年末にはiPhoneのカレンダーを見直す。一年間、何をやってきたのか。2024年は書いていたような気がする。ぼんやりと言っているが、なにしろ短期記憶の衰えが顕著なわけで。固有名詞忘却シンドロームは着実に進行している。他人の名前が思い出せない。どこで会ったかは未知の人になっている。記憶を補うために写真を撮る。カレンダーに「行きたいな」イベントまで書きこんでいるので、ほんとに行ったのかどうか写真と照合する。iCloudにアップしている一年間を眺めていたら、あっというまに年を越えてしまいそうだ。
パソコンのフォルダーを眺めていたら「執筆開始20240204」というものがある。つまり節分の頃から大晦日まで書きつづけている一年なのだ。もちろん半農半Xの看板は降ろしていないので、野良仕事もしている。野良とロードの合間に書いているからニワカ作家なのだ。
今年は120枚は書いた。今、書いている本が最終的に何枚になるのかは書いて見なければ分からぬ。ちなみに『コンテキスター見聞記~半農半Xから国つ神へ』は脚注を入れて508枚だった。取材から2019年の発行まで5年かかった。あの頃、僕は若かった。
あの頃に比べて世界は退化している。「わしがなんかいうてもなんともなりゃせん」と思ったらおしまいなので、世の中を観察した発言も続けている。できれば「力声」がほしい。
でも、本当は「下り坂をそろそろと下りる」年頃なのである。
2024年5月17日には広島に行った。盟友とともに、半農半X研究所代表の塩見直紀さんと再会するために。旅のコンセプトは「いかにしてリタイヤするか」だったはず。盟友も僕もいつまでもこんな生活を続けられるはずがない。
ところがですね、ハチドリ舎で塩見さんの話を聞いているうちに「空気が入ってくる」のですよ。困ったもんだ。
書こうとしているのは『山の陰の本屋さん』。始まりは1872年(明治5年)。終わりは見えない。現在進行形なので。
『丘の上の本屋さん』という素敵な映画があった。あんなふうな読後感になればいいのだけど、と他人ごとのように言っておこう。
自分ごととして断言できるが、今年はやたらに本を見てきた。
本と本屋と図書館を巡らなければ書けない本を書いているのだから。新刊書店、古書店、図書館、映画館の本屋――本のある場で写真を撮った。2024年を貫いているのは「野良と本」の写真である。読んだ本よりも見た本と積んだ本の方が圧倒的に多いのは情けないけどね。「積読は読了の母であり父である」とフミメイが言った。
僕は本のある空間が好きな筋金入りの活字中毒者だ。以下、今年見た本の群像。
谷町六丁目、隆祥館書店には四國光さんのお薦め本があった。2月10日。
もちろん『戦争詩』も平積みされている。12月3日。
松江の今井書店殿町店は僕も思い入れのある本屋だった。過去形でしか語れないのが哀しい。ぐっとくる展覧会を開いてくれた「どこでもミュージアム」の高嶋敏展さんに感謝しつつコンセプトを引用しておこう。
街の中に本屋があった素敵な時代に感謝をこめて作品展を開催します。「島根には何もない。空気と水と景色は綺麗だけど」この言葉は都会から帰ってきた若者たちに突き刺さります。(中略)そんな島根で本だけは違った。書店の二階の売り場に上がると科学や現代思想の専門書、世界の歴史や神話、外国の写真集、希少なアートの特集雑誌や珍しい詩集も並んでいる。都会の趣味の良い本屋と変わらない。いや、むしろ良い。
鳥取の本屋さんのことも語らずにはいられない。文脈棚の宝島だった定有堂の2階にできた新しい新古書店。ひつじたちがいる「シープシープブックス」。発展途上の本屋さん。
そして、東郷湖のほとり、本の旅人たちがトランジットするところ。「汽水空港」はもはや老舗といってもいいのかも。
