培、いろんなやり方があるけど、細かい違いはどうでもいい。
植物は植物の命をまっとうしているのに、あれいけない、これいけないっておかしいでしょ、人間が偉そうに言うな。

僕もそう思う。コンテキスターにはだんだん分かってきた。みゆきパワーの源は土の源からもらった元気である。

「田んぼや畑に行くと元気になります。土にいる微生物は腸の中に入ってくる。すると腸の菌ちゃんも元気になる。食べる物がおいしくなる。快食快眠快便!」

坂本美由紀さんは、畑でレタスを穫る。山でクレソンを摘む。種籾から育てたイセヒカリでお酒をつくる。
突撃インタビューの最終工程は酒で締める。富士酒造にできたての酒を取りに行くのだ。


国つ神は縁の神様である。だから「幸(さきわい)の縁」。
ネーミングは「わたしがつけた!」、ラベルは「わたしがかいた!」とみゆきさん。

日本列島は「言霊の幸ふ国」である。言葉の呪力で幸福がもたらされる「さきわうくに」だ。
その夜、僕は、この美酒の酔力ですっかりいい気持ちになってしまった。


斐伊川を渡る風のように爽やかで、稲佐の浜に沈む夕日のように味わい深い酒。

酔いどれ文脈家は、こんな言葉を思い浮かべた。
あのイセヒカリを50%も削った大吟醸なのだ。
代掻きを終えた坂本美喜雄さんに杯を勧められる。国つ神宅にお邪魔した夜は更けていく。


酔いつぶれる前に、坂本美由紀さんのXについてまとめておこう。

彼女は、「半農半お節介おばさん」なのだ。お世話を超えたお節介。しかも雑色系の。風土に根ざした雑食は強い。
心身の底から出たエネルギーを分ける。余計なエネルギーを使わない暮らしを余計なお世話で伝えていく。

「お節介がしたくなるのは、やっぱり出雲の神様が何かしてるからでしょうかね?」
文脈家がまた余計なことを言ってみる。
答えは返ってきた。

「風土は気質、気でしょ。目に見えないけど、そこに気が漂っているのが風土でしょ。風土をつくり出しているのは、そこに住んでいる人、そこで育っているもの、それぞれ醸し合って風土をつくっています。
出雲の風土でできたものを風土に返す。そうすることで、また繋がりができてくる。出雲の縁は濃いけんね。重くからみあっているの。
出雲は縁の国。あの人とこの人がああなってこうなって、あの人もこの人も知っとるよ……ぜんぶの縁を繋げんと気がすまん。
わたしは、縁が繋がったみんなに幸せになってほしい。だから、さきわいのえにし!」


「縁がからんでくると悪いことはできない。よく見せようと頑張る。見栄を張る。それも大事なこと!」


国つ神の山の神、坂本美由紀さんに僕は頭が上がらなくなってきた。山の神(妻のこと)にひれ伏すのは僕の習い性になっているのだが。

「で、みゆきさんの究極のXは何でしょうか?」
おそるおそる、この取材シリーズで定番にしている質問をしてみる。

究極に近いと思われる山の神はしばらく考える。
長い間。
「ピンピンコロリ!」
えっ!? 半農半ピンピンコロリ!
塩見直紀さん、世の中にはまだまだ様々なXがあふれていますよ。


みゆきさんの究極のXが実現するためには、あと40年は掛かりそうだ。

その間、イセヒカリは40回頭を垂れて、幸(さきわい)の飯のタネになり、幾千本の語り継がれる酒になっていくことだろう。


出雲イセヒカリ会が種籾を渡すのは「真面目にお米をつくる百姓」だけだそうである。
「農薬をまかない人」「化学肥料を使わない人」「牛糞鶏糞といった類の人為的な堆肥をやらない人」。
植えっぱなしの百姓の田んぼって、あまり稲が喜んでいないような気がするんです、とイセヒカリお世話=お節介おばさんは微笑んだ。


翌日の5月20日、僕は松江市内の大庭自然農園を訪ねた。ここにも筋金入りの山の神がいらっしゃった。周藤久美枝さん。
周藤さんにインタビューして、またすごい話を聞いた後、僕は広大な農園の一角でジャガイモの草取りと草敷を手伝う。周藤先生を慕う美少女とともに。

その話は、後編としましょう。そろそろ松江に向かって走り始めないと。
明日、5月31日は、イセヒカリの「御田植え祭」なのであります!

子供たちが田植えをする前に、国引きの神を祀る神社が神事をするから、来てくださいね。
みゆきさんの誘いに乗らないわけにはいかない。

何しろ『国つ神と半農半X』なのだ。神楽と田植え、絵に描いたような話ではないか。

読んでくれてありがとうございました。後編もお楽しみに。