うちの孫がお世話になっているのは箕面の「きのしたブックセンター」と滝道の「ひなたブックス」。本屋は歩いていけるところになくっちゃね。
犬は本を読めないらしい。かわいいけどかわいそうに。
「きのしたブックセンター」を救ってくれた今村翔吾さんは神保町にシェア型本屋をつくった。行ったよ。10月28日、衆議院選挙の翌日。
『文にあたる』は本好きにはたまらない本。はい、文夫にあたった本でした。
今年見た最もユニークな唯一無二の本は「木の絵本」。倉吉の建築家、生田昭夫さん作。労作というしかない。7月31日。
倉吉といえば、元倉吉市企画部長の福井千秋さんが遺した書棚。「市民から行政へのオルグ」が読んだ本たちを見上げると背筋が伸びてくる。8月1日に福井貞子さんからうかがったお話はまだ整理ができていません。申し訳ございません。
図書館にもお世話になった。まずは歩いていける箕面市立図書館。
12月14日、第13回箕面・世界子どもの本アカデミー賞授賞式。
今年、何度も行って来年もまた行きそうな境港市。ここは市民図書館というネーミングなのだ。
あの鳥取県立図書館。市町村図書館ネットワークの要。鳥取モデルの本拠地である。地元の書店とともにある。
人生は生きた図書館ともにあるのだ。
環日本海交流室のことはもちろん書く。たぶん。
広島文学資料室。8月15日。国際シンポジウム「原爆文学の今を考える」の前に行った。
今年、いちばん大胆不敵なマネをしたのは広島県立図書館。副館長が見ている前で(許可をもらって)棚を入れ替えてしまった。だって四國五郎関連本の文脈が整っていなかったんだもん。
今年、初めて出会った大事な本の場のこと。奄美大島の楠田書店と鹿児島県立奄美図書館。10月9日から12日の奄美大島の旅は忘れられない。来年書く。「第12回全国まこもサミットin奄美・琉球」の文脈を含めて。いかにもまこもらしいサミットだった。言うたら書くのがニワカ作家のお約束。でも今年は……もうお掃除しないと山の神のご機嫌が悪い。怖い。
鹿児島県書店商業組合理事長、楠田哲久さんが経営してきた楠田書店。
田中一村と出会った。奄美の奇跡を実感した。突然、訪ねていった僕を楠田さんは歓迎してくれた。ありがたい。
鹿児島県立奄美図書館に『新・出雲國まこも風土記~人とまこものケミストリー』を納本できたのが嬉しい。
みんな本屋さんなのだ。本に関わりたい人は。その本は肉体を持つものなのか青空から電子で降りてくるものなのかを問わない。書店も古書店も電子書店も図書館も出版社も取次も著者も、本を偏愛する人はみんな本屋さんなのだ。であるならば、読者ときどきニワカ作家たる僕もやっぱり本屋なのだと気がついた年末なのである。
今年は印刷紙のベッドに横たわったことがある。小泉八雲をオマージュした展覧会で。八雲のことは松江流で「へるん」と呼びたい。へるんさんはアイルランドからアメリカに渡った貧乏青年だった。印刷工場の経営者に拾われて「紙くずのベッド」で作家になる夢を見ていたという。へるんさんもグローバルな本屋さんだったということなのか。
本屋をこのように定義しなおすと『山の陰の本屋さん』の登場人物は多彩になってくる。自立した市民が横につながった群衆劇である。つなぎめに位置する人は存在する。
永井伸和さん。創業153年になろうとする今井書店の五代目。現在は「知の地域づくり研究室」を主宰している。永井さんは紙とインクの匂いがする場所で育った。
永井さんは「本」とともに地域で生きている。山の陰である鳥取と島根で。
ニワカ作家に締切はない。ただし、早く楽になりたいというアスピレーションはある。なので、来年も書いていく。
山の陰の聖地に光が当たったら石の本が見えてきた。石は意志、アスピレーションだ。
本屋のみなさん、よいお年を。陰に支えられて光が射してくる新年でありますように